くそ雑多なひとりごと
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凍牌、舞台に上がっている登場人物がほぼ全員イカれてるので見せ場のシーンだいたいドン引きしてしまうんだけど、パワーのある本気の狂いなので目が離せない(でも普通にだいぶグロくて痛いので全くおすすめはできない)

凍牌の後に来世は他人がいい見るのよくないかもしれんな 綺麗なヤクザだなあってなってしまいそうで

スポーツ(バトル)+恋愛の2軸を取ってる作品って、1軸作品における『最後は勝つんでしょ・最後はくっつくんでしょ』的なメタ読みを外しても成立して、勝敗やオチが予想しにくいみたいな面白さがあるのかもなー

例えば、スポーツ大会では敗退するけどその先で恋愛的な進展がある、とかをやりやすいし、演出によっては大会の描写そのものをすっ飛ばすっていう飛び道具も使いやすい………気がする。
(でも最初から負け前提だとそれはそれで面白くないので、ちゃんと勝つか負けるかくらいまでは持っていってほしい)

逆のパターンだとどうだろう?恋愛成立を外してスポーツ方向を極める、っていうのもララランド的で良い気がする。


もちろんスポーツ・バトル1軸作品であっても『最後に負けて終わる』パターンもあるけど。そこから良い後味に持って行くのはけっこうな難易度だし、かと言って説得力のある“勝ち”を描くのもめちゃくちゃ難易度高いし、1軸ってめちゃくちゃ大変だなーーー。色んなパターンが出尽くしてる現代においては特に

昨日メモった創作今やってることリスト、うっかり『1話リテイク』が抜けてて草だった足した
これどのタイミングで進めようか決まってないんだよな……なんか別の作業したくなったときとか…(どっちみちマンガ作業ですが)

言語化できているようなできていないような、別に言語化しなくてもいいようなことの壁打ち

『劇画』の定義が『大胆なカメラアングル・人物の心理(内面)描写』だとすると、個人的にエッセイは劇画的な表現を抑えたい、みたいな言語化ができるなーと思う。
カメラアングルも内面描写も『誇張・強調』に有用なのでフィクションでメリハリつけたりエモーショナルにするのには大いに有効なんだけど、エッセイの場合わざとらしくなるというか、そうじゃないんだよな感が出てしまう。個人的には。

あくまで『自分がやるなら』の話なので他の人の表現は他の人の表現なのだけど(保険)、エッセイマンガでの“画”は単調であればあるほど、説明的であればあるほど引っかかりなく読める気がしている。それは多分根本的なところで自分はマンガの登場人物ではない、と思っているからなのかも。それをマンガにしているという矛盾はともかく。
だから、マンガの登場人物みたいにカメラアングルで演出したりエモーショナルな内面心理描写を自分に当てはめると痒くなってしまう。だから、エッセイ用のキャラは表情筋はコロコロ動かさない。状況の説明に有効なときだけホギャーとなった顔にするくらいでよい。自分の場合は

そうなると、劇画的な表現よりも寧ろもっと前、昭和中期より前の単調なコマ割やアングル表現の方が自分の思う『エッセイマンガ』にはぴったりくる……のかもしれないな~~。

………というところがあるのかもしれない。なんかエッセイマンガの表現について言語化しにくい部分でモチャモチャ考えていたところ
まあ全部が全部これに当てはまるわけじゃないしケースバイケースだけど。エモくて大げさな表現は避けている、と言いつつエッセイやゲームプレイまんが内の自分を道化的に演出するということは常にやってる感あるしなー。『劇画的表現は自分の思うエッセイマンガに適さない』説、的を射ているようで射ていないような気もする

メッセージありがとうございます。こう…こういうのをコソっとね…コソっと声かけてもらえるのはありがたい
なんでもボタンもありがとうございます~🛸

やべっ PC自動で夜間モードになるようにしてたから夜間モード画面でキャラの色決めしてた アホちん!

→でも意外と夜間モード切ってもそんなに印象変わらない気はする。色って相対だしな…

よし!

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個人サイトのいいところは、こう、SNSで言っちゃうと喜ばしい空気に水を差す行為になるところ、自室の壁に向かって打ってるだけなのでセーフ、みたいな

でももし万が一ポジティブな気持ちでトヤマの反応見に来た人がいたら普通にゴメン。多分以降はあまりネチャネチャと触れないようにするので ウス スゥーーー(深呼吸) 原稿やろ

今まさにプレイしているゲームで『深く愛している信仰の対象があり、しかしその一部を受け入れられない自分は信徒としてダメなんじゃないか』と悩む登場人物がいたり、『完璧で理想の状態で時を止めたい』登場人物がいたりするの、全部自分のオタクの部分に刺さってきて「どういうタイムリーさなんだよ!!!!!!!!!」ってなるな。いや本当にどういうタイムリーさなのだよ。こんなに共感値マックスでコンテンツに触れる経験なかなかない

#gnosia
ごめんちょっとほんとうに様々なトラウマが蘇ったのでグノーシアのアニメ化はスルーすると思います。ごめん。

・原作の記憶の上書きをしたくない
・己の認識内のボイスを確定したくない
・“主人公”の名前とビジュアルの一つの“公式の型”ができてしまうのが本当に嫌(←割とこれが一番特大のトラウマかも)
・ゲーム体験の伴わないグノーシアにあまり価値を感じない
・未プレイ勢はこれが初見になるのか~とかそういう余計なことを考えたくない
・キービジュがもうことり絵からだいぶ遠い(ことり絵にグノーシアのイデアを見ている)

・まずグノーシアというゲームに触れた上で「アニメ化したい」と企画を持ち込んだのだとしたらその時点でアニメ制作側と作品の捉え方が決定的に異なっており……。

真面目にこういうゲーム系のアニメ化で良い思いをした記憶がガチでないので経験則からの撤退です。自分の視界と認識からある程度排除できれば考えることが少なくて済むので。気難しいオタクにこういうメディアミックスはな…難しいんだ………楽しまれる方はぜひ、楽しまれて………


とりあえずある程度情報を遮断したいんだけどどうすればいいかなーーーー 公式アカはミュートするとして(お前…)
ことり先生は描き下ろしとかがあるかもしれないから遮断したくないんですけど………まあ元々あんまりたくさん呟く方じゃないからリポストオフだけで大丈夫かな……?
話題がでかくなってきたら「グノーシア」をミュートワードに放り込もうかと思うけど、そうしたらことり先生まで消えるじゃん!?通知ってミュートワード貫通してくれるのかなあ

めちゃくちゃ話題になって話題を遮断するのが難しくなったら………!?!?その時は………

▲とじる


なんか元がインディーゲーで気持ち制作者との距離の近さを感じる分、ファンを喜ばせようとしてくれてるんだろうな~というのを感じると謎に良心の呵責があるんだけど、まあ、ほら、個人サイトで壁打ちしてるだけだから………

以上でごわす

#pokemon ポケポケを対コンピュータで遊ぶ部

嫁に先立たれたうちのニドキング、ハッピー3人婚のニドクインに叩き潰されるの図
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うちはニドリーノがまだ1枚しかないんですよぉ!!!勘弁してください!!!

ニドデッキ、枠がキツキツすぎて無進化たねポケとかを入れる隙間なくないッスか?ニドラン1にして圧縮する?とか思ったけど普通に足りない気がする


ミッションとかを雑にクリアする用はこっち
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課金どころか砂時計完全温存してこれが組めてるの、雷だけ引きがエグい気がする

#TOYAmade 設定ページ加筆修正した
更新履歴

野球ページにチーム一覧の項目足した。たいした情報はないけど紋は入れた

#TOYAmade キャラデザ作業を後回しにしすぎて「このまま原稿を進めていくとキャラが登場するところまで来てしまう」となり渋々キャラデザを詰め始める。夏休みの宿題最終日勢?
キャラデザいっぱいできる人ってすごいな~と思う。なんか苦手意識もあってものすごく腰が重くなってしまう。
でもキャラデザ得意な人ってそもそも引き出しを元からたくさん持ってるんだろうな。引き出し~


12月入ったし今の作業について記すか

【★今やっていること】
6話の作画作業(29/40済)
1話冒頭のリテイク作業(ネーム途中)

【★今完成しているもの】
6話と7話のネーム

【★早めに着手すること】
6話と7話に登場するキャラのデザイン整理(ラフデザインまではできてる、細部や色が決まってない)

【今後の予定】
6話を年内に更新、7話は来春公開を目標に作業
ページ数は7話が6話の倍くらいあるので、それだけ時間がかかる見込み。なので6話段階でキャラデザ作業を終わらせておき、6話更新から7話更新までの間が空きすぎないようにしたい。




【7話完成以降にやること】
※半年くらい先になるので色々未定
・総集本の作業をする
┗表紙を描く(がっつり描きたいので多分大変)
┗原稿を修正(気になる作画と、ノドに近いテキストの位置修正)
┗データ作成(サイズ変更・複数の話数をまとめるなど 多分めっちゃ大変)

・サイトの改装
┗トップページ見やすくする
┗色々見やすくする
┗有料WEBフォント検討

・次の話の準備
┗キャラの服飾などを描きやすく変更
┗プロットとかネームとか▲とじる


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なんか創作、マンガをやっているとかキャラをやっているというより「一人で自分用のソシャゲの運営をしてる」みたいな感覚強いな、と最近思ってる

転生貴族鑑定スキル、なんかしらんけど敵のロンゲ美青年とモヒカン兵士の美しい絆が始まってスピード退場して鼻水出た 何?こんなもん急にインスタントに消費させないで(??)ちゃんと描いて!?



ここです


ええ!?


まあ、サイコな強キャラっぽい顔の割に敗戦の仕方は相当ザルかったけど………

ていうかなんで敗戦の将として捕虜になりながら「この戦いが終わったら故郷に帰ろう」なの………?幻術なのか?
アニメ相当急いでる雰囲気あるし原作ならもうちょっと描写あるのかもしれへんな


あとリーツのブチギレスイッチ軽すぎてアルスのお菓子が盗まれたとかでもあの顔になりそう(コラッ)

『in Stars and Time』
ラスボスの、
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Q.なぜ時間を止めるのか?なぜヴォーガルドだけなのか?
A.今の状態が完璧で尊いから変わってほしくなくて…


正直少し、いやけっこう共感してしまうところ

私が好きな作品の続編展開を嫌うのって割とまあ、これだし………
完璧に美しい最終回で時を止めたがってるのかも、ってたまに思うよ。王。仲良くなれるかな
美しいヴォーガルドがダンガンロンパ2アニメやSHIROBAKO映画みたいになってほしくないもんな………(…………)

正確に言うと私のそれは『未来がどんなふうになっていくとしても、物語はここで終わり、その先は見せないでほしい』みたいなニュアンスではあるが。まあ広義にはそうだよね 私が王……


変わってほしくない、が動機にあるラスボスや敵キャラはまあまあいるけど、その対象が人ではなく国なのがけっこう珍しい手触りかも。だからこそ私は『物語が完結したらそれで終わってほしい』と重ねてしまったのかもしれへんな。国って物語だし


『変わってほしくない者』と『変化を受け入れ未来へ進むもの』の物語って、前者に共感したとしても後者を嫌いになることは(私は)あまりなくて、結局のところ世界は変化していくものなので、そういうものと対するときには後者の存在がありがたかったりするんだよね。だからiSaTはどちらの側にも共感の意を持っちゃうな~
▲とじる

『in Stars and Time』
ミラベル、貞淑な聖女っぽい第一印象から厚い信仰心やひたむきさは変わってないけど、グロホラー系の小説が好きだったり拒否反応示す時にけっこう言葉選びが荒くなったりするところ、めちゃくちゃチャーミングですき

『in Stars and Time』ミラベルのイベント見た
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この国と『ウツロイの信仰』=『物事の移ろい・変化をよしとする思想』は、現代に言い換えるところの『多様性』なるものを広く肯定していて、現代日本ではまだまだ奇異の目で見られるような人々を許容しているように見えるのだけど、
実際はそんな世界の中でも『普通とされるものからズレている自分に悩む』という人も当然いて………という多層を描いていて、よ、よすぎるな??なんかこう、物事は表と裏だけではない、ということがしっかりされている。

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変化と移ろいをよしとする信仰だからこそ、変化すること=恋愛によってライフステージを変えていくことがかなり多数派としてある、というのはすごくなるほどだな~。性別の組み合わせは自由だけど、恋愛するということ自体はこの国ではかなり常識の行為なんだ。

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ここの描写のいいところって、『そういう思想や規範が彼女を苦しめている、縛っている、脱却しなければならない』ではなく、『彼女はこの信仰を深く愛しているが、個人として受け入れがたい部分もあって、そこにどう折り合いをつけていくか』という方向性なところだな~。本当にこう、白と黒・表と裏だけでは語れない部分でやっていて、あ~~~ マジで“これだよ!!”をやっていてすごい。
▲とじる


ネタバレなしで語れる部分がこういうとこばっかだけど、ネタバレあり部分はほんとどうなるんだ……とドキドキしながら進めてる。ラスボスにけっこう共感してしまう部分もあり いいゲームだとおもう

ダンダダンや呪術廻戦アニメの色使いって本当によくて、アニメにするからってとりあえず鮮やかなフルカラーにすりゃあいいってもんじゃねえんだといつも思ってるので「いい…いい…」ってなる。
全体の色調を単調にして強調したいところだけ別の色相にする、みたいな方法で“フルカラー”の表現をしていて…いいよね…ダンダダンの画は……

#reading 幼少期に読んで影響を受けた手塚治虫のマンガの描き方の本を最近読み返してたんだけど、今読んでも当たり前に面白かった。
でも私はその本の影響で「マンガ」をカタカナ表記にすることにこだわっているんだと思ってたけど、特にカタカナ表記への言及はなかった(本文はカタカナで統一されていたが)

何をもってカタカナにこだわり始めたんだろう。やっぱり本文中に『劇画』に対して『大人マンガ』っていう別のジャンル的な呼称を使ってたからそのへんの雰囲気だろうか。まあどのみちカタカナが好きなのでマンガのことマンガって呼ぶけど

というか、劇画も漫画って呼ばれるようになったのはいつからなんだろう。wikipedia的には『劇画は漫画のジャンルの一つ』とされてるけど、手塚治虫の本では明確に別物と分けている雰囲気だった。

現在の漫画の多くは少なからず劇画の影響下にあるが、漫画と劇画を分離して呼称するという提唱は未だに実現しておらず、包括的な呼称としてなお漫画が用いつづられている。 (wikipedia)
別々にしたいけど別々になってない、みたいな感じなんだ

wikipediaによると本来の意味での劇画はカメラワークや内面心理描写なんかの表現技法が肝であり、濃い顔の絵みたいなのは表面的なものでしかないらしい。本来定義ではシンプルな絵や少女マンガの絵でも劇画と呼べうるとか。ほへ~~!じゃあ現代のマンガってほぼ劇画じゃん

手塚治虫がそもそもそれまで平坦だったマンガに映画的な手法を取り入れた人だけど、劇画はそういうのをもっとダイタンに伸ばしていった分野って認識でいいんだろうか?

ワイ「漢字の読みの頭1文字だけを使う当て字ってあんま好きじゃないんだよな~。愛を“ア”で使うみたいなやつ」
???「…むです…」
ワイ「?」
手塚治虫「手塚治虫です」
ワイ「アッ!!!」
手塚治虫「本名は手塚治です」
手塚wiki虫「友人から借りた平山修次郎『原色千種昆蟲図譜』を読み、甲虫のオサムシの存在を知り、それにちなんで、この時期からペンネームとして「手塚治虫」を使い始めた。んやで。1950年ごろまでは、「治虫」はそのまま「おさむし」と読ませていた[17]。 なんやで。」
ワイ「あわわっわわわわ………」