くそ雑多なひとりごと
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#-sage 『トヤマらしいテンプレ外し感がある』って言われて嬉しかった。テンプレ外し感ってさ、こう、自分で言うのダサいやん?テンプレや流行りから外れてる俺…w感出るから…(カスみたいなメタ意識)

私のテンプレ意識って、『属性フレームとして利用するのはアリ、テンプレに付随するテンプレを使うのはナシ』みたいな感覚だろうか。例えばお嬢様とかツンデレとか俺様とかこういう『属性的テンプレフレーム』は全然使うんだけど、『お嬢様だから庶民のご飯に感動する』に思考停止で流れるのは\ちょっと待ったぁ!!/みたいな。

いや別に庶民飯お嬢様はあっていいんだけど、そこにちゃんと本人の個性としての理由が欲しい、という感じだろうか。私がボイフレで最も推していた王子キャラはファーストフードうまうましてたけど、それは『誰かと食べる』というオプション込でというのが描写やキャラ性から伝わってきたし。

井正の可愛げのなさとかは完全にテンプレ付随テンプレの拒否だなと思う。ああいうクールなキャラってもうちょっとこう、なんらかの“照れ”や“ほだされ”になる要素があった方が親しみ持てる気がするんだけど……嫌なので……(そう……)


ずっと「わかりにくいデレ方をしている」「井正だけの言語でデレてる」みたいなことを言ってるけど、これは人間語に訳すとデレって言葉になるかもしれないだけでやっぱりデレてない気もするし…哲学?
まあちょっと沙華は特別になってるなとは思うんだけど、だからなんか嫉妬したりそういう動きになるかというとならんだろうな間違いなく。って感じだし、あいつの気難しい目のかけ方はいつかもっとやりたいですね。私が楽しいので。

媒体による本質要素の違いみたいな

聖痕のクェイサーの原作はキリスト教モチーフをベースに背徳的なエッセンスも含めたバトルエロスマンガという認識なんだけど、アニメ版はシンプルバカエロ作品になっていたので「母乳を吸ってバトルパワーを得る」という設定のエロキャッチーさだけを引っ張ってくるとこうなる(コアをそこに見て移植するとバカエロになる)という感じはあったな。

主人公も原作版はド攻めクール少年の印象なんだけどアニメ版はややきゅんショタみが強かった気がする。だいぶ前なので記憶が朧げだけど。私はアニメ見てギャハハwwバカエロwwって感じで入って原作読んだからそんなでもなかったけど、逆だったらキエーッってなってたかもしれない。原作から入ることって新鮮に原液を吸えるという唯一にして無二の経験を得られる行為だけど、メディアミックス前提だと映像化→原作のほうが心は穏やかというのがあるよね。

人の時間の使い方って神秘だよな。ダ・ヴィンチ恐山氏が毎日すごい距離を歩行しながらオモコロの諸々をやって作家業もやってるのとか未だによくわかんないし(これは氏のマガジンの質問回でも言及されてたけど)

メッセージありがとうございます!


概ね“ながら”の並行で時間を捻出しているところはありますね。アニメ見てるって言ってる時は同時に絵も描いてるし、ゲームしてるって言ってる時は飯食ったり運動したりしてるし、web記事を読んだと言っている時は音声化したものを聴きながら買い出しや家事をしていたりします。ながらモンスター生活です。

『これをやっている時は同時にこれをする』が決まっているので、創作的な何かに着手する時にエイヤというエネルギーが不要なのもデカいのかもしれません。

感想など文字打ち作業だけは並行しづらいので、長大なこれに夢中になった日は「やべ〜全然作業進んどらんわ」とちょっと焦る瞬間もあります。笑
アニメの感想とかは見てからちまちま書き込んでまとめてるのでそんなにです。この文章は風呂で打ってます。

自炊にそこまで興味と情熱が無いので極力手間のかからない固定メニューで回したり完全メシ(公式の消費期限近い製品のセールが神)食ったり、「なんかわからんけど草食っとけばいいんでしょ!?」と言いながら動物の餌みたいな盛り方した草を雑に食ったりしてます。え?

あとシンプルに在宅勤務なので通勤時間というものが存在しないのが大きいかなと。通勤してた頃は1日1〜2時間は移動時間だったわけなので、年間のPC前可処分時間が500時間とか変わっている気がします。根も葉もないんですがやっぱり環境的な運がいいという話になっちゃいますね…。
すごい漫画家先生だと移動時間をフルに使って原稿を描いていたりするわけですが。ある意味アルティメット形態だなあと思います。
▲とじる



COFOの昇降デスク、天板白・足黒の180cmのやつです。クソデカい真っ赤なデスクマットを敷いています。
COFOデスクはちょっと汚れが気になったり、偶に不具合が出ることもありますが、アフターサポートがガッチリなので満足してます。
▲とじる



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『オタクに優しいギャル』にはオタクの“自覚”を感じるけど、『妙に倫理的な反社』にはオタクの“無自覚”を感じるのでちょっとウーン…みたいな感覚、ある。『倫理的な反社』、『オタクに優しいギャル』と同じ領域の属性であるという共通認識になると享受しやすいかもしれない。

#tales 忘却の再プレイ、イベントやキャラの会話全般に関してはマジで覚えてないし見ても初見みたいな感覚なんだけど、街やダンジョンは「ここ知ってるかも!!!この風景見たことある!!」ってなることがあるので自分の記憶ポイントってそこなのか?ってなってる。まあ見たことで思い出してるだけなので厳密に「覚えている」とも言い難いけど。

前に友人とオタク話をしてたときずっと「化物になりたくない~~」って言ってた気がするしちょっと過度に恐れすぎている。厄介オタクという化物になることを。

感性や思想的には信頼できるけど面倒くさい感じにならないオタクのことずっと尊敬してるし、それはそうと感性や思想が近くてめんどくさいオタクを見るのは普通に好き(そうだね)

ヘイルメアリー映画の感想をあさ~~~~く漁ってたんだけど、あれですね、原作未読の人の称賛感想を見る時、

「いやでも見えてるものがだいぶ違うな~~~」
「それって原作が描いていた“本質”とはだいぶ違って~~~~」
「アッ!!!おい!!めんどくさ警察だ!!!!帰れ帰れ!!」
「ピピーッ!!!」
「こういうヤツがコンテンツの広まりを阻害し自由な鑑賞を阻害し萎縮させるんだ!!!」
「こういうののせいで感想を言う事を恐れる流れができちゃうんだ!!」
「コラッ!!!!!!!!!!!!映画は映画として見るもの、という面も大いにアリですぞ!実質別作品なんですぞ!」
「他の映画化作品だって概ねそういうところあるから!」
「俺に構わず自由に見ろ!!!!」
「自分だって原作未読映像化見て感想出力してる時こうなってるんだぞ!!!!!!!!!」
「なるほどこれが“感情”か~~~~~~~~~~」
「この作品についてはまだ思い入れ自体が大きいわけじゃないからこの程度で済んでるけど、そうじゃない場合は化物になってた~~~~~~~あっぶね~~」
「激思い入れ好き作品の映像化完全遮断したのあまりにも正解~~~」
「“原作厨人格の自分”という化物を自主的に檻に閉じ込めるのえらい!!!!!!!!!!!」

になってる(ねじ切れオタク脳内)



とはいえあれですね、大筋部分はほぼ改変なしだと思うので「全く違うものを見た」とはならないのですよね。あらすじとしては一緒だけどなんか本質が違うもの、と言うとすごい曖昧で謎めいた感じがする。比較してみるのは正直けっこう面白いと思った。

#-sage なんか純朴な主人公がめちゃくちゃ特別特異な能力持ってて無自覚に幸福を撒き散らし色んな人に一目置かれまくってるのは、異世界や転生モノなら「そういうもの」感あるけど、そうじゃないジャンルでこういう主人公見るとオア~見てらんねえ!ってなっちゃう そんな感じが自分の中にあるな。

別に中二病痛いとかそういうのではなくて、ウーン、どっちかっていうと「投影読み手の“認められたい”感情に素直すぎて私ならうるせーっ!ってなるけどな?」みたいな…?

有能主人公は全然いいというか全然気持ちいいんだけど、無自覚有能はなんかこう、何も頑張らなくても勝手に見出されて認められたい感があってイーッってなるのかもしれない。これがサブとかにいるのは場合によっては面白いんだけど。転スラがサブキャラにテンプレ転生勇者少年みたいなの出してくるのじわるよな。

無自覚見出されに対する反感がありすぎた結果生まれたのが「見出されたい願望持ちのオリキャラ(別に見出されない)」なんですか?それはちょっと…ある。彼もねえ、全然一回きりのつもりないから描きたいんだよね。

メッセージありがとうございます!!space

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「まともキャラ」と「変人キャラ」がいたとしたら、「まともキャラが変人キャラを引き立てる」構図になる…と思い込みがちだけど、奇人変人カーニバルコンテンツにおいては「変人キャラがまともキャラを引き立てている」状態になってるのかもなあ、と思うことがある

今日はTAMAコミよろしくお願いします〜!
スペースはオ19 会場奥側壁向きの配置なのでクソ目立ちポスターがパッと目につかなそうなのが懸念!

開始1時間以降は友人がスペースに来てくれるのでウロついてるかも!


移動時間にヘイルメアリーを読み切りたいんだけど佳境すぎて読むと泣いてしまう!!うわーんうわーん!!どうすればいい、質問?
感情曲線がスロースタートな序盤からどんどん上振れていく優れた物語。
あらすじだけならドラえもんでもありそう→流石にドラえもんではなさそう→ワンチャンドラえもんでもありそう←今ここ

「アニソンアーティストが好きなんだよな」みたいな話をしてたとき、話し相手の友人はタイアップとか関係なく音楽を嗜むタイプなのでよくわからないという感じで、自分でも確かにタイアップありきのこの思考ってなんなんだろうなと思ったんだけど、やっぱりなんというかこういう“乗ってくる文脈”込でアガるタイプなんだろうなという気はする。

いや、まあ、もちろんシンプルにメロディがいいとか曲単体で良いという感情もあるんだけど、でも私がアニソンゲーソンばっか聴いてるのって「曲という情報を吸ってる」面は切り離せないのかもしれない。

「1話で切ったけど曲が好きすぎて買ったやつがある」と言うと、それはほぼ曲単体で好きということになってくるのではないか?となるのだけど、それでも多分曲単体で知ったとしたら買ってないと思うんだよな。なんか自分でもうまく説明できないけど。アニメは合わなかったけど、それでもこの作品のために描かれた曲という前提は飲み込んでいる、という感触はあるかもしれない。

歌詞かメロディか、みたいな話題はあるけど私は情報や文脈を吸ってるタイプなのかもしれない(もちろん歌詞やメロディも込だが)
情報や文脈、というとアーティストを多面的に追いかけてるタイプのファンにもあることだと思うけど、私はそれはしてなくて、タイアップという方向からそれを吸っている感じだ。

メッセージありがとうございます!!見てもらえてうれし恥ずかし…niko

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エイプリルフール、『嘘をつく日』というところからコンテンツ界隈が『普段とは違った状態のキャラやストーリーを、さも本当にそれをやるかのようにお出しする日』になり、末端行き着く先では“嘘”という文脈が剥がれ気味になって『なんかせーのでパロディ絵描く日』みたいになってることもあるの、すごい雑にねじれた変遷って感じでじわじわくる

でもここでやるパロディはなんでもアリってワケじゃなく、元々語呂合わせなどで『◯◯の日』が存在するものは避けられる印象がある。定番は性転換だけど、確かに性転換の日ってないな。

TAMAコミの荷造りしてたけどボイフレログ本重すぎて笑っちゃった。マジでばけいづこ総集本の軽さにこだわったの正解正解、大正解です。助かりすぎてる。経験が生きてます。
まあフルカラー本はある程度仕方ないところはあるのだけど、ボイフレではモノクロ100P本でも何も考えずに激重本作っちゃって運搬大変すぎたしくじり経験があるので本当に経験

とはいえボイフレログ本は売れるとは全く思ってないんでまあ…賑やかしに2冊くらいでええか それでもけっこう重いのですが。
マジで買わなくていいので作ったものみてってほしい 買わなくていいのでみてってほしい屋さん。近年の二次創作はほぼ通販しかしてないので「買わないけど見てみたい」チャンスは今しかない!あるのか?そんな需要は。

4月なのでキリもいいところということでBOOTHの発送方法をゆうゆうBOOTHパックに切り替えました。送料ダウンで少しお安くなったよ。最初はちょっと慣れないかもだけどなんとかなるはず。
デカ本たちは引き続きあんしんBOOTHパックのままです。


期待通りレポもあがってた。たすかる~

新年度一発目のクソ夢

野球を見に遠征して知らない土地で何故か急にデカいぬいぐるみが必要になって(夢特有の意味不明理由)知らん人の家に侵入してぬいぐるみを盗難

なんか後でこっそり返すつもりだったみたいだけど、家がどこだったか完全に分からなくなり返すに返せなくなる

捕まる心配よりも「盗難をしたという心身負荷状態」が続くことを恐れまくっている夢内自分(夢特有の以下略)

結局ぬいぐるみを返すこともできずウウウとなっていたところ、持ち主のTwitterアカウントがおすすめ欄に流れてくる(特に個人情報とか書かれてないのに何故か確信)(夢特有の以下略)

そのアカウントは完全に絵垢って感じだったけどなんか個人サイト持ちっぽくて個人サイトの日記はけっこう更新されてた

↑この辺で起きた

夢の特有のアレとはいえ盗難した罪や逮捕の懸念や盗まれた側の気持ちじゃなく「自分が加害者になっているという心身負荷状態に耐えられない」という動機でモノを返そうとしてたの、“心理”すぎて「うわあ」になっちゃった。

私オドオド根暗キャラにはさわやか化調整じゃなく負のエネルギーをそのまま使ったアッパーシナジー調整かかるタイプの変化が好きなのかも

↑でもこれって恋愛攻略というよりファンタジーやバトルの世界じゃないとなかなか起こせないすぎる

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ポジティブかネガティブかで言えばネガティブに分類されるキャラ属性を好ましいと感じている場合、それに対して「変わるな」と願ってしまうことの“オタクの業”って難しいアレなんだよな。特に病気とか怪我とか機能不全とか、おおよその場合『悪い状態』と判定できることについてはけっこうセンシティブというか
と思いつつ、それを素直に願ったり消費したりしてよいのが架空の存在のいいところという話もあるんだよな。個人的に後ろめたさを減らしつつそれを享受するなら舞台設定を非現実に寄せて、存在しない病気や呪いとかにしちゃって…ってなるだろうか。

社会的能力の欠如(コミュニケーション能力とか労働とか外見とか性格とか)については、これをネガティブと解釈するのは社会のあり方による相対的な評価なので一概には言いにくいところではある。

初代ときメモでボーイッシュキャラが告白シーンで「女の子らしくなります、スポーツもやめます」と言っていたのも、今見ると「ええ…それは変わるなよ…」ってなるワケだけど
これも社会的に時代的価値観としてどうか、みたいなところに依拠してるので当時はそこまで違和感がなく、「ポジティブな変化」だったのかもしれない。しらんけど。もしかしたら普通に当時のオタクも首をひねってたかもしれんけど。

極端な話、時代や状況や価値観が変われば社会的能力の欠如属性はネガティブとは解釈されなくなる可能性は全然あると思うんだよな。人類が社会性でやりくりしてきた生物である以上当分はないと思うけど。

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それはそうと、キャラ本人が変わりたいと願い(そのプロセスがちゃんと描写された上で)変化することについて、頭ごなしに否定せず、思うところはあれど意思を尊重したい気持ちも存在するオタクが好きなので、前髪のゲームにその葛藤がだいぶ見えたのが そういうところに“いい業”を感じてよかった。いい業

上記の初代ときメモはそれまでそういう気配なかったのに告白シーンで急に女の子らしくとか変わろうとしだしたので駄目です(難しい顔)