くそ雑多なひとりごと
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全然整理されてない嗜好壁打ち

『人間になりたい人外の女の子たち』の学園アニメを見てた。
人外と言ってもビジュは萌えアニメなのでベースはほぼ人間の美少女造形でケモミミやシッポだけが生えてるタイプの、所謂都合のいい人外美女という感じのアレなんだけど、人間志望ということならギリギリ理に適ってるのかも…しれない。

作品としては萌えアニメである許容前提もあって別にツッコミどころ多すぎ!っていうわけではなかったんだけど、なんとなく見ながら「自分は“人間になりたい人外”っていうテーマ性にあまり感情移入できないのかも……」と感じていた。
別に人間という種族になんてならんでええ!人間はカスや!とか思っているというワケではなく……「人間になりたい人外」という概念そのものが、人間側の願望や欲求すぎる・それがだだ漏れすぎるから……か……?理解できる、感情移入できるところに落とそうという作り手の意図の部分にウソっぽさを感じてしまう……?うーん……

まあ、「人間になりたい人外」って昔からあるジャンルだし、わんプリとかは楽しく見てたので描き方次第といったところではあるのだけども。
そもそも作り手の欲求反映なんて創作物の大前提でありもちろん自分にもあるものだろうという話なんだけど。そして物語は感情移入だし理解できることが大事なので、絆を結ぶ前提の人外はある程度人間の理解の範疇に入っている必要はあるのだけど。うーん何が言いたいのかわからん!未整理の感情!


なんとなく、こういう『人外的発祥の存在』を人間側に寄せて“人間の理解”の中に入れることで融和しましたみたいな顔をすることに抵抗があるんだな。なんなんだろう。
だから自分が好き……というか扱える『人外』というのは『あくまで人間から生えてきたもの』になりがちだなと思う。人間の祈りからだとか、人間の想像からだとか、人間とルーツが同じとか、もともと人間と精神構造が近い種であるとか、人間が作り与えたとか、なんかそういう前提で……

↑こう言うとすごい排他主義の人みたいだけど(人間以外と理解し合えるわけないだろ!みたいな)そういうわけでもなくて~~
そもそも人間同士でも理解し合うことは基本できないのでそういう軸ではないな……

やっぱり人間がエゴに無自覚で、そのエゴでもって人外を人間側に寄せている、というカタチに抵抗があるんだと思う。それを自覚した上でやってる作品とかは割とアリかなあ。あとは人間と人間以外は根本から別の生き物である・人間に寄せようとしない・その上で共存しましょうみたいな姿勢の作品の方が受け入れやすい…みたいなところあるなー。ドッグシグナル、よかったよね……
わからんでもエゴとか言い始めると全部がエゴだからな……

わんプリに関しては私は『人間側のエゴや祈りにある程度自覚的になった上で敢えてそっち側に描き切っている』と感じた。でもこれは正直フィルターありきでそう受け取ってる気もする。


倫理や正しさっていうよりあくまで嗜好のしっくり感の話だなとは思う。▲とじる