くそ雑多なひとりごと
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アニメ見れないので溜め込んでるトーク系のアーカイブなどを消化してる

『推しって言葉を使いたくない』と似たような雰囲気で『オタクって言葉を軽々しく使いたくない』と言っている知らない人(見てる動画ではお便りとして送られてた)を見てなんとなく今の自分内のオタク定義を考えてた。私はプロフィールとかで『オタク』をずっと名乗ってるわけだけど。

多分、オタクって言葉を軽々しく使わないでほしいってタイプの思う『オタク』って物質的と言うか具体性というか、行動や知識の煮詰まった先に『オタク』という言葉があるような世界観なのかなという気がする。まあだから、ちょっと鬼滅映画見ましたみたいな人が「オタクしちゃってる~w」って言ってたら、な~~~~~~にをそんな浅瀬でのたまっとんじゃい!!となるんだろうな。いやそれはわかるけど

私が自称する時の『オタク』ってどっちかっていうと気質を表現した自己紹介な気がする。別にマンガが好きだからゲームが好きだから野球を見てるから絵を描いてるからオタクですっていうわけでもなく、いやまあそれはあるけど、使える時間や金の多くを投じていたり、四六時中そのことばっかり考えたり、好きなコンテンツに対して死ぬほど面倒なことを言い始めたり、そういう感じになっちゃう人種でございます。わたくし。尽くを“優先”してしまう生き物なのです。という意味での『オタクです』なのかも。
とはいえ優先のバランスをうまくやりながらオタクしている人もたくさんいるので、一般的な定義とするつもりはなく、自分の内面にはこういう『オタク』という言葉の使い方があるな、というだけの話なんだけど。


私はオタクって言葉を使ったり名乗ったりすることに抵抗がない一方で、オタクが使う『一般人』って言葉の方は苦手かも。人類って広い視点で見ればオタクも含めて99%以上は一般人だし、狭い視点で見ればそれぞれ個である以上全員一般人ではないとも言えると思うので。オタクが認識する『一般人』を指して『一般人』と呼ぶことの方が驕りを感じて苦手だな。非オタって言い方ならわかる。