くそ雑多なひとりごと
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人間とともに生きるようになっている動物たち、犬猫などを虐めたりしてはいけない、命を預かるなら大切にしないといけない、無責任なことをしてはいけない、というのは人道的には当然のことという前提ではあるのだけど、それはそうと昨今のフィクションにおいては『犬猫愛感情に阿ること』が商業的に有利なのでそうしている、というような領域まできている…と感じることはある。なんというか、作り手の目線が『犬や猫』というよりは『それに対してセンシティブな人間』の方に向いてないか?みたいな…?うまくいえないけど。そこを利用して共感値・好感度を稼ぐ方が美味しいからそうしている、キャラの好感度調整に丁度いいアイテム・それが犬猫であるとドライに考える作り手は(絶対に明言しないだろうが)絶対に一定数いるんだろうな~と思う。

自分の創作でいうとドラ蔵は犬猫をちゃんと大事にしてくれるし、危機的状況なら身を挺してかばうくらいはやれるから、共感的道徳に適合したキャラだな~と思える。これは別に媚びてそうしたのではなく、ドラ蔵はそういうヤツだろうなという感じでそうなっている。
逆に井正や沙華って場合によっては全然犬猫を大事にしてくれなそうなので(暴力などは振るわないが、場合によっては優先度が下がるくらいは全然ある)、まずその状況を作らないようにしないとマズい!バレる!こいつらのこういう面ちゃんと隠せ!って思う(それ言ったらダメなのでは?)(……)

商業的共感的好感度に阿った世界線の井正は、「猫?興味ないが?」という顔をしつつ誰も見ていない時は猫にちょっかいを出したり、真顔でエサやおもちゃを買ってきて「お、おまえ~w」ってなる可愛げを見せる可能性があるけど、本物の井正は井正であるので、作中で言及したような存在の作用面以外は本気であんまり興味がないと思う。なんの仮定の想像?
 #TOYAmade


個人的にはいくら犬猫愛玩感情に阿ることが商業的好感度的に優位であるとはいえ、誰も彼もが犬猫LOVEであることが大前提で、犬猫に触れあえば好きになるのは必定で当然で世界の常識ですみたいなのはニャイト・オブ・ザ・リビングキャットくらいにしてほしい、というような気持ちは少しばかりある(ニャイト・オブ・ザ・リビングキャットはそういう作品なのでよい)。その価値観の違いこそがキャラクターであると思うので。