くそ雑多なひとりごと
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#dangerous ダンゲロスにおけるキャラクターの死の好きなところ、なんというかメタ的な忖度(?)があまり無いところかなあみたいなことは考える。
全員本気で殺し合ってるんだ、そりゃあネームドだってあっけなく死ぬことも沢山ある

そんでその沢山の死が最終巻に繋がっていると私は感じていて、一つ一つが陳腐な死に方であっても作品を形成する一つの要素なんだよな…と思えるところが好き。

その上で最後に生き残った二人がその大量の屍の上でラブラブチュッチュしてるところが最高にエゴいというか吹っ切れてるというか上手く言えないけど勝手というか…いやでもそもそもあの二人は巻き込まれただけなのである意味では大勝利というか、まだ言葉では表せないけど大好き。あのオチを自分だけが知ってるものでもいい。死ぬまで抱えていきたい▲とじる

未成年の学生たちが尊厳も庇護も命の尊さもなくしかし極めて主体的にただ前のめりに暴力と性の限りブチ殺し合う戦闘破壊学園ダンゲロスとかいうマンガが大好きなオタクであるばっかりに…(???) #dangerous

ゴールデンカムイ面白いし仕掛けがめちゃくちゃウマいしはっちゃけ具合も良いし雑学知識が得られるのも良いし人や動物がしっかり命のやり取りをしてしっかり死ぬところも良いし色んな人がいるところも良いし良いとこしか出てこないんだけど、ア、アアーー!!次!!!次だ!!!って感じで読み進めるテンションになれないのはもしかして・・・・・・・主要人物が大人ばっかりだから・・・ですか・・・???pikin

マジで面白くて良い作品だと思うのにツボにはハマってない感覚、なんか面白い 不思議な感じだ
いつか続き読みたいけど今はマンガ買うならあだち作品読んでいきたいかな…となっている。

#Adachi_mitsuru タッチとMIXのこと考えてたけど、タッチはずっと一貫して恋愛を軸にしてるけどMIXはどっちかっていうと「家族」が軸だよな…?って思うなあ。恋愛するのか?MIX もうしなくても良い気すらするけど
タッチが恋愛軸だからこそターニングポイントがああで、MIXは家族が軸だからこそそれを揺るがすターニングポイントがあの形になった、って考えるとめっちゃしっくりくるのだが。

それにしても投馬と走一郎は義理の兄弟で家族ながら気の置けないダチのようであり、しかし一線を引いた他人のようでもあり、強烈な理解者でもある距離感が好きなので「家族」と一言で言えるかは微妙なところ
原作はやく読みたいけどいつ読もうかタイミングを見てる…

#dangerous
またダンゲロスを読み返してたんだけど(ネタバレとかではないけど畳み)

ナレーションに『差別主義者である!!』って力強く書かれる範馬、やっぱ強烈だ
架神恭介,横田卓馬『戦闘破壊学園ダンゲロス 4』講談社
架神恭介,横田卓馬『戦闘破壊学園ダンゲロス 4』講談社

この作品は範馬(差別主義者でゲイ)の他にも様々な(一般的には)あまり許容されていない性的嗜好や主義や思考を持ったキャラが出てきて、なので本の巻末には『※掲載されている内容は、作品の執筆年代・執筆された状況を考慮し、コミックス発売当時のまま掲載しています。』って書かれてるわけだけど、かと言って2023年現在の自分の感性からしても「そういう時代のものだから許容しないと読めない代物」とは思ってなくて、普通にちゃんと現代的だと思うんだよな。現代的な倫理脱線作品(?)

いやこれを現代的と考えるのは私の倫理観が狂ってる可能性もあるけど……その辺は人間の個人差だからね

範馬は強烈な差別主義者だけどそれを良いものとも悪いものとも描いてないし、個人の思想を全体に当てはめるような描き方はしてないし、こういうヤツだからといって単純なやられ役になってるってこともないし(寧ろ範馬は相当強キャラの類)
というか寧ろダンゲロスはシステム的に強烈な性嗜好を持って平均から逸脱してればしてるほど強いまである

なんというかキャラ個々人の性指向や思想や正義の持ち方はかなり著しく偏ってるんだけど、作者自体はそれを俯瞰して観てフラットに扱っている感がある、というのが好きなところだなと常々思う。

ゴールデンカムイ(10巻くらいまで読んだ)もそういうとこあるなと思った。ダンゲロスはあれよりはもうちょっと属性記号的かな。ダンゲロスはこれを学生戦争(つまり登場人物の大半が未成年)でやってるのがより強烈だと思う。▲とじる

#reading
映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~
4章はなんか自分に近い文化圏の話もしてるからか「そうか???」ってなる論も多いな。

「失敗したくない・損したくない・嫌な気分になりたくない風潮」と「ガチャゲーの流行」って私にはどう見ても噛み合わないように見えるけど違うのかな。ここは正直強引な紐づけに感じる。

「インターネットは見たいものだけを見るにはうってつけのメディアだ」←そうでござるかなあ~~~~???
まあそうとも言うか…大AI学習時代だし……でもそのさらにウラには見たくないもの見せられる世界があると私は感じてるよ
それはそうと、私は自分でフィルタリング頑張ればインターネットの見たいものを選べるところは好きだけどな。ここはテレビ・雑誌中心世代からすると変に見えるのかも。当然「自分の見えている世界が絶対じゃない」という前提でいないと思考が歪むのだがこれはテレビや雑誌でも同じな気がする。媒体がどうあれどういうリテラシーで接するかだよなあ~~


Z世代の特徴として「見たくないものを見ない」と論じてるけど、ゆーて私も見たくないものは見ないな。合わなそうだと思ったら離れる。ただ、その「見たくないもの・不快になるもの」のラインの引き方が全然違うような感じはするなー。本曰く「そもそも感情を揺さぶられるのが嫌だ・心を使いたくない」、っていうほど極端ではない。ていうか本当にこんなに極端なのか???そもそもそういう対象を直接知ることがないから分からなすぎる


あと『映画監督追いなどの体系的な視聴』や『プロの評論を読む』ことをしないことについてスゲー批判してるけど個人的にはこれは別に絶対必要なものとは思えんな~~~!
私も監督追い・作家追い・制作会社追いしたことあるけどした上で絶対必要とは思えん…になった。もちろん本当に信頼できる価値観を感じたら別だけど。

『自分が楽しめれば良いから他人の評論は見ない』と言った若者を批判してたけど、しょうみ私もこれだからうるせ~~~!!ってなっちゃった。純度の高い作品♥オレがしたいんだよ!(この本はそういったこじらせオタク層の心理はカバーしておりません)
他者視点を取り入れない・自分が気持ちいいことだけを追及する姿勢は自分にもあるけど、それと倍速視聴は原理が別々では…?とは思うんだよな。まあ色んな人がいるっちゅーことや


この世界には自分とまったく考えの異なる「他者」がいて、彼らは自分とまったく異なる行動原理に従って生きている。その価値観に同意する必要はないが、その価値観の存在は認めなければならないし、尊重しなければならない。尊重には「向き合い、理解する」義務も含まれる。

しかし、物語や言説の価値を共感だけに求める者は、「共感できない価値観に向き合い、理解に努める」ことに慣れていない。それには大きなエネルギーを要する上、コスパが悪い(快適ではない)からだ。結果、自分の考えを補強してくれる物語や言説だけを求め、ただただそれを強化することになる。

その先にあるのは、他者視点の圧倒的な欠如だ。他者に対する想像力の喪失だ。彼らは「自分とは違う感じ方をする人間がこの世にいる」というきわめて当たり前の事実を、なぜか忘れてしまう。

ただ、これはめっちゃわかる。これを前提として情報の取捨選択をしている人が好きだし。

この『色んな他者視点』の中に『監督追いしない・他人の評論を積極的に読まない(作品外のウラとか文脈とかを知るのを余計に感じる)選択をする』という価値観も認めてほしいンゴねえ……

まあでもこういう本って当然個人の価値観で形成されてるので、そうですね~筆者の中ではね~という読み方をするな。全体的に。そうじゃないと個人が論ずるという行為の意味は無いし。▲とじる

#reading 今のタイパ主義について、3章で色々と遠因になるようなことが語られてるけど、ほんとにそういうところはあるんだろうな~~。SNSの普及によってにわかに突っついてくる“警察”の存在も、SNSで可視化される無数の同世代の存在も、世相や価値観の変化も、教育の変化も、お金と時間の問題もサブスクの定着も。

なんというかこの本を読んでて思うのは、かつては『割合多くの人が通る道』になかった映像視聴やオタク系コンテンツが、今はその大通りにあるんだな~ということかもしれん。
オールド感覚で言うと何らかの作品に触れるっていうのは興味関心でしかなかったけど、今は『コミュニケーションや自己形成』を目的にコスパも重視されるフィールドに置かれている。道のど真ん中にそれがあるんだ。だからそこに世代ギャップがあって、そやな~~~~


あとこれは自分自身の考えの方
ずっと「社会貢献」って言葉に違和感があって、社会貢献をほんとにしたくてしてる人…すごくない?そんなに利他的になれない……でも社会貢献的な側面を謳っておけば聞こえがいいからみんなそうしてるのでは…?みたいなことをぼんやり思ってたんだけど
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あっやっぱり世相がそういう風に変わっていって今があるんだ…!っていうすごい、そうなんだ、そうなんだ~~~(?)になった

いや社会貢献は立派で、人のためになることをできる人はすごくて、すごいんだけどそれがこう、こう、なんだろうな……なんだろうな~ むずかしいな~

角幡唯介「あなたの探検や本は社会の役に立ってないのでは」に言いたいこと
https://bunshun.jp/articles/-/39021

#reading やっぱ過剰な人間との繋がりって悪だよ~。趣味マンだから【好きなもの<人間関係】になっちまったら終わりだよとついつい思ってしまう。だから全部適度にやりたいよ~ みんな好きに生きられる程度に人と繋がりを持てれば良いのだけどな。

あと、「ナンバーワンよりオンリーワン」っていうある時代のアンチテーゼだったものが主流になり、結果としてその観念が今ものすごい歪みを生じさせているということは、遠くない未来にこれへのアンチテーゼが生まれてまた新しい価値観が始まるのだろうか。生まれるとすると何なんだろうな~。

他でもない“自分自身”が好きだと思えて、リソースを割くに値する何かが存在することは当たり前じゃなくて特別なことだし、好きだと思えるものを生み出してくれてる人たちに感謝して、感謝して気持ちよく生きていきてえ~~ 流行りでも流行りじゃなくても 人と関われるものだろうとそうじゃなかろうと 世界がどうなろうと……俺は……俺の心で生きていきたい……(なんかの物語佳境の主人公?)

#reading 倍速視聴スキップ視聴する人たちを論じてる本の感想の続き。3章の途中です
めちゃくちゃざっくり要約してるだけなので私が打ってることだけ鵜呑みにせず詳しく知りたい人は元の本を…読んでね!
あとこの本で述べられてることはあくまで筆者の取材と考えだからね!という前提ではある

toyaping【昔は教室で会ったときにする程度だった流行りものの話題だが、今はLINEをはじめとしたSNSで様々なコミュニティと四六時中しなければいけなくなった→いろんな旬の話題に合わせるためにとにかく時間が足りない→倍速視聴・ネタバレ解説サイトを読む】

ほげ~~~~~~ってなるけど自分だって小学生の時からLINEがあるような環境で育ってたらどうなってたか分かんないしな……

誰かと同じものを知っている、話が分かるっていうのは楽しいことだと私も思うけど、幸いにして「それが分からないとお話にならない」みたいなコミュニティに属したことはないので、たまたま共通した時にワーイとなる楽しい面だけを享受している。みんなそうあれればいいんだけどなあ。人間と関わる人は大変だ…(…)



toyaping【「世界に一つだけの花」に象徴される「個性を大事にしよう」的な風潮がゆとり世代以降蔓延→個性を持たなければいけない(でないとコミュニケーションや就職活動に困る)強迫観念化→でも個性的すぎる個性は話題にしにくくてパフォーマンスが悪いから“適度な個性”が欲しい】

理屈としては分からんでもないけど と、倒錯~~~~~~~~~!!!!!!!って感じだ……まあ理屈としてはわかるけど…
すごいな。『コミュニケーションに活かせる程度の、個性的すぎない個性が欲しい』という概念。すごく、こう、初めて接する感覚だ……

だから今『推し活』という言葉の流行りにも繋がっているとかなんとか。コミュニケーションになり、活動としてポピュラーで、適度な『個性』になる…。
だから従来のそういう活動に熱心だった人たちはメディアの押してくる『推し活しようぜ!』的なノリに引いちゃうんだろうな…?私は門外漢なのでちょっと分からない領域だけど。

一昔前だと「とにかく恋人が欲しい」的な焦りが、今は「とにかく何か個性が欲しい」に置き換わってるみたいなところがある、っていうのもほえ~~~…って感じだ。
しかし、その『適度な個性が欲しい』っていうのと『話題を合わせるために倍速視聴する』って一見すると噛み合わせ悪くね…?って思うけど、突き詰めていくと『コミュニケーション、人間関係のためのそれ』っていう部分が共通している…ってことなんだな?は~ たいへんだ…

#reading この本面白いテーマなんだけど一気に摂取すると血管がブチ切れる可能性があるので今日はここまでにしような。はっはっは

そういえば、タイムパフォーマンスで言えば私は配信の複窓をめちゃくちゃしちゃうんだけど、これもまあある意味でのファスト消費っぽくはあるな~とは思う。流石にアニメとかでは絶対やらんけど
野球は最悪音声なくても画面が見えれば楽しめるし…でもアナウンサーと解説者の喋りとかはけっこう好きなのでしっかり聴けないのはそれはそれでもったいなくはある……。なんで野球って同時に各地で試合やるんですか?(野球だからだよ)

#reading ただ、こんだけ言っといてアレなんだけど私自分の作品読まれる時に多少雑に読まれててもまあいいかな……と思っている面はあるな……何故?いやもちろんそれを面と向かって言われたり、目の前で本をビリビリに破かれたりしたら嫌ですけど(世紀末?)

例えばプレイ日記とか鬼クソ長いんで別に飛ばし飛ばしでもいいし、長文ブログは勿論読み上げ消費でもいいし、耕し中のオリジナル創作もめちゃくちゃつまみ食いを推奨してるし、というか寧ろ雑消費でも問題ない形態にしようとしているフシはある……
誠実に大事にされるとそりゃあうれしいけど、それって人のリソースを多大に消費することだから全員に求める姿勢とは思わないし。つまみ食いでいいよ。とは思ってるんだよなあ。

じゃあなんでこの本で言われてるような倍速・10秒飛ばし・話数スキップに嫌悪感があるんだろう???『作り手へのリスペクトが一切なくて嫌』という完全に作り手目線からの嫌さなのにね。不思議なことだ……


『作り手が“これでいいよ”』って言ってる形なら良いんじゃね、とは思うんで、そういう部分で自分のそれは全然オッケー!だけど基本的にそういう部分って知りようがないからな~。倍速機能も作者がつけてるわけじゃなく配信サイトの機能だし。
倍速機能の有無を作者側が選べる形になったらどうなるのかはちょっと気になる。やっぱりファスト層の消費が減って結果PRする時に使える数字情報(再生数とか)が見栄えしなくなるのかな。

#reading
映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ を途中まで読んだ。読んだというか、読み上げを聴いている。飯作ったり洗濯物とか干す時間に
タイムパフォーマンスについて論じている本をタイムパフォーマンス重視で情報収集的消費をしている、すごい倒錯感だ。

…という読書(読書でもない)姿勢の話は一旦置いておいて、内容の話なんだけど
映画やドラマ、アニメなんかを倍速・10秒スキップ多用・話数飛ばしで見る人たちに直接聞いた話なんかが載ってるんだけど、それをしているサンプルの一人曰く『“作品”は“鑑賞”するけど、“コンテンツ”は“消費”するもの』という意識があるらしい。それを分けるのは世間的に絶賛されてる、間違いない作品であるかどうかだとか。

その是非やどうして今そういう消費形態になっているかは本の中で詳しく論じられているので割愛するとして、個人的な感情としてはやっぱり『作り手という存在軽視』が生理的と言って良いレベルでちょっと無理だな~と感じる。なんというか、こういう“消費”姿勢って、作品を『色んな人が関わって色々考えて苦労して作り上げられたもの』という温度感みたいなものを全く感じて無いんだな……みたいなことを考えてしまうな。

この価値観は私個人のものであり、全ての人に共通で持ってほしいとは思わないんだけど、作品にせよ何らかのプロジェクトにせよ『人間が関わって作って世に出されたこと』にどうしようもない尊さを感じてしまうからこう、それを踏みにじるような意識と姿勢は「ヤだなあ…」って思っちゃうんだな~。

これは倍速視聴だけじゃなく、昔からインターネットでよくある作品やキャラのおもちゃ化現象への嫌悪にも通じるものかもしれない。リスペクトのない世界が…嫌!



ただ、こういうファスト消費層が『作り手を人間だと思ってない感じ』である一方、逆に作り手側も『受け手を人間だと思ってない感じ』はあるかもな~とか考えてしまった。作り手が受け手を『フォロワー数』という概念で捉える時代ね。これめっちゃお互い様だなって思う。創作者noteや動画とか見てるとフォロワー増減の話題で「この人たちって本当にフォロワーのこと人じゃなくて数字の塊として見てんだな~」って感じるため。

え~~!?ねえもしかしてこういう消費勢と創作勢の割合が増すと創作世界ってどうなっちゃうの~~~!?!?…いやまあ、こじらせた感じの作り手も受け手も絶対に滅びはしないだろうけども。

超超超超超理想を言うなら私は不特定多数の“情報収集”に必要な存在になるくらいなら自分のこと見てくれる人はそこそこの数で良いし、だから自分がどれくらい支持されている作り手かなんて不特定多数に知られたくない。これ前からずっと言ってるな。まあそういうバズ人になろうと思ってなれるほどの技量もないですけど

そんでこれもちょいちょい言ってるけど、自分の何らかの発信物を見に来てくれる奇特な「一人」!!!!お前!!!!最高!!!!!!という気持ちを忘れたくなく……。一個体がそれぞれ全く別の人生を歩んで別々の価値観を持った色んな「1」たちが私の何らかの発信物を見てくれたりボタン押してくれたりメッセくれたりしているという……この……「その先にいるのは一個人たちである」ということ……忘れたくねえ~~~~~!!!このことを忘れたらおしまいです。その時は首を吊ります。
こんなわたしの為にこんなに沢山のあなたの時間をくれたのですね(♪Birthday/さだまさし)



めっちゃ話それた。本自体は興味深い話題なので引き続き読んで(聴いて)いきます。こ、こんだけ言って“読んで”ないことへの背徳感~~~~~~~~~~~~~~~~~toyapingtoyapingtoyaping

ていうかほんと字を読むということへの姿勢がカスなので、この読み方で物語のある文章とかは基本読まないようにしてます。それ用に声優読み上げ収録がされた物語は別だけど。
インターネット文章や雑学本なんかの情報収集系はまあ読み上げリスニングでいいかなと思い……←この姿勢、物事を消費と鑑賞で分けてませんか!?う、ウワ~~~~~~~~~~!!!!!あとスキップ視聴は嫌悪感あるけど作業ながら見アニメはいつもしてる~~~!!何が違うの~~~!!?!?!?無茶苦茶な倒錯 死uoo4

俺達はいつでも自我自論と自己矛盾とダブスタで苦しみ悶えているzangai

あ!!!あと昨日レイトでヴァチカンのエクソシスト見てきましたよ!!!面白かった!! #EIGA_mita
ホラーとかグロ系?なのかなと思ったら文脈自体はけっこうヒーローバトルものに近くて、ああこりゃあ分かりやすいし日本人にもウケますわと思った。

宗教色は強いけど宗教分からなくてもなんとなくで理解できたのも丁度良い作りだなと思った。

「やったか!?」→やれてない→アスモデウスに憑依される流れの『とりあえず一番ヤベー状況に落としてからクライマックスに持って行く』がめちゃくちゃエンタメで、最後のドンパチはもうずっとウオオオオオ!!!!いっけーーーー!!!!!!って感じだった。応援上映できるよ(行くとは言ってない)

前情報としてスクーター乗り回してる姿とバディものらしい、ってのだけ知ってたんだけど、登場したばっかりの時の若い神父にオーラが無さすぎて誰がバディ役なのか全然検討がつかなかった。色黒の人か?って思ってた
最初は圧倒的主人公のガブリエーレとオロオロ説明受け役のトマース神父って感じだったけど段々バディっぽくなっていくのが良かったな。

199か所残ってる、でいくらでも続編作れるやん!!って思ったけど実際作ったとしたらガブリエーレもトマースも懺悔済みなのでどこまで盛り上がるだろう?みたいなことを考えてしまった。やっぱり自分の罪と向き合うっていうのが最大のゲキアツポイントと感じるので
続き作るなら新しいエクソシストキャラ出してそいつの罪との追いかけっこ楽しみたい

とは言え最後には一応『ガブリエーレはその後死ぬまで~』みたいな文が入ったし、エンドロール後に2016年没って表示出してたので全然この話だけで完結としても良い感じだよね。どっちでもいい感じ


実際のエクソシストには詳しくないんだけど、悪魔を祓うって世界観の作品において『精神状態由来のものがほとんど』というのが提示されるのはなんだか新鮮だった。現代に近いからだろうか。そういうある意味現実的な状況提示があるからこそ『悪魔は存在する。今でも』っていうキャッチが生きるんだろうな。
▲とじる

#Adachi_mitsuru タッチ最終巻の
「上杉達也は浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも。」
これやっぱ有名なセリフだからかどっかで見たことあるな~~~~とは思ったんだけど、やっぱりこの作品を26巻読んで上杉達也という人間を知った上で見るこのセリフが一番強い(あたりまえだけど)

『上杉達也は』とわざわざフルネームで言うっていうのはやっぱり和也の存在があるからだなあって思うし、上杉達也でしかありえない台詞回しだよなあ。

ここだけ敬語調なのも味わい深い。正確に言えば敬語っていうよりシステムメッセージっぽいニュアンスというか。この告白が「俺はお前が好きだ!」っていう感じの『主観』ではなく、『客観的な事実を述べている風』なの、すごい台詞回しすぎるだろ。上杉達也の『心の内は語らないけど気持ちは伝わってくる』っていうのの結晶じゃないか。
ハア~~~~▲とじる

#Adachi_mitsuru あだち充っていうマンガ家のタッチっていう作品知ってる!?めちゃくちゃ面白いですよ これは歴史に名を残す 間違いない(1986年の時空から投稿しています)

#Adachi_mitsuru
タッチ 25巻まで読んでからまだ最後まで読めてなくて今やっと最終巻終わったんだけどイヤーーーーー本当にすごい作品だと思った…。

最後鳥肌立っちゃった。相変わらず演出はあっさりしてて登場人物も淡々としてるのに、それでも読んでる側はゾクっとしてしまった。すごい すごいな。すごい作品だ。

26巻を読んでる時の不安感というか、「ほんとにこの巻で終わるの?(当時読んでた読者はもうすぐ終わるなんて思ってなかったんじゃないか?)」という感覚、これが意図的に誘導された心理だって分かった時にマジでゾクゾクっとした。とんでもないな…。

実際和也から始まったこの物語で一番盛り上がるのは甲子園出場が決定するシーンだろう、っていうのは読んでて分かってて、残り1巻って言われたら『そりゃそうだよね。ダラダラ甲子園編何巻もやるわけない』とは思ってたんだけど、その予想を遥かに超えてきた最終巻だった。

そして『和也の物語』が『達也の物語』になるという一番大事なのは展開もしっかりやっていて、そこは期待通りなのに流れは全くの予想外で、こんなに良い意味での裏切りってあるんだ…という感動があり…す、すっげーー…

最終巻になって新キャラが出てきて、そっちと達也の絡みが増えて南と若干疎遠になってた時読者の多くが不安になったと思うんだよ。私もなった。いや達也が南以外とくっつくとは毛ほども思ってはいなかったけど、え?残りの短い尺で一体何が起こってるんだ??っていう戸惑い、と言った方が正しいかな。

上杉達也って男は主人公だけど全然自分のこと語らねえヤツだからさあーーー!!本当にあの告白まで視界が薄い幕に包まれてるような感じがしてて、あの告白で一気にシャっと世界が鮮明になるという…あの話の作り方……天才漫画家なのか???(たぶんそう)

あの告白シーン、多分有名なセリフだから見ると「あ、ああーーーなんか聞いたことある気がする!!!!」ってなったけど、いざ見るまでは完全に忘れてたので良かった。それも含めて1ページで一気に視界が鮮明になるような体験ができ、ゾクゾクしたな…。

タッチはどこまで行っても上杉兄弟と朝倉南のお話で、だからこの物語のクライマックスは野球の試合で勝つ瞬間ではなく達也が一歩踏み出す瞬間、見えない壁のようなものを越えて、他の誰でもない上杉達也という人が真っ直ぐに朝倉南に向き合う瞬間なんだ。完璧なクライマックスが過ぎる。

それでいて野球描写が弱いわけではなく、本当に本当に熱くて面白くて重厚な“野球”が描ける、というところがヤバい。死ぬほど面白い野球が描けるからこそ、逆に敢えて野球を描かずにテーマ性をやりきれている。

もう私はこの作品のそういうエグい緩急にずっとバットくるっくるで三振の山を築いてるってワケですよ!!ああーーーー!!!!
タッチ選手(アダチミツルーズ所属)防御率0.22 26勝0敗 3H1S


結局のところこの物語における野球っていうのは上杉達也の精神面を反映する鏡のようなもので、どこに着地するか分からない発展途上な物語の途中はフォアボールいっぱい出すし、一番重要な和也の夢を達成する試合は作品史上最も長尺の試合になる。そして朝倉南に正面から向き合えた上杉達也は負けようもなく、それは最早描くに値しないからバッサリカットしていい。と これをやれるの本当に本当にすごいマンガすぎるでしょ。

↑ただ、この最後の部分は最終回の最後のコマを見るまで理解できなくて、理解した瞬間ブワッとくる感じがエグい。エグーーーーーい!!!!!

最終回エグいな。「あれ?後日談??」から始まって日常の中でじわりじわりと核心に寄っていき、何気ない一言(ドクターストップとか)に少しずつ違和感のある情報を仕込み、最後のコマでサッと流す。爆鳥肌すぎる。


『事実は小説よりも奇なり』とは言うし、そういうこともあるけれど、
小説を始めとした物語の奇なるところは『現実では起こり得ないことや夢のような話が実現するところ』ではなく、『それをどう見せるかが描き手次第なので切り取りや組み立て次第でどこまでもエンジンブーストがかかる』ところなのかもしれないと思った。

現実は(途中で数ヶ月昏睡したりしない限り)全てを等間隔の時の流れで、ノーカットで見ることになるから、それ故の面白さも当然あるのだけど、
フィクションはこういう見せ方ができる。物語や人物をじっくり見せたと思えば一気に飛ばしてみせたり、意図的に後から情報を開示して気持ちよくさせたり、それを受け手全員のある程度の共通体験にしてしまえるところが本当にすごい。タッチにはこの面白さが余すとこなく詰まっている。すごすぎる。感動という言葉は昨今非常に軽くなっている印象があるのであまり使いたくないのだが、しかしながら感動したという他ない。めちゃくちゃ面白かった。その面白さにフィクションというものの本質を見、感動した。

#Adachi_mitsuru タッチ25巻まで読んだ。本当に緩急の付け方が良いというか、アツく描くべきところと大げさに演出すべきじゃないところのメリハリが凄いなと思う。
対須見工戦は普通のスポーツマンガと同じくらい話数をかけてじっくりと、でも相変わらずはしょるところはガッツリはしょるから読みやすい。

あと、言っちゃえばドラマチックで感動的・ベタというか単純な感情に強く訴えられる設定や展開も多いんだけど、そこは敢えてあまり大げさに描かず、抑揚少なめに、しかし行間はたっぷりに描き切るあの……あのバランス感覚が最高……。監督関係とか和也関係とかが特に

こちとら感動ドラマがやりたいわけじゃねーんだぞという意思を感じる。なんとなく。ていうかそういうシリアスに対する変化球や内に秘めた熱さ、作品全体の雰囲気が上杉達也なので(?)上杉達也ってマジでタッチそのものだな。すごい。
『作品の主人公たりえまくってるという意味で主人公が一番好き』になるパターンだ。上杉達也

推理の星くん 1巻
https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=14371

推理の星くんも1巻無料でアツいんだけどこれは巻数進むごとに面白くなるタイプだからどうかな。でも7巻でしっかり完結してる良い作品 かなり好きなマンガ



カンニンGOOD(グー) 1巻
https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=12979

何故かラインナップの中にあるか真っ先に探してしまったしラインナップされてて草だった。いいのかよ

『カンニングのプロフェッショナル』とかいう最悪な主人公が、カーチャンから金をくすねて秘密基地作ってる最悪なジジイと協力しつつ、最悪な暴論言う先生や姑息な金持ちなどと戦ったりする最悪なマンガなんですけど 全部が最悪で構成されてて一周回って最高になってる稀有な例だと思う。教育に悪いものは面白いからな(自論)

毛内浩靖『カンニンGOOD(グー) 1巻』小学館
毛内浩靖『カンニンGOOD(グー) 1巻』小学館

絶対普通に勉強した方が早いのにカンニングに全てをかけてるところとかかなり最高

#Adachi_mitsuru このタイミングであだち充祭り2023はじまってるのウケるんだよな。なんか無料で読めたりもするらしい。私は金払って読みたいので大丈夫です
タッチ読み終わったらMIX原作を読んでいきたい気持ちがある