くそ雑多なひとりごと
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私はマンガ描く時1コマ目から順番に描いていくタイプだけど、これも前の記事で書いたような「エイヤ」と「何かを選択する」エネルギーを極限まで節約してるからなんだろうな。だって描きたいところから埋めていくってアンタ、作業のたびにどこを埋めるか選ばなきゃいけないし……それって大変すぎる(というタイプの人類)

基本的に私は絵・マンガの作業において『飽き』のリスクをあまり背負っていないのでその可能性のあるものはだいたい切り捨てられるのだと思う。

マンガ時短テクのようなもの、一つ思い出したけど『アップの顔や目立つ部分は時間かけて描き込む、視線が行きにくい部分や細かい部分はアバウトに描く』もあったかもしれない でもザクザクしたマンガ絵じゃないと使えないかもしれない

でも本当にドアップ顔の作画がきれいめに整ってるだけで他がラフくても完成度高く見える気がする。全部を同一水準で仕上げてる描き込み全体平均点同じのマンガよりもよく見えるかも 検証したことないのでわかんないけど

てゆーか、最近のフィクションってインターネットにホイホイ顔を出すキャラクターが多すぎて(悪意タイプの作品はともかく、少年マンガ系のコメディノリでYoutuberごっこやったりとか)
ああいうのばっか見てるとさァ………どんどんネット顔出しに抵抗なくなっていくんじゃないですかね………?青少年………って思うんだけどどうなんでしょうか。私がオールドインターネットマンすぎるだけか?

自分がガキの頃を考えると、なんだかんだフィクションの中で『当たり前みたいな顔してやってること』って『当たり前みたいにやっていいことなんだ』と認識してしまう傾向があったので、もちろんリアルのYoutuberなどをたくさん見ているのもあるだろうけど、今の若者って………ネットに顔出しが当たり前みたいな認識………なんですかね?

怖すぎる。ガキの認識で顔出し動画で遊んだ結果、後々何らかのトラブルになる可能性を思うと。せめてインターネットにアップしたものは消しても消えないんだぞということをしっかり教えてやってほしい。一応授業でインターネットの話はしてるんだろうけど、ガキは先生が言うことよりマンガの登場人物が肯定してることの方を覚えてるんだぞ(経験談)
私は自分がガキの頃SNSがなくて心底よかったと思っているが。

こういうことを考えるたびに「私がオールドマンすぎるだけッスか!?!?!?」になるんだけど。個人特定可能性の伴うインターネット顔出しって飲酒タバコ運転と同じように年齢制限かけた方がよくないですか?そういうアレはなされないんでしょうか。え!?私がインターネット顔出しを恐れすぎてるだけ?!でも下手したら人生壊れるぞ リスクで言えば飲酒の10倍くらいは高いが いいのか!?いいのか世の中

作中に好きなものの要素をパロディや小ネタ的に入れるやつって古今東西様々な作家がやってるけど、それが受け入れられるか忌避感を覚えられるかの境目ってなんだろうな~~~

オリジナルIP作品(マンガや小説や原案作)→好きなようにすればいい、そういうのも込で作家性として見れる
既存IP作品→私物化と見られても仕方ないので控えた方が誠実

多分こういうことなんじゃないかな~ こういうことだよな~ こういうことでしかないよな~ これ以上でも以下でもないよな~~
まあその中でもなんとなく高尚に見えるものは受け入れられやすい、とかはあるけど。

メッセージありがとうございます~! age

なんでもボタンもいつもサンキューです!!

言動が万人向けじゃなく好き嫌いの分かれそうなアクの強いキャラ、自分が好きか嫌いかではなく「こういうキャラを作る勇気がイマイチ持てないのですごい」みたいな感想になってしまいがちかも。
なんかハンパに物分かりよくしてしまいがちではあるのだよな。もっと物分かりの悪いキャラも描いてみたいし、描くなら記号的装置ではなくちゃんと魅力的にしたく、ハードルたかい~ってなる

メッセージありがとうございます!地元の方!?スモールワールドすぎる…

なんでもボタンポチポチもいつもありがとうございます~!!

メッセージありがとうございます!!わーい!

リンクミス報告の方もありがとうございます~!たすかります!

ご質問いただいてた分は後日書きます~ makasero

なんでもボタンポチポチの方もいつもありがとうございます~~!!

今日口座からお金を出そうとしたら暗証番号がわかんなくなって、それがド忘れではなくいつもの銀行とは数字ボタンの配列が違うからだった。数字の並びじゃなく手の動きで覚えてるせいで……
一回間違えて再トライする時ドキドキした…ちゃんと正解出せてよかった

これ完全にABXY把握できない問題と一緒だし、テンキー型の片手デバイス使えなかった問題と一緒でおもろい。ABXYも『X=この操作』と記憶するんじゃなく『指がここを押したらこの動作が起こる』で感覚的に覚えてるんだよな。文字じゃなく手の動きで覚えすぎている。

これは面白現象なんだけど、キーボードでショートカット使ってたときも、利き手じゃない方でショートカット押そうとするとマジでどこ押せばいいかてんでわかんなくなるんだよね。いつもの手いつもの動作でインプットしすぎかも

日記

今日
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202505162101361-admin.jpg▲とじる


“充”


私も発表するか………





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すいません、これが“真実”になります。曜日指定は特にないです。

そもそもが明け方の空気が好きというのはあるんだけど、それに加えて『めったに起きていない時間』というレア度も含めた評価になります。多分私が毎日朝5時に散歩する生活をしてたらここまで評価高くなかったと思う。夏場の朝5時を最後に経験したのいつだろう。覚えてない。憧れが膨らみすぎてるかも。理解とは最も遠い感情。

ジブリで一番好きなシーンは耳すまで明け方にセイジが来るところ ロマンスシーンではあるけどロマンスは本質になく、明け方の非日常感とそんな時間に人と接するという二重の珍しさに心躍ります。

メッセージありがとうございます!!! kanshaB

なんでもボタンの方もいつもありがとうございます~~~! heaven

てがろぐのポスト数÷てがろぐ始めてからの日数=7.5だった。1日平均7.5回更新されるてがろぐへようこそ

7.5回……?ほんとに?

創作ブログサーチさんに登録してきた
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かなり、ありがたい。個人サイトの日記が、好きなので。

自分の創作物のこと自分で分析しはじめる癖やめたいけど『自分でも先の知らない創作をライブ感でやっている』という作風であるため「私も知らないんだけどさ…こうなんじゃない?」が止まらなくなる。ファンかよ。たすけてほしい。でもたのしそう。よかったね。
創作始めた時に決まってた設定の中で7話に出てきた設定多分2割くらいしかないんじゃないかな。1話の時の私に言ったら「なにそれ…しらん…」ってなるものが多すぎる。なんなんだ。でもたのしそう。よかったね。

沙華の身体的特徴だけは最初から決まってたんです 本当なんです むしろそれしか残ってないんじゃないか?

私の作風の核ではないにせよ何か外周を囲うノリのようなものがマテリアル・パズルに影響されまくってるという話、トヤチョ界隈(脳内)では定番の認識なんだけど脳内界隈外に通じなすぎる。下敷きになっているものがハガレンとかだったらめちゃくちゃ通じるのに
でもマテパがめちゃくちゃ有名作だったらあまりにも影響の受け方がバレすぎて恥ずかしいのでこれでよかったのかも…(??)

大げさで強引な要素拾いとこじつけ癖がポケスペに多大なる影響を受けている件はまだけっこう通じると思う 多分

でも影響を受けている作品の影響受けポイントって、わかりやすい表面部というよりは読み込んだ先にある噛み応えや味のような部分だったりするので知ってる作品でも通じるかどうか微妙なところはありそう。どうなんでしょうか

#TOYAmade というかなんか井正は一応主人公であり不動のキャラクターナンバー001ではあるのだけど、その存在の危うさのようなものを心配されるような位置で………ミカゼ目線のTAPかも………(何故かマテリアルパズルに収束する作風………?)

#TOYAmade 変な壁打ち

井正どんどんヒロイン寄りになっていく現象というものが最近のトヤチョ界で頻繁に議論されている。この場合のヒロインというのは愛され受動姫的なニュアンスではなく『視点キャラじゃない方・主人公にとって重要な位置の人物』くらいの意味合い。

井正と沙華ってキャラメイク時点では『井正=主人公、沙華=ヒロイン』のつもりだったんだけど、沙華別にヒロインではないな、ダブル主人公かも。になって、今は沙華主人公・井正ヒロイン寄りでは……?になってきてる。井正が気難しすぎる。なんなの?

最初は井正視点で物語がはじまったはずなのに、気付いたら井正の方が何考えてるのかわかんない妙にミステリアスで内心を見せない側になっていっているというか。
井正が変わっていってるというよりは沙華がどんどん視点キャラ寄りになった結果そうなってるという気もする。そもそも井正に視点役は全然向いてなかったというのもある。冷静に考えたら井正みたいなキャラの視点でスタートしてたこと自体がなんかおかしいんじゃ?

かといって序盤の沙華は当然ながら視点向きでは全くないし、井正視点というのは消去法的であり極めて消極的・しゃーなしの視点置きだったとも言える。なんだそれ?作者の人ヘタクソすぎんか?笑
何度も言ってるけどドラ蔵がある程度常識的な視点でツッコミしてくれるのもありがたくて、沙華に視点を置きつつドラ蔵がツッコミ援護し、井正が内面を秘匿しているという状態が一番しっくりくるかもしれない。

序盤・沙華の視点が不可能だったのはそもそも『思考能力が低く自我があいまい』という点が大きかったので、思考能力が少しずつ向上してきてある程度我も持てるようになってきたら視点側になるのは妥当なのかもしれない。いや、それでも分かりやすい視点キャラ属性とはかけはなれているけれども。

視点位置不定問題ってそもそも私が『分かりやすい視点キャラ』を好きになれない性質ゆえ、そういう存在を配置できないからっていうのもあるなー。もうこれはオタクになった瞬間からそうなんだけど………フィクションに出てくる視点役一般人キャラが全然好きになれなくて 役割として必要なのは今は理解できるけど、本能が「これいる?」になってしまったり。いや、いるよ。いるけど、何か面白い捻りがあったり大きく成長・変化してほしい、となるなー。マテパのミカゼとか、ミカゼみたいに(ミカゼしかないんか?)
ダンゲロスの両性院とかも捻った一般視点役だったな。やっぱりそういうのを導入できると私の作風としては丁度いいんだろうな~~~~。今のところいないけど。Matsuri of After



私は自創作の視点位置がなんか変わっていってるのは割とオモロ…(他人事)と思って見てるんだけど、さてどうなのだろう。視点ってなんなんだろう。▲とじる

>>10525
そういう意味だと私の創作は『とりあえずなんか知らん概念が出てきてなんかそれを元に語ってる』っていう点では“既知すぎる”からやや離れているので、確かに私の創作だなと思う。
ただ、私の好きな“未知”とは見る側を完全に置いてけぼりにして考察などに任せきりにする宇宙電波的なものではなく、一応はちゃんと列車に乗せてくれるようなものなので、そのようにしたいものですね………

あー、しかしやっぱクソさを語る人を見ているとどうしても自分の作品をそういう眼差しで見られたときのことを想像してイ、イヤーッ!呪い!となるので用法用量を守ったほうがよい。いやまあ、そもそもがそういう舞台に立つための作品ではないので、そういう目で見られるいわれはないと思ってはいるのだけど。
商業作品というものは立つ舞台がデカいため必然的に批評に晒されるものであり、そういう舞台に立ちたくなくて一人で狭い空間でせかせかやりたいことをやっているという面もまあある。俺はいつも退路を守っている。雑魚マインドである。

(キャプション自動取得対象外)
しかしワイの創作のテーマ、あまりにもワイすぎるな……(数年噛み続けている鑑定結果の味)

人のクソ作品レビューを見ていると、共感するところもあれば基準が違うんだなーというところもあって面白いな。意外と自分は全体を「線」で捉えていないのかもしれない。いや、もちろん全体の線がしっかり繋がってちゃんとした構成であるに越したことはないのだが、アニメのように1話ずつ1週間空けて見る媒体の場合、線よりも点の方が重要になってるのかも。もちろん程度によるので、1週間空けで見たとしても線が破綻しまくっているものはダメだと思うが。
(これは一気見するかどうかでも評価が変わってくるポイントだと思う)


私にとってのアニメの評価点は(誰でも評価するような激オモシロエンタメ性や快不快以外で言えば)

・次も見ようと思わせてくれること(シナリオなりキャラなり)
・未知の要素があること(興味、知識、見たことのないキャラ性や世界観や物語性など)
・作者との倫理認識のズレを感じない
・最終回がよいこと

おそらく、このあたりなのだと思う。逆に言えば、『知ってるものしか出てこない、だからどうせ次見ても知ってる光景が広がるだけ、なんか倫理観も合わない』というのがかなり『クソ的感覚』の条件になってくる気がする。
『最終回がダメ』についてはちょっと別軸で、これは『そこまではよかったのに畳みかたでコケてダメだった』パターンになる。

異世界アニメって基本的にテンプレなので『あまりにも既知すぎる』という点で8割9割は自分内淘汰が発生してしまうんだけど、そんな中にたま~~~に発生する“未知”との遭遇を求めてとりあえず1話だけは見ちゃうんだよね………

『大将のいつもの味、こういうのでいいんだよ』のようなものを求めてエンタメを摂取している人というのもかなりいると思うので、そこはこう、人には人の需要……という感じ。



自分にとっても致命的なマイナス要素さえなければ、一つでも光るものや興味をそそるものを感じれば割と継続して見れる、というのもあるかも。そういう感覚で見てる作品が人によってはクソアニメとされていることが多いんだな。