くそ雑多なひとりごと
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物語における『偶然』って、ともすれば『話の都合』になってしまうじゃないですか。だから出来る限りのことを『因果と必然』で理由付けする必要があるのかな、と思うのだけど。

一方、現実に起こることって大体は偶然で、全部が必然と因果で繋がってることってほぼ無い気もする。本人の行動の結果はあるけれど、やっぱりそれで全部が決まることって無いよね。基本的には(主観と捉え方によるけど)

物語はそもそも生み出されてる時点で作為的なので、『偶然の出来事』というのも作り手の作為である。ゆえに偶然という作為を更に重ねるとどんどん陳腐化していくのかなー。だから、物語において『本当のマジの偶然』っていうのはジョーカーみたいなもんで、基本的にはそれ以外のカードで回していった方がよさそう。


ただ、都合や作為とは受け取られにくい偶然もある気もして、そういうのを上手く盛り込むと丁度良いのかもしれない。
例えばだけど、『お約束』と取られるような設定とか。萌えモノ作品で主人公にたまたま可愛い幼馴染がいて、学校ではたまたま隣の席に美少女の転校生が座る…みたいな状態ってメチャクチャ都合のいい偶然の積み重ねだけど、それは『お約束』だから別にいいでしょ、みたいになるのではないだろうか。

『前提』部分の偶然はご都合を感じにくく、『展開』上の偶然にはご都合を感じやすい、っていうのもありそう?

ただし、偶然に見えた出会いに実は意味があって…という理由付けがくると人はエモくなりがちなのでやっぱり理由はあるに越したことはないのかも。ただそういう運命的理由ばっかりだと逆に食傷気味になる自分もいるんだよな。全ての出会いが運命であるべきとは思わないし、ガチ偶然でもいいじゃんという気持ちもあるかも。数奇だよ
『偶然』と同じくらい『運命』にも都合がよく乱暴な側面がある気もする。閑話休題



それと、偶然の展開というものを本当に偶然にしてしまうということ。これも確実に作為ではなく、しかしその偶然に魂を感じちゃったりできるので強いな~と最近思う。ゲームのランダム要素やTRPG・ボドゲなどのサイコロものとか。
ただし、これは本当の偶然であるが故に望ましい展開になるとは限らないというのはある。

清く正しく誇り高く誠実な人が沢山出てくるマンガを読みながら、自分の創作に清正誇高誠実人が出てくることはあるのだろうか、になっていた。多分そういう人物作ると絶対どこかにしょーもなさかロクでもなさを仕込んでしまいそう。清正誇高誠実人だけど共感性がメッタクソ低いとかそういうの。手癖だ。

好きなゲーム配信者がよく海外のポケモンパk…ライクゲームをやるのでそれを見てる。

最近のポケモンライクゲームってBWの動くドット絵の雰囲気を継承しつつ、HD2Dっぽいグラフィックにしたりしてるんだよな。ドットだけどしっかり主人公のキャラメイクが可能だったりする。なんというか『本家ポケモンが今更ドットに回帰することはないだろう』というのを踏まえると『世界線分岐したポケモン』みたいになっててちょっと面白い。

『Youtubeなどのサムネは否定的なことや尖ったことを書けば釣られて再生されやすい』っていうメソッドがあると思うんだけど、『嫌われている人はそもそも話を聞いてもらえない』『今のインターネットは割と好感度がモノを言う世界である』っていう人間の性質と相性が悪すぎない?みたいなことを考えていた。

尖ったサムネを使うと再生されやすいが嫌われやすい、丸いサムネを使うと再生されにくいが嫌われにくい、だとすると最終的にはどっちのメリットが上回るんだろう。結局多少嫌われるリスクを取ろうが知られないと始まらないから前者の方が強いのかな。なんかそういうリスクリターンのシミュレーションゲームみたいですね。

(狙って嫌われることで数字を作っているタイプは別枠として)

仕上がったイラストよりラフの方が良かったって経験あんまないんだよな。ラフからよりよい完成図を補完する想像力を持ってないから。

カラオケ行きたくて炎天下を往復1時間半歩いたの意味不明人類不合理行動だったかもしれん
でも今日行ったカラオケは受付から精算まで人間と接する必要がなく内装も綺麗なので最高。カラオケいくならここですわ。でも熱中症警戒アラートの中徒歩で行くのはバカ みんなはやめようね

#PARANORMASIGHT パラノマサイトって
『世間狭すぎじゃない?』『登場人物関係ありすぎじゃない?偶然にしても』ってなりそうなところ、割としっかり理由付けして『必然』寄りにチューニングしてるところがしっかりしとるよな~と思う。ヨーコとオキイエが巡り合ったのも必然だし

完全に偶然なのは末裔である白石・吉見が両方奥田の関係者だったところとか、白石が岩井の悪事(引いては根島)に絡んじゃった部分とか、白石が轢き殺されたところとか…かな?だいたい白石関係で、それは白石がガチ不幸の星の元に生まれてるっていうキャラ的な部分で一応説明できる。ここうまいよなあ。白石に偶然の不幸を集約することで「白石はそういう娘」にしちゃったのが。うまい。かわいそうだけども▲とじる

#-sage
イナババのポケモンSV、やや微妙だな…(※個人の感想)
いや普通に楽しくはあるんだけど、あまりにも動画でやることを前提としすぎているというか……?動画だから接戦を演出しなきゃとかそういうのは…よくない?って思っちゃうかも。推奨レベル教えてもらうのとかもなんかもったいなく感じてしまう。
もっと自由に急にわけわからんレベルのフィールドにいってギャア~みたいなことやってもいいのにな。せっかくのオープンワールドなので

あとこれは完全に私の感覚の話ですまんのだけど、ポケモンの名前を全部NNで呼ぶのがなんか…違う!ってなっちゃった。NNつけた個体と野生個体はさあ!!別の存在じゃん!!!!!(あ!!!難しいオタクくん!!)


私この『ポケモンを個体で見る』というところのこだわりが妙に強い人間だよな~~。ピカチュウが大谷育江の声で鳴くのもずっと嫌がってたし(大谷育江の声で鳴くのは…サトシの個体だけだろ!!という気持ち)

#-sage
個人的に一番好きなXX←『一番好き』が個人的じゃないことがあるのかよ。馬から落馬じゃん

個人的警察の自分を制御できないの嫌すぎる 個人的にってつけとけばいいみたいな何か無い?スゲー苦手だ

#-sage
やっぱり『+』よりも『×』の方が『キャラクターが関わり合っている』感を強く感じるので恋愛や性愛に限らずもっと使っていきたいよなー。ずりいよ
その場合の表記順は『男×女』や『攻め×受け』『語感』じゃなく『キャラクターナンバー順』がいい。だって主人公が女の時『(サブ)男×(主人公)女』って表記になるのなんかキモくないですか?普通に考えてより重要な方を先に表記するべきだろ、公式サイトだってそうしてる。受け攻めっていう概念が表記順を面倒くさくしている。

2人が作中に置いて同じくらいのメイン度な場合(ダブル主人公など)はより視点に近い方か、登場が早い方かなあ。グノーシアの乗員とかだと私は登場順で記載することが多い


しかし上記の法則で考えると幣創作である『ばけいづこ』の表記順ムズくね?に割となる
普通に考えたら井正が先なんだけど、なんか考えてると井正って全然視点じゃないし、井正と沙華がけっこう限りなく同じくらいの値の主人公になってしまうんだよな。今妄想している先の展開が描ければ沙華の方が視点になるまであるし(未定)

まあ重要度の値がほぼ同じなら井正先でいいか。イゲシャゲです。ゲーゲーしとるな

たまにインターネットで見かけるマンガ描き のブログを遡って読んでるんだけど、5年以上前の記事で「今回久々のコミティア一般参加。だけど自分の同人誌を持ち込んで差し入れとして渡して回ってみた」みたいなことが書かれてて(サークル参加していない人がグッズや本を配るのはダメ行為)

それを読みながら「もしこの人が炎上したら過去の他案件としてこれもついでに掘り返されて燃やされるんだろうな~」とクソみたいなことを考えていた。流石にかな~~り前の記事なので当人の意識は現在は改まってる可能性が割とあるとは思う。しらんけど

しかしネット上に自分の軌跡を積み上げて残していくというのはリスクあるよな~。人のこと言えんですが……

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そういえばの追記

私は上記の人のブログが面白かったから5年分遡っててある程度好意的に人物を捉えている。だから、そんな人でもちょっとしたルール間違いをしてしまうこともあるのだろうな~と受け止められるじゃん。私にとっては『何百分の一』の情報だから。

でももしこのルール違反的な部分だけが切り取られて多くに知らされた場合、その情報は多くの人にとって『一分の一の情報』として受け取られるわけだよな。その一分の一の情報がその人の全てのように受け取られる。たくさんの炎上騒ぎでは基本的にこれが発生していて、だからSNSの人間たちは大げんかをする…ということが起きるんだよね~~

みたいなことを考えてた。別にその人は燃えてない(たぶん)けど

#-sage
かかげ先生「バズりたいんだったらバズれるキャラを描かなきゃ」
ぼく「しょーもね~」

炎上を契機に群がる人々「こういうヤツがいるからイナゴ絵師が蔓延するんだ!!好きなものを描くべき!!」
ぼく「いや何を目的に絵を描くか自体は人の自由だろ」

↑ぼく氏、天邪鬼なだけ説



私はかかげ先生の添削動画(切り抜き)めちゃくちゃ見てるし、バズはどうでもいいけど技術的なところの指摘の切れ味は唯一無二だと思ってるので今後どうなるんだろ~にはなっている。
ていうかかかげ先生の問題は添削の口の悪さじゃなくてSNSでのムーブのクソカスさだと思うんだけど、なんで口が悪いのが悪いみたいになってるんですかね。SNSで余計なこと言わない・藪蛇行為をしない で十分だと思うんだけど(この件に関しては)(他に指摘されてる過去の問題行為については別件)

『口が悪い』と『余計なことを言う』ってけっこう性質が違うと思うんだけど、まあ本人がライン引きを上手くできていなければ混ざり合ってしまう境界ではあるよな~。口悪いキャラとしてやっていくなら寧ろ誰よりも『余計な口出しライン』には過敏になっておいた方がいい、を感じる。インターネット。それができないな好かれそうなムーブをしてるのが無難なんだろうな


最近炎上を見るとこのF氏の動画を思い出すようになった。そうなんだよな『嫌いなヤツ認定』された人の言葉ってマジで無効状態になる

メッセージありがとうございます!うれしい〜!

なんでもボタンもいつもありがとうございます😊

自分の本当に意味不明だと思ってる気質の部分 「あの実況者は信頼できる」って人が言ってるのを見ると見る気が下がって名前をミュートにしたりするところ 本当に意味不明だ
別に、「信頼できる」を嘘だと思ってるわけではないんだよな。むしろ理性側は「これだけ信頼のおける人物とされているということは、本当に信頼のおける人物なのであろう」と思ってはいるのだけど、何故か意味不明な天邪鬼がそれに触れることを拒否してしまう。本当に謎だ

思うに、『〇〇はいいぞ』のムーブメントとともに推薦される作品名を刷り込まれた時の反応に似ていると思う。過剰に持ち上げられているものを見ると本能の部分が引いてしまう現象

こんなだから自分の中にちゃんと定着した『見れるゲーム実況者』が2人しかいないんだよ。すっくね
まあ実況者って二次的発信者だから(一次発信物に比べると)別に増やさなくても生きていけるのでいいかなって思ってるけど

(自分がクリア済の)ストーリーもののゲーム実況配信を見るということ

ストーリーがいいゲームって可能であれば周回して1周目では分からなかった意味を噛み締めたりしたいわけだけど、ただでさえゲームを積んでいる状態で一つのゲームを周回する時間を取るのって難しくて、そういう場合は作業しながら見れる実況配信があるとけっこう助かるな~と思う。反芻する機会になるため

とはいえ私は気難さを持ち合わせたオタクゆえに反芻できるなら誰でも良い、というわけではないため、『たまたま信頼しているプレイヤーがやってたら』でしか見れないんだけど。そういう機会があると素直に嬉しいかもしれない。
好きがこじれてると信頼人のプレイでも見たいとは思えないんだけど(あとそれを配信初見で見ている未プレイコメントなんかも目にしたくない)、そのレベルの好きゲームだったら自分で周回しているからまあ。

まず自分でプレイしたゲームを増やしたいのである…が!!ね~~
ポケモンを最新まで追いつけつつあるので、SVのDLCまで終わったらもうちょっと違うゲームにも手を出せるかもしれないけど。次はプレイ記必要ないADVとかやりたいンゴね

夏にどこまでの肌の露出をやるか、はキャラクター性の保持に関わってくる。ソーシャルゲームで学んだことである
井正はなんやかんや二の腕までならOKだけどホビアニグローブは外したくない。末端を抑えておきたい

お沙華の臍を描いていいかも微妙なところなんだよな。一応性差が表れるところだし。めんどくさいからフィクション乳首と同じ要領で省略してもいいのかもしれない。臍はセメントで埋められました #TOYAmade

矛盾はしてないけどなんかモヤモヤするので専用の言葉がほしい概念シリーズ

『わからない』が『わかる』状態
『共感できない』に『共感する』状態

流行りものに対して(自分が少数派であるということを鼻にかけるようなニュアンスで)『良さが分からない』って言う行為はダサいと思っているのだけど
(自分の感性に合わないとしても流行る理由を察したり考えたりすることはできるだろ!!自分のアンテナの低さを誇るな!!と)

『ちいかわが本当にわからない』という感想を抱くたびに↑の考えの自分と対立して身体が崩壊しそうになる。
ちいかわ、難しい。ハイコンテクストすぎるように見えるのに流行りまくっていて、皆ちいかわを読む文脈を内に持っているということ…?っていう戸惑いがある。でもうさんくさい解説とかは読みたくないし、そもそもそういうの読むもんじゃねえだろという思いもある。説明されて理解するようなコンテンツでもないだろ!そもそも理解するコンテンツでもない気がする 何 哲学?

ちいかわを面白がる文脈という感性のピース、どのルートで取得できたんだ?人生における重要フラグの建て忘れか…?どこの選択肢をミスったんだろう

#-sage
ダンガンロンパという作品は結果として様々な『自分と他人は違う』という気付きと学びのきっかけになったゲームだなあと思っている

私がダンガンロンパに本気・愛・ハマり散らかしてる時はマジで全人類にとって面白いゲームだと思っていて(これは今客観的に考えると相当極端ではある)
人に勧めまくってたんだけど、プレイした上でそんなに…な人が周囲にけっこういて、まずそれで『人類って感性に個人差がある』を学んだじゃん

それで、私がアニメ希望編でキレ散らかして「世に送り出した作品に後付けでこんなことするなら同シリーズの続編もやんないし同スタッフの作品も二度とやんねえわ」となったんだけど(これもけっこう極端ですね)

希望編の時同じようにキレてたフォロワーなどの中で私と同じようにシリーズ足抜けした人って多分いなくて、そこでも『人類は近い感情を抱いたとしてもその後の行動は異なる』ということを学んだよね〜。
今でもダンガンロンパや小高作品にキレたり後続展開に文句言ってる人はいてもなんだかんだで金出してプレイしてる人が多い気がしていて、こう、人類はそれぞれで、異なるな……となる。

私はレベルファイブとかもそうだけど、一回完璧に信用ならんことをしたクリエイターの作品に触れるのは様々なリソースを無駄にする可能性があるからリスク回避として断絶する、ということになってしまう。この極端行動はシャーマンキング打ち切りの時から続く三つ子の魂です(シャーマンキング打ち切りについては、当時打ち切りという概念を知らなかったせいでそうなったので一応和解はした)

メンタルをちょっとヤってた時、今好きなコンテンツに触れるのは勿体無いから逆にダンガンロンパV3やるか…?って血迷いかけたけど流石にしなかった

#-sage
オリジナルの創作物において、現実のダルい要素をどう扱うかっていうのが大きく2種類ある気がしている

①現実のダルい要素を登場させ、それを否定する(しない時もある)
②現実のダルい要素を完全に無視して存在しない世界にする


①は分かりやすく、『ブラック企業勤めの主人公が異世界転生』とか『メタメタにいじめられてる主人公が成り上がり』とかのやつ
②はもうなんか完全にユル優しい世界とか

私は割と②寄りなんだよな。②寄り創作者の自覚がある。ずっとある
だって現実のダルいことわざわざ創作物に持ち込みたくないし……わざわざリソース割いてまでやりたかねえ……
でも否定型も無視型も発露の方向性が違うだけで優劣は多分無いと思う。多分なんかそういうモンだと思う。あとは表現の目的の違いとかもあるのかな?

私の場合現実のダルさを持ち込みたくないけど、ゆるふわ優しい世界をやりたいわけじゃないので『現実にあんまり存在しない類の試練など』をやりたくなりがちだな……という自覚はある。それでもやっぱ一番ダルいのって現実なのでそこを排している私の世界は多分ヌルいのだろうな~



現実のダルさをしっかり創作世界ナイズして加工・拡張し、延長線の先にあるような感じにしている創作物は『なんかええかんじ』に評価されやすい気もする。でも批評側がなんでもかんでも現実世界の問題に繋げて読解するムーブはカス