くそ雑多なひとりごと
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うちの部屋の温まりやすさ(PCの熱と日当たり)も相まって昨日今日”””狂い”””の気温の中で生活してたんだけど、昨日昼間クーラー&半袖→夜半袖夏掛布団で就寝→一度目が覚めた時に上着を着る→冬用の布団をかぶる→起床→ひざ掛け装備で作業 なのマジで”””狂い”””すぎて笑える

Twitterでパブサする時、何かを調べたいとか色んな意見が見たいとかじゃなく「良い空気を吸いたい」って動機だからめちゃくちゃ限定したワードで検索しがち 今は『ダイの大冒険 ありがとう』で検索して良い空気を吸ってる 感謝してるオタクが無数に出てきて良い空気ですよこれは。健康になれる

#oreshika 私が徳甲一族補完やってた時一般人のおっさんに一族の正体明かす回(大江山直後のアヅキのとこ )でカタルシス感じてたことが分かっちゃった。無意識だったし自然にやってたけどアレめちゃくちゃ私が好きなやつだったな??いや 今見返してもめっちゃ直球で好きなやつでびっくりした

一族の正体、最後まで京の誰にも知られないってことはまず無いので(なにせ死んで入れ替わるから)明かしてなくてもどっかで絶対バレるタイミングがあると思うんだけど、それをしっかり描いたのが徳甲だけなのでアア~~~…ってなるな。

私が陰陽大戦記という作品が好きな理由、『主人公や仲間・敵対組織が特別な力を行使して戦ってるにも関わらず一般人の友人や幼馴染に隠す気が皆無なとこ』なので つまり そういうコト………
なんかノリで伏魔殿(作中の特殊な空間)にみんなが来ちゃう回とかあったしな…笑 陰陽の絶妙なところはその一般キャラ絡みで足を引っ張りすぎないストレス管理だと思う。あの温度感がマジで好きなんだよな

唯一陰陽で一般人キャラが一般人らしい反発を見せたシーンはリクが記憶飛ばした後のモモちゃんだけど、あれはマジで真っ当な反応だし モモちゃん、心配したり世話焼きたくなったり知らない世界に行ってほしくないという気持ちがありつつ踏み込みすぎない塩梅が絶妙で本当に可愛い一般人幼馴染だと思う。私の好み的に
伏魔殿に行くリクに爆弾おにぎり渡すシーン好きだし最終決戦時に避難しながら焚火囲んで喋ってるとことか死ぬほどすきなんだよ・・・・・・・上善寺モモ、私が一番好きな一般人幼馴染キャラかもしれん

正体隠匿要素のある物語って古今東西無数にあって、物語のヒーローたちはみんな自分が変身できることや特殊な力を持っていることや人間じゃないことを隠しながら戦ったりしてきたわけだけど、それが面白い要素になるか若干かったるい足枷になるか、ってラインあるよな・・・みたいなことを考えることある

変身モノなんかは一応正体バレちゃいけないけど、正体隠匿関連にウエイト置きたくないから『めっちゃ堂々と変身してるけど実際はバレてないぜ!』くらいのノリでごまかすパターンもあるよな。あとプリキュアとかが変身した時点で別人と認識されるようになってる感じとか

これ子供の時からず~~~~~っと思ってるんだけど、主人公が正体や特別な力を隠匿してる作品において『知っているキャラ』と『知らないキャラ』にどうしても存在格差を感じてしまうんだよな。作者側の扱いの良い悪いじゃなくて受け手の個人的感性としての本能的な格差意識というか…?物語的にも動かしにくい枷って感じはあるよね 正体知らない側のキャラ(扱い方次第とは思うけど)主人公の正体を知らない幼馴染の子、とかンギギギギ・・・・クソかったるいな・・・・・ってなってた記憶 ※あくまで幼少トヤマの話です
だから正体や能力を隠さないといけない作品ってなかなかハマりきれなかったような記憶がある

でもそういう正体隠匿モノで主人公らの正体や能力が無知側の友人などに明かされ、その上でポジティブに受け入れられる展開見るとウオオオオオーーーーー!!!!!ってメチャクチャなカタルシスを感じるんだよな・・・・・・・・武装錬金のあのシーンとか好きすぎて本誌切り抜いてノートに糊付けしてた(?)
フレッシュプリキュアね!!!!あと昔すぎて記憶おぼろげだけどウルトラマンにもあった気がする。特別なこと知ってもらうの嬉しいんだろうな本能的に。

これ絶対人それぞれ好みあって「モブや友人キャラなどの無知側がいるからこそ特別感あってワクワクするんじゃん!!!」って人も沢山いると思う。あと公開されるの好きと言いつつ全世界に向けて正体バラシとかはそんなに・・・なので好みの塩梅はあるな・・・。名アリの友人や近しいコミュニティのモブくらいの範囲へのバラシが良い
でも今の時代インターネットとSNSがあるのでその範囲にバレると全世界にバレるリスクがあり・・・ってついつい考えてしまうのでやっぱりスマホない時代設定の方が好きだな。まあテレビや新聞メディアがあればそのリスクはあるっちゃあるんだけども

数えきれないくらい繰り返し見て細かいところにも着目しまくってサラっと見たら記憶にも残らなそうな部分にも数時間注視して全部を舐め尽くす体験、他人の作品だとなかなかできなくなってしまってるけどそれができるので自分でやるお絵描きは楽しいと思う
でも自分で描いたものなのである程度時間が経ってからだと見返すのはちょっと腰が引けるもよう(いざ見返すとまあ、いいじゃん・・・ってなるけど)

#-sage #TOYAmade ここにきて急に世界の名前変えたくなってきた 嘘でしょ?1年近く付き合ってきた世界名を!?
変えたいって言っても一字だけなんだけど。変えた方が色んな意味でしっくりくるんだけど変更前の名前に慣れすぎてるからどうしよ~~~感 まだ全く公開して無いからいくらでも変えられるわけだけど

あとnotionメモもお絵描きフォルダもマンガ内のテキスト全部その世界名使ってるから「変えるの!?」感ある
ロゴも試しに変えてみたけど慣れによる違和感VSしっくり感って感じでめっちゃバトってる ま、迷う~~~~!


いつまで水面下練りしてんねんって感じだけど素材揃ってサイトができるまで………ちなみにサイトはまだ何もやってない ドメイン新しく取りたい(また定額出費を…?)

プロスポーツ興行の実力&勝敗の世界にせよ、商業エンタメコンテンツにおける多数の人間の心を惹きつけないといけない世界にせよ、成功するにはどうしようもない壁や変えていかないといけないことが沢山ありすぎて果ての無さを感じるし、やっぱアマチュア自己満足が一番精神が安定しちゃうんだよな・・・みたいな保守的なことを考えてしまうんだけど、一人の力では成せない大きなことを成立させられることにこそプロや商業エンタメの意義があると(私は)思っているので、まあ物事には何にでも良い面と難しい面があるってことなんだよな~~~~~~~~

何より、一度成功したものがその最高の状態でずっと続くことは絶対ない(続ければ続けるだけ波があるし、時間は経過するし、重力に任せればいずれ落ちていく)ってことを考えるたびにいつも難しい顔になってしまう。祇園精舎の鐘の音だよ~~~

でも、だからこそこんな難しいことをして頑張っている人たちはすごいなあって思うんだけど。しかし自分は個人消費者としてはワガママなので「どう変わっていこうが応援し続ける!」ができないし、どこかで綺麗に、一番良いところで終わって永遠になってほしいと思うし(アニメやゲームなんかは特に) でもそう願うファンって商業やプロの生業としては利にならない存在なんだよなあ・・・・・・こんなにも好きなのに俺の願いは・・・・商業的に利にならない・・・・(※)っていう思考の堂々巡りになり、おわり

(※だから気持ちよく出せる金は惜しみたくないという気持ちはある)

『一番良いところでスパっと終わって永遠になることを願うファン』と『エンタメに関わる人たちが食っていけること』が両立すればいいのにな いやメディアミックスコンテンツとかならまあある程度はそれでも成立するけど(スパっと完結させてアニメや舞台やゲームで商売する形態とか)でもやっぱり基本線はコンテンツ自体の継続と発展とその先にあるすり減りや衰退だもんなあ 難しいよ▲とじる

#-sage 同人印刷物作りも、こう、「こんな印刷代使ってちゃんと需要あるのか…?」って不安になるところは他者ありき活動なので(幸いにしてあまり見誤ってはいないので大赤字だった!!とかは最近はなく概ねプラマイゼロくらいにはできてるんだけど)
勿論やりたくてやってるし楽しいんだけど、やるたびに精神ポイントみたいなのを消費してる感覚がある。特に今年はいっぱい印刷物作ったねえ・・・それもコスト高めのモノを・・・
とりあえず新規印刷物持ってのイベント参加は12月の水そうめんで一旦落ち着かせて、マジで来年は船作って生きる…創作の……あとゲームとかする……
水そうめんには多分いいもん持っていける…はず?なのでどうぞよろしく……!

俺屍プレイ中は印刷物作りとかほとんど縁ないもんな(作りたくなった時に少部数でグッズ作ったりはしたけど)まあ俺屍は俺屍でめちゃくちゃ精神ポイント消費するんだけど。そして没頭しすぎて階段から落ちて捻挫する
オタク活動なんて結局どれだけの精神ポイントを生贄に捧げて満足度というリターンを得られるかなんだよなあ。創作の船作りもちゃんと満足いく形に建造できるか分からんようなものを作りに行くわけだし いつでもコストをかけてリターンを得ようとしている

他者主体コンテンツにモニョった時、自分の手でしか動かないものへの意欲が最高潮になるので創る行為とランダムキャラゲーに依存して生きている~!ぬわ~っ!ってなる
マジで他者主体の強い場所には根を張れないのだよな。リスクが高いと感じてしまうので

合間の趣味としてなら自分がやらなきゃいけないこと無くてコスパよくて良いのでこれからもこの距離でいましょうね 大きな根っこと小さな色々を生やしながら生きていくのは安定して良いと思う。何を主たる栄養にして生きていくかはまた人によって違うし

#holostars

別次元の姿である・なので最初のビジュアルにも普通に戻れるってテイではあるけど、これからはあの姿をデフォでいくよって感じなのかな。多分そうだよね

Vtuber、外見で好きになるわけではないけど、見てるうちに姿含めた存在として愛着が湧くのでビジュアルが大きく変わると戸惑うし「え?う~ん…?」ってなってしまうんだよな。にじさんじの某氏みたいな経緯でビジュアルが変わる(戻る?)パターンなら別だと思うけど

とは言え骨格や年齢すら自由に変えられるっていうのもVならではなので、そういう文化として受容していくべきなのだろうか?まあロベさんは最初のビジュアルに死ぬほど愛着あるっぽいし(別衣装出てもデフォは初期衣装だったりするし)そういう流れは絶対無いの分かってるけど

普通に大幅なビジュアル変更でこの先アレをデフォでやってくなら私は割とショックなんだけど、ちゃんと追ってる人なら意図や流れが汲めるのかな。その辺は追い切れてないとなんともわからんよね V、生きてる人間だから長時間の配信やメン限コンテンツなどの中でふと口に出す情報とかの積み重ねを知ってるかどうかで見え方が全然違うものだしちゃんと追えてない人についてはなんも言及できんな……となる。あと相手が生きてる人間なのであんまこういう意見は大手を振って言うべきではないというのもある。何も考えずにやってるわけは絶対ないし

いやお前言及しとるやないか~いって感じだけどここは界隈とは離れた場所だから許して まずエゴサとかで引っかからない場所なので


私は組み合わせた時の外見デコボコしてるのが好きなのでおじさんビジュの人が若い姿になることについてまあまあシュンとしちゃった。初期の姿、あんなにもカッコよくてイケてて特徴的で個性的で声にも合ってるのに ツルっとしちゃってまあ……
どうしてもテコ入れって4文字も頭に浮かんでしまうしなあ アズキさんみたいな感じのアレなんですかね。尖ったビジュアルよりも商業的に広くキャッチできそうなビジュアルへ?みたいな…?

事情はしらんけどまあよく言えば停滞を避ける意味での変革とも取れるのだろうか。昨日のシエンの振り返り雑談で聴いた内容も反芻してよくわかんなくなる 正しい答えは無いのだろうなあ▲とじる

絵とかに署名入れる時TwitterID(@~)のコンパクトに済む具合がすごいしやっぱそれくらい短くてスッキリするサイトURLにしたかったな。【〇〇〇〇〇(5文字以内くらい) .net】 とかだと使いやすいんだよな……
定期的に言ってるサイトURLが長い話 サイト作った時それ想定できてなかったからなあ

#holostars ライブのアーカイブ見たり同業者の同時視聴枠ハシゴしたりしてるけど、マジでアンコールのあと律可が一人でハロワ歌い始めた時の「え?アンコールなのに一人?」って感じから2番で全員出てきた時の「!?!?!?」感めちゃくちゃ栄養価たけえ~

アンコールの概念を知らない人間になって参加したライブのアンコールでびっくりしてみたい

おんがく通信2018年6月号表
http://gakken.jp/ongaku/note/pdf/201806.pdf

アンコールの起源めっちゃ昔なのすげ~な

#-sage オタク自我とエセ哲学の坩堝というか廃棄場になっとる下げ呟き
なんでわざわざ一覧に出ないタグつけてるかっていうと自分でまとめて見返したいからです 自分のゴミ捨て場を

#-sage マンガの背景なんてどれだけ描き込んでも見られるのは一瞬なのに…みたいなの見ると「そもそも背景でも人の顔でも見られるのは一瞬じゃん」と思うし、マンガってそういう一瞬で見れるものの総合でいかに良い具合に見えるか?な気がするんだけどなあ

一瞬しか見ないとしても背景のないスカスカのコマと背景ありのコマだと与える情報量違うやん それが伝えられたなら実視認時間何秒だったとしても意味のあることだよ(自分が背景描けないのは棚上げしておくこととする)

というかマンガにせよイラストにせよ視認時間でコスパを測る考え方見るたびに理屈が破綻してないか!?って思うんだけど
そんなことを言ったら食事だって企画試作試行錯誤しても食われるのはたかが数十秒から数分だし 消費物ってそういうものでは?

制作時間と一人当たりの消費時間が均等なものなんてこの世にはないだろ。そもそも
その分沢山の人が触れればその一瞬が複数人分積み重なって釣り合うことはあるかもしれんが

建築物とか日用品なら一人当たりの使用時間は制作時間を超えることもあるだろうけど 絵描きって日用品になりたいのか?(?)

でもコンテンツって食べ物と違って本当に気に入った人なら数時間でも数百時間でも見てくれるし、そういう存在になりたいのかもしれんスね。
私は制作に何百時間かけようが消費はファーストフード感覚で良いです(万が一めっちゃ気に入ってもらえていっぱい時間かけて楽しんでもらえれば勿論めちゃくちゃ嬉しいけど最初からそんな期待するもんじゃない 人様の貴重なリソースなんだから)

いややっぱ破綻してるよ絵描きの見られる消費時間コスト釣り合い論 釣り合わなきゃいけない理由が全然思いつかん
いや理屈じゃなくて感情や感覚の話なんだろうがそれ考えるだけ損だからやめといた方がいいと思う 個人の考えです

#-sage 自分の価値感覚からすると物語の主役やメインになるキャラクターには何らかの欲や目標が無いと回せないな~と思うし、物語作りの指南書みたいなのにもほぼ必ず書いてあるけど、実際のところ別にあまり大きな目標や欲が無い主人公も沢山いるんだよな。

ああいうのってまあ周囲にいるメインキャラが強い欲や目標を持ってることが多いんだけど(そうじゃなければ日常4コマみたいな停滞した世界?)主人公にはあくまであまり欲が無い・あったとしても静かに暮らしたいとかそういう内向きで静的な欲求?まあこれも欲と言えば欲か

あんまり『読者がこういうことを望んでいるからそれが反映された主人公や物語になっているんだ』みたいな切り口で論じるのは好きじゃないんだけど、『ただ好きなことに好きなだけ没頭できる環境で、適度に善人であることで他人に好かれて認められたい(という欲を反映させたような作品)』なんかはこう書くと分かる気はするんだよな……最近見た作品がそんな感じだった
能動的に動かなくてよく、好きなことに没頭して適度に善人であれば不自由なく幸せになれる世界、現実にはなかなか無いもんな


あ~~なんだ、なんていうんだろう?主人公にアグレッシブな欲や目標があるかどうか、っていう限定的なものだけじゃなく、その周囲のキャラ・果ては想定する読者の欲・作者の欲、とにかくどこかに何らかの欲があるから物語は物語たりえるのかな・・・と、私は思うかな~~~ 物語やコンテンツは欲からできるんだよ しらんけど

有名お絵描きYoutuber氏、サムネで「こんな〇〇はダメ!!!!!!!!」って言ってる回って大抵「この方向性で良い感じにまとめるならこういう部分を改善すると良いよ~^^」って内容なので、方向性自体を否定しているわけではないのだけど、そう受け取られてもおかしくないサムネではあるんだよな。サムネが強すぎてサムネだけでバイバイしたり「あいつはこの方向性を否定してる」って判断する人もいるんだろうな~って思う

でも伸びてる人がそういう手法取ってるってことは強いサムネの方がやっぱ再生回るってことなんだろうか。見ずに離れる人<見る人って割合になってるのかな。Youtubeやまとめブログとか書籍とかメディアの強強強見出し文化、そういう集客メソッドがあるんだろうな~と思いつつ辟易するところはあるある

人間の脳 判断力が著しく狂った状態にはなりたくないと思いつつ、もし本当におかしくなったらそれを自覚することが難しいので
友人と話してると割と定期的に「自分がおかしくなったら止めてくれ」「介錯してくれ」みたいな話になるんだけどしばらくしてからゾンビ映画みたいな会話だな・・・ってじわじわくる

ふわっと哲学の入門書を齧って覚えた言葉を使いたいだけの人「理由の無い貧乳コンプレックス設定、本質主義ってこと?」