くそ雑多なひとりごと
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未成熟不安定好きでルーク刺さってなかったの意味不明だけど、アビスに触れたのは未成熟好きが表出するより前だった気がする。そういう意味でも時期が悪すぎる。

冷静に考えるとルークに全く感情移入してないのにガイ好きだったのも謎すぎる。ガイって主人公(プレイヤー)のことめちゃくちゃ大事にしてくれるからこそ好かれやすい構造のキャラなのに。
なんか当時は設定にギャップがあって美味しいキャラ好きがちで、ガイってあんな感じだけど実は出自が……とかの美味しさが割とデカかったんだと思う。ゼロスも好きだったし完全にその系譜
#tales

そう言われれば私の好みを端的に表す言葉ってジュブナイルなんだ。なんかジュブナイルって言葉のことよくわかってなかったけどこれ私が好きなもののすべてじゃん。そうかも。

いやでも二十歳越えてても身長2mあってもそこに精神的な少年性・不安定性・未完成性があれば好き、となるのでもうちょっと概念・精神寄りのジュブナイルっていうか …… ?

>>11792
興味のあるキャラの傾向の話

私は昔から今の今まで若者キャラが興味の最大対象で、それはあまり変わっていないなと思う。子供じゃなくて若者ね。基本的には中学生~高校生くらいの少年か青年かというラインが興味対象のメインストリームなんだけど、たまにもうちょっと上の世代のキャラを好きになることもあり、それでもだいたいは何かしら『未熟・未完成・達観してない・不安定』な部分の目立つ存在なんだよな。若者が好きっていうよりは『未熟・未完成・達観してない・不安定』が好きなんだろうなと思う。この要素がつきがちなのが若者ってだけで、大人でもそういうヤツはたくさんいるし。

#tales
DS版テイルズオブハーツのパーティキャラって、そういう意味だとテイルズシリーズでも屈指の未成熟揃いで、刺さった要因としてこれがすっっっごく大きいと思う。

主ヒロが少年少女でパーティの2/3が十代なのはもちろんのこと、二十歳を超えてる大人組2人もそんなに大人って感じではなく…。実質的な最年長は25歳のイネスで、ポジションとしては大人のお姉さんなんだけど達観してる感じは全く無いし、作中で取り乱してブチギレ散らかすシーンもあるし。20歳(2000歳)のクンツァイトに関してはそもそも心の発達が未成熟な機械人間であるから全く大人ポジションではない。同行者のリチアも実年齢は2000歳超えてるけど少女然としているし。ブレずにどっしりした大人がガチでおらんのよな。みんなどっかしら未成熟でみんな不安定で。それが自分の好みにはめちゃくちゃ刺さったし、今も刺さる。

そして最も刺さったキャラはパーティメンバーじゃなく敵側の機械人間なんだけど、これがっも~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~壮絶にガキ。愚かなガキ。身長2mあってクソデカ刃物を振り回すガキ。精神の不安定さと身体の強靭さが全く釣り合っておらずバランスがガッタガタのガキ。そうそう、こういう不均衡さが発生しやすいから人工生命体ってモンが好きなんですわな。あ゛~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

テイルズオブハーツ17周年おめでとう。クロアセラフという奇跡のキャラクターが世に放たれて17周年もおめでとう。ありがとう。

#tales
>>11791
DS版テイルズオブハーツアニメムービーエディションにドハマりしてた時期はまだ全然浅慮なキャラオタクだったんだけど、それでもちゃんと没入できていた要因はなんだというと、好きなキャラとカップルがありすぎたおかげだと思う。好きな、興味のあるキャラがな、いればな、そこからストーリーをちゃんと受け取ろうとできたんじゃよな。

好きなキャラ興味のあるキャラがストーリー没入・理解・記憶のフックになっている、なりすぎているというのがもう本当に昔から顕著で、私がヴェスペリアのストーリーをほぼなんも覚えてないのってガチでキャラが刺さってなかったせいだと思うし。あれ多分テイルズ歴代最もキャラへの刺さりが悪いタイトルだったまであるかも。だってあのタイトル主人公が成人しててパーティの半分くらい大人やねんで?(十代にしか興味のないガキ!!)(今もその傾向は、あり)
逆に今新鮮な気持ちで再プレイできそうだもんな。

今も多少そういう傾向はあるけど、当時よりはバランスマシになってると思うのでもうちょっと俯瞰して、物語や構造全体を見て楽しむということができるようになってる…はずです。好きなキャラいなくても話やゲーム性や世界観が面白ければちゃんと楽しめる。今年プレイしたベストゲームは特別好きなキャラのいない十三機兵防衛圏です。

テイルズシリーズ、好きなんだけど触れた時期がもったいなすぎる!!!!と思うことがあり………とはいえ、じゃあオタクとしてのスタンスがマシになってからあのシリーズに出会ったとして、全部通してやる時間が取れるか?と言われると 多分無理だったかも……になるので、出会い・時間確保可能時期としてはガキンチョの頃しかなかった、ってなるんだよな。

ガキガキ言ってるから小学生くらいの時の話だと思われそうだけど全然そんなことなくて、なんなら成人してもまだオタクスタンスとしては浅慮クソガキもいいとこだったから相当広い範囲を指しています。

読んだ #memo #tales
『アビス』は、ひとつの奇跡だった──膨大な開発資料とともに『テイルズ オブ ジ アビス』開発陣に聞く、「生まれた意味を知るRPG」が生まれた理由【ゲームの企画書】
https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/251215a

最初期の企画書とかが蔵出しされてるのすごい。
シンフォニア・アビスってテイルズの中でも特に人気が高いため、外からの印象としてはこれの制作チームがテイルズの本流に見えてたけど、本人たち的にはデスティニー系列の2Dチームがテイルズの本流って認識だったのが「へー」って感じで面白い。



なんかこれ読んでてなんとなく思ったけど、私はアビスで大して落ち込んだ記憶のないことがちょっぴりコンプレックスなのかもしれない。


この『落ち込んだ記憶がない』というのは、『刺さらなかったわ~良さがわかんなかったわ~』って意味じゃなくて、シンプルにガキすぎてなんとも“思えなかった”という意味です。

アビスで大して落ち込めなかったのは多分複数要因があって、一つはシンプル・ガキだったこと、もう一つは多分だけど多少前知識があったことだったせい…な気がする。記憶がやや曖昧なんだけど、アビスをプレイしたのは発売後しばらく経ってからで友人に借りて…だった気がする。なんかそういうのがあるっぽいみたいなのは知ってたんじゃないかな。どうだったっけな……

シンプル・ガキだったという要因については、精神が幼く理解度が低いという意味もあるが、加えて『極度に好きキャラ中心に世界を捉えていた』というのがある。好きなキャラやカップルに関連するものを偏重し、それ以外への関心が無茶苦茶低かった。なんかそんな感じのオタク黎明期だったと思う。だからルークにそんな興味なかったんですよね。ゆえにルークに感情移入してのショックみたいなのがガチでなくて。当時はガイが好きだったのでガイの過去回想とかには多少「うおお……これは……」ってなった記憶はある。なんでガイの過去回想にはうおお…となれるのにアクゼリュスへの感情が“無”なんだよ。けったいなガキめ……


まとめると、私が初見アビスで落ち込めなかったのは『特定キャラにしか関心の持てないガキで、物語全体に没入して理解するという機能がなかったから』だと思っていて、こんな状態のオタクがテイルズオブジアビスという作品の初見をやってしまった、というのがもったいなく、私はもう今後一生アビスで落ち込むことはできない(作品体験の最大化ができない)人間なんだということが、少しコンプレックスなのかもしれない。



やっぱり、ストーリー重ためのゲームをプレイしてて一番『体験してるなあ』と感じられるのって、感情がいっぱい動いて振り回されてグエーグエーとなるような状態だと私は思っていて、そういう没入ができた俺屍やIn Stars And Timeが好きなんだよな。特にISATは最近プレイした中でもトップクラスにそういう没入ができたことがなんかこう、誇らしさすらあり……ほんまに……クソしんどくて……そう感じられる自分がいたことが……よかった………

アビスってそういう体験ができるゲームだと思うんだよな。というかそういうゲーム筆頭だと思う。でも私は人生で最も浅慮極まる時期にこれを通過(敢えて通過という語彙を選択しています)してしまったため、作品没入チャンスを丸々ドブに捨てている……という、そういうわけです。

アビスに関しては最早初見が実況だった方が没入できてたんじゃないか説まであるからな。いや、しないけどさ。

実況の場合実況者という人間が誠実に没入して感情移入していれば、それが“感情的なガイド(この時どんな感情になればいいのかの手本)”になるので、浅慮なオタクがぼんやりプレイするより入り込める可能性はあるのよな。いや、それでも自分でプレイするべきだし、全く推奨しないけど。そもそも他人にガイドされて得た感情って本質的には自分のものじゃないし。それを自分のものと勘違いさせてしまうのが実況という話もあるんだけど。しかしながら当時の私の浅慮プレイと比較すればどっこいどっこいな気はしてしまう。いや、それでも重めのストーリーゲーム実況初見は絶対するな自分で体験しろなんだけど。

歌聴く時に歌詞聞いてるかどうかみたいな話題ってよくあるけど(だいたい歌詞意識してない人が言ってるやつ)
自分はどっちかって言われると……別にどっちでもない……?どっちでもある……?ってなるかもしれない。

基本的にはやっぱりメロディや曲の雰囲気がいいやつを聴いていたいので歌詞はそこまで意識してない気がする(歌の中の詞って言葉として聴き取れないことも多い)
でも聞き取れる印象的な部分のフレーズが自分的に「おっ」ってなるようなものだったら気になって歌詞全文を調べる……みたいなことが多い。かも。

私が歌の歌詞の話をしている時は概ねそういうプロセスを辿っていることが多いと思う。歌詞気にしてない時は大して気にしてないし聴き取れてもいないが、琴線に触れるフレーズがあれば掘ることもある。そんな感じだな。

あと、よく聴く曲は自然と歌えるようになるわけだけど、その時自分の口から歌として発せられるものは「言葉」っていうよりは「歌の何かしら」みたいな感じで……こう……意識して文章として覚えてるわけじゃない、みたいなのもあるよな……。なんか普段の情報記憶領域とは違うところに仕舞われてる気がする。歌う時の歌詞。素で歌詞だけ思い出せって言われたら難しいけど、メロディを流し始めると思い出せるみたいな?ショートカットキーと同じ記憶領域かもアレは

イナズマイレブンのスカウトキャラ創作って、イナズマイレブンという超メジャージャンルの中に存在するものすごい狭く深い自家発電の領域で、それはそうとスカウト創作勢ってなんか絵が上手い人多くてよく見てたな~。

(※スカウトキャラ=メインキャラでもライバル学校キャラでもない、ゲーム内で使えるユニット。初代ゲームからありえない人数存在。全員に名前とビジュアルはあるが、セリフはいくつかのパターンの使いまわしで実質的にはモブ。だがゲームプレイ時の楽しさとしてそういうキャラを発掘する、自分なりに妄想創作をするなど、汎用ユニットゲーの創作に近い界隈が存在する。)

私はどっちかっていうとライバルチームとかストーリーに出てくるキャラを集めてドリームイレブン作ってる勢力だったからスカウトキャラ創作はあまりやってなかったけど、多分今だったらスカウトキャラ発掘めちゃくちゃ楽しんじゃうんだろうな。俺屍的な味を知っちゃったから…

そういうことを考えながら公式のキャラ図鑑サイト を見てたらガチで1の時からのスカウトキャラも含めてありえない規模が網羅されており、全員分の3Dを360度で眺めることができるようになっていて、エグ~~!!!ってなった。このページでいつでも資料確認できるの、狭く深い層にめちゃくちゃ喜ばれていそう。
なんか総勢5000キャラとかあるんだけどこれ全部新作に実装されてるの?これ地味にすごいことしてないか。

外伝とか本編とか言ってるけど便宜上そう言ってるだけで本質的には全部本編、くらいの気持ちではあるんだよな。現状はしっかり尺取って描けてるのはばけいづこだけど、目標はいろんなタイトルを複数立てて世界構築をやっていくことだし。言うなれば本編は世界そのものなので、そうなるといいですね。今は実情が伴ってないので便宜上本編・外伝みたいな呼び分けになりがち

急遽参加を決めたコミティアではあるが、そういえば実は創作用サイト正式オープン日からちょうど3周年の日であった。縁がある
実はにゃんにゃんにゃんの日に正式オープンしているサイト、八百八郷

何事もなければ来年の2月には改装も終わってるだろうし時期自体は普通に良いな
#TOYAmade

中二病の定義は人それぞれだと思うけど、私は『格好いいものの表層設定だけをなぞっていて中身が伴っていない状態』をそうだと認識してるな。
ナントカカントカの堕天使―――が痛く見えるのは、本人が堕天使でもなんでもないから、でしかない。本当にガチで重厚な世界観でしっかりした実情を伴っているナントカカントカの堕天使―――は、中二病とかじゃなくてただの本物だし。本当にそうなんだから痛いわけがない。

だから、私的には『設定に中身が伴っていない格好つけ』が本質で、堕天使とか十字架とか闇とか邪眼とかは『そういう時に起用されがちな設定』でしかないと思ってる。堕天使とか十字架とか闇とか邪眼だから必ず中二病、とはならない。

…と思うんだけど、堕天使とか十字架とか闇とか邪眼とかがあまりにも『中二病のシンボルイメージ』として定着しすぎたせいで、しっかり作られてて世界観や実情も伴っているはずの作品キャラに対してまで『中二病』呼ばわりされるのが、気に食わねえ………ってなってしまう。中身がちゃんと伴ってるものを中二病とか言って茶化すなーっ👆️

ティアマガP&R掲載、しみじみうれしいな。

いや、嬉しいのはそりゃそう自明も自明だろって話なんだけど。創作、相当に好きにやっているというか、基本的に思いつき設定の塊魂みたいな様相なので、元から自分を知ってる人ならその前提込みで「また阿呆なものを作りましたね」って思ってくれるかなあという甘えがあるのだけど、多分、そういう前提のない人に読んでもらった上で「ええやん掲載しよか」ってなったんだと思うと、こう……いいんだ……コレ……みたいな……?
前提情報なしでも面白がってもらえたっぽいのが相当に嬉しいというか、安堵があるというか。
(ティアマガって読者推薦のイメージあるのでもしかしたら既知の人の可能性もあるが、お知らせのメールでは実行委員会名義で読んだやで~って書いてあったんだよな。その辺の仕組みはよくわかってない)

なんとなく、自己評価として、自分の作品はまず商業ではやんないよなこういうのっていうノリとデタラメ要素の盛り合わせであるので、そういうアマチュアイズムじみたモノが好きな人にはけっこう面白がってもらえるだろうか、という期待があったのだけど、そうだったら嬉しいですね。

それはそうとして、行き当たりばったり度が高くて決して巧く作れてるとは言えないと思うのでそこら辺はもっと精進していきたいところである。好き勝手とデタラメさはアマチュア味でクオリティはプロレベルでやれたらそれが一番理想ですからね(やりたいことができる、という意味で)。メチャクチャやってるけどなんか読めるな、みたいなのになりたいよ~。登ろう~山を

>>11774
この顔の角度すごい気に入ってる

アニメーターの描くイラストの躍動感というか、ちゃんと動いてるなあが静止画でも伝わってくる感じがめっちゃ好きで、ああいうのが描きてェ~~!!っていつも思うんだけど、やっぱりああいう画って「連続したコマの途中を切り取ってる」感覚から生み出されるものなんだなあと実感するな。自分でも連続したコマを描いてみるとその途中ですごい好みな画が生まれるので。それを一枚絵やマンガの1コマでいつでも引き出せたら最強なんだけど。
#TOYAmade

なんか自分が物事をよく知っていると錯覚しているような物言いをしはじめると危ないなと思うのでそういう発言をし始めたらちょうどいいところでブレーキをかけることを忘れないようにな、と自分のてがろぐを見ながら思う

#-sage
なんかツッコミやすいツッコミどころがありながらいい感じに賛否分かれそうな文章を読むと『巧妙な釣りかな?』って思ってしまうんだけど(こういうのが一番大人数が食いついてくれるので)

今日読んだそういう(賛否両論でワーとなってる)note、直感的にすごい生成AIっぽい文章だな、人が釣れそうな議題でAIに書かせたやつなのかな、ってなって、なんで自分はこれがAIっぽいと感じたんだろうと考えてた。(本当に人間が書いてたら失礼なので貼らないけど)

どういうところにAIっぽさを感じたかというと、『どういう立場・目線でそれを論じているかがよくわからない文章』であったことなのかも。その文章で肯定しているものの立場と推測はできるし、プロフィールもそんな感じなんだけど、文章単体で見ると誰目線やねんこれ、みたいになっているというか。

これあまりにも感覚的すぎて明確に説明しにくいんだけど、発信物(創作物なども)に『書(描)き手の目線』を感じられるかどうかで『AIっぽい・人間っぽい』を判断しているきらいはあるのかもしれない。それは偏りとかフォーカス感とかヘキとかクセとか言い換えることもできるのかな。なんかAIの作るそれって漠然と俯瞰的に全体を見ている感じがするのだよな。なんとなくの感覚の話すぎてこれで絶対見分けられます!!!とは言えないけど。


それはそうとプロフィール見るとガチ感あるし、捨て垢じゃなくて継続運用してるものっぽいので「もしかしてこれ釣りじゃなくてガチ?」ってなって怖かった。“いい感じにツッコミどころがありつつ賛否両論になりやすそうな、お手本のような釣り記事”が釣りじゃなくてガチなの、一番怖い。「AIに陰キャオタク煽る釣り記事書かせて炎上させようずwwww」であってほしい。

>>11771   
『考察』という目的について社会的理由を紐づけるためにとりあえず『承認』ってキーワードを結びつけたけどこれはそうとは限らない気がする。考察で承認される人って相当口が回る勢だけだし、多分“考察勢”の9割位は『考察を調べたり聞いたりすることが好き』な層なんじゃないかという気がする。実態はしらんけど…

一つありそうなのは、『推し活』『オタ活』には乗っかれないけど…な層の拾い上げなのかな。あとなんか知的なことしてる感じがしてそういう欲求が満たされる。知ることは快楽だから。あとマウントも取れる。知ってるマウント。
「萌え~」とか「ゲキアツ!!あれいいよなあ!!最高だよなあ!!!夢だよなあ!!!」的な交流には乗っかれないけど、「あれってどういう意味?」「こうなんじゃない?」という交流になら乗っかれる、という気質の人はけっこういる気がする。そういうのを拾い上げるのが『考察しよう』的ムーブメントなのかも?
それとYoutubeやnoteとの相性の良さもある気はする。

『推しを見つけて推し活をしよう』だの『考察系コンテンツで考察をしよう』だのに我々が何故違和感を抱くのかというと、我々にとってそれは『結果』であるが、世の中はそれを『前提』『目的』としているから、だとは思う。

うちらは先に『作品を読むとかゲームをするとか』の目的があり、それにハマった結果としてそのものについて色々考えたり、キャラグッズが欲しくなったり、公式がんばえーと応援行為に走ったりするわけだけども、

現代で商業的またはムーブメントとして喧伝される『推し活しよう』『考察しよう』はここが出発点になっている、『とにかく作品に触れたい』というモチベーションの部分はカットされているのかなという気がする。
これは『仲間内で話題を合わせたいから倍速視聴する』も類似か。とにかく、作品を見たい知りたい楽しみたいの前に何かしら明確な目的が設定されている感じ。

まあ我々は何も言われなくてもコンテンツに触れにいく人種なのでこういうものにはちょっぴり眉を顰めてしまうわけなのだけど、考えてみれば昨今のオタクっぽいコンテンツの隆盛にはこの『先に目的を与えられる』は切り離せない因果関係があるのかもしれないなあ。

多分だけど、ただただ作品世界に没入したいだとか、作品を読むために作品を読む、ができる人間っていうのは我々オタクが思うほど多くないんじゃないだろうか。大半にとっては「それを読んでなんになるの?何の得があるの?」となるものな気がする。

そういう層に対して、『推し活で色んなところに出掛けられます、人間関係を構築できます』『考察という形式で発信することで承認されることができます』『友達との話題になります』という目的を提示してやれば、見てくれる確率は上がるんだろうな。成程そういう目的で触れればいいのねと。昔はオタクと社会性は若干離れた位置にあったけど、現代は上手いこと社会性に接続できており、それゆえにパイがめちゃくちゃ広がっている。のかもしれない。


なんとなく『我々』とか言って不特定オタクを巻き込んでしまった。なぜ我々はコンテンツに触れるのだろうな。コンテンツに触れるためにコンテンツに触れる、とかいう社会性に還元されない異常行動。社会性の動物とは思えない。もちろん我々だって社会的繋がりなどの目的が完全にゼロとは言い切れないけれども(少なくともこうやって公開している時点で)

作品に触れることで得られる快楽に単純に病みつきになってるってのは多分にあるだろうし、これはオタクかどうかに限らないとは思うが。

ただ、快楽任せのコンテンツってなると多くの人はどこかで『卒業』していってしまうのだよな。特に社会性をきっちり意識して身を振るタイプの人間は。小学生の時一緒にアニメの話で盛り上がってた友達が中学になると気付けばそういうものから離れていたように。だから『大人になってもそういうのを楽しんでいいんだよ、それはこういう理由があるから』という『社会的意義づけ』をすることで昔より多くの人がオタク的コンテンツに触れやすくなってるって面がある気がする。


まあ、社会的ムーブメントの扇動に多少眉を顰めることはあっても、それで制作側が潤って持続的な作品供給に繋がるなら、こういう間口の広がり方は全然悪いことじゃないと思う。それによって好きなコンテンツが自分とは真逆の方向を向いてダッシュで離れていくようになったら流石に悲しいだろうけど。でもそれってオタクだけが生息しててもそういうことはあるからな。

「推し文化」も「推し文化に乗っかりたくない」も両方めちゃくちゃよく見るので両端が両端とも平凡な感性という感じがあって逆張ろうとするならどこへ行けばいいんだとなる(言及しないという消極的逆張りもあるけど消極的すぎる)(そもそも逆張ろうとすな)

類似として「承認欲求ってよくないよね」と「承認欲求はよくないと言われますが大事ですよね」も両端言われ尽くしててどっちについてもさほど逆張りにならない感ある 何の話?

文字数を圧縮するなら「最愛級」とかにすりゃあいいじゃんという説もあるんだけどなんか愛って言葉は重すぎるというか、これはこれでなんか自分の中のスタンスやニュアンスにイマイチそぐわないというかウーン…… “好き”なんだよな………

一番好きなポケモンと言えるクラスのが3体いる関係で、それらを言い表す時「一番好きクラスのポケモン」とか書いてるけど、私が推し文化に抵抗のない柔軟なオタクなら「最推し級のポケモン」で3文字も省略できるのにな…?って思う。音の響きも素直でスッキリする。イチバンスキクラス、サイオシ。一目瞭然である。

よく思うけど「推し」という言葉、文字数少なくて済む、短く言い切れることがアドだし、それも流行った理由の一つだと思うんだよな。

「推し」って一言だけで「推しているという状態」と「推している対象を指す」の両方を示せるのがズルい。そりゃあみんなこぞってこの言葉を使う。圧縮率が高くて便利すぎる


それでも「自分は別に好きな対象を推薦してるわけじゃないしな…」だの「現代の推し活前提で来る感じがまあ例に漏れず自分も苦手だからな…」だの言ってこの便利な言葉をあまり使えないでいるわけなのだった。

ボイフレやってる時は好きキャラのうち数人については「こいつがめっちゃ良いキャラしてるってもっと知られてほしすぎる!!(出番が増えてほしいため)」って感情があったので、それは“推し”と呼んでも差し支えないかな、とは思ってた。そんな前から推しって言葉を使うかどうかこだわってたのかよ

イベント期間中のアルクジラ厳選結果報告動画は作るか……どんな結果になっても……
FL10までは行きたいところだけどどうだろうなあ #pokemon