くそ雑多なひとりごと
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ポケモンSVやってると意外と知ってるキャラ少なくて、逆にポケモン剣盾はキャラの8割くらいは知ってたんだよね。知ってる=目につきやすい=二次創作的人気がアツいってことだとすると、剣盾ってマジでキャラぢからがバカ強かったんだな~。
この場合の「強い」はキャッチーで万人受けしやすいという意味なのでイコール魅力値が絶対的に高いということではない(魅力は個々人が感じるものであるため優劣はつけられないが、キャッチー度合いの差はあるというだけ)

大分自分世界に突っ走ったネームを読み返してて迷いが生じる時いつも水煮先生に鑑定してもらった時のこの一文見てる
ノリと勢いがあるからこそ「こんなの自分に描けるのかな?」「こんなのだれにも理解できないよ!」という躊躇を吹き飛ばして自分にとっての未知にたどり着ける、といいますか…。
いっけーーーーーーー!!!(勢い)

#-sage
『家庭環境や学校関係に問題を抱えて上京してきた主人公の女の子が、その鬱屈した気持ちをバネにバンド活動をする』というアニメで、『家庭環境と向き合う』という回があって、それ自体はまあ物語としては必要なものだよねーと思うんだけど、解決の筋が『実は家族は良い人で、主人公を真っ当に愛し想ってくれていたということがわかる』なのがなんか腑に落ちねえ…になっていた。

確かにそういう話の流れはありがちだし、行動を起こして向き合ったことで初めて本当の姿を知ることができた……というのも分かるんだけど、鬱屈した感情をバンド活動にぶつけ散らかしてた主人公でそれをやるのはどうなんだ…?核じゃないのだろうか、そこは。あんまり真剣に読み解けてないからわかんないけど

家庭環境に限らず、ファンタジーバトルとかでも『悪いと思われていたけど実は良い人でした。よかったね』っていう落とし方されると冷める時があるなーと思った。
なんとなく描き手の善性の暴力を感じてしまうからか? わからん わかりません。別に世界には色んな人がいるので、善も悪も悪に見える善も善に見える悪もその他色々あるわけだけど……うーーーん、うまく言語化できなーい!!

マジで光堕ちだのと揶揄されがちな改心現象よりもずっと冷めるかも。実は良い人でしたオチ。もちろん描き方次第・テーマ性次第なんだけど 拍子抜けするのかなーー、結局お前そっちかーいってなるからかなーーわかんない!
実は良い人だったオチに謎の『裏切られた』を感じてしまうんだな。謎だ。
というかなんかフィクション全体のふんわり善性やアガペーに辟易としている???わからん なんだろーーー!!

毎日ニコニコ見てる永遠のニコニコキッズだから普通にここ数日そわそわしてる

メッセージありがとうございます!!わかり手!!うれしい!!!

アンソロ原稿9割おわたくんなので一旦寝かせて創作ネームやーるぞ age

枠線の太さと間隔ずっと迷ってる気がする。一旦印刷物にしないと判断できないところあるかも。
枠線細めの方がなんかそれっぽいマンガに見える気もするけど

枠線の間隔はマジでマンガによってけっこう違う印象ある。計ったことないからわかんないけど
思った以上に上下間隔広いマンガもあるよね~

性癖パネルトラップ、楽しそう。一人でサイコロとか転がしてやりたくなるな(ものづくり孤島鎖国民)

出張編集部レポ見てて「文字入れが読みにくくなってる点の指摘はしないんだなあ」って思ったけどそりゃそうか。プロだと編集側が入れるので指摘する意味がない
趣味マンガ描きのみんな!全部自分でやらなきゃいけないので文字入れには(できる範囲で)こだわろう!!ガシッ(握手)

メッセージありがとうございます!見てくれてありがとうございます~ 一瞬のトキメキ!永遠のサヨナラ!

なんでもボタンもいつもポチポチありがとうございます~!

今日はクーラーを掃除したのでトヤフィンドールに1億点
でもクーラー掃除をn年単位で放棄してたのでマイナス5兆点

#pokemon 単純属性だけならナンジャモとアオキが正反対でオモロだとおもう。見たい。作中で絡みがあるかは知りません

#TOYAmade マンガで描いたことは基本的に訂正しないが、テキスト記載の設定は後々微調整してもよいものとする(俺ルール)

多分なんでもないタイミングじゃないと言えないことだから言うけど(なんでもあるタイミングだったら消します)

好きな作品に関わったクリエイターや声優って、自分の人生に影響を与えている一方で距離自体は遠いっていうやや特殊な存在なので、亡くなった時の実感があまり湧きにくい。作品はいつ見てもその作品であって、関わった方が亡くなったとしても変わらずそこにあるので(※完結済みの場合)。なんというか、この人が生きている時に生み出された作品に出会えることができた自分はなんて幸運だったんだろう、みたいな気持ちになるのだよな(※事故や早世とかではない場合)。だから冥福やお悔やみって感情がやっぱりなんかしっくりこなくて、それは近しい人がやることなんじゃないかなあみたいに思ってしまう。別にそれを願うインターネットの人々は否定しないけどね。結局自分の気持ちの話になるから

ただ、なんかSNSで亡くなった直後のクリエイターについて触れるのは現代のバズ・システムに人の死が取り込まれているのがかなり不気味で吐き気なのでどっちみちしないけど。いや、それも否定はしないけど 愛された人だったんだなあっていうのが人々の声で見えるということは誰かの救いになるかもしれないから。ただ私個人としては他の有象無象バズと同じように電子に処理されている様が気味悪く映るってだけ

10年以上前のアニメをこすり、流行りの言葉に違和感を感じている時、オ、オレの頭が硬直しているのかも!?!?!?!?って不安になるよな!!!なあ!!!!(誰への投げかけ??)
いや好きなものを擦るのはいくらやってもいいけど疑問やマイナス感情はうまく調節しないとどんどん重力に引っ張られるのでダメ

さいとうなおき先生の言うことは大方真っ当だし色々大変な中発信してるんだろうなと思うしまあ有難く視聴してるんだけど、それはそうとしてあの人が『絵師』って言葉を使うたびに「影響力のデカすぎる存在が絵師絵師言ってるから絵師って言葉が定着してるんだろうなあ…」が頭を過り難しい顔になってる。絵師って…何?

利便性の面はわかる。イラストレーター(長い)とかマンガ家とか、下手するとアニメーターとかも全部ひっくるめられる2文字2音の短い言葉。確かに便利だ。便利なのは良いことなのだがなんか説明しづらい本能的な部分がもうずっときしょみを感じている。なんだァ?絵師ってよォ……

この人ずっと絵師って言葉を気持ち悪がってるな。絵描きじゃダメかい?

↓つまりこいつは人に自分の好きな作品を薦めるのがどう足掻いても向いてない。(体験込みの思い入れが強いため)QED証明完了


でも好きな作品の概要をしゃべりた~い!しゃべる~~

私が心から好きで円盤も買ってるテレビアニメ、ドマイナーってワケじゃないけど「同年代のオタクなら大多数はタイトルを聞いたことがある」レベルの作品はないんだよな。
私ィ~マイナー趣味でェ~~みたいなのはダルいので言わないんだけど、けっこうアニメ見てきてるのにどうして超メジャー流行りアニメが一本も入ってこないのか?について考えるなどしていた。

超メジャーアニメ、例えばグレンラガンとかも当然面白いと思ってるし、要素としても好きなものが多い作品だなあと思ってるんだけど、DVD買おう!!まではいかなかったんだよね。これさ~~~なんかさ~~、“自分で発掘した感”が足りないのかもしれん。私が見たのって確か再放送か何かで、すでに評判になり尽くした後だったから。

好きでDVDまで買うに至ったテレビアニメって、『自分で見つけた、前評判知識なしで視聴した』ものばっかりだなあと思う。平家物語だけは3話くらいでにわかに評判は耳にしてた気がするけど、まあ序盤だったから…?
なんというか、その体験込で思い入れ・作品好きポイントに加点されちゃうところがあるのかもしれない。その極地がエル・カザドなのかも。

本当に何の前評判も知らずリアルタイムでグレンラガンを視聴した世界線の自分はちょっと見てみたい。ただ、それでも大江戸ロケットの方が好きな要素多いのは間違いないんだよな…?(同時期同原作者アニメ)トンチキ嘘和風だし……


ナラティブってやつ?ゲームプレイ体験に思い入れはまり込む原理に近いものがアニメの視聴体験でも発生している感じがある。つまりなんというか、出来る限り全てのアニメを前評判なしで観たい。俺が見つけたと思いながら好きなものを摂取したい。その体験が伴うと好きなものをより好きになれるから。そうですね~でもSNS社会って爆発的に話題になるものが放送直後からバズりにバズりまくるからなあ。難しいですね

フィットボクシングのデイリーの一番長いやつ(1時間6分とかのコース)余裕でできるわ~と思ってたけど、改めて腹筋に力を入れながら腰の回転を意識してめいっぱい振りかぶってやってみたらクソ疲れた。慣れると自然と手を抜いてしまうというのはあったかもしれない。同じ時間を使うならしっかりやった方がお得なので意識を切らさないようにしたいところ

#pokemon ネモに怯えるトヤチョなんか面白いんだけど なんで私はゲームキャラに塩対応されたがりなんだ
粗雑に扱われたいわけじゃなくて多数の中の一人くらいに思っててもらいたい 特別扱いしないでほしい(ゲームの主人公なのに?????)

昔のアニメってなんか謎に空気キャライジりがあったけど(影が薄すぎて存在が気付かれないみたいなギャグ)最近はめっきり見なくなった気がする。しょーもなめのネタだから別に無くていいんだけど、「なんであったのか」「なんでなくなったのか」はちょっと気になる。分かりやすい差別的イジりに比べると現象がファンタジックだと思うけど……やっぱ作中登場人物の意識は“そう”でも、見る側的には無視イジメっぽく見えるのが良くないのかな?

何の作品か忘れたけど、影が薄すぎる特性を生かしたスパイみたいなの無かったっけ?そういう長所として生かしていくやつは今でもアリだと思う

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そもそもだけど、あの時期(インターネット黎明期?匿名掲示板が一番強かった頃)って、視聴者の言説としても『あのキャラは空気』みたいなイジりが多発してたよね。TODの空気王ネタとか 懐かしすぎるだろ
あれなんだったんだろう。最近はそこまで空気イジり見ない気がする 視界に入ってないだけであるかもしれないけど昔ほど常態化はしてない印象
普通に激寒だから無くていい