くそ雑多なひとりごと
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フィクションを過剰な現実文脈で読むのが嫌いなので、現実を過剰なフィクション文脈で読むのもあんまり乗れないんだよな。

私の創作マンガってマジで『トヤマ96という文脈を知っている』ごく狭い層にしか面白がってもらえなそう、という意識がずっとあって、それをどうにかしたくてサイトというガワを作り込んだりなんだりとしているわけだけど、それがうまく機能しているかは謎なのだよな。

別に私のパーソナリティを知ってる必要はないんだけど、『これは手探りで世界観を創っていくことを目的にしている』『描き手がなんかええな、と思った要素がデタラメに配備されていく』という前提はないと動向が意味不明というか、5話目で野球回が始まるわけだし(不親切すぎだろ)
そういうのもあって外部サイトにマンガだけ置きに行く気が起きないんだよな、ナ~。外部サイトはバイキングみたいなもんで、中身だけを並べることになる=パッケージングしにくいから

#-sage
テーマを共通にした本(二次創作とか)なら複数の作家が入り混じってるの全然いいんだけど、特定作家の作品集みたいなのを買ってゲストに全然作風違う作家の作品が載ってるとスン…となってしまう感じ
特定作家の作品集は『特定作家の作品』というのがテーマそのものなので、全然違う作風が混ざると『本編時空テーマアンソロの中に現パロが混ざってる』みたいな感覚になるのかも

ポケットに手を突っ込むポーズってなんか雑に立たせときたい時にめちゃくちゃ楽だから全キャラにポッケを縫い付けるべきなのかもしれない。え?袴の脇開き?あれは…あれは突っ込めなくはないけど手がブラーンてなるからなあ

マクドナルド公式のクソ音MADが話題になる→モスの公式音MADが再評価される→見たワイ「このモスの竜田バーガーおいしそう」→「2年前のやつやんけ…」

>>8671
私はエロも見るっちゃ見るしエッチなものを見てキャッキャと喜ぶタイプの人類ではあるけど、やっぱキャラによるよね。それに、不意にエロが目に入ると「ぎょっ」っとなるのはエロ描写自体に対してじゃなく、自分の認識しているキャラクター性とエロ消費が起こしている摩擦部分に対してだなーとは思う。二次カップリング消費とかもそうだけど
人格だけじゃなく、そのキャラクターが作中なり現実社会なりに対して担っている役割であるとか、世界観みたいなのも含めて

プリキュアとかその最たるものなのでマジで禁止されてほしいんだけど、そういう声明を出すこと自体そういう話題が大々的に出てしまうというリスクがデカすぎるのでできないんだろうな~詰んでるよな~とよく思う。



てかさ~自創作でそういうのにどの辺まで突っ込むべきかけっこうずっと悩んでるかもしれない。直接描写みたいなのは100パーない(つもり)けど、性的な面の設定をこう、キャラクターの人間性にどこまで積み込むべきか…みたいな?
お沙華なんて設定上自然に考えると当然そういう知識も経験も情報としてはようけ積載されてるわけじゃん。ふ、触れづれえ~笑

俺屍の時そういう部分のコントロールにけっこう苦心してたのですごい及び腰になっている感、ありますね!俺屍は一族によってその辺のラインが異なるわけだけど
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なんだこの図
『エロの概念自体はある』『だがエロ消費は嫌』というエリアが意外と埋まるのがちょっと面白い。 #oreshika

オレがオレの創作をどのエリアに置いておきたいのか、現状だと若干あいまいかもしれない。でもお沙華の設定を自然に詰めていくと性関連の概念を避けるのは難しいので左上なのかもしれんなあ。いや避けられないからとて作中で触れるかどうかは話によるんだけど #TOYAmade

おいし水氏のキャラクターに対するスタンスすごく落ち着くし言葉選びが好きなんだよな
愛着があるというか、人格を信じているキャラクラーとかのエロとかグロとかってかなりキツくて(エロ系はキャラクターの人格が消費者の都合のいい形に改変されがちなのも嫌ですよねえ)、見たら普通に体調崩します。自分の作ったものとなるとなおさらです。
-2024年5月の月報 より

ファミレスのグッズもひとつ出ます。登場人物をマスコットのように扱いたくはないのでそういうのではないのですが、いい感じだと思います。
-2024年7月の月報 より


『自作のR-18二次創作は禁止です』と一口に言っても多分その理由って色々あるのかなあ、と思っているので、少しだけどそこに触れているのが好きだな。『人格を信じているキャラクター』って言葉すごくすごくしっくりくる。エログロだけじゃなく、マスコットのように扱いたくないのもこれに関連しているのかなー(というのは私の勝手な紐づけ解釈だけど)

圧縮オタク言語で言っちゃえば『キャラ崩壊嫌です』になりそうだけど、氏なりの言葉として『人格を信じているキャラクター』『人格が消費者の都合のいい形に改変されがちなのも嫌』とされているのでニュアンスのようなものをがっちり保持している感じが・・・・・・こう・・・いい・・・・・・

今日はpixiv大百科のガブリアスの記事聴きながら散歩してた

「圧縮された便利ワードを使うクセがついているだけで、この人が本当に言いたいことのニュアンスからズレてしまっているのかもしれない」というセーフティ認識、ある。だからそれ一発でコイツ嫌い!!とはならない
それはそうと圧縮された便利ワードを濫用せず、伝えたい言葉のニュアンスを大事にする人はやっぱりすき。こればっかりは

ことばの違和感・壁打ちです

商業マンガ家のブログ読んでたら、表現チェック修正の話をしてて興味深かった。『雑誌は編集がOKすれば通るけど、単行本化する時はプロの校閲を入れて表現などに問題がないかチェックする』のだとか。そういうのって雑誌は良いって感じなんだ。雑誌と単行本の扱いの差のことそんなに詳しくないんだけど、なんかこうルールみたいなのが違うんですね?

で、その表現チェックで『悪口セリフに出てきた言葉が実在する病気にあるものだったので修正になった』というのがあった。それ自体は妥当だと思うんだけど、『商業なので炎上リスクを避けるために指摘されている』『物語上必要な表現なら炎上覚悟でやりたい』みたいなことを書かれていて、「ん…?」ってなっちゃった。炎上するからダメって認識なのだろうか?

確かに、一番直接的実利的な面で言うなら差別表現を避けること・コンプラ配慮をすることって『炎上リスクの回避』かもしれないけど、根本的に言えば『それで傷つく人が出ないように』なのではないか……?みたいな。

本来は『傷つく人がいるから炎上する』、という順序のはずなのに、『とにかく炎上するからダメ』みたいな認識になっている人はけっこう増えているような気がしないでもないのだよな。間がスポっと抜けているというか。

『この表現は炎上するからダメ』ではなく『この表現は人を傷つけるかもしれないからダメ』が本質だと思うし、『必要な表現なら炎上覚悟でやりたい』は『必要な表現なら誰かを傷つける覚悟をした上でやりたい』という認識であるべきじゃないか……?みたいな違和感……?

なんかこ~~~~、綺麗事というか、物事を是正してえ!!とかではないんだけど、そう言っちゃうと『自分は本質部分ではなく炎上という表面的事象の部分しか見ていません』っていう認識が透けちゃわないか……?表現者としてそれはどうなんだろう?みたいな、そういう違和感を言葉の言い回しに感じちゃうよね。どうしてもね。という話だった。
まあブログの文章を読んだだけで作者の深い人となりなんて知らないので知らんですけどね。言葉もまた人格の表面の一部分でしかないし。それで全部知った気になるのは一番ヤバいから



というか『炎上』に限らず、便利で強い言葉が定着した後は言語が圧縮されすぎてこういう本質的ニュアンス抜けが起きやすい気はする。『推し』とかもそうだけど

桃すき。ピーチ味の食べ物そんなに好きじゃない。桃の味というより食感なんだと思う

「今!初めて名前呼んでくれた!!」っていうエモ・シーンへの逆張りで「しれっと名前を呼ぶしそれについて言及しない」をやりたくなるけど、逆張りするほどあるあるとされてもいねえよ。って感じではある
いや私の観測範囲ではかなりあるあるなんだよ。今初めて名前呼んでくれた!のやつ。でもそれに逆張りするのは意味不明だろ。必要なやりとりならやります。とりあえず的にやるのがイマイチしっくりこないらしい。初めて名前を呼んでもらうことに感慨深くなるということ、よっぽどその相手に思い入れがあるかなんかしないと無い気もするしなー

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呼んでもらいたがってはいるのだが そんな重大な雰囲気でもない気はする

続きもののマンガの区切りタイミングって難しいな。特にページ数制限のない媒体の時
一つの流れを何話もかけて細かく切るとテンポが悪かったり話が分からなくなったりするし、一段落ついたのに区切られずにそのまま話が続いてるとそれはそれでなんか困惑する。でも、区切りの丁度良さってかなじ個人の感覚に依存するので何が正しいとも言い難い感じはある

#TOYAmade 横文字っぽい言葉は化妖発祥、みたいなぼんやり設定があるけどまだちゃんと決まってない。和ベースで横文字をバリバリ使う理由をこじつけたい。

メッセジありがとうございます!!社会人野球はネット配信 で観れまあす!
パッチョ対サステナブルくんの準決勝は明日29日18時から!🐻🐶

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#TOYAmade 井正と沙華、そもそもが『世界(物語)のはじまりになる二人をサイコロふって作っちゃおう』というリアル偶然の産物なので、絶対に運命の糸や絶対的因果に縛られてほしくない、という願望がある。そういう願望を下地に描いているかもしれない。
根源的な縁の縛りはないけど、描きながら相性の良し悪しや相互作用や共にいる理由を見出したりする感じでやっていきたい気持ちはありける。(勿論いずれ離れるもまたヨシ 好きにせえ) そういう気持ちでやっている。

とはいえ、一方で本当にそういう強い理由を備えない二人なので難易度の高さを感じることも多いんだけど。なんだかんだ血縁・同僚・恋情・憎悪などの離れがたい因果は創作物においてはバリ強いと思うし。粘着性のあるテープは引っ付けやすいけどサラサラの紙はひっつかないわけで(?)

難しいし素人がやることじゃねえだろという気もするのだけど、行き当たりばったりさも含めて自分がやる理由自体は見出しやすいのでまあ、よしとする。トヤマ、他人同士が出会うのが好きなんだもんな。



いやなんだろ、描いていくうちに因果が形成されていく→OK / 最初から何かしらの因果や運命的な設定を下地に描いていく→NG みたいな感じだ。イゲシャゲについては

物語における『偶然』って、ともすれば『話の都合』になってしまうじゃないですか。だから出来る限りのことを『因果と必然』で理由付けする必要があるのかな、と思うのだけど。

一方、現実に起こることって大体は偶然で、全部が必然と因果で繋がってることってほぼ無い気もする。本人の行動の結果はあるけれど、やっぱりそれで全部が決まることって無いよね。基本的には(主観と捉え方によるけど)

物語はそもそも生み出されてる時点で作為的なので、『偶然の出来事』というのも作り手の作為である。ゆえに偶然という作為を更に重ねるとどんどん陳腐化していくのかなー。だから、物語において『本当のマジの偶然』っていうのはジョーカーみたいなもんで、基本的にはそれ以外のカードで回していった方がよさそう。


ただ、都合や作為とは受け取られにくい偶然もある気もして、そういうのを上手く盛り込むと丁度良いのかもしれない。
例えばだけど、『お約束』と取られるような設定とか。萌えモノ作品で主人公にたまたま可愛い幼馴染がいて、学校ではたまたま隣の席に美少女の転校生が座る…みたいな状態ってメチャクチャ都合のいい偶然の積み重ねだけど、それは『お約束』だから別にいいでしょ、みたいになるのではないだろうか。

『前提』部分の偶然はご都合を感じにくく、『展開』上の偶然にはご都合を感じやすい、っていうのもありそう?

ただし、偶然に見えた出会いに実は意味があって…という理由付けがくると人はエモくなりがちなのでやっぱり理由はあるに越したことはないのかも。ただそういう運命的理由ばっかりだと逆に食傷気味になる自分もいるんだよな。全ての出会いが運命であるべきとは思わないし、ガチ偶然でもいいじゃんという気持ちもあるかも。数奇だよ
『偶然』と同じくらい『運命』にも都合がよく乱暴な側面がある気もする。閑話休題



それと、偶然の展開というものを本当に偶然にしてしまうということ。これも確実に作為ではなく、しかしその偶然に魂を感じちゃったりできるので強いな~と最近思う。ゲームのランダム要素やTRPG・ボドゲなどのサイコロものとか。
ただし、これは本当の偶然であるが故に望ましい展開になるとは限らないというのはある。

清く正しく誇り高く誠実な人が沢山出てくるマンガを読みながら、自分の創作に清正誇高誠実人が出てくることはあるのだろうか、になっていた。多分そういう人物作ると絶対どこかにしょーもなさかロクでもなさを仕込んでしまいそう。清正誇高誠実人だけど共感性がメッタクソ低いとかそういうの。手癖だ。

好きなゲーム配信者がよく海外のポケモンパk…ライクゲームをやるのでそれを見てる。

最近のポケモンライクゲームってBWの動くドット絵の雰囲気を継承しつつ、HD2Dっぽいグラフィックにしたりしてるんだよな。ドットだけどしっかり主人公のキャラメイクが可能だったりする。なんというか『本家ポケモンが今更ドットに回帰することはないだろう』というのを踏まえると『世界線分岐したポケモン』みたいになっててちょっと面白い。

『Youtubeなどのサムネは否定的なことや尖ったことを書けば釣られて再生されやすい』っていうメソッドがあると思うんだけど、『嫌われている人はそもそも話を聞いてもらえない』『今のインターネットは割と好感度がモノを言う世界である』っていう人間の性質と相性が悪すぎない?みたいなことを考えていた。

尖ったサムネを使うと再生されやすいが嫌われやすい、丸いサムネを使うと再生されにくいが嫌われにくい、だとすると最終的にはどっちのメリットが上回るんだろう。結局多少嫌われるリスクを取ろうが知られないと始まらないから前者の方が強いのかな。なんかそういうリスクリターンのシミュレーションゲームみたいですね。

(狙って嫌われることで数字を作っているタイプは別枠として)