くそ雑多なひとりごと
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我々はついつい耳に残るメロディや印象と主張の強い音楽を『よいBGM』と考えてしまいがちだが、真に優れたBGMとはもっと空気のようなものだったりするのではないか?みたいなことをたまに考える。

野球の『よい審判』とは『名前を知られていない審判』である、というような考え方があって、つまり名前が知られていない=変なジャッジなどがなく、名前を気にされることがない、という意味なんだけど

BGMにももしかしたらこういうところはあるんじゃないだろうか。という……仮説?まあいい仕事する人は名前を知られるべきというのもあるけど
アニメとかでたまに邪魔くさく感じる『感動的なシーンにやたら感動的な音楽を流す』みたいなのが、野球で言う名前を知ってる審判的な嫌さがあるんだよな。

ゲームや映像のシーンを邪魔せず、意識を主役に向かせ、それでいてしっかりと場面の雰囲気に沿ったBGMっていうのが実はものすごく優れたBGMで、そういうのって無意識だから『良い』『悪い』の感覚の外側にある……説……?

私ポケモンSVや十三機兵のBGMほとんど覚えてないんだけどゲーム体験としてはすごくよいものだったので、めっちゃこの空気寄りの『いいBGM』だったのかなあ?って思う。わかんないけど本当に覚えていないので


…というようなことを言ってはみたけど、結局わたしがサントラ買うのってメロディが特徴的で印象的なBGMばっかだし、結局BGMにも個性を主張された方がテンションは上がっちゃうのかもしれない。特にゲームだと、プレイのテンションと同期するようなところがあるので「あのBGMキターーーーーーーーーーー!!!!!!!!」ってなるのも一つの体験だし。(ゲームとしてはそれが一つの“報酬”の形でもある)
ただ上手くやらないと「うるせーーーっっっ」ってなってしまいかねないが

結局こう、音作る側と使う側(インディーだと同じ人だったりもするが)がうまいことやれるかどうかだよな…それはそう