くそ雑多なひとりごと
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「これはエッチに見えるのでよくないです」を喧伝して回ること、それを1ミリもエッチだと思わなかった人たちの認識を不可逆に汚染している、一種の暴力であるという自覚は持った方がいいと思う。

サイドン とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3...

サイドンの進化は、皮肉にも初代から凌ぎを削って来た両者の上下関係を完全に固定させる結果となってしまったのである。かくして、ドサイドンは「先生」と敬われ、ゴローニャは「ゴローニャ(´;ω;`)カワイソス」と哀れまれることとなり無邪気に喜ぶドサイドンの影で「裏切り」の恨みを岩へ刻むゴローニャという関係となってしまった。

ハブネークザングースのように種の設定自体がライバル関係とかでもなく、ガーディロコンのように同タイプソフト違いのような対比枠でもなく、別にポケモン当人同士はライバルと思ってなさそうなのに、『ポケモンを戦わせる』という競技をやっている人類から「ゴローニャとサイドンは不遇仲間の盟友でライバル、そしてゴローニャは裏切られて恨みを持っている」と勝手に認識されるの、人類のエゴ全開で興奮した。これ一種の字幕つき犬猫動画だろ(?)

“裏切り”を感じているのはポケモンではなく…それを使役している人類ーーーー
#pokemon

#TOYAmade
沙華は眉毛がないから表情をつけるのが難しいし、井正は眉毛があるから表情がつけやすいかと思いきや眉間が思いっきり前髪で隠れるのでやっぱり難しい。
マジで自分にしか通じないあるあるなんだよな。井正の眉間のシワをめっちゃ気合い入れて描いたけど前髪で隠れるやつ。

トヤチョこそこそ話:井正の表情見せたい時とそうでない時で前髪透けを発生させたりさせなかったりする小細工を弄している

#oreshika 徳甲一族は大好き山脈が発生してたけど、わたしはあれ全部奇跡の連発と思っておりますよ…(連発されるものは果たして奇跡なのか?)(1%のくじが10回連続で当たるみたいな意味での奇跡の連発というニュアンス)

でも普段発生しない奇跡のような何かが発生していた分、自分の作風かと言われるとそういうわけではない気がする、になっておもろい。ゲームプレイベースの創作はこういうことがある。

濁点のことけっこう好きだから改名してドヤ゛マ゛9゛6゛になろうかな やめとこ

フィクションの乳揺れの話題を続けて恐縮なのですが

常時100%ゴム毬のように揺れているおっぱい作画に対しておっぱい好き視聴者が本当にありがたみを感じているのか調査してみたデータ見てみたい。もし「いや、おっぱいは好きだけど常にバルバル揺れてる球体はそんなに…」って人が多ければ作画の負担も減るでしょうし(?)

でももし私に対して「常にマントや揺れものがバサバサしててもありがたみなくないですか?風もないのに揺れてるのはおかしくないですか?」って聞かれたら「いや、可能な限り常に揺れていてほしいが…物理法則を無視してほしいが…」ってなるので揺れてれば揺れてるだけ良い派閥も確かに存在してそう。 ???

いやでもそんな私でも明らかに場違いなマントバサバサは遠慮するよ!(?)だからおっぱいさんサイドも空気を読んで揺れる時と揺れない時を使い分けようよ!(???)

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「乳揺れ もめんたりー・リリィ」で検索したら「乳揺れのために見てる」って人と「乳揺れが無理すぎて切った」って人が半々くらいいて「ピンとキリを生み出していて、すごい。」ってなった
▲とじる

Xで140字をツリーでつなげていくタイプの長文、好きとか嫌いとかじゃなく「読めない」感覚がずっとある。なんていうんだ?脳がログアウトしていくような、そこにある文字の塊を文章と認識できないような、光学迷彩みたいな感じで認識を阻害されているような、そんな感じ

140字に達するまでは基本的に改行もしないし空行も入らない文章が、140字というリミットに達すると唐突に途切れ、「一旦CMです」と言わんばかりにIDとスクリーンネームとアイコンと日時が挟まり、また140字に達するまでノンストップ文章が展開する、それが延々繰り返される、というあの形式、幼い頃から人並みに培ってきたはずの「文章を読む」という機能を停止させてくる不条理さがある気がする。

でもSNSという地場がメインストリームになっているからなんとなく許容されていて、一歩引いてみると人々がこの不条理な形式を「文章」として受け入れていること……相当ヘン!ってなる。

どうしても読みたい時はコピペしてからIDとスクリーンネーム部分を削除して一塊の文章にし……………音声読み上げソフトに突っ込んでる。

toyaping<結局読んでないやんけ!

最強脳大全1章のアホの感想:脳はけっこうフレキシブルに変化対応するので半分ちょんぎってもなんやかんや機能を維持できるらしく、すげえ。
#reading

メッセージありがとうございます!おおむねそんな気持ちだと思います!
第四の壁破壊については原作自体がそういう仕組みであれば(個々の仕掛けに対して好みはあれど)別に良いんですけど、そういうのじゃないのはちょっとね~…て感じですね。私はフィクション厨ではあるけど、もっと突き詰めていくと原作原液過激派なのかも。

あとファンフィクでの混入はそんなに気にならない(自分もやるし)けど公式がやるのはあんまり…というのも原液の純度を下げてほしくない感覚ゆえなのかもな~(でも何を原液と捉えるかは人によるので難しい話だ。そういうフットワークの軽さも含めて原液だとする場合も作品によってはありそう。)


なんでもボタンもポチポチありがとうございます~

創作物が好きで見てた絵描きさんが動画視聴や聞きかじり知識でテイルズを語り始めて瞬間全てを遮断して見るのやめた、ということが2回くらいあるから本当にマウス・オブ・ワザワイって感じなんだけどそれと自分の有り様が噛み合ってなさすぎる。生来のおしゃべり野郎(※WEB文面上)で…

補足:今の時代実況で見るのまではまあ、あるよな(自分もタイトルによってはそういう時もある)と思うけどその知識でいっちょまえにキャラやストーリーについて語ったり批評したりできると思っちゃう感覚がわからないので無理だな、という感じ。

ニコニコで野球配信流してると配信終わりに絶対馬の定点カメラ枠に飛ばされるので、プロ野球のキャンプが始まったことで最近毎日のんびりする馬を見ている
ちょこちょこ犬カメラと猫カメラに切り替わることもある

「もしかしてこれがいいのででは!?」というアイデアが浮かぶと生活に張りが出る感じある

アローラナッシー とは【ピクシブ百科事典】
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9...

サムネに使われているイラストが『正方形に近い比率で全体像を捉えつつ各部を大きく映す』に成功していて感心していたら関連イラストにも天才のソリューションがあって面白すぎる。
#pokemon

自分と音楽の間には常に何らかのコンテンツが挟まってるので、楽曲への印象について「コンテンツ体験」の比重がめっちゃ高い。

それを主題歌にしてるアニメがあんま好きじゃなかったとか、OP映像の演出がダサかった、みたいな記憶があると曲単体が好きでもどうしても自動想起してしまうので、そういう時は損してるな~~~ってなる。その代わりコンテンツ体験自体も極上だと曲への好印象も何倍にもなるのでハイリスクハイリターンみたいな感じ。作品との相乗効果のある主題歌やサントラって…最高!

主にネット上の話題における『友達と知り合いの線引きはどこか』みたいなのって偶に見るけど、自分がこういう場所で話するときは『対象を友達と思ってるかどうか』じゃなくて『文脈的にどっちがしっくりくるか』で使い分けてる気がする。

例えば『遊びに行った』『通話した』みたいな話だったら『友人と』って書くけど、『◯◯がこんな考え方の話をしていたが~(について自分が思うことを書く)』だったら『知人が』でいいかな、みたいな。

ほぼネット上でしか繋がりがない、通話とかもしたことないけどSNS上ではそれなりに親しい雰囲気のある人、は友人か知り合いかと言われると「わかんない、どっちでもあるしどっちでもないかも」なんだけど、話題に出す時は便宜上、文脈的にしっくりくる呼び方を採用している気がする。別に明確に意識してるわけじゃないけど

あと、友達と知り合いってそれぞれ独立したものではなく『知り合いの中に友達というジャンルがある』みたいな認識だから『文章内における繋がり情報の解像度』を下げたい時はとりあえず『知り合い』でいいかなってなる。

私がここやブログで遊んだ相手の名前とかを特に出さないのは、この場の情報伝達においてそこの解像度を上げる必要はないかなと感じているからだし。
例えばだけど『ファンアートをもらいました』『線画交換をしました』みたいな話なら相手の解像度は上げた方が良いので名前や所在出すけど。うん。そうそう。知り合い→友人→特定個人名 とかの使い分けはマジでその場や文章における必要解像度差でしかないかも。

『贖う(あがなう)』とかいう言葉、意味合いから音の響きまで完璧すぎる日本語の一つだよな

ニセコイの人気投票で特定のキャラにありえない量の票を投じまくって名物読者になった人が公式からレスポンス貰ったとか、龍が如くにシリーズファンの実況者や活動者が出演するとか、そういうある種柔軟な動きってジャンル外から見てると面白いな~って思うけど、もし自分がジャンルの人間だったら正~~~~直…………めっちゃモヤモヤするんだろうなって想像してしまったりする、そういう塩梅の“現象”ってあるよね。気難しいオタクあるある(だと私が勝手に思ってること)

自分が入れ込んでるもの限定ではあるんだけど、基本的に私は実在外部人間の人格がフィクションに干渉するのをあまりよしとしないんだろうな。Vtuberとかも(キャラ化度が高いものを除けば)二次元の顔をした実在人間の人格なのでフィクション世界とコラボしてるのはウーンってなるし。入れ込んでるもの以外はまあまあどうでもいいんだけども。

日記って“生活”すぎるな。理想はもうちょっと“インターネット”であることなので難しい。

発表ドラゴンのぬいぐるみが届いた。かわいいね
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ちょっと内股で前のめりだったので足とかをグッグッってしてる。
持ち歩いて発表したさもあるけど、白すぎてすぐ汚れそうなので結局家から出ることはなさそう

正直かなり小さくてこれで4400円は高すぎる気もするけど、受注ならこんなもんか。もっと大量生産されたら安くなりそうではある。安いぬいぐるみが出た時に買う皆様には先行して礎になった我々のおかげで安く大量生産されたんだと感謝してほしいですね(何目線?)

#-sage
自分で自分の作品の欠点を自覚しながら、それでもとりあえず完成させようと舵を切っている時

この場合の「欠点」とは、整合性とかそういうのというより「見る側の負荷が高い・理解が難しいかもしれない内容になっている」みたいな方向性

こういう時はついつい「自分はこの作品の欠点について理解していますよ」というポーズを取りたくなるのだが、それはそんなに良い態度ではないと感じる。いらない謙遜に該当する行為というか、「つまらないものですが…」と出されたら茂爺だって叩き割ってくる。人に読ませるつもりなら胸を張ってお出しするべきだ。

だが、臆病な自尊心と尊大な羞恥心的には、読んだ人が脳内でツッコむより先に自分でツッコんでしまいたい、という感情が湧き上がってくることは否定できない。「こいつ、こんなややこしい話を自信満々で出してきたのか」と思われるより前に「俺だって自信があるわけじゃなか!」と叫んでおきたくなる。けったいな生き物〜

でもやっぱ総合的には先手自虐は褒められた態度ではないというか控えめに言ってクッソダサいのでないな。じゃあこの壁打ちはなんなんだよ。サゲ壁打ちは自分の中でアウト寄りのセーフだから…(??)


出す時は堂々と、欠点だと自分が思う物事については後語りでの反省点や次回に活かしたい点としてのみ言及する折衷スタイルが今は一番良いかなと思っている。

難しい難しい。創作は難しい。描いているうちにプロット時点での自分を引っ叩きたくなる感情がむくむくむくむくと湧いてくる。でもここまできたら描き切って次に行くしかないのだ。いや光るところはあるし早く語りたいところもあるし、描いてみたら楽しかったところもあるしちゃんと感情のコマを前に進めている手応えはあるのだけど、いかんせんプロット時点での自分の見通しよりもずっと複雑というかややこしいことになっている気がしてならず、ビビっている。

絶対に次節はもっとわかりやすくしたいし、うまいことやりたい。でもきっと次節の自分も変わらずこういうことに悩んでいるのだろうなとも思ってしまう。がんばれ、近い未来の自分。