くそ雑多なひとりごと
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ここ数週間これで困ってたんだけど最近解決記事出てた

windowsが原因かと思ってた……Google日本語入力、おまえ……

元々Google日本語入力使ってなかったんだけど、PC買い換えたタイミングで入力不具合があって(エンター押してないのに勝手に確定する)それでGoogle日本語入力入れたら解決したんだよね。それがまた別の不具合を出してたのか……
今Google日本語入力アンインストールしたら何故かIMEの不具合も解消されていたので、今まで通りIMEでええか……。パソコン、不可解なことが多い

いやでもなんかWEBでマンガ読む時長辺1000px未満のちいせえ画像だとアーーーッ!!!(ちっさ!!!読みにく!!!!)ってなるので画質下げてもサイズはそれなりにデカくしときたいんだよなあ。

てがろぐに画像をドンドコアップしてしまうので「気づいたら容量がヤバくなってた」のリスクを鑑みてかなり画質を下げてるんだけど、改めて見るとうわ画像汚っ!となる瞬間もある。


そういえば創作サイトに画像の遅延読み込み入れてないからマンガページ重くならないようにかなり画質下げまくってる。見るに耐える程度ではあると思っているが(その代わり画像サイズはやや大きめ)(それ意味ある?)(ないとおもう)(ていうか遅延読み込み入れればよくね?)(わからん、すべて雰囲気でやっている…)

実際イマドキの回線速度のこう、中央値的には画像容量どれくらいが適正なんだろう?この大ストリーミング時代にjpgのサイズなんか気にするなよと言われればそうなんだけど、もしかしたらすごい細いwifiで見る人もいるかもしれへんし……いやそれを気にするなら遅延読み込みをですね…うわーーっ!

私の創作はWEBに全てがある、が基本だけど、画質高めPDFを電子版的な感じで適当な値段つけてBOOTHに置くのもアリなのかな~とか思いつつ多分面倒くさいのでめちゃくちゃ踏ん張って腰を上げないとやんないだろうな……
でもWEBでは見れない画質の高いモノってなんかテンション上がるんだよな。ボイフレのログ本も表紙絵のキャラ単体をめちゃくちゃアップにした版ページを(私が欲しいというだけで)作ったし……私が読み手だったら欲しいっていうだけのものが果たして需要があるのかはさておき、電子なら置くだけタダだからまあ、気が向いたら……

Voicepeak、『老子 孔子 荘子』を『おいご くじ そうじ』って読み上げてもう何も当たってなくて草だった。
もうちょっと辞書を賢くしてくれませんかねー?(手動登録)

#-sage
AIあれこれを見ていると、ツール的価値と創造的価値の混同が割とあるなーとか思う

『創造的価値』なるものを神聖視して信仰してるのはオタクやクリエイターばっかりなので、客観的に見ると怖いんだよね。非合理的で目に見えないものをありがたがって、それを矛にテクノロジーを攻撃してくるやべー連中に見える。まあ私も俯瞰してみるとこえーと思うんだけど。
しかしながら、オタクやクリエイターが創造的価値という信仰を捨てた世界は多分非信仰層にとってもつまんねー世界になるだろうな、みたいなのはあるなー。

何気なく遊んでいるゲーム、なんとなく再生しているアニメや動画、暇つぶしに読み流している記事、駅で見かけたかっこいい広告、SNSで流れてくるゆるキャラ着ぐるみの癒やされる動き、そういうのって創造的価値を信仰している人間にしか作れないもので、意識せず日々浴びているものだから。作り手の創造的価値信仰を軽視して生まれるのは娯楽のないディストピアなので、こわいなーとおもう。一緒に信仰しなくてもいいから、その信仰によって預かっている恩恵は自覚するべき、かもしれない。

何も本気でのめりこめる作品だけじゃなく、なんとなく流し読みして楽しいだけみたいなスナック菓子コンテンツだって作り手による『そういう風に軽く楽しめるようにどういう工夫をすればいいか』が詰め込まれてるわけだし。

前のブログ壁打ちでも言ったけど、良いモノを作り上げるのはツールではなく創造的価値の信仰という名のこだわりだからなー。少しでも創作物やコンテンツに人生を彩ってもらったことのある人は、クリエイターの創作価値信仰を軽視してはいけないと思う。でも実際今そういうことは起きていて、広がりつつあり、こわいなーと思う。


…とはいえ、例えば100年前とかオタク排斥時代に比べるとまだ価値を感じられているとも言えるのか。わかんないな、難しい。価値が上がったからこそ、それを自動化するツールが開発され、それによって価値が軽視されるようになる……という因果なことが起きているのかも。

私は昔に比べるとオタクや創造性の価値が上がっている今が好きなので、それが暴落する世界はつまんなくて嫌だな~。だから生成AIを使うにしても創造性や意欲のある人々にポジティブに活かされる世界であってほしい~がそれは難しいことなのかねえ。


ツール的価値も創造的価値も、普段意識しない何気ない便利さや生活の彩りに欠かせないものなので、どっちも尊重される世界であるといいんだけどねえ(そしてそれを啓蒙する勇気もないクソカスは、こうやって壁打ちをするのである)

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今現在は幸いにして売れてる・ウケてる作品の99%は『面白い』と思えているのだけど、たまに「え!?なんでこんなナメた作りのものを世間はありがたがってるの!?騙されてない!?」ってなることがあって、創造的価値が軽視される世の中になるとこういう作品が増えるのかも……とかちょっと思う。いやまあ物事を面白いと思えなくなる原因ナンバーワンは自分がつまんなくなったからなんだけど基本的には。

ポケモンDLCが消化不良すぎたので今めちゃくちゃ何らかの大作RPGがやりたい気分なんだけど原稿をしてくださいね。寝る前のアドベンチャーゲームはやってもいいですから

コントローラー置きを買った。これでよくわからないところに放置されるコントローラーはいなくなるはず
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ただ充電がだいぶ無理やりになった。
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手拭いかけもうちょっと下に下がってくれ~~🙃
粘着テープ固定のやつって剥がす勇気でないよね……大抵ロクなことにならないから……


追記:やっぱ充電に無理がありすぎてコントローラーがおっこちたので手拭いの下に移動させた

何かに便乗して発信するのはダサいのでやりたくないという気持ちがある一方で、そういう余計な自意識を押しのけて発信できるヤツが“イチバン” “生命力”という認識もある。

井正の喋り、なんか母音が一個多いがちだなって思うんだけど
(「そうだろ→そうだろう」「言われてる→言われている」など)
セリフ打ってるとこいつ文字数多いな。てなる。ら抜きもしないんだろうな。口調は別に丁寧じゃないし極端に堅いわけでもないんだけどなんか型で喋ってる感。口語的な言い回しをあんましないよな

「明日」は「あす」って言うでしょ彼。なんかアシタって口語っぽい印象ある。ミョウニチは流石に言わない(文脈によっては言う)

最初にキャラ設定したときに具体的に口調も決めたわけじゃなく、マンガで描いてみたらなんかそう喋ってた、みたいなのちょっと良い。
#TOYAmade

きぐるみマスコットのボケ可愛さ的な愛嬌って、「可愛いと思ってもらうために意図的に作られた挙動」なので安心して可愛い~と消費できるところはあるな。(中の人の健康を害さない範囲で)

そういえば、プロ野球のマスコットとかだと(おそらく中の人の体調不良で)お休みになることがあるけど、ああいうのを見ると『そのマスコットキャラを演る』専属の技能を中の人も積んでるんだなあ。という気持ちになる。代わりを入れればいいってものじゃないんだっていう。

デリコズナーサリーのパパたちが赤ちゃんになってるガチャガチャ見て「お前らが赤ちゃんになるんかい!」ってなったけど100周くらいしたら何らかの文脈が発生したりするのだろうか

「みんな知ってる」「でも新しい」を作りたい場合は既存概念の組み合わせでまだ無いものを探す、てのがやっぱ強いんだろうな。そして引っ張りだこになるヤクザ属性

自分でキャラを作る時、『おおよそ他と被らない造形であること』をかなり重視してしまうタイプなんだけど(だからラノベ主人公やキャラメイクゲーの初期デザインみたいな髪型のキャラデザができない)
果たしてこれが魅力に繋がっているかというとそれはわからないのだよな。この場合の魅力というのは自分以外に好かれうるモノかどうか、という意味で使っています。

他と被る・似た印象になる、“知っている造形である”というのは見る側に親しみを与えるという側面があるようには思う。なんかそういう心理的な理論なかったっけ?人は自分が“知っている”ものが好き、みたいなの。なんだっけ?
知っている、ある程度想像できるから入りやすい、みたいなことだろうか?なんかそういうのってフィクションのキャラクターにもあるんじゃないかと思う。それは共感であったり、好き属性だったり色々だけど。

「●●ってキャラに似てますね」で創作者は傷つく、というあるあるがあるけど、それだって伝え方が下手なだけで悪いことではないと思うんだよな~。その真意は「自分の中にフックがあったので理解しやすかった」かもしれないし。いやこれは深読みしすぎか。言われたことも言ったこともないからわかんないや


とか考えつつ、でもやっぱ俺……少年マンガ誌のマンガ制作コラムで口酸っぱくして書かれがちな「キャラはシルエットでわかるようにしよう😁」を一生真に受けてるから差別化にステ振りしすぎたキャラデザやめらんねえわ……
まあ、でも広く捉えるなら人間や既知生物の形してるだけで“知っている造形”だから大丈夫っしょ!メガネもつけるぞ!メガネはみんな知ってる!!よかった~

「次にお前は『個人サイトに戻ろう』と言う」
「個人サイトに戻ろう…はッ!?」

近所の彼岸花が枯れ始めているのに私は未だに冷房をつけていて、こ、この季節は一体……?
(PCの熱+部屋の構造的に日射熱が溜まりやすいため普通に日中30度)

前に小学生時代のプロフ帳的なやつを発掘した時、好きな色欄に『緑と紫』って書いてあって昔の自分地球の裏側かい!となった。

#-sage
アニメを見ててのぼやき

受動10割みたいな主人公を見てると『受動10割でも巻き込まれだけで主人公になれるやなんて良い立場どすなあ~~~!』っていう心のオタク架空京都人が顔を出すので、せめて1割くらいは能動性を持っていてほしい。
…と思うのは私のエゴなのだろうか。例えば主人公と自分を重ねるタイプの人とかは受動10割主人公を見るとどう感じるのだろう?受動10割の主人公を見て自分と重ねる人がいたとしたら、その主人公に能動性が芽生えるのは裏切りになるのだろうか。

いやでも今見てるアニメ、マジで2話時点で受動10割な上、気の良いやつらにどれだけ優しくされても心のなかで「はぁ~~~??」みたいな態度取ってて正直クッソ好感度低いんだけどどうなんですかね。もちろんそういう精神性になったルーツは設定されているのだけど、正直そこまでするならもっともっと最悪な境遇であってほしいと思っちゃったりする(ダメ人間生活積み重ねて余命宣告されてる状況ではあるが、大学の学費は親が出してる程度の境遇なので)

受動10割は極端だよなあ。巻き込まれで、いやいやでも、少しだけ能動的になる瞬間があっても……ええんちゃうか?と思ってしまうが。どうやら私は救われたいなら1割でいいから能動的になれ、と思ってしまうらしい。

髪の毛のインナーカラー入りキャラデザ、色数が増えて楽しいので好きなんだけど、“時代の流行り”感が割と強いので10年後20年後には今で言うインテークみたいに『昔風デザインのアイコン』になるんじゃないかという恐れもある
でも今もインテーク別に滅びてはないしな………ウマにもVにもいるし……なんとでもなるか……

インテーク&インナーカラーキャラを創作の主人公にしているの冷静に考えるとウケちゃうな。

世界にひとつのじゃがりこをつくろう!
https://www.calbee.co.jp/jagarico-maker

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好きなゲーム配信者のファンボックスに支援したら、趣味の車中泊旅行で撮ってきた辺境の道路構造物(橋とかトンネル)の写真が大量に掲載されており、普通に資料に使えそう……になってる。←どういうこと?

どういうことって……車中泊旅行が趣味で毎日ゲーム配信をしている(旅行中でも車中配信できる)配信者というだけだが……←どういうこと?

実際問題、絵やマンガのために道路構造物や建物の資料探すとき普通に検索するとキレイで有名な画像ばっかり引っかかるし、書籍も割とそんな調子じゃないですか。そういうのって素朴な背景にしたい時は微妙だったりするので、誰も知らない道を死ぬほど撮影してくる趣味人を押さえているというのはアドなのかもしれない。まあまだ一回も活かせてないけど。