くそ雑多なひとりごと
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モヤモヤ・つぶやきします。

ラジオ聴いてた時に流れたCMで

・おじさんっぽい声の人が「情報を鵜呑みにしないようにしましょう」みたいなことを言う
・その後出てきた別の声が「さっきの声は人間の声じゃないです」みたいなことを言う

っていう構成のやつがあったんだけど、なんか絶妙に的外してないか!?ってモヤモヤしてしまった。

CM作った側の狙いとしては、「そんなんわざわざ言われなくても情報の真偽気をつけているよ、というつもりの人に対して、でもあなたこの声が人間だと思いましたよね?本当だと思いましたよね?そういうことです」みたいなことをやりたいんだろうけど、声が生声か機械声かってこの場合関係なくないですか???大事なのは情報の中身じゃないの!?人間の声で言ってようがウソの場合ウソなんだが!?!?!?

AIフェイク写真みたいなのを気をつけよう、みたいなことを言いたいのかもしれないけど、知らん機械音声と知らん肉声はそれの互換にはならないだろ。やるとしたら「(芸能人)のXXです。ナントカカントカ…」って喋らせたあとに「今のは機械音声です。本人の発信じゃないです。」だったら互換としてわかる。でもこれを許可してくれる著名人はあんまいなそう。

これ系の倫理機構的なCMってなんかうまいことやって受け手側の盲点みたいなところを突いてやろうみたいなの多いけど大体なんか微妙にそうじゃなくないか??ってなってしまう。まあこうやって流さずに覚えられてる時点で多少的を外してても意識CMとしては成功なのかもしれないけど。「スルーせずに意識させた時点で勝ち」系ってなんかズルだよな。

メッセージありがとうございます!
>サイトトップの文字が読みづらい
背景変更した影響ですね…そのうち改装するつもりだしまーいっか!!にしちゃってました。
一応応急処置として座布団敷いてロゴ色変えておきました~ご指摘サンキューです✌

#TOYAmade 井正あいつ好感度稼ぐ気ないな、と考えながら『多数派共感的好感度稼ぐ気ないキャラへの好感度』が自分の中で高まっているな…と感じる瞬間がたまにあり、ややこしい感情ですね!と思う。この気持ちは自創作に限らず、作中的にもメタ的にも相当に自分軸で生きてるな…となるキャラ全般に抱きがちだ。存在がネタバレになる系のラスボス女とか8割くらいはこれにあたるし。

#TOYAmade
>>11117 に関連する沙華考
沙華が動物愛を持っているか・持ちうる可能性があるか?というのはけっこう微妙にまだ答えの出ない項目であったりする。
沙華の中には犬猫(馬とかも)を愛したヒトの記憶も、それらを粗雑に扱ったヒトの記憶も存在する。もちろん無関心なヒトの記憶も。

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『感情はインストールされていない(されていたら矛盾しまくる感情をさばききれず狂うため)』というのが沙華の記憶の設定なので、動物に対する様々な記憶はあっても『沙華自身の』それらへの感情はまだハッキリ存在しない、という感じなのかなと思っている。
なので、経験次第では普通に動物好き!ラヴ!ってなる可能性も普通にある。井正と違って

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↑ちなみにこのシーンは、沙華が猫ちゃん好き~♥って可愛がっている描写ではなく、『身体記憶によって手懐ける技術がある』という描写だったりする。あとがきとかでも特に触れてなかったかもだけどこれは後付とかではなく描いてる時明確に意識してやってたはず。

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井正に関しては動物が化妖の存在安定に及ぼす影響について考察したことはある雰囲気がめっちゃあるので、過去に実験的に触れ合ってみた経験はありそう。しばらく犬か猫と触れ合ってみた結果、全然感情が動かないし存在補強になんなくて「これは自分には効かない薬だ」と判断した経験はありそう。うーん、井正だな。あいつ稼ぐ気ないな、好感度。
▲とじる

気付かずにめっちゃ普通のつぶやきしちゃったけど、 >>11111 キリ番つぶやきです。おめでとう!(?)

人間とともに生きるようになっている動物たち、犬猫などを虐めたりしてはいけない、命を預かるなら大切にしないといけない、無責任なことをしてはいけない、というのは人道的には当然のことという前提ではあるのだけど、それはそうと昨今のフィクションにおいては『犬猫愛感情に阿ること』が商業的に有利なのでそうしている、というような領域まできている…と感じることはある。なんというか、作り手の目線が『犬や猫』というよりは『それに対してセンシティブな人間』の方に向いてないか?みたいな…?うまくいえないけど。そこを利用して共感値・好感度を稼ぐ方が美味しいからそうしている、キャラの好感度調整に丁度いいアイテム・それが犬猫であるとドライに考える作り手は(絶対に明言しないだろうが)絶対に一定数いるんだろうな~と思う。

自分の創作でいうとドラ蔵は犬猫をちゃんと大事にしてくれるし、危機的状況なら身を挺してかばうくらいはやれるから、共感的道徳に適合したキャラだな~と思える。これは別に媚びてそうしたのではなく、ドラ蔵はそういうヤツだろうなという感じでそうなっている。
逆に井正や沙華って場合によっては全然犬猫を大事にしてくれなそうなので(暴力などは振るわないが、場合によっては優先度が下がるくらいは全然ある)、まずその状況を作らないようにしないとマズい!バレる!こいつらのこういう面ちゃんと隠せ!って思う(それ言ったらダメなのでは?)(……)

商業的共感的好感度に阿った世界線の井正は、「猫?興味ないが?」という顔をしつつ誰も見ていない時は猫にちょっかいを出したり、真顔でエサやおもちゃを買ってきて「お、おまえ~w」ってなる可愛げを見せる可能性があるけど、本物の井正は井正であるので、作中で言及したような存在の作用面以外は本気であんまり興味がないと思う。なんの仮定の想像?
 #TOYAmade


個人的にはいくら犬猫愛玩感情に阿ることが商業的好感度的に優位であるとはいえ、誰も彼もが犬猫LOVEであることが大前提で、犬猫に触れあえば好きになるのは必定で当然で世界の常識ですみたいなのはニャイト・オブ・ザ・リビングキャットくらいにしてほしい、というような気持ちは少しばかりある(ニャイト・オブ・ザ・リビングキャットはそういう作品なのでよい)。その価値観の違いこそがキャラクターであると思うので。

基本的に何かに対し斜に構えたり否定的に見ている人々って、強烈な「絶対に否定的に見てやるぞ」フィルターがあって、最早何をしてもその「否定的に見てやるという大前提」に弾かれるものだと思っている。…ので、フィクションでよくある、否定的だった群衆が実際の作品やパフォーマンスを見たり触れたりして「ハッ………こんなに素晴らしかったのか……!」ってなって心を入れ替えるっていうことは現実にはほとんどないと思っているのだけど

6月、横浜DeNAベイスターズの試合後にアイドルが出てきてライブをするという催しがあった。ニコ生のコメント欄の皆さんは基本的に若いアイドルなるものに若干斜に構えた姿勢であるので、まあちょっとバカにしたようなコメントとか、偏見とか、女の顔を寸評するようなコメントとか、そういうのが目立っていた。まあ、ニコ生だなーって感じ。

ただ、2日目に登場したアイドルグループのパフォーマンスが普通にめちゃくちゃすごくて圧巻で、何曲めかにはもうコメントが普通に盛り上がってる感じになってて「フィクションでよく見るやつじゃん!!実在したんだ!!!」ってなったんだよな。実在するんだ、アウェー環境で最初微妙だった観衆が本物のパフォーマンスを前にしてウオオオってなるやつ。(でも本当にガチの否定スタートでそうなることはあまりないと思う)

キャラメイクにおける感情キーワードが最近形骸化してきてるのでもう削除してもいいかもという気持ちに最近なってる ステータスと色ガチャだけでいいかもしれへん
#TOYAmade

#TOYAmade 沙華のキャラメイク時のランダム引きで出たのが「秋分」だったからヒガンバナモチーフだし作中開始季節が秋なんだけど、そうさくマーケットの開催日が丁度秋分(なので本の発行日も秋分)ということに今気付いて「すげ!!」ってなってる。

プロフに作業環境について書いてないって言ったけどポジションのとこに一応書いてあったわ

この間ハっとしたんだけど、私サイトのプロフィールにどうでもいい情報書きまくってるのに作業環境のことは全く書いてなかった 板タブです ちいせえおもちゃみたいな板タブでマンガもイラストも全部やってる人は…いまぁす!(主張)

春に出たワコムの高級ちいせえ板タブずっと欲しいと思ってるんだけどいかんせん高い割に緊急性がないので後回しになってしまっている。

「フィールド魔法発動!“花言葉”!!これよりこのフィールドは“花言葉”の効力を持つ!」
「何ィ!?」

「桔梗の花言葉は…“永遠の愛!”彼女はお前に桔梗の花を渡すことで、永遠に消えることのない愛を示していたッッッ!!」
「ぐわァッ!!!くそッ……こんな……ッ フィールド効果さえなければ何の意味もない花にそれっぽいエモワードをこじつけて彼女の感情を分かった風に説明するなど……」

「諦めろ!!このフィールドはすでに“花言葉”に支配されているッッ!!花が登場すればすなわち、花言葉による“メッセージ”が自動発動するんだッ!!!“考察”しろッッッ!!!存分に“考察”しろッッッッ!!!!くらえええええ!!!!」
「ああああああ!!!!!!!どこの誰とも知らないヤツが勝手に決めたエモワード如きでえええええ!!!!ちくしょおおおおお!!!!!」

主人公の男と誰が付き合うかで一生揉めてる恋愛アニメ見てると、マケイン(アニメの先の原作の話)が何故読みやすいのか理解できてしまう。ああ
ヒロインがフラれた女たちだから『お付き合いしよう』方面にがっついてくる人いないんだよな。じんわりとモラトリアムな日常を過ごしているから……ヒロイン同士で揉めないし……まあ、それがフィクション的な優しくぬるい幻想に浸かっているんだと言われるとその通りなんだけど。

恋愛のモラトリアムをやっているんだよな……負けヒロインが多すぎる!ってサ…………

どうしよう話が進んでヒロインらが本格的に温水と付き合いたくなって揉め始めたら い、いやだーっ!
#makeine

#tales 夏に次のリマスター発表するって言ってたテイルズスタジオさん、レジェンディアイベントでもソフトメーカーニンダイでも発表されなくて一体いつ発表するつもりなんだろうか。
ていうかレジェイベで発表されないってことはやっぱレジェリマスターじゃないんだろうな。ほなアビスか。
当時はレジェンディアの発売前後にアビスが発表されてた記憶があるのでそれに合わせて8月末くらいにアビスリマスター発表、12月に発売…ですかね(水の民暴動ルート)
いや、アビスはいいゲームなんですけどね

少年マンガなどではある程度お決まりになっている『バトルが佳境になったあたりで誰かしらの過去回想が始まるやつ』、映像媒体で見るとなんか安っぽく見える問題(?)というのが私の中であって

これが何故か考えると、やっぱり話数区切りのタイミングなんじゃないかなと思うんだよな。マンガの場合回想を始めるタイミングってその話の冒頭部分、もしくは最終ページで助走つけてから次の回でやる、みたいなことが多い気がする。だから一拍置けていい感じに回想にダイブできる感覚があるんだけど(私は)

アニメの場合、回想前後で話数を区切ることが難しい(できなくはないけど構成かなり難しそう)ので、1話中にバトル→回想と間髪入れずに入ることになり、その結果なんかチープに感じてしまうんだよな。あくまで私はそう感じるってだけなので一般的にどうかは知らないけど

言うなればあるあるをネタにしてるようなギャグマンガとかで、急に回想しはじめたキャラに対して「うわなんか語りはじめたよこいつ!」ってツッコミが入るみたいな、ああいうノリを真剣にやってしまっているのがアニメ化時の回想の入り方な気がしている。「うわなんか語り始めたぞこいつ」って思ってしまうもん私 やっぱり間が必要なんじゃないだろうか。
回想の入りを話の入り・もしくはBパートの入り・もしくはCパートに持っていければマンガに近い質感で回想シーンを見れる気はするんだけども。ただ尺とか色々あって難しそうではあるんだよなーやっぱり。

今の異世界勇者ものフォーマットのベースはドラクエだけど、魔法とかそういうののネーミングはFF寄りなんだよな。白魔法黒魔法概念も。より一般名詞っぽいものが共通認識フォーマットとして組み合わされてる感。
今見てるファンタジーラノベアニメ、主人公と強敵が戦い始めた瞬間同時に「「ヘイスト!!」」って叫んで加速して相見えててなんかじわじわくる

テイルズがドラクエFFくらいRPGの祖だったら(?)今頃勇者ラノベの登場人物たちは常識のように『秘奥義』っていう概念を持ち出しまくってたのかもしれない。

エアーイ疑惑の作品に対する人々のツッコミ(こここんな描き方するなんておかしいだろ的な)って、6割くらいはそうだね変だねって思うんだけど4割くらいは「いやすまん、それは手描きでもやることあるんや、すまん」ってなる。でもその境目が一体何なのかはうまく言語化できないのだよな。

背景の構造破綻・線がどこかで切れたりずれたりしている→これはすまん、ぼんやりしてると全然ある(しおしお…)
こんなところから描き始めるなんておかしい→世界には意味わからんところから描き始める絵描きってけっこういる 特に顔の中から描く人っていうのは割といる

くっついている2本の指の真ん中に爪がある→それは流石に誰もやらない
目を片方だけ塗って他の部分描き込んでしばらくしてからもう片方の目を塗る→絶対に誰もやらないとは言えないけど人間の心理としてはあんまりやらないと思う
みたいな…


これは前から思ってるんだけど、機械生成=破綻、手描き=整合という基準で極端に判断していくと『人間は完璧のはずなのにこれは破綻してるから機械だ』っていう一見すると謎の論理になるのがちょっと面白いよね。直観的には逆では?みたいな

人間は全然完璧じゃないわけだけど、人間のやらかす破綻と機械のやらかす破綻は何が違うんだろうな。やっぱり感情や感覚、生きてて常識として刷り込まれているような部分のズレとか、生身で感じてる部分が出ているかどうかなのだろうか(爪が2本の指の間に生えている、というのは生身で生活している人類ならどう間違ってもまず描かない、みたいな)

とはいえ、人間の肉体や感覚や常識だって千差万別なわけで、当たり前だと思われることを外してる絵描きもたくさんいるわけなので、考えれば考えるほど深淵を感じずにはいられない議題だなあと思う。感覚の話しすぎてマジで線引きが難しい。人間ってナンだ?(NHK)


あと、普通の手描き絵はタイムラインで数秒で流れていくのに対し、疑惑絵は大勢が破綻部を見つけるために目を皿にして細部まで舐め回すように見ているんだろうなあと思うとなんだか皮肉ねえ〜ってなる(私は数秒で流れること自体には特に抵抗ないけど)

青空文庫でエッセイや随筆を漁れるということに今更気付いた
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この辺とか普通に現代の気難しい作家の個人ブログやnoteと変わらんな(いい意味で)って感じで全然100年前の人の文章って感じしなくて面白かった。
私が死ねば、私は終る。私の芸術が残ったって、そんなことは、私は知らぬ。第一、気持が悪いよ。私が死んでも、私の名前が残ったり、伝記を書かれて、こき下されたり、ほめられたり、でも、マア、私のために、もし何人かゞ、原稿料の種になって女房を養ったり、酒をのんだりするのだとすると、あゝ、その何割かを生きている私がせしめてやれぬのが残念。私は私の芸術が残るだの、死後に読まれるだのと、そんな期待は持っていない。
私は私の書きすてた小説、つまり、過去の小説は、もう、どうでも、よかった。書いてしまえば、もう、用はない。私はそれも突き放す。勝手に世の中へでゝ、勝手にモミクチャになるがいゝや。俺はもう知らないのだから、と。
こんなん現代の気難しい作家も同じようなことめちゃくちゃ言ってそうでいい。凡庸と言いたいわけじゃなくて、頭の中で思考をこねこねこねこねしている作家のこういうとこって普遍なんだって感じが知れて面白い。

『第一、気持が悪いよ。』←ここ特にすき


作品読んでないくせに日記やnoteばっかり読んでしまう悪癖があるんだけど、歴史的な文豪に対してもそれをやりはじめてしまってるのヤバいか?まあ何を読むかは自由なので…
#memo

#makeine 八奈見と食べ物ガチャを一緒に飾るコツがわかった
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いいかんじだ。ただ百均で買ったキーホルダーケース、高さがちょっと足りないな。
この調子でちょっとずつ食い物増やして八奈見と食い物まみれのケース作りたい。今まで食べ物系のガチャって全く興味なかったんだけど今一番興味あるかも

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これはオススメ・ガチャガチャ情報です

PSVita、プレイするソフトの世代によってスクショ形式の違う不思議なハード

PSアーカイブのゲーム…PSボタン長押し→設定開く→スクショを選ぶの3ステップでめちゃくちゃ時間がかかるのでたくさんスクショはできない

PSPのゲーム…ワンタッチでスクショできて音も鳴らない画面も光らないので非常に快適だけど多分スクショ撮れるソフトと撮れないソフトがある。俺屍しか知らないので俺屍が特殊なのかもしれない。俺屍はスクショで©もつく。最強すぎる。

Vitaのゲーム…ワンタッチでスクショできるけどカシャって音鳴るし画面一瞬光るしで若干プレイ体験を阻害してしまう。


やっぱり俺屍のスクショの撮りやすさ異常だよ。正直あのスクショの撮りやすさじゃなかったらプレイ記書けてないまである(PS版できてないのはスクショに時間かかりすぎるためなので…)(スクショ魔)