雑記/エモーショナルと推しとカメレオン

自分の視界内にある世界とのズレに対して擦り合せを試みがち(主観の壁打ち)
オタク思想の話です

これ一ヶ月くらい自分の中で捏ね回してた思考なんだけど、流石にもうええやろと思うので月末に置いていこう あばよ100回近く編集した記事くん

強エモーショナルでもいいが、強エモーショナルでなくてもよい

オタク私のここ5年くらいの傾向は『割と男と男の組み合わせ(男じゃない場合も全然あるけど)にどっぷりいく』というのが多いんだけど、所謂『カップリングor恋愛or性愛じゃないけどこの関係最高』論で言われるような言説にあまりしっくりこないな…と思うことが多くて~~そのことについてもにゃもにゃ考えてた

例えばその手の代表ラベルである『ブロマンス』という言葉にしっくりこないの、最初は『なんかロマンスとかついてるし小洒落た感じするから自分の好きなものに合ってないのかも』って思ってたんだけど、もうちょっと厳密に考えると『精神的な強い繋がり・魂の結びつき』というニュアンスの方に(自分のツボとの)差異を感じるのかも。

ブロマンス映画という不確かなジャンルについて【定義と作品紹介】|ヴィクトリー下村
私の好きな映画に『ブロマンス』というジャンルがある。 今回、ブロマンス映画についてまとめようとしたところ、この言葉が思っていた以上に色んな用途で用いられてる事を知った。 そこでこの記事では、ブロマンスの歴史から定義、どんな映画があるかについてまとめてみた。 1. ブロマンスの定義について (1) ブロマンスの歴...

筆者個人の意見としては、日本におけるブロマンスという言葉は、男性同士のエモーショナルな関係全般を指す意味で使われてると定義したい。

↑参考 この定義スッゲー分かりやすい
(それはそうとして、ヘキ関係なくここに挙げられてる映画面白そう)

 

(ブロマンスという言葉が使われていない場合でも)カップリング・恋愛・性愛じゃない『強い関係』の話って『精神的な繋がり』すなわち『大きな感情』とセットで語られることが多い印象があって、それがなんかこう……すごい違和感があって…最強の関係性と巨大感情、絶対セット項目にしなきゃいけないのか…?みたいな疑問があり……なんか、そういうところが私のヘキポイントとはちょっとズレてるのかもしれない……?

エモーショナル自体というよりは構造や仕組みの面白さみたいな部分に強く燃えているな・・・と思うことが多くて、だからそこに正負様々な強い感情とかはなくても、一生を共にするような絆がなくても、魂が結びついてなくても、ニコイチじゃなくても、友達の友達くらいの距離感でも、道が分かれた先で二度と相まみえることがなくても、時間とともに忘れていく程度だとしても、ただそこに『ハチャメチャに燃える最強の面白構造』みたいなものがあればクゥ~~~~~ッ!!!!最高!!!!!!!!ってなるんだな!?

パズルみたいにパチっと形がハマる面白さというか、人間同士に発生する需要と供給が成立した瞬間みたいなものが好きで、そこに存在する強いエモーショナルの有無はパーツの一つに過ぎないんだ。あってもなくても良い

例えば徳甲一族で『濃厚な感情は無いしニコイチ要素皆無だけど爆裂に燃える組み合わせ』の代表はやっぱ緋ノ丸+まつり姉さん…ですかね…(あと語りの長文を思い出しながら)あと燕九朗と大将の関節パイプ的な関係とかもメチャクチャ好きなんだよな~。

 

もちろん濃厚な感情なんていらねえ!!!不要だー!って話じゃなくて、(というか徳甲一族は割合的に『感情!!!!!』みたいな人たちめちゃくちゃ多かったし、そんな人達皆大好きだし)ただ、それが絶対的な要素というわけではなく、色んな関係構造の一つとして『感情や精神的な強い繋がり』という要素がある・だけどそれが絶対的なものではない…という感じなのかなあ。我々はキャラ同士の強エモーショナルで組まれたデッキでデュエルしてるわけじゃないのだ

感情が凄いから良いんじゃなくて、その感情が構造の中で面白くて活き活きしてるからこそ燃えるのかもしれない。色んな要素があって、色んな人との繋がりがあるのがたまらない

だから今は『絶対的な二人の組み合わせ』に全然執着無いんだろうな。因みに以前は好きな組み合わせ以外嫌で絶対的ニコイチで雛人形の最上段みたいな存在であってほしいオタクだったし、それより更に前は一番好きなキャラ世界中に愛されてろ的な思考だった 極端かお前は

 

…いやまあ、『面白い関係だ!!!』って思えてる時点でエモーショナルが発生していると考えると最早全てがエモーショナルじゃんみたいな話になっちゃって頭パーンってなるんだけど。今回の話はあくまで『受け手側ではなくそのキャラ本人同士に濃厚なエモーショナルがあるか』ということで進めてます

 


 

ネタバレない程度のグノーシアの話します

グノーシアが私にぶっ刺さったの、こういうヘキに優しい作りになってるからかもしれないな~~と思うことある。

グノーシアってゲーム、システム上(100ループ以上の様々なパターンの世界で)14人全員がお互いを疑い合ったり信じたり頼ったりする必要があるので、設定として『特定の誰かを絶対優先するような感情や関係を持ってるキャラ(逆に特定の相手を確実に攻撃するキャラ)』って存在しえないんだよね。

好感度高い相手を優先する、とか女を優先する、みたいな設定はあるけど、『どんなループでも絶対変わらない特定の相手』っていうのは無いし

恋心抱くパターンもあるけど、なんかこう『ループごとにちょっとずつ関係性違うから、そういう時もあるしそうじゃない時もある(惚れ“がち”という文言)』っていうのがまた良い塩梅だよな・・・

だから昔馴染みのキャラ同士でも普通に疑うし、普通に冷凍に追い込むし、普通に消滅させる…っていう。でもベースになるキャラ同士の関係はかなり色々あって、それがこのシステム的に成立するような関係性として作り上げられてる。その結果『めっちゃ因果関係強いけど作中の情はうっっっっすい』みたいなクッソ面白い関係が生まれたりするんですよ。ほんと良い 最高

 

…こういうことを書くと『グノーシアは登場人物みんな薄情なゲーム』だと思われかねないので補足するけど、強くて大きい感情もいっぱいあります。というか物語のクライマックスはしっかりめちゃくちゃエモーショナルをやってるし、私もメチャメチャグっときたし、グノーシアの描く『感情』はめちゃくちゃ秀逸なんすよ 本当だよ これは本当 真実です プレイした人全員同意してくれると思う

それはそうとして『濃厚エモーショナルにはあんまポイント振ってないけど、この関係、因果でおもしれ~~~~~~~!!!!!』みたいなのもいっぱいあってウオ~~~~!!!ってなるところが本当~~~~~~に私好みでサイコーだったな…プレイヤーって存在に対するキャラたちの温度感も丁度良くて好き サイコーだった……グノーシアに出会えた世界に感謝

 


 

なんか定義確認しようと思ってブロマンスについて書かれてるもの読んでたらちょっとブロマンスに対する解像度も上がった気がする。精神的な繋がり・魂の結びつきね なるほど なるほどな・・・
これもまあ個人の定義差あるし、自分はこれに当てはまらないと思うけど人によっては当てはまる、みたいなケースいっぱいありそう。うまいこと付き合っていこうや

恋愛も巨大感情もどれもこれも嫌いな要素ってわけじゃなくて、でもなんか他要素に比べて圧倒的に場を支配する強カードみたいになってる(故にそうじゃ無いものもそういう風に変換されがちだったりする)のが変だなって感じるだけなので色々フラットに並列で受け取りたいオタクなんだと思う。

…いや、この二つが人間の共感アンテナにビンビンくる二大巨頭なのは理解できるから世界!変われ!とは思わないんだけど。人間の平均的なアンテナのことを考えたら確かに反則級のワイルドカードではある それは本当にそう 自分に合わないだけで

 

強エモーショナルであってもいいし、なくてもいいし、色んな要素の一つとしてエモーショナルを楽しみつつアツい構造にハチャメチャに燃えたい(恋愛や性愛要素もその一要素に過ぎない)おもしれ~ヤツらがとにかく大好き 自分の好きなもの、無理して有り物の言葉に押し込めず大切にしたいっすね…

 

 

推し

推し、本当にいないな・・・と定期的に思う話

リアル・フィクション問わず、好きなものについて『あなたの推しは?』って形で尋ねるのがもうめちゃくちゃ定着したよなあ。ファン性別の比重とかによる違いはありそうだけど
推し、マジでいないんだよな・・・・・・・・・・・・・・・・

言葉を厳密に捉えようとしがちなので私が思う『推し』はその字の通り『好意を持っていることに加えて、他者に推薦したい存在』だと認識してるんだけど、定義解説記事をちょっと漁ってみても大体広義かつ個人の解釈次第な言葉って印象否めないな

 

以下の引用は一例であり、必ずしも正しい定義とは限らないものだけど

そもそも「推し」とは?幅広いジャンルに存在する「推し」の概念について考えてみた | OshiKra-推しと暮らしとそれから私- | フェリシモ
文具好き、マンガ好き、資格取得マニアというコレクター気質満載のフリーライター、みのうかなこです。日々、こっそり推し…OshiKra(オシクラ)は株式会社フェリシモが運営する「みんなの好き=沼」を集めたWEBメディアです。推しと暮らしにはさまれて、夢中になっている人たちの「沼」をたくさん集めました。OshiKraは、あな...

「推し」という表現を「好き」に置き換えてみると、なんだか違う気がするのは私だけでしょうか。確かに「好き」であることには間違いありません。でも、もっとそれ以上の、尊さとか美しさとか、高揚感とか……「好き」では言い表せない熱い想いがそこにある気がするのです。

激推しへのほとばしる愛を訴える一方で、二推しや推しのコンビに対して母親のような気持ちになることもよくあります。わが子の成長を願うような気持ちが湧いてくる彼らも、私にとっては「推し」です。同じ「推し」の表現だけれど、そこには相いれない違いがあります。この違いを同好の士は理解してくれるのではないでしょうか。

うーん…使われている意味が広い なぜ高揚感や尊さや美しさと『好き』が別物で、『推し』ならしっくりくるのだろう

何故か『好きというワード』を下げて『推しというワード』を上げるような解説記事も多いのだけど(これすげー謎)多分今広く使われてる意味としては『好き』とほぼ同義な気がする。厳密な意味で『推し』を使い分けてる人もいるけど、ほぼ『好き』の意味で使ってる人も多い印象あるなー。けど私はそういう言葉の使い方あんまり好きではないから『推し』というワードを見るとやっぱり他者に推したいニュアンスを含む言葉だなあ…と思ってしまうな。なので推しがいない 推し、いない…

でも、推しって概念今のSNSオタク社会的に考えるとめちゃくちゃ合理的で定着するのがすごく理解できるんだよな。コンテンツを他者に薦める、広めるというのが個人→全体に対して有効な土壌故というか。ファンを増やす、引いては公式の利益になるっていう点では推しを推す活動ってすごい良いことだよな~~~大事なんだよ~~~

公式の利益とか抜きにしても、好きなものを推薦して同好の士を増やす→一緒に共感して楽しめるっていう意味では趣味を楽しむ上ですごく有効なことだもんね。それができないことに若干のコンプレックスありけりなんだけど

 

以前はもっとこう「自分の好きなもの~~!!みんな知ってくれ~~!あわよくば触れてくれ~~!!自分の好きなキャラ描いてくれ~~!!」という気持ちがあったのだけど、今は本当にそれが無くなってしまったなあ。いや、もし触れてくれたらめっちゃ嬉しいけどやってやってやってやって~~!!って感じではなくなってしまった

もうこれほんと経験による枷だなあって思うんだけど、私が『こんなん全人類面白いと思うに決まってるじゃん!!』くらいの衝撃を受けた超絶面白コンテンツ(それなりに世間でもウケてる)を知人に勧めまくった結果思ったより反応良くなくて「あれ?」ってなった記憶の印象が非常に濃くてな~~~~・・・!!!!当然これは相手の趣味嗜好より自分の趣味嗜好を優先した推薦をしてしまったというミスの結果なんだけども。

人間、価値観や好みが千差万別だから私が好きだと思ったものを他人も同じように好きになる可能性・・・あまりない!?!?(あたりまえ体操)って意識が抜けない・・・もうみんながそれぞれの好きなものを好きって言ってればええやんと思ってしまう

あとすごく思うのが、以前は世界が狭くて自分が知れるコンテンツの範囲も狭かったから『友人が好きなもの・友人が貸してくれたもの』というルートで作品に触れることが多い→結果的に同じものにハマり、一緒に同人誌出したりする…っていう流れが割とあったんだよね。だけどSNS時代になってインターネットがグンと広くなると『触れられるコンテンツの選択肢』が本当に多くなった。過去同じものにハマってた知り合いのオタク皆現在はそれぞれの波長に合うものをそれぞれで選び取ってる印象があり、無理に自分の好きなものを『推す』必要ってあんまないな って感じてしまいます。

 

あとこういうことをゴチャゴチャ考えてしまうゆえに、内向気質すぎるゆえに『私と同じものにハマることの付加価値はあまり無いのでは』みたいなことも考えてしまうんだよな。面白い人や好きな人が何の話してるか理解できると面白いじゃん

作品にハマる、というのは作品が第一ってのが絶対ではあるんだけど、それはそうとして人間が人間である以上『あの人と共通の話題があったら楽しいな』って要素もあるわけじゃないですか。そう思わせる魅力のあるオタクって沢山いるじゃないですか。私の知人にも何人もいる
トヤマ、そういうタイプの魅力が本当にねえな~~~~~~~~~~~~~と思っちゃうんだよな~~ トヤマと同じものにハマったら楽しいか? もうここまでの長文でバレバレだろ!めんどくさそうなオタクなの!ワイワイ一緒に楽しむ付加価値のあるオタクは「エモーショナルじゃなくて良くない・・・?🤔」「推しとは・・・・・・?🤔」とか言い出さねえしブログに引きこもらねえよ!ぬわーっ!(自分で自分を刺して絶命)

いや自分のこと好きだし、自分に対する満足感異様に強いし、自分のこと好きって言ってくれる人のことマジでめっちゃ好きなんだけど、どう足掻いても推し布教向きの人格ではないなと思う 自己評価です

とは言え私は自分の楽しみ方が自分にとって一番楽しいし、やっぱり人と共有できるかよりも好きな作品をちゃんと好きでいられるかの方が私にとっては大事なので「変わりてえ・・・もっと面白くて愉快で伝播力のあるつよつよ布教オタクに・・・」とは毛ほども思っていないのでそれはまあ良いんだけど。

トロピカルージュプリキュアもゆるキャンも肯定してるしな。一人で楽しんでも皆で楽しんでも良いよなって

 

ありとあらゆる面で見て『推す』ができないオタクすぎる!という自己認識があり、自分ひとりで楽しむ分にはそれでも別に良いんだけど、楽しませてもらってる以上公式に何か還元がしたいという気持ちがあり・・・そこで色々考えちゃうんだよなあ
ちょっと前にもTwitterで話題になってたけど、やっぱり公式からすると『この作品が好き!このキャラが好き!』って意見や、他者に見えるところで好きなものの話ししてくれる存在って宣伝になるし続けていく指標になるし意見としても参考にできるからありがたい存在…っていうのがあるじゃないですか。そうすることで『たくさんの1』になれるんだよな

個人サイト引きこもり、推し活動?できない…みたいなオタクをしているとこういう口コミ群の一員にはなれないので、やっぱりなんかちょっと引け目みたいなものも感じてしまうんだよな(グノーシアとかはネタバレ抜きで描けるゲーム体験とかがあるので良いなとは思うんだけど)

だからそういうの抜きで公式に感謝の還元ができる『お金を出す』っていう選択肢があると本当に助かるし良いよな・・・
課金って良いシステムだよ SNS時代においても推し活動しなくてもちゃんと公式に還元できるから。もちろん自分が納得した上で身の丈にあったお金の使い方をする前提だけど

 


 

最近の話

『推し』ないけど、それに加えてなんかこう『一番好きなキャラ』みたいなのもマジで無いな・・・最近は どうしてしまったんだろうな私は。ハマる作品は大体キャラみんな好き!ってなるけど箱推しって言葉にもそんなにしっくりこないんだよな。オールキャラってほど等しく接せてるわけでもないという

でも今オタクとしてはめっちゃ楽しいんだよな~~~~~~~~~なんだろうなこれな~~~~!!!って考えてたんだけど、なんかね~~~、その瞬間触れてる・描いてる・考えてるキャラが一番好きな状態になりがちなのかもしれないな~~~とか考えてました。

俺屍プレイ記&補完創作してる時はリアルタイムしてる時の世代が一番好きだな・・・こいつら・・・最強だな・・・・・・・!!!!!に毎回なって、完結後はう~~ん、全員最高!ッていうある種のフラット状態に落ち着くし。思い返して「●世代目が一番好きだな」って思うことが本気で全く無いんだよな

語りや創作の物量差はあるけど、それは時期による情報量の差であって好みってあんま関係ない気がする(基本的に世代を重ねるごとに情報量が増えていくため) 一番物量描いたものが必ずしもヘキだったわけじゃないってパターンめっちゃ多くない?俺屍 すげえゲームだよ

 

グノーシアはさあ!!マジでこれあれなんだけど本当にその時イベント見たor描いてるor語ってるキャラが一番好きなのかもしれないって状態に毎回なるんだよな!

多分一番アウトプット量多いのはラキオなのでラキオ描いたり書いたりしてる時は「コイツスゲ~~~~~ッ!!!サイキョ~~~!!!!」って思ってるんだけど、コメット描いてる時は「コメット・・・・・・良すぎない・・・・・???」ってなってるし、レムナン描いてると「本質的な部分で言うとコイツが一番好みなんじゃないか?」ってなってるし、SQのこと考えてると弊宇宙の思い出が溢れて「S゛Q゛・・・・・・・・・・・」ってなるし、沙明はあらゆる面で魅力に溢れすぎててヤバいし、セツはプレイヤーの相棒としての造形がこれ以上ない存在すぎて無二すぎてすごいな・・・ってなるし、ステラはあの感じであれなの本当に本当に可愛いし、ジョナスというキャラがあの作品における大人枠なのたまんね~~~となるし、 以下ネタバレ込になったりしそうなので省略

最推しも贔屓も一番好きなキャラもなくて箱推しでもなければオールキャラオタクという言葉もピント合いきってないオタク、これなんじゃないか!?その瞬間触れてるキャラが一番好き状態になる…カメレオンオタク????何?わからない

 

グノーシアも俺屍も私を存分に変色生物にしてくれるって共通点があるのかもしれないな・・・・・・

なんかこう、『特定の誰かをひたすら追いかけて写真撮る』感じを本命キャラ持ち、『引きのカメラでフレーム内に全員収めるみたいな感じ』をオールキャラ・箱推しとするならば、私は色んな人物のアップを何枚も撮って回りたいみたいな…そんな感じなのかもしれない