親世代子世代

これ、更紗世代が終わったくらいのタイミングで打ってた長文なんだけど蔵に寝かせっぱなしだったので開放します。
現行世代も絡む話ですが、1か月前の私の所感なのでズレがあったりなかったりするかもしれないです。その辺は終わらせることができたらまた追々
読み返すと全体的に文章が冗長で(1万2千字あります)アレなんですがまあ、興味があればどうぞ


はちゃめちゃに長いので申し訳程度に見出しと目次つけてみた。なんかレポートっぽくなっちゃったけどいつもと同じだらだら思考整理雑記です

描いてる時はそこまで考えてなくて、描き終わってから自分で感想や所感を述べているような感じ
描いたものに対する解説というよりはファンのふせったー感想みたいなものだと思ってください。実際こういう壁打ちしてて自分で「うわ!そういうことじゃん!?」ってなること多いので…(ここで壁打ちしてる文章ってほんとになんかそんなんばっかりだけど)

 

親の1番にはなれない(ことが多い)

色々描きながら、特に赤世代以降補完の量が増えて関係性の解像度が上がったことでどうしても考えてしまうことがあってですね、子供は親の1番になれない問題ってやつなんですけど

あ、もちろん「俺屍の」「徳甲一族の」「私の捉え方により」という枕詞がつく話です。現実の、何十年か生きて大人になってから10ヶ月かけて子供を産んで親になる人間とはあまりにも条件が違いすぎますので。人によってはそれでも親は親だ、普通の人とも変わりはない…と解釈される方もいると思いますし、それは全く否定しません 私の一族の私の解釈の話をしますね

俺屍の人たちの多くは子供とも大人とも言い切れない性質を持っていると思います。勿論キャラ個人差はあるけど。赤なんかは最後まで『子供』のままだったし、瀧代姉さんは(本人がそう在ろうと努力したことも含めて)『大人』だったので。
ただ、全体の割合で言えば『大人』とも『子供』とも言えない人が一番多いように思うし、そんな状態で基本的にみんな『子供』を作ってきたなあと。

 

“そういう存在”ではない

更紗も緋ノ丸も、親世代の一番にはなれないんだよな…というのを、描いた(書いた)ものを見返しながら考えていました。
それは別に『愛されていない』というわけではなくて、もちろん赤やばな奈ちゃんは更紗のこと好きだし、更紗は緋ノ丸のことを愛していると思うし、何かこう、優劣をつける話ではないんだけど、子供側の目線になった時にね!
子供にとって最初の頃、同世代との関係を深める前というのはやっぱり『(良くも悪くも)一番は親』だと思います。『子供にとっては』って言うと主語が大きくなるから更紗や緋ノ丸やあの辺の、突飛でない精神の持ち主である子供は…?(更に言うとややこしいんだけど更紗にとってその手の親愛を感じる対象は赤というよりばな奈姉上の方だったと思う)

でもそれと同時に親たちの世代の絆みたいなものも強く感じるじゃないですか。更紗なら親世代3人と一緒に親王解放と髪切りに同行した時かな。赤たちがどんな道を歩んできたかは聞いているだろうし、その上で強くて連携とかもすごくて助け合ってあのデカくてヤバそうな敵を協力して倒した、っていうのはこう、ああ、この人たちは強い関係なんだな…って感じられる経験になったと思う

だから更紗はあの時、自分はこの輪の中にいる人間ではないんだ、って感じたんじゃないかなあ。これはなんていうか親子や姉妹(ばな奈ちゃん)特有のものじゃなくて…友達とその友達は自分よりずっと仲が良くてお互いのことをよく知ってるんだ、って感じた時みたいな…もしくはバトルホビーやスポーツものにおいてずっと一緒に切磋琢磨してきた才能ある仲間に対して真のライバルが登場した時みたいな…(?)「あ、自分じゃないんだな…」という感覚…?
人と人とが関わる以上その関係性の比重は常に均等ということはありえなくて、誰にそうと言われたわけではないのに自分がその割合の低い方なんだと感じてしまった時の感覚というか…?まあ現実でもファンタジーフィクションでも割とよくある事象なのかなという感じの…アレですよ、アレ

 

更紗(親)は俺屍特有の、大人になりきれないまま親にならないといけなくなった人・親であろうとすること&本人の中でまだまだ未熟でグラグラのメッタメタになってる部分を必死にどうにかしようとしてる、めちゃくちゃ不安定な状態で、だから揚羽は更紗をどうにかしないといけなかったし、それを望んだ。

一連の出来事を受けてやっぱり一緒に生きてきた人じゃないと母親を助けることはできないんだ…って、緋ノ丸は感じたと思う。『敵わない』と
まあこの件に関しては彼自身が『自分にはできない』って最初から思い込んでいたところがあったので、彼が火輪くらいの天上天下唯我独尊な行動派だったらどう転んでたかわからない、『”子供“に更紗を救うことはできなかった』と断ずることはできないんだけど。もしもの話
(そもそも緋ノ丸が漠然とした不安を抱えてた部分とか、母親とうまくコミュニケーションできない悩みを解決するには更紗を立ち直らせないといけなかったので因果関係としてはどうにもならなかったかもしれないんだけどその話をし始めると際限ないので置いておく)

緋ノ丸は更紗の1番にはなれなかったんだよね。別にそれで揚羽に嫉妬してるわけでも、更紗を恨んでるわけでも、ショックを受けて精神に傷を負ってるわけでもないんだけど、そういうのじゃないんだけどなんていうんだろう!?どう言葉にすれば良いんだろう!?

 

彼が特別な自分になるためには

緋ノ丸はねえ、母さんにとってのヒーローになりたかったんじゃないかなあ。これもう『親』というより『ヒロイン』に近い感覚だと思うんだよ。『自分が』助けたい女の子がいるけど、彼女にとってのヒーローは自分ではない、という感覚
『親が~』というより、『誰かの特別になりたい』『特別な自分になりたい』(←これ!!!)なんじゃあないかなあと思うんだよな。緋ノ丸の場合は。

更紗も特別な存在になりたいような願望を持っていたけど、彼女の場合それを目指すこと自体が生きる支えだったからまた質の違うもので、更紗の人生の主題は『誰かの特別』とかではなかった。緋ノ丸は多分普通の人間でも多くの人が子供の頃に抱くような、夢を見るような、そういう『特別な存在』への憧れみたいなもの?そこにピッタリと当てはまる『ヒロイン像』が更紗だった。そしてたまたまその存在はお母さんだった。

ヒロインヒロイン言ってるけど勿論これは恋愛感情とかの話じゃなくて、自分の手の届く範囲にいる助けたい条件の揃ったヒロイン的存在というか、自分がヒーローになれるとしたらきっとこの子を助けることがその条件なんだと思える存在というか……全然違う世界観で例えるなら『ごく普通の高校生俺くんが出会った不治の病に侵された可愛い女の子』とか、『攫われたお姫様』『空から降ってきた謎の美少女』みたいな…こういう存在を物理的ないし精神的に救える人ってヒーローじゃん、緋ノ丸から見た更紗って『すごく傷ついて落ち込んでいる、余命いくばくもない薄幸の美人』なんだよ。それがたまたま自分のお母さんだった
だから緋ノ丸にとってのヒロインは更紗で、でも更紗にとってのヒーローって緋ノ丸じゃないという。何を言ってるかわからない?私も混乱してるから大丈夫(大丈夫か?)
もしかしてこれは『親と子』の話ではない…?いやでも、血の繋がった親・近しい存在だからこそ、彼はそんな更紗の特別なヒーローになりたいと思うわけで無関係ではないと思う。多分更紗が他の誰かの母親ならこうは思わないから。俺屍最終盤って割と『子が親の命を救いたいと考える』というシュチュエーションが発生しやすいし…だからこれは『俺屍』の『親子』の話なんだなあ
いやあこれもこの時期じゃないとまた違う感じだったんだろうなあ。最強の子供たちが生まれて、朱点が「最後の決戦」を宣言して、呪いが解けるかもしれないと思える時期…大江山直前&地獄巡り開通時期特有の「誰かを救えるかもしれない」という希望が生まれるタイミング…
そう考えると山越え当主がアヅキで最後の屍世代(予定)が更紗なのはあまりにも巡り合わせが過ぎる
火輪が本人的に疑うこともなく大ヒーロー様で緋ノ丸はそうじゃない(多分ある程度自分以外の承認が必要なタイプ)っていう対比感もなんかすごい

前から考えてたけど私にとっての俺屍の親子ってどちらかというと兄弟姉妹に近い性質を持っていると思っていて、さらにそれを細分化すると色んな関係があると思っていて、緋ノ丸にとっての母親は『このヒロインのヒーローになりたい』って思えるような存在 憧憬の女…?

こんな風に表現するとまるで更紗は緋ノ丸がヒーローになるために必要な装置(利用できるオブジェクト)みたいな言い方に見えてしまうかもしれないけど、これは緋ノ丸が更紗に対して親愛の情を持っているのが前提条件なので機械記号的ってことはないと思います。

☆緋ノ丸が純粋に、親愛の情を持っている人だから助けたい・救われてほしい・生きていてほしい、と思う感情がある。それと同時に『そんな人を救えるのが自分だと良いのに』という願望もある。この二つが混在してるんだと思う。

緋ノ丸は更紗にとっての精神的ヒーローにはなれなかった。なれるものならなりたかったけど、自分にそんなことはできないと思った。緋ノ丸から見て、更紗のヒーローはどう考えても揚羽だった。
しかし緋ノ丸にはもう一つヒーローになれる条件が残っていた。それは更紗を『物理的に』救うこと。即ち解呪して死の運命から解放すること
これは揚羽にはできない。彼も同様に呪いによって力を失っていたから。…まあ、残念ながら緋ノ丸にもできないことだったんだけど。
緋ノ丸、ヒーロー願望への敗北・ヒロインの喪失からスタートするんだなあ…。いやなんていうかこれは彼の独り相撲みたいなところがあるので、これによってダークサイドに入るみたいな話ではないんだけど。子供の頃の憧憬の話かな。
死とかそういう概念を抜きにしてもっとスケールの小さいもので例えるなら、幼い頃近所の綺麗な大人のお姉さんに恋をしたけどお姉さんは普通に同い年くらいの恋人がいたみたいなもので?例え話ばっかりだなこの話 いや、そういう、なんていうんだろう、狭い視界や浅い経験の中での憧れの話というか、でもそれは若くて青い未熟者の愚かな幻想とかは言いたくなくて、本人にとってはめちゃくちゃ大事なことで、ええ、ああ

 

手が届かない星のような人たち

話を戻すと、親には一緒に生きた仲間がいて、子供から見ると自分は1番になれない・敵わない…というように感じてしまう…人もいる…という話
徳甲は世代区切りはっきりさせていたし、たまたまそういう『世代の中の関係の強さ』みたいな部分を強く見出すことが多かったのでそう感じました。条件や状況が違えば同世代との関係も変わるし(石榴世代なんかは『強い絆』とかではなかったし)、家系の繋ぎ方とかの前提条件が違うとまた全然違う話になるよね

それに関する緋ノ丸の話を具体的に色々言ったけど、ホッシーなんかも近いものを感じていたと思う。ホッシーにヒーロー願望は無いので緋ノ丸のそれとは似て非なるものだけど。ホッシーの場合はなんだろうなあ、掴もうとしても手が届かないって分かっちゃうもの、とかなのかなあ。
ホッシーに限らず俺屍の親たちって一緒にいられる時間が最長でも1年程度、徳甲では平均3〜4ヶ月程度だと思うので星のような存在だな…と思います。

 

徳甲燕九朗という男

で、私的にそこら辺の対応力が凄まじかったのが燕九朗だと思ってます。
ルリオって燕九朗パッパのこと大好きなわけですけど(ル<好きじゃねーよ!!)それは何でだろうって考えると、多分燕九朗の使える限られた時間内でルリオを最優先してくれたからなんじゃないかな。
態度こそ相手をからかったり手玉に取ったりという燕九朗だけどわざとやってるところがあるし、絶対に言ってはいけないようなことは言わないからルリオを本気で怒らせることは無かっただろうし、最後の方フラッフラになってたけどそれでもきっちり訓練結果出していった(=行動可能な時間はほぼルリオに割いていた)。
ルリオって態度は全く素直じゃないし反発気味だけど決してバカではないのでそこら辺は直感的か考えた上でかは分からないけど理解してたんだと思う。『この人可能な限り自分に構うことを最優先してんな』と。だからルリオは燕九朗のこと好きなんだよな(ル<好きじゃねーっつってんだろ!!)

で、燕九朗的にはこのムーブも敢えてというか、そういう意図でやってたと思う。彼はお業マッマが自分を通して黄川人を見ていたことが分かっているし、凪左助パッパが親って立場に慣れてなさすぎて色々ぐだぐだになってたことも当人として知ってるから。
そんで交神時期の関係とか色々あってルリオと1ヶ月しか生きてる時間が重ならないことを鑑みてそのラスト1ヶ月は『ルリオを1番に』動いてたんだろうな。
姉がまつりだったのも大きかったな。彼女はこれまでに挙げた人たちと違って自分の優先順位とか気にしないタイプだった。所謂『下のきょうだいができて親がそちらにかかりきりになってしまうことに不満を持つ』性格じゃなかった(それはある面では彼女の欠陥とも言えてしまうんだけど)
ルリオ来訪前はほぼまつりに構ってたと思うけど大将を引き入れることで2ヶ月目以降の彼女のことをある程度任せつつ、ルリオに対しては『自分が1番優先されている』っていう感覚を与えたの。子供二人いるとどうしても分散するし、上なり下なりがいると親の愛がどっちに…っていうの気になるものじゃないかなと思うんだけど……いやわからん、ある程度一般論の反映でアレなんだけど、ただ理屈としてそういう気持ちの動き方は納得できるしちゃんと個人の性質と照らし合わせた上で…なので。というかまあこういう話ってある程度は現実にある感覚参照できるとは思うけどそればっかりだとなんか気持ち悪いし リアルはフィクションの参考にはなるけどイコールにするのは死ぬほど苦手です
例えば凪左助は長子として色んなものを背負い込んでしまうタイプだったけど、それは「長子だから」という一つに起因するものではなく親世代が一気にいなくなってしまっただとか、実親である詠芽さんがそういう責任感を持つタイプだったからその影響で…とか色々あったので。当然ながら「長子は長子というだけで苦労人になる」はずがない
キャラの立場とか性格とか経験とか思いとかからどう感じるかを推し量れればいいなあと…という感じで考えてみた結果ルリオは気にするタイプ・まつりは気にしないタイプだと思った
なんだろう、まつりがああいう感じだったこと・大将がいたことで上手いことルリオに注力できたんだろうなと。

 

その為に切り分けたこと

ただ燕九朗だって全部をカバーできるわけじゃない。そもそもフラフラだったし、そう、燕九朗は更紗のことほぼ完璧に切り捨てて放置してたんだよな。勿論無視とかはしてないけど積極的にケアしに行こうとはしなかった これがあいつのすごいところだと思う
中途半端に更紗に絡んでもしゃーないから揚羽に任せようってのも、中途半端に更紗に絡むとルリオが拗ねるだろうっていうのも考えればそりゃあ分かるけど、燕九朗って更紗のこと嫌いなわけでもなければどうでも良いとも思ってなくて、寧ろ割と好き(Like)なタイプの女なのにここまでスパッと割り切って切り分けられるのはマジですごい。
後は揚羽におまかせ〜ってな。揚羽にも子供はいるけど、交神最初だった&揚羽が世代で1番若いという関係で誰より時間は使えるのよな。直接そう言ってるわけじゃないけどあとは自分で配分しなさいよとでも言わんばかりだし、でもちゃんと子供の面倒も見ろよと事前に釘を刺す抜かりなさ なんか怖くなってきた

当然ながら更紗のこと完全に放置したらメンタルやられてる彼女はもっと落ち込むだろうことも分かってるけど、『しゃーないもん半端に絡んだら全部が半端になってしまうだけなんだから』と割り切れるのはすごい
それでいてルリオに影響しない程度のリソースで軽くスイッチ(※)は押していくところが燕九朗ーッ!強え〜〜って感じすぎる

※…逝去月にホッシーに携帯幻灯機(以前の更紗の姿が収められている)を渡した件

 

スーパー状況動かすマン

マジで燕九朗、立ち回りの力というか、昼子と2回交神したことや大将を引き入れたこと、その他諸々の行動や思い切りの良さが正に『役者』なんだよなあ。
燕九朗味方でよかったな。別に善なる存在ってわけじゃないから敵役だったら普通に悪いこともゲスいこともするぞあの人。だってその場合彼の正義はそっちなので
情を理解した上でそれに流されずに完璧に割り切って、情を理解できるという性質を利用して頭使って敵対してくる燕九朗とか勝てる気が全くしないわ それはそれでめちゃくちゃズルくて美味しい死に際を見せてくれそうだけど

俺屍じゃなくても死ぬのかよってなってしまうけどこういうキャラってだいたい死ぬ気がするんだよな 逆転裁判の弁護席の隣にいても多分死んでしまう というかフィクションの死に対してそこまでネガティブなイメージは持ってないので『最終的にそういう生き様を見せてくれる可能性が高い性質』的なニュアンスです。『死にそう』という評は
それはそうとして味方でよかったな…話逸れたな…

 

燕九朗の原点

あとじゃあ燕九朗当人はそういう愛され方(親に優先される、一番の存在と感じられるように扱われる)をしたかったのかっていうとう~~~んそういうわけでもないんじゃないかな~~~というイメージ
ただ燕九朗がひん曲がった原因は『お業さんが言うほど彼自身を見てなかった』ことなのは間違いなく、彼自身もそれを自覚してると思うけど…だからと言って親の愛が欲しかったんだよ!!っていうわけでもないんだよな…ただなんとなく、直感的に『なんかきっしょ 嫌いだわこいつ』って最初に感じちゃったんだよな。親に対して最初の感情がそれだった そりゃあひん曲がるわ
燕九朗通してお業さんの話をするとどうしても嫌悪とか良くない親みたいな言い方になっちゃうけどフラットに見た時のキャラクターとしては別に嫌いとかじゃないです。黄川人への愛情は本物だけど昼子諸々含めて親としてはどうなのって感じの人、一人の人間への情によって神と人と鬼の大きな騒乱を巻き起こしたピタゴラスイッチの始点…そういう”キャラクター”だと思ってるだけなので。何を置いても彼女がいないとこの物語は始まらないし、一族は生まれない
…そういう外から見ているプレイヤーの目線とは別物として、徳甲燕九朗という『個人』はお業さんのこと大嫌いなんだよな。

お業さんは本気で直接燕九朗を黄川人の代わりみたいに見てたとかそう取れる発言をした、というわけではないです。髪も目の色も違うし、そもそもお業さんにとっての黄川人は唯一無二だと思うし
ただ面影は感じられる顔立ちをしていたので不可抗力的にというか…『愛する息子に少し似ている』っていうフィルターはどうしてもかかってしまう、というか…
『自分を通して自分じゃない誰かを見ている』っていう言いようのない気持ち悪さを幼い燕九朗は直感していて、当時は彼の中でもうまく言語化できなかったけど『こいつ嫌いだな』と強く思った。…ってイメージです。

 


 

凪左助に対してはどうなんだろうな~。燕九朗が彼に反発してたのってその前、天界にいた時に性格ひん曲がったせいっていうのと、そんな相手を選んだ父親に対して良い印象がなかったからだと思うから、愛の与え方とかはまた別かな…と思う。
凪左助がお業さん選んだ理由って、あの当時かなり一人で抱え込んで『一族を前に進めなきゃ、それに不信感のある天界も警戒しなきゃ』だから『少しでも多くの情報が欲しい』…あたりがメインだったと思う。けど、彼女が新しく生まれてくる子供にどういう影響を与えるかは未知数で…一族の益が欲しい気持ちと個人的な意地と迷いと色んな感情があったんだろうなあ。

ただまあ、そんな葛藤なんか知るかって感じで生まれた瞬間母親に嫌悪感を抱いた子供からしたらたまったものじゃないし、でもある程度成長した燕九朗はその一点だけで凪左助の選択を糾弾して全否定するほど極端な思考でもなく…ここら辺の人たちって色んなことをちゃんと考えられる分複雑なんだよなあ!?(赤とかあんなに単純明解なのに)
少なくとも凪左助父さんがそこらへんのおっさんのこと大好きなことはあんまり関係ないかな。多分最初に気付いた時はコイツマジかとは思っただろうけど。ただ一要素だけで短絡的に物ごとを判断するのって頭悪くて燕九朗が嫌いなタイプの人間がすることだろうし、ということは燕九朗はそれをしないと思うので、それだけで嫌な感情持ったりすることはないと思う。
それで凪左助がガチで盲目になって周りや大局が見えなくなっちゃったとしたらお業さんと同じように軽蔑したと思うけどね。でも凪左助は生き方不器用なりに賢くて理性的だった、そしてそれも敏い燕九朗には伝わった。だから大きなマイナスポイントにならなかったんだと思う。
燕九朗あれだよな、理性が欠如してるやつ好きじゃないんだろうな

赤に対しては軽口として「父さんだったらよかったのに(口うるさく言わないから)」とか言ったけどあれ絶対本気じゃないもん(もしくは幼い当時だけのことだったか)。赤のこと嫌いじゃないにせよ好きではないでしょ…本能の塊みたいな存在なので。御せない相手とも言えるのかな
結局燕九朗自分の親は誰が良いかって言われたら凪左助ってなりそう。ちょっと頭に血がのぼりやすいというか、何かに傾倒しやすいところはあるけど基本的には理性的で賢くてちょっと強かで『話ができる』相手なので。脳みそのレベルが近いっていうか…

色々考えてると燕九朗、一番星のことはけっこう気に入ってるんだろうな…って思うことがあります。一番星は頭の出来という意味ではアホだけど、意外と理性的というか物の道理が分かっている…話ができるヤツなので。顔とか雰囲気とか一見した時のちゃらんぽらん兄貴ムーブは雷丸と似てるのに全然違うんだよなあ!燕九朗が雷丸絶対苦手なのわかる わかるぞ
雷丸の本能的でアホでケセラセラで大局?知らん!ってところは短所であり長所でもあるんだけど

お業さんのこと理性のない存在だと思ってるみたいな書き方になっちゃったけど、本編時の彼女はともかく過去、事件の発端たるお業さんの所業(色恋で禁忌を犯した)は紛れもなく理性を感情が押しのけた結果だろうし。
繰り返しになるけど私個人はこれを『フィクションのキャラクター』としては否定してません。現実、それも自分に影響のある範囲にこういう人がいたら大変迷惑だなとは思うけど、現実にいたらどう考えても大迷惑な人が不可欠な役割を持った存在になれるのがフィクションの好きなところなので。
というか彼女への嫌悪は燕九朗の価値観の基礎みたいなところがあるからどうしてもな…考えれば考えるほどお業さんの存在が切り離せないんだよな~

 

命の使い切り方

凪左助が最期の最後に『燕九朗と対話する』を選んだということ、なんだかんだで燕九朗内の凪左助評を上げてるんだろうなあ。自分に構ってくれて嬉しい!みたいな無邪気感情とは違うんだけど。

燕九朗が言っていた通り凪左助はあそこで無理する必要無かったし、そうすれば少しでも長く『大好きなあの人』と一緒にいられたはずで、でも凪左助はあそこで果てることを選んだ。なんでわざわざ?っていうと、それくらいの覚悟を見せて燕九朗に言葉をかけないと彼には通らないだろうと考えたから…だと思う。
燕九朗に『生きる場所を見つけろ、という言葉を託す』は彼の人生を想ってのことであり、一族の行く末を案じている故でもあり、すごく理性的な選択なんだよなあ。そして『残っている自分の命』という、割けるリソースが限られた状態で何を選択するか…というのも、その後の燕九朗に影響した。真似ってわけじゃ無いけど晩年の燕九朗も『命の使い切り方』という軸で動いていたから。この親子

この親子に関しては構って構われてとか一番うんぬんの次元からは若干ずれてんだよな…でも凪左助がこういう選択を取ったからこそ、燕九朗は『命の使い方』『親に優先されること』がどういうことが知ってる。それが自分の子供への対応に繋がってるんだと思う。そこらへんのおっさんも巻き込みつつ笑

 

俺屍の親

俺屍の補完創作掘り下げまくって強く感じたのは本当に時間的リソースが限られてるんだなあってことでした。交神時期や何家系かにもよるけど子供と一緒にいられる時間って本当に本当に限られていて、しかも親もまた未熟なことが多くて、その中で身をどのように割り振るか…っていう。
そんな中で自分を優先されると賢い子供なら好感を、まだよくわかってない子供ならなんとなく嬉しくて好きになっちゃうよな。

ただなーー誰しもそれができるわけではないんだなーー 俺屍の親は大人とは限らない…
当然同世代との絆が強いことは全然悪いことじゃないし
燕九朗ほど器用な人はなかなか現れないけど、更紗も揚羽も不器用なりに子供のこと想っていて、でもその子供たちにはどうしたって踏み込めない深いものがあって、まあね〜どうしたってねえ〜〜…

正直頭の中の揚羽さんが求婚し始めた時は、揚羽さんは独特なモノの捉え方をする人なのでそれ言うのは分かるけど一般倫理的に捉えられた場合相当意味不明な状況だし子供たちはどう思うんだ!?みたいなことは少し考えました。でも、最初に述べた通りマジで俺屍における親と子って普通の人間の親と子とは条件が違いすぎるから同じ言葉を使っててもその意味とか本人らの感覚はだいぶ違うんだろうなあ…じゃあこれで通す他ないでしょう、と

兄弟姉妹の感覚に近い気もするけど、それでも親と子特有の関係でもあり、しかし普通に大人が10ヶ月かけて産む子供の関係や感覚とは違って、あとは本人の性格や経験・状況・親神など色んな要素が合わさって色んな関係が生まれてこう…うーんだんだん何が言いたいかわからなくなってきたぞ

なんやかんやで今の一族は普通に子供想いというか、ある程度のリソースをちゃんと割ける人が多かったけどそうじゃない人もいるからね。なっ(馬鈴薯の赤月と雪片を見ながら)
赤月は好きなこと(妖怪退治)に夢中すぎてコガネの為に何かしたりとか皆無だったし訓練もつけてないし、雪片はさゆみが死んだことで抜け殻みたいになっちゃったためヒメへの訓練結果も気が抜けてました。
だからこの二人って実親への印象クソ悪いんだよな。そんな二人が反発気味な関係なの、わかる

別に赤月雪片Disというわけじゃなくてたくさんの一族がいると善かれ悪しかれ色んなタイプがいて私はその事象が好きということ…纏めるということを放棄するなら多分無限に語れてしまう話だこれ

 

誰しも最適解を導き出せるわけではない

フィクションの人親観は人それぞれだと思うし俺屍だとまた特殊条件下の存在だけど私は(私の信念とか価値観とかそういうのではなくキャラの言いそうな発言として書き出したものを見返すと)親って子供に必ずしも最適解を与えられるわけじゃないよなあって思う。いや、人間と人間のコミュニケーションなので当たり前のことなんだけど

更紗⇔竜実のあれこれはもちろん、更紗から緋ノ丸への最期の言葉だって彼が本当に欲しい言葉ではなかったかもしれないし
(→更紗は相手を傷付けないこととか、過剰に何者かになれを押し付けないが期待を全くしないというのも違うし…みたいなところで彼にかける言葉をすごく考えたと思う。プラスになるかどうかは分からないがマイナスにはならない、くらいの言葉選びというか)

 

大将だって『親の代わり』になるならまつりのデリカシーゼロ発言にもルリオの乱暴な言動にもちゃんと注意しなきゃいけないかもなんだけど、それは全くできてないんだよな。
なんでかっていうと彼自身は本気で自分が『親の代わり』なんて大それたものになれるとは流石に思えていないからとか、褒められた人生を歩んでない(=自己評価が低い)ので他人を上から叱ったり正したりして良い身分とは思えないとか、そういうブレーキがあるせいだと思う。偉かったら叱っても良いとは限らないけどね。これは彼の気持ちの問題
難しいよなあ…アラサー元ヤン職業フリーター(中略)だから…。

今の大将にすごく親っぽい発言でまつりやルリオの良くないところを叱らせたらそれはもう描き手のマリオネットなんだよなあ。

こういうこと考えてるとやっぱりある程度相手の気持ちを汲んで望むものを与えられる燕九朗ってクッソつええなと思うし、だから彼が子供来てすぐ寿命を迎えないといけなかった(時間が全然無かった)のは強キャラ特有の退場イベントとか強制デバフっぽくて事象としては『わかる…』ってなってしまう。いやゲーム的な選択や引きの結果ってだけなんだけども

 

追記

この記事はあくまで1か月前に書いた思考整理文章なんだけどなんかむずがゆくなったので1つだけ追記
ホッシーは死んでみせるとか口走ってしまったけど、更紗と違って緋ノ丸のヒーロー願望(のようなもの)が写される存在ではないと思う。多分 なんとなく動機になるものの軸が若干違うような…
現行どうなるかわかんない話だししばらくは自分のフィーリングにお任せして進めるから終わるまでは深く突っ込んで言語化はしないけど今のところはそう感じています