他人は『ビジュアルのわからないキャラクター』について考える時、どのようなイメージを持つのだろうか。そういうことが気になった。というわけで自分がどんな風かを書き出してみようと思う。
以下、一旦『イメージで考える』を前提に書いていく。イメージで考えない、という人もかなりの数いるのだと思うが、自分はイメージタイプなので。イメージで考えるタイプの範囲の話として読んでいただければ。
『ビジュアルのわからないキャラクター』について考える時 とは
まず、これってどういうケースの話?について。
今回の記事においては以下の2つのシチュエーションについて書いていくことにする。
①キャラデザ知らないラノベを読んでいる時
②ビジュアルが決まっていない創作キャラクターについて考えている時
基本的にフィクション、オタクコンテンツを想定したシチュエーション。なので、登場人物がリアル人間っぽいコンテンツや、声しか知らない実在人物の外見推測などは該当しない。そんな感じで……
①キャラデザ知らないラノベを読んでいる時
これは、単行本化・アニメ化・コミカライズしている作品だとなかなかないことだと思う。文字に触れるのと同時に絵も存在しているから。しかし、『小説家になろう』などのサイトで大元の原作から読む場合はキャラビジュは無いので、登場人物の外見は想像するしかない。
ある程度イメージで考える人間であれば、キャラもののラノベの登場人物の見た目は多少想像しながら読むんじゃないかと思うのだけど、そこで想像されている見た目はどのような感じなのだろう。ちゃんと独自のビジュアルイメージを持てるもんなのかな。
自分はというと、『過去に見たことのある中からなんとなく雰囲気に近い気がするキャラ』がスゥ…っと嵌まり込んでくる。作中での外見描写と齟齬があっても、一度嵌まり込んだ既存キャラの仮イメージが抜けてくれない。そんななので、読み進めていくうちに脳内のビジュアルイメージはさながら意味不明なクロスオーバーワールドの様相を呈してくる。独自の外見を想像することが全然できないのだ。
(自分はあまりラノベを読まないので例に出せるのは一作品だけなのだが)『無職転生』を読んでいた時の脳内イメージを本邦初公開してみる。この作品はアニメ化もされているが、なんとなく原作から触れた貴重な作品としてイメージを混ぜっ返したくなく、まだ見ていない。原作も途中だが(学園編の最初の方)
ルーデウス・グレイラット
主人公のルーデウス。読んだのが大分前すぎて作中でどんな外見描写をされていたか記憶がない。なんとなく脳内に定着したイメージは…
『バカとテストと召喚獣』の主人公・吉井明久だ。(引用元)
公式のルーデウスは単行本の表紙サムネを薄目で見たことがあるのだが、彼に関してはけっこう近かった気がする。
いいですか?この調子で何の脈絡もないキャラが続けざまに登場しますが
ロキシー・ミグルディア
ルーデウスの師匠である魔術師。青髪。かなり年上であるが外見は少女っぽい設定だったと思う。
そのビジュアルは『この素晴らしい世界に祝福を!』のアクアとめぐみんを足したり足さなかったりするイメージで再生されていた。(引用元)
なんなら、青髪設定を忘れている時はイメージが完全にめぐみんだった。青髪だっつってんだろ!
エリス・ボレアス・グレイラット
上級貴族の娘で、真紅の髪の狂犬娘。最初はどうしようもない暴れっ子だった(本当にヤバかった)が、徐々にたくましく成長していってルーデウスといい感じになったりする。そんな娘のイメージは……
パンドラハーツのアリスだった。(引用元)真紅の髪だっつってんだろ!!!!
キツそうな顔つきでお嬢様っぽい、イメージカラーは赤、でこのイメージがでてきたのだと思われる。髪の色違いますけど。
髪の色が大胆に無視されるのは一応、多分、理由がある。それは『自発的に考えてキャライメージを決めたわけではない』からだ。読み進めているうちに勝手に仮イメージが当てはめられてしまうだけで、別に当てはめようなんて考えていない。私は何も考えていない。脳が勝手に!
ルイジェルド・スペルディア
めちゃくちゃ強い魔族の戦士。緑色の髪に額の赤い宝石が特徴だ。
そんな頼もしい彼。脳内で勝手に流れるイメージは…
『ORIENTAL BLUE-青の天外-』のジャッジだ。(引用元)緑色の髪に額の赤い宝石だっつってんだろ!!!!!!!!!!!
マジでぜんぜん違うと思う。
流石にメチャ強戦士なのでこのイメージのままではなく、首から下はもっとガッチリして強そうなムキムキが浮かんではいたと思う。顔についても形はジャッジだが、表情はもっとムっとしていた。赤い宝石の描写がある時はちゃんと赤い宝石がついてるイメージで再生された。それは本当にジャッジなのか?ジャッジ要素は残っていないんじゃないか?そもそもこの記事を読んでいてジャッジが分かる人がいるのか?不安です。GBAのマイナーなRPGのキャラです。
つまり、ルーデウスたちが家に戻るために大陸を旅する道中は吉井明久とアリスとジャッジというパーティだったわけだ。そんなクロスオーバー、世界中探しても絶対に存在しない。すごい。
私はまだ無職転生の公式ビジュアルを見ていないのだけど、確認できる人はぜひ比較してみてください。いややっぱしなくていいかも。恥ずかしいことになる。
繰り返すが、ここで挙げたキャラクターは私が考えてイメージに当てはめたわけではない。なんか読んでる時に勝手に空席に座ってきたキャラたちだ。私は何も考えてない。
ビジュのわからないノベルを読んでいると、勝手にその空席を感知して勝手に埋めてくるシステムが私の脳内に存在している。そしてその精度は恐ろしく低い。でも自分なりにオリジナルのビジュアルを生成する能力がないもんだから、なんだかんだでこのイメージが定着してしまった。なんなんだ。絶対に公式ビジュ見てから読んだ方がいいよ私は。
ここで登場したキャラが絶妙に今まで話題にしたことのない作品だらけなのも面白い。なぜならそんなに思い入れのある作品群というわけではないからだ。おそらくだが、思い入れの強い作品の場合は自分の認識が強く働くため、別の存在に当てはめるということができないのだろう。
他の人はどんなイメージを持ってビジュなしラノベを読んでいるのかな。めちゃくちゃ気になる。
②ビジュアルが決まっていない創作キャラクターについて考えている時
一次創作でのこと。自分はビジュアルからキャラを作る、ということがほぼ無い。なので『こういう設定でこういうポジションかな~』というのを文字ベースでメモるところから始まる。
その段階では何をどう考えても自分なりのオリジナル外見を想像することができない。ここでも上述の『勝手に空席を感知して勝手に埋めてくるシステム』によって既存キャラビジュを割り当てられたりする。
また、脳内で想像するとき、自分の絵柄でイメージすることがてんでできない。作業中あんなに長時間向き合っているはずの自分の絵柄なのに、ビジュの決まっていないキャラを自分の絵柄で想像することがまったくできない。
じゃあどういう絵柄で脳内イメージが生成されるかというと、だいたい直前に読んだマンガの絵柄だ。特定のマンガを読んでいると、しばらくはそのマンガの絵柄以外でキャラが想像できなくなる。私はこれを『脳内の絵柄キャッシュが残っている状態』と解釈している。実際どういうことなのかは不明。
アニメや映画を見たあとにその絵柄になることはないので、静止画なのが強いのだろうか。それとも、自分のアウトプットがマンガだからだろうか?でもカラーでイメージされることもかなりあるんだよな。やっぱり静止画なのが大きい気がする。
これもすごく気になってて、世の一次創作者たちの『まだビジュアルのないキャラの脳内イメージ』はどうなっているのだろう。
よくインターネットで言われる『脳内の神絵をそのまま出力したい』というやつ。そういう言葉が共感されるということは、もしかして皆さん、脳内に完璧で究極なイメージを持っているのでしょうか…?
多分私の脳内からそのままイメージを出力したら、既存キャラを既存絵柄で描いた謎の合成画像になってしまう。俺が生成AIだったってこと?
自分の『脳内で想像できるイメージ』というのは随分とポンコツなようで、じゃあどうやってキャラのビジュを考えるんだい?と言われると、とにかく手を動かすしかない、となる。手を動かさない限り、自分だけのビジュアルイメージを知ることはできないのだ。
もう本当に手を動かしてみるしかない。想像力と引き出しのなさを色んな資料で補い、自分の手で描ける範囲を確認しながら、何らかの形をとっていくしかない。出来上がったビジュアルはマジで想像していた段階では全く浮かばなかった像になる。私は。
これは背景ビジュアルなんかも同様で、もう本当に想像力が乏しい。頭の中で理想の世界を思い描くなんて到底できない。(そのくせ既存の背景や素材の背景では満足できず、自分だけの世界がほしい!と言いながら創作をやっている)
だもんで、資料かき集めて自分なりに繋ぎ合わせるように描き出すことで初めて具現化できている。完成して初めて、「こういう見た目の場所だったんだ、ここって…」ってなってる。割と毎回。
こういう頭の作りをしているので『自分で描く意味』が尽きることはなくて、それはいいことなのだけど、ある意味では描き続ける呪いでもあり、まあ、でも趣味として充実感はあるからいいか。
思うことなど
こういう『どう想像するか』みたいなのは先天的なものなのか、後天的なものなのかも気になるところだ。
自分は全ッ然小説などの文字物語を読んでこなかったし今もあまり読んでいない。ビジュアルコンテンツばかりを浴びるように摂取してきたタイプのオタクだ。小説を書いたこともない。そう考えると、そもそも文章を読んでその情景に思いを馳せるという回路が開いてないだけなのかもしれない。
今現在のように様々なビジュアルキャッシュが蓄積する前、子供時代にたくさんビジュなし文学に触れていたら、『脳内の神絵を生成する能力』が培われていたのかもしれない。どうなんでしょうか。
こういうのはなんだ、いわゆる認知特性?ってやつが関係してくるのだろうか。様々な要因はありそう。それに、本当にこういうものの認識って人によって千差万別なのだろうな。友人にこの話をしたら「そもそも本を読んでいるとき人物の外見を想像しない、ご飯や背景のディテール的なところは想像する(意訳・記憶曖昧)」みたいなことを言っていた。
あと、冒頭でも述べたように今回の議題にリアル人間のビジュアル想像は全く関わってこない。私は声だけを知っている人物の顔を想像することが全くできない。なんならキャラビジュで想像してしまう可能性の方が高いまである。これは明確に後天的なものかなと思う。私は二次元オタクすぎて人類の顔全般をうっすら恐れているから。あまり人間の顔コンテンツに馴染みがないからね。(現実って人間の顔コンテンツなのではないですか?)(つまり、現実をやっていない………?)
ラジオなどで声だけ知っている人間の顔を想像してしまう、という人もいるのだろう。逆にそういう人は『キャラビジュを想像する』という感覚が全くわからないのかもしれない。両方想像できるって人もいるのかもしれない。
『想像』という点について考えると、やはり自分は脳みそに蓄積されるキャッシュがかなり重たいタイプな気がする。
キャッシュというのは、一度見たWEBページの情報をブラウザに記憶しておく仕組みのことだ。初めて訪れるサイトでは画像などを全て一から読み込まなければならず、開くのが遅くなる。一度見たページのキャッシュを記憶していれば、次からは読み込みをスキップして表示することができる。
便利なキャッシュであるが、例えば同じファイル名の画像を修正して再アップされている場合は、キャッシュの記憶の方が優先されてしまったりする。今アップされている画像ではなく、過去アップされた画像を見ている状態になってしまうのだ。
これが自分の脳の反応によく似ているような気がする。直前に読んだマンガの絵柄で全てが想像されてしまう、などキャッシュそのものじゃないか。
これは音楽聴いてるときもある。音量控えめだったり他の雑音と紛れている状態だと『知ってるあの曲だ』と思った瞬間その曲を聴いているつもりになってしまう→ちゃんと聴くと全然違う曲だった、ということが割とあるのだ。キャッシュが強すぎるだろ。これは以前受けた創作占いでも言われました。なんで星が俺のキャッシュの重さを知ってるんだ……
結論:とにかくキャッシュが重い
えー、この記事は特にオチはない。自分が日々『ビジュアルのないものを想像する』でやっていることについて言語化してみたかったので言語化しただけだ。他人がどんな感じなのか気になる。よければ教えてください。