この記事は個人サイトを語ろう Advent Calendar 2025の3日目です。
このサイト、作ってからもう7年経っているらしい。ちょっとびっくりした。5年くらいかなと思っていた。
2020年代もキリのいい半分のところでもあるので、この時代に個人サイトを根城に創作発信・オタク活動することについて書いてみようと思う。今の時代に個人サイトで創作物や記事を発信するのって実際どうなの?見てもらえてんの?どういうことを考えて運用してるの?に関するサンプル1としてどうぞ。
当サイトについて

絵やマンガを描いたり感想を打ったりゲームのプレイ記録をしたためたり日常的な雑記を垂れ流したりする、雑多なフィクションオタクのサイトです。トップイラストからも分かる通り、特定のジャンル用というより好きなものを集めて固めて自分だけの九龍城砦を作ろうみたいな方向性になっています。

途中でオリジナル創作を始めたので、それ用の別館も生えました。こちらは純度高く創作世界観形成目的でのみ運用しています。でもマンガも設定集もキャラ紹介もイラストも作品語りも、やりたいことは全部やってるのでこっちもほぼ九龍城砦です。
個人サイトとSNSの運用について
現在はこんな感じで運用しています。ざっくりなので別にこの限りじゃない場合も多いですが。
自分の発信物や活動や思考や公開自我がほぼ全部ある場所
個人サイトで出したものを抜粋し、応援したいコンテンツに関するファンアート・一言感想、自分を知らない人に向けた告知などを発信する場所
個人サイトで発信したものの中から、『自分のことを知らない人に見られても別にいいな』と思ったものはSNSにも流す、といったやり方をしていることが多いです。ゲームの初見プレイ途中感想とか強めの自我とか思想強めのフィクション観とかって、万が一SNSで知らない人たちの間に広まってしまうと存在しない前提を認識されたり、変な尾ひれがつく可能性があるので。
(※注釈:とはいえ当サイトは悪意的作為的じゃなければリンクは自由です。自分で直接発信したか他者による媒介的発信かでなんとなく温度感が違うような気がしているので)
SNS発信を絞っていた例を挙げると、ゲーム『グノーシア』の一周目時はプレイ記事を5~60ほど書いてたのですが、これの更新告知はSNSではしていませんでした。なんならこの時はてがろぐ(現在の更新の中心になっている短文雑記)もやっていなかったので、本当にブログだけを更新していた。
一方で、プレイで発生した出来事を簡潔にまとめたマンガなどはSNSにも投稿していました。なんというか、マンガまで落とし込んだものは加工済みなので大河に放流してもOK、みたいな感覚が自分の中にあったのでしょうね。テキストによるプレイ記事は原液無加工というかなんというか。能動的にサイトを覗きにきた人だけが見ればいいかな、という気持ちがありました。
受動と能動
『受動(=流れてくるものを見る)』『能動(=自分から見に行く)』が自分のSNS/サイト運用における重要キーワードみたいなところがありますね。受動状態の人にも見てほしいものはSNSに、能動状態の人だけに見てほしいものはサイトに…という分け方をすることが多いです。この分け方も相当感覚的なものではありますが。
もちろん、SNSが全て受動というわけではなく、検索で探している能動的な人もいるわけですが。しかし基本的には『タイムラインで流れてくるもの』『おすすめに流れてくるもの』として見られることが多いのかな、と思います。特に昨今はおすすめ機能の隆盛によってマジで知らん人が急に眼の前に現れますし。そういう人にいきなり『自分の原液』を送り込むのって、なんか、怖いですからね。
一次創作の発信
ここまでは二次創作・プレイ記録や感想・ファン活動に関する運用方針の話でした。そんな感じでサイトを運用していた私ですが、途中でオリジナルの創作活動を開始します。さてここで応用問題です。私は一次創作においてどのようにSNS/サイトの発信を使い分けているでしょう?……とか言ってみたりして。
答えは、『マンガの更新告知はするが、マンガそのものはSNSに流さない』でした。
前項で、『受動状態の人に“自分の原液”を送り込むのはなんか怖い』と言いました。物語つきの一次創作をしていると強く思うのですが、これってなんかマンガそのものが『自分の原液』すぎる。二次創作における『原作』というクッションがない。これを受動寄りプラットフォームにいきなり送り込むの、こ、怖………。
……ということを、本気で伸びたい・プロを目指しているような人が言っていたら「そんなナメたことを言っとる場合か、さっさと#マンガが読めるハッシュタグ してこいや」という感じだと思うんですが、私は自分が楽しむことを一番にしている趣味のインターネットお絵かきマンです。自分の心理的安全性の確保を最優先した上で、ワンチャンの能動的流入で見てもらえれば御の字。というわけで最低限、SNS上では『マンガ更新しました URL+画像数枚』の発信としています。
実際どれくらい見てもらえてるのか
結論から言うと、割と見てもらえています。ありがたいことに。具体的なアクセス数などは気にし始めると精神衛生によろしくないのでふんわり肌感にはなりますが、キリのいいところまでは数百ページあるオリジナルマンガを読み終えてアンケートに答えてくれる人や、総集本を買ってくれる人が二桁はいる。二桁って割と範囲広いだろ。すいません。あんま具体的すぎる数字を出すのは気が引けるので……二桁です(保身)。
記名の人間関係を伴うコミュニケーション少なめでのこれなら、個人的には相当読んでもらえたなあ、と感じますね。加えてSNS発信を絞り気味なので決して閲覧可能性の最大化はできていないと思いますが、最大化ってリスクも承知で狙いに行くということですからね。
自分が好き勝手に時間を使って作った膨大なもの、という自己認識であるため、人様の貴重な時間をも巻き込んで使ってもらっているということって普通にヤバすぎます。当たり前のことではない。そしてこれ以上の規模は私には手に余ります。半径85センチ。
見てもらえている要因を考える
…という規模のことを『十分見てもらえている』と感じている人間の感覚で以下も語っていきます。
「“SNSでは更新告知だけ、個人サイトに公開”で今の時代でも十分見てもらえるよ!!」と言えるかどうかと言われると、それは断言しにくいところがありますね。
それを左右するのは作品の巧拙か?と言われると、何もかもを凌駕する超絶技巧を持つ人は別格として、自分はそうではないと思います。自己評価として絵柄は一般的かなと思う反面なんか要素は全然キャッチーじゃないし、導入も展開も反省だらけだし、もっと上手くなりたいし………という話は置いておいて。今回はあくまで『個人サイトでの発信・運用』を軸に話すので作品の出来の話はしません。
SNSでの発信絞って大口の新規流入口作ってないのにそこそこ見ていただけている理由、ひとえに私が進捗おばけで語りたがりであることが大きいのかなと。個人サイトの範囲に限って言うならメチャクチャ進捗の話をするし、そういう気分だったら創作語り的なことも無限にしているので。あと創作とか全く関係ない日記とかアニメの感想とかレポとか散財とか……。人によっては興味がなさそうな話も含めて、自分が駄弁りたいと思ったことを一生駄弁り続けているようなところがある。
所謂、“継続した発信”ですね。見に行けば何か更新されている、という状態にできているため、個人サイトを覗きに来てくれる人の数をそこそこ維持できているのかな、と考えられます。
(これは狙ってそうしているわけじゃなく、ただただ私がナチュラルインターネットテキストお喋り癖の人間であったというだけなのですが。意識して更新しようとか考え出すと精神衛生に悪い。ノルマとかは決めてないし気分じゃなかったらやらないです。たまたま7年間気分が続いてるだけです。え?)
自分としては無理することなく、たまたま継続して見てもらいやすい状態を形成することができた、というのが要因として大きいのかなと。
個人サイトをわざわざ見にきてくださっている状態って、能動性でしかないですからね。多分ですが、SNSで受動的に受けとる人よりは完走したり、購入したりしてくれる割合は高くなるのかな…という気がします。すいませんこれは全部肌感の話で、具体的にそういう定着率データがあるとかではないんですが。ありがたい……ありがたいことです。
媒体性質を利用して自分に合う発信の仕方をしたい
今の時代、数字を伸ばすだけなら絶対に『受動的閲覧者』を狙っていくのが良いのだと思います。わざわざ何かを見に行ったり、探したりするのってエネルギーが必要ですし、それをやろうとする人は自然限られますからね。SNSもシステム的にどんどん『受動的閲覧者のキャッチ』方向に発達していっているように感じます。良くも悪くも。
ただ、私はとにかく趣味を楽しむために創作や好きなものの感想・記録をやっています。単純な数字を伸ばすことよりも、自分の精神衛生を維持しつつ丁度いい具合にやっていくことが優先事項。そうなると、『わざわざ足を運んでくれる、能動的な人に向けた発信』としての個人サイトはかなり有効な手段であると言えますね。
最初からこうなるように意識して運用していたワケではありませんが、やや強めのメタ認知から保身しつつ自分のやりたい形を模索していった結果こういう形態にできたので、よかったな~と感じています。
無論、受動的な人類は見るな!!!!!と思っているわけでもないです。というか能動と受動は完全に白黒ハッキリ分けられるものではなくて、最初は受動的に見ていたが、熱が上がってきて能動的に追いかけるようになった…というケースもあるかと思います。私もそういうことある。なので、そういう流れにも繋がればいいな…と思いつつ、SNS受動体制の知らない人に向けた発信物や告知は今後もそれなりにしていくつもりです。まだ見ぬ、自分と波長の合うかもしれない人にリーチしたいからね。
逆に能動だった人が受動に移行するケースもあるかと思います。というか、ずっと能動的に自分のサイトを見てもらえるとは当然思っていません。能動には強いエネルギーが必要ですからね。義務になると一番しんどいやつ。なんで、見に来なくなる人も絶対います。多分めっちゃいます。7年もやってんねんで。
個人サイトのいいところって、『見に来なくなること』にアクションが必要ないところでもあるなと思うんですよね。SNSの場合、『この人もう見なくていいな』と思った時には『フォロー(登録)解除』というアクションが必要になります。もしそこに人間関係的な繋がりがあれば後腐れや気になりが発生し、余分なエネルギーを消耗することもあるかもしれない。つまりそこで何らかの能動性が必要になるんですね。ここにエネルギーが必要ゆえに人を留めておけるというのもSNSの構造なのかもしれませんが、個人の感情としてはこういうエネルギー消費ってかなりダルい。
個人サイトの離脱は簡単です。何もしなくて良い。見るには能動的なエネルギーが必要ですが、離脱はエネルギーが不要なのです。これは、趣味創作として無理に人を留めておく必要はない、双方の精神衛生を優先するタイプの発信者としては非常に健全で合理的だなと感じます。
見たい人だけが見たい時に見てくれればいいし、離れることに変な気まずさを感じたくない。このようなスタンスで創作・発信・活動をしたい人には是非おすすめしたいですね。個人サイトは。
以上、個人サイトとSNS、誰かに見てもらう上での能動と受動の話でした。お読みいただきありがとうございます。


