創作をやっていると創作やっている他人の存在が気になる。他の人はどういうノリでやっているのだろうと。そういう感じなのでけっこうnoteやFANBOXや知らない人のSNSを覗きにいっている。特に濃度が高いのはやはりブログ系だ。SNSはちょっとノイズが多くて純度が物足りない。俺は創作者の原液が飲みたいのに、他の色んな要素で薄味になってしまう。
まあそういうものを見ていると色々な人がいるので、『自身が趣味の創作物を公表することで、受け手にどのような作用をもたらしたいか』も様々だなあと感じる。
他人のためじゃない、自分のために、自己満足でやっている人であっても、それを公表するということは何らかの作用を少なからず期待していると思う。『作用』と表現しているのは、必ずしもそれが『反応』のように直接自身に感知できるとは限らないからだ。当記事では、受け手である他者の『影響』『反応』『承認』『変化』などをくくって『作用』としている。
例えば以下のようなものだ。
- 面白いと思ってもらいたい
- 楽しんでほしい、喜んでほしい
- 元気になってほしい
- 琴線に触れたい、感動させたい
- キャラや関係性を好きになってほしい
- 何かしらを知ってほしい(知見を与えたい)
- 自分の愛好する概念の支持者を増やしたい
- 自分の愛好する概念のアウトプットがこの世に増えてほしい
- 作者のファンになってほしい
- 作者、すげえ!と思ってほしい
- “推して”ほしい
- “狂って”ほしい(傾倒してほしい、心酔してほしい)
- 感想を送ってほしい
- 他の人におすすめしてほしい、拡散してほしい
- 自分を評価する数字になってもらいたい(バズりたい、商業を目指したい)
- 誰かの一番になりたい
- 交流のきっかけにしたい
- 更新を楽しみにしてほしい
- 更新された時、それを嬉しいと思ってほしい
- 何かに気付き考えるきっかけになるといい
- 誰かの救いになりたい
- 誰かの呪いや楔になりたい
- 記憶に残したい、忘れないでほしい
思いつくのはこんな感じだろうか。もちろん全てではない。あとストレートに「こうなってほしい」と発言しているのを見たのではなく、なんとなく言動的にこうなってほしいんだろうな…と私が勝手に想像しているものを多分に含んでいる。
また、発信側にこういう願いがあったとしても、受け手がその通りになるとは限らない。というか、ならないことの方が多いだろう。それは当然のこととして、思い通りにはならないものとして、それはそうと発信者側には「こうなるといいなあ」の期待があるんじゃないかと思う。そして、そうなるために試行錯誤をする。その結果望んだ作用を得られて喜んだり、思い通りにいかなかったことが逆に面白かったり、場合によっては不服だったりする。そういう感じで趣味創作世界は回っている。気がする。
さて、ここまでは完全に俯瞰者視点の自分の考えを書いただけである。ここから自分の話をします。果たして自分は、創作物を公表することでどのような作用を期待しているのだろう?
大前提として、幾度か述べている通り自分のため、自分の世界を開拓するためという動機でやっている。お前にとってそれが一番の目的として、それを公表することでどのような作用を期待しているのか?
『楽しんでほしい』『元気になってほしい』?それを求めるならもっと分かりやすくて共感しやすい題材を選んでいることだろう。
『愛好する概念の支持者を増やしたい』?自分もオタクゆえに愛好する概念は沢山ある。しかし、それを世界に増やしたいとか、良さを知ってほしいとかはあんまり無い方だ。
『“推して”ほしい』『“狂って”ほしい』?それは誰かのリソースをかなり多大に食うものだ。なんか、そこまで強い作用を期待できるのは、すごいと思う。
『更新を楽しみにしてほしい』?なんか気付いたらアップされてたから読んだけど、間が空いててもなんとも思わないわ、くらいでいい。
(繰り返すようだが、これは自分が何を期待しているかの話であって、実際に受け手の人がどういう感情を抱くかは別の話である。面白いと思ってもらえたり楽しみにしてもらえたらそりゃあ勿論当然爆裂当たり前に超嬉しいが、それを積極的に期待しているわけではない、というか。うまく伝わっているだろうか。この感じ)
期待にも身の丈というものがある。「これくらいは期待してもいいかな…(それ以上・それ以外のものが貰えたら当然うれしいけど、それをアテにして期待するのはちょっと背伸びしすぎだし、自分はその大きなものを期待する方向に努力できてはいないな…)」みたいな、そんな心情があると思う。少なくとも私にはある。
じゃあようトヤマ96、おめえは一体何を期待しているんだい?何を想定して創作物を公表するんだい?というと……
「また阿呆なものを作りましたね」
このセリフが脳裏をよぎる。これは、四畳半神話大系という作品に登場する『明石さん』という女性の発した言葉だ。
四畳半神話大系は、大学生活を何度もやり直すループものだ。主人公は己の不毛な大学生活を後悔し、入学時違うサークルを選んでいれば…と考える。1話が終わる。次の回では別のサークルを選んだ並行世界が展開する。そして主人公はそこでも不毛な大学生活を後悔し、違うサークルを選んでいれば…と考える。1話が終わる。次の回では別のサークルを選んだ並行世界が展開する。この繰り返し。
その中で、主人公が映画サークルに所属している世界線の話がある。その映画サークルはカリスマ的存在である先輩が独裁している状況。主人公は何をしても先輩を持ち上げるテコの支点に利用されるのみだ。主人公は先輩への反骨心もあり、自主制作映画をいくつも発表していた。カリスマの先輩と違い使える人手はごく少数でチープかつ独り善がり極まる主人公の前衛的な映画はひたすらスベり倒していた。
そんな彼の映画をただ一人面白がっていたのが『明石さん』である。彼女は映画の内容を「酷い」とは言いつつ、しかし好ましいと思っているようすで、こう言うのだ。
「また阿呆なものを作りましたね」
これかもしれんな。かなり。これですよ、私は明石さんに「また阿呆なものを作りましたね」と言われたいのかもしれない。
明石さんは主人公の映画を見て涙を流して感動したわけでもなく、主人公という映画監督に心酔しているわけでもなく、推してるわけでも狂っているわけでも誰かに勧めているわけでもなく、特段救われているわけでもない。ただ、知り合いの作る変な作品を面白がっているのだ。
しょーもないものを本気で全力で作って、それで明石さんに面白がられるのだ。「また阿呆なものを作りましたね」と言ってもらうのだ。心の中の明石さんに。明石さん…明石さん!!!
この回、初めて見た時やその数年後に見返した時やそのまた数年後に見返した時はそういう風には感じなかったけど、今見ると変なツボに刺さるな。不毛な情熱で独り善がりな映画を作り続けている主人公と、それを面白がる明石さんに、己の心が、映る………。
『全ての創作者は見るべき』と喧伝されるような、創作をテーマにした作品が世の中には色々ある。まあそれはかなり広いパイで創作者というものの共感を拾い上げる作品なのだろう。だけど、100万人のために歌われたラブソングよりも俺は明石さんに面白がってもらう方がずっと心に響く。え?明石さんなんて100万人が好きなキャラだろうって?そうだけど
俺の中の明石さんは俺だけに言ってくれてるから、俺の中の明石さんは
なんの話でしたっけ。創作物を公表することで他者に期待する作用の話でした。明石さん明石さん言うとりますが、私はこう、しょーもなくて、なんじゃこりゃって思われながら面白がってもらえるとうれしいのかも。
でもこういうことを書くと誰かの感じ方を縛ってしまうような気がするのであんまりよくないのかもしれない。いや、感じ方はマジでなんでもよくて、全然思いもよらない作用を及ぼしても面白いなって思うので多分悪口じゃなければ等しく嬉しいと思う。ただ、なんか道標にできる存在が明石さんなのかもしれないなあ、ということを最近考えていたよって話です。