先日、創作占星いで有名な水煮先生に色々見ていただきました!!
そのレポマンガと、マンガにできない系の文字感想などの記事です。
描いたレポマンガに私の感想文やら何やらをぐちゃぐちゃ挟みながら喋っているので、レポマンガだけスムーズに読みたい場合は以下リンクからどうぞ
あ!この記事無茶苦茶長いです。レポマンガ(ある程度公共空間で知らない人にも読まれることを想定している)と違って本当に内向き・自宅での駄弁りって感じの内容になっています。全裸です。そんな感じでよろしくお願いします
事前準備編
鑑定受けるにあたって自分のホロスコープなども調べてみたんですが、多分月星座は双子座で合ってるはず
鑑定の方で言及されたわけじゃないんですが、自分の対応する月星座の記事読むのも面白かったです。
「常識的に考えて、これは言わないほうがラクだろうなぁ」とか、「もっと世間受けのいいこと言ったほうがいいよなぁ」と、オトナの視線を取り入れてしまうのは、双子座の月にとっては窮屈です。
というのも、社会を強く意識してなんやかんや言うのは、天球の真逆の位置にある射手座の性質だからです。善悪を考えて発言すると、率直さが命!の双子座の月は鬱々としてしまいます。
↑ここ、太陽側のいて座くんが困惑してた(?)
わんこそばみたいにポンポン情報出してきた結果最終的にすごい量になってる、みたいなのはすげえ覚えがあって面白~~!!って思いながら読んでました。
人生のテーマ
作風分析
この『感情の理不尽さ・苦み』っていうのがすごく好きな表現で、あ~~良い言語化だな~…と思いました。(最初苦みを苦しみに読み間違えてたのは内緒な!)(だからルビをつけたんですね~)
自分の描くもの、特に俺屍徳甲一族描いてる時は割と強めの感情を描く機会が多かったように思います。誰かが誰かを強く想う情が随所に溢れてたな~と。
ただ、(私がミーム的な表現苦手なのもあって)クソデカ感情って表現はあまりしっくりこないんですよね。じゃあなんと言えばいいのかな~…という感じで空席になっていた語彙の部分にピッタリはまる表現なのかも。感情の理不尽さと苦み 良い言葉だ…
水煮先生に見ていただいたのは徳甲一族のエピローグと凪左助逝去月関係だったんですが(クライマックス系ばっかやんけ!!って感じだけど順を追って見てもらうにはページ数が多すぎて…)
今回お見せしてない血潮世代関係が特に『感情の理不尽さや苦み』全開だったなあということを思い出しました。
理性とか理想に反して強い感情を抱いてしまったり、それによって思い描いていた未来と違う感じになってしんどい・お互いが想い合ってるにも関わらず、寧ろそのせいでドン詰まりに陥っていく……みたいなのはまさに『理不尽さ』だな~ みたいなことを思ったり
な~ 苦いよな~この空気 お前もそう思うよな~(雷丸のダチ?)
向いてそうなものの話
「オリジナルやるなら?」の話なのに結局二次に戻ってきててじわるんだけど、マジで動機になりえるものは変わらない、というのが真理なんだろうなあ。この項目の話好きです。
まず、『これを見てみたい・こんなのを読んでみたい』っていう動機は本当にドンピシャでした。ビビるくらい
直近で出したグノーシアの同人誌についても、公式でハッキリ描かれていない部分を自分なりに解釈したやつ具現化したい!!!って感じでしたね~。自分が一番見たい二人の姿、愛でも友情でも救いでもないバキっとした関係にほんのちょびっと0.00000001ミリくらいだけ隠し味程度のウェットさを混入させたくらいのバランスのやつ……が見たくて、多分自分が一番見たい配合の二次創作は自分しか描けねえ!!!描く!!!みたいな。
マイナー志向とはニュアンスが違うんだけど、基本的には『見たいけど自分が描かないと無いもの』を描くことになる?というか……というか究極的に言えば自分が一番見たい二次創作は自分にしか描けないと思っているところがあるというか?解釈一致はこの世に存在しない概念だと思ってるから、『私は私が見たいものを描いて出すので、お前はお前が一番見たいものを描いて見せてくれ』というのが創作に対する姿勢なのかもしれないな~。(もちろん原作へのリスペクト的なものは前提として)
「この人、これが一番見たいんだろうな~」って感じの二次創作にすごく惹かれますね。好きなキャラや組み合わせかどうかよりも、そういう部分に強く引きつけられる傾向がある
オリジナルで向いているものは、とにかく”自分が”「これを見てみたい!」「こんなの読んでみたい!」に忠実になれるもの、というふうになっていますね。
(自分にとっての)未知であること、体力気力が必要なことをやる上で必須になってくるので…。いくらそれが世間的に珍しいものであっても、自分が慣れ親しんできたものだと「わざわざ描く理由、ある?」となりやすい、ともいえます。
こちら実際の原文引用
そういえば前に『自分は自分の見たいものが無いから描くタイプだけど、逆に言えば自分の理想通りのものを出力する他人がいたらショックだしな~んにも描けなくなるんだろうな(まあそんなホラーみたいな存在いてたまるかと思ってるけど)』みたいなことを考えたことがあるんだけど、マジでそうだな~~~
二次創作で季節ネタやコスプレネタ・日付ネタをやろうと思うことが殆ど無いんだけど(俺屍自一族ならやる)それってマジで「自分がやる理由ある?」だからだしなあ。自一族は自分しか描かないのでやる
オリジナルを何かやりたいな~自分だけの世界を持ってみたいんだよな~~という願望はけっこうずっと持ってます。それで夢想してみるんだけど、なんかこう……普通のストーリーもの・キャラもので面白いものってこの世に溢れまくってるし、自分がやりたいものって何……???何もわからん……で終わっちゃうんですよね。
これ!!っていう性癖があるわけでもないし。少年少女や少年少年でサイコーなのなんてそれこそ世界中に溢れてるからわざわざ私が1から構築する必要を感じない……それなら未プレイのゲームやります……ってなるし
たまに『俺屍やってる時みたいな感覚でオリジナルがやりたい』と思うことがあって、つまり『自分には制御できないランダム要素があり、どう終わるかも良く分からないまま振り回されながら一緒に冒険するみたいな創作』の手段があれば自分がやる意味もあるんだろうな~~みたいな。
『自分が進まないと先が見れない・でも自分にもどうなるか分からない・世界を知っていくような創作形態』一人でシナリオもGMも無い、既存システムでもないTRPGやるみたいな感じ??(??)寧ろ自分でシステム構築するみたいな???そういう攻め方?
水煮先生のお話を聞いたこともあり、本格的にそういうのが向いてるのかもしれないな~と思うようになってきました。
一次でも二次でも思いつき(というと気まぐれっぽいですね…”直感”とでも言い換えてみましょうか)で突っ走れると、「自分でも思っていなかった展開や領域にたどりつける」という性質もあります。
細かい要素を考えるよりも、とにかくノリと勢いが大事なイメージです。
というより、ノリと勢いがあるからこそ「こんなの自分に描けるのかな?」「こんなのだれにも理解できないよ!」という躊躇を吹き飛ばして自分にとっての未知にたどり着ける、といいますか…。
まさにこれなんスよね~~~~~~~~~!!!!これができるとオリジナルも描けるんだろうな~~~!!
レポマンガにも1コマに詰め込んだけど、マジでこの『(最初に意図してなかった)未知の領域』に辿り着いた瞬間が一番面白いというか、脳汁出るというか、やっててよかった~~~~!!を感じるので。
俺屍って本当いつも私をここに連れてきてくれるんですよね。ゲーム内でのランダム引き(プロフィールや遺言)などから思いついた創作をしていってるわけだけど、それをやってる間に『自分なら絶対思いつかないようなもの』が色々出てくる。そして、そうやって過去に描いてきたものを拾ってきて新しい解を出していく……という。
その結果、普段の二次創作とかなら絶対に描かないような『ものすごいウェットで感情的でネガティブな女と、感情の波が無いけど最終的には寄り添う男』とか、『女の子同士の微妙な空気感の関係』とか、『年上のお姉さんと少年』とか、『めちゃめちゃ年上の一般成人男性に恋しちゃう青年』とか、エトセトラエトセトラ、私にとっての未知に辿り着くっていうのが超あって、ね~~~~!!!(語彙の息切れ)
多分その辺も私がノリと勢いと直感でやってるからなんだろうなっていうのもメッチャ分かるんですよね。直感で受信して後から理屈を捏ねて固めるみたいなことばっかりやってる気がします。
「こんなの自分に描けるのかな?」「こんなのだれにも理解できないよ!」っていうのも、マジでマジでマンガ描く前に文字でネタメモしてる時頻繁に思ってたことで
『私に人間が誰かを恋しく想う時の繊細な気持ちなんて描けるわけないやろ!!!!!!!!!!!!!!!!』とか『天井にビーム打って神様大集合させるの!?!?!?!ほんとに!?!?!?!?』とか『これ読んでる人話についてこれるのか…?受け入れて貰えるのか…?』とかメッチャ思うんだけど、
結局最終的に『うるせえ!!!!!!!!最初にこれだ!!!!!!!!!!!って受信したんだからこれが正解なんだよ!!!!!!!!!描ききれるかどうかは描いてみないとわからんやろ!!!どうにかなる!!知らんけど!!!!!!!!!!!!!頑張れ!!!!!!!!!!!!トヤマ!!!あとはお前がなんとかしろ!!!!!!』でセリフを打ってネームを切り始めるんですね…。ネタを受信する部署のトヤマ、ヤバい上司みたいだな
水煮先生が解釈して紡いでくださった言葉を受けて私の自分語り的解釈を長々と書いてます。無限解釈編
余談
俺屍のプレイ記&補完創作が完結した時に感想乞食の一環として『キャラ投票フォーム(コメントも記入してもらえる)』みたいなアンケートを設置しているんですが、上記のような「こんなの私に描けるのか?」の色が強かったキャラや関係性は比較的ウケが良い傾向にあります。面白いな~……
そしてこれもわかるマンのゾーン
『ネタが思い浮かぶかがギャンブル』って感覚、めちゃめちゃ分かるんですよね~。もちろんそこに至るまでにどんな情報を得ているか、どんな余白があるか、自分の趣味嗜好との合致度などによって確率変動が起きる台なわけですが。
俺屍の補完マンガなんかは後半にいけばいくほど話数もページ数も増していってありえんほど肥大化してたんですが、これも確実性のある何かというよりは『これまでの積み重ねによって発生した確変フィーバータイム』みたいな感触だったように思います。1年以上フィーバータイム状態で創作できちゃったのは明らかにバグった台としか思えないけど
マンガのネタはだいたい帰り道を歩いてる時に降ってきてたんですが、「お、今日もきたね~」みたいな感じだったのでマジで確率がバグってる台でルーレット回してる人みたいな…(?)
なので、万が一このギャンブルが全く当たらない状態になって、それでも何かを描かないといけない・続けないといけない…となると、ま~~~~泥仕合になるだろうな……というのも分かるんですよね~~。地獄だろうな
もちろんこの台の確率はある程度自分でコントロールできるんですが、確率をコントロールできるだけでネタが浮かぶかどうかは運って感じするし そうそう そうなんだよ~~
『枠取りが先にくると何も浮かばなくて地獄』っていうのも、何の確率操作もしてない台で当たり出そうとすればそりゃそうなるわ…って感じだなあ。マジでアンソロにお誘いいただいた時(お誘いいただけるのは本当に本当にありがたいのだけど)びっくりするくらい何もネタが浮かばなくてめちゃくちゃ苦しかったんですよね。台を調整できてなかったから……アンソロ、イラスト以外で参加できない(経験による結論)
つくづく自分はずっと同じ作品や同じキャラ・組み合わせを描いていられるタイプではないのだろうな~と思いますね。枠先行だと死ぬ・ネタ降りがギャンブルな上に自分が描く理由が無いと筆が動かないから
客観視の仕方について
客観視の項目についてはレポに描いたことがだいたい全部なんですが、ここね~~好きなとこの話していいですか~~?いいよ
水煮先生が『キャッシュ』『脆弱性』ってワード使ってるのが好きですね~~。最初に出てた『演繹・帰納』もそうなんだけど、『ちょっと一般的な表現ではないけど相手の知見の範囲にありそう』な言葉のチョイスがマジで巧いな~~……と。
キャッシュとか脆弱性って言葉、私が個人サイトやってるから通じるだろうと思って使われたのかな~と勝手に思ったんですがどうなんでしょう。演繹・帰納っていうのも何かしら話作りをしているタイプのオタクならそこそこ分かる率高いワードかなあと思うし。先生がどこまで意図して言葉を選ばれているか分からないですが。
他の方のレポを読む感じ、ある程度その人に合わせた語彙の引き出しを使って喋っていらっしゃるのかな?と思うことがあったり。フランクで砕けた雰囲気でオタトークできる方相手ならもうちょっと軽い語彙を出される印象があります。あくまでレポ読んだだけの印象ですが。
レポでよく出てくる『パワーワード』っていうのも、究極的に言えば水煮先生というよりはその対象になった方に合わせて生み出される語彙というか……いや語彙を生み出しているのは紛れもない水煮先生なんだけど、なんというか うまく言えない
言われた方が『パワーワードだ!』と思って初めてパワーワードという概念が成立する?というか?
今回自分に向けた水煮先生のお言葉を受け取ってみて、『出た!!!パワーワードだ!!!』って思うことが一度も無かったんですよね。(もしかしたら引き出し選択の時点で加減されてたのかもしれないですが)
自分の中で衝突なく噛み砕いて消化できるワードが全てだったからだろうか。人によってはパワーワードとして受け取れる語彙もあったかも?とも思いますが。ホラ吹きとか
パワーワード…パワーワードってなんなんだろう。ともかく水煮先生の言葉選びは水煮先生単体というよりは相手に合わせたものであるというようなことを感じて、本当に対話をするプロの方なんだな~~と思うなどしました。
まとめ
ここにも書きましたが、マジで質問チョイスと配分をちょっとミスったな~~~!!!って思ってます!!!!あくまで私のミスです!!!!
鑑定してもらってから改めて他の方のレポなどを読んでて、『あれ?なんか私あんまり作風分析深掘りできてないかも…?』って思えてきて、そういえば精神観念系の質問ばっかりしてる~~!!そりゃあ作風深掘りする時間ねえわ~~~!!と。もちろんその精神系のお話もメチャクチャ面白かったんですけどね。マンガレポにしにくかったのでこの後文章で振り返ります。
質問4つでも十分濃厚なお話が聞けたんですが、より深掘りするなら2〜3個くらいに絞っても良いのかもですね。その辺は実際にやってみて初めて掴める感覚って感じな気がするので1回目なら仕方ないかな。リピートしてえ、する(意思)
向いている要素について
さて、ここからはレポマンガに入れるとダラダラ長くなってしまいそうなので割愛した部分を文章でしゃぶりつくして行きたいと思います。かなり内向きな思考整理になるかなと
以下はオリジナルで向いてそうなものは?の話題の中から引用
自分の中で死んだものはよみがえりづらいタイプですね~。よみがえるとしたら、「自分の中でやりきれていないこと」「未練があること」でしょうか。ちなみにこのへんの要素も物語の中で扱いやすいと思います!
もっと具体的かつシンプルに向いている要素を読んでいくと、「冒険」「挑戦」「正義」「信念」「哲学」あたりが出てきますね。
「今ここにはない(けれど必ずあると信じているもの)を追い求めること」がとにかく重要になっていくイメージです。
ちなみに、「ギャンブル」も得意な要素の一つでもあります。「冒険」「挑戦」に絡んできますし、キャラや読者(そして作者の)射幸心をあおる展開も得意ですし。
先ほど『ランダム性があって自分にもどうなるか分からないような創作システムが構築できればオリジナルできるかもしれない』って書いたけど、この辺りと照らし合わせるとマジでそうなんだろうな~~~って気がしてきますね。
「今ここにはない(けれど必ずあると信じているもの)を追い求めること」なんかマジでそうだなあと思う。作るか、自分用のギャンブル性がある創作システム。作れるかどうかは知らないです(出た~)
作者自分自身の射幸心をあおる、っていうのメッチャ大事な気がします。究極的に言えば『自分が描く意味があるもの』って『自分だけの体験と言えるもの』なのかもしれなくて、そうしたらもう自分自身をも振り回すような構造のものじゃないと意味無いんだろうな~~~とか。
乱数ステータス萌え民みたいなところがあるので、ベースのステータスや属性設定をランダムで生成するとかはかなりアリよりのアリな気がします。
…いや、しばらくは二次創作でやりたいこともあるしやりたいゲームもあるんで今はぼんやりこういうことを考えてるだけなんですが。なんかこう他人のお話を聞いた上で自分の中にあった考えと組み合わせると新しいものが見えてくるな~~~楽しいな~~~おもろいな~~~って思いました。
やっぱいつかは持ってみてえよなあ、自分だけの世界(ホーム)をよお
スタンスや価値観の変化について
こちらはレポマンガでも完全に省いちゃってたんですが(あまりにもマンガにする=不特定多数向きに発信するのが難しい話だったので…)
私トヤマの価値観って本当に一定じゃなくて、この際ぶっちゃけるとオタクなりたての時期は自分の一番好きなキャラが世界中に愛されててほしいあまりマジでとんでもねえ総愛され主義だった(マジでその作品中のキャラ全員が私の好きなキャラを愛してるっていう歪み切った世界を本気で見てた)し、男女カプ好きに目覚めた時期は目覚め方が過度すぎて『作品の良し悪しを好みのカップル成立でしか測定できなかった』っていうヤバめの”””厨”””だったし、そして今はこんな感じじゃないですか。
↑こう振り返るともうこれでもかってくらい『見たいものを見る(そのため現実が歪んで認識される)』をやっててこえーよ!! 今 今の私の見えている世界が大きく歪んでないことを祈るばかりです
俺が化け物になったら多分化け物の自覚がないのでお前の手で殺してくれ……
あと先ほどの『客観視』の項目で書いてましたが、昔はリーダーとかやるやるやるやる!!!!!!!!!!!!俺俺俺俺俺!!!!みたいなタイプだったり、オタクとしても割と積極的に企画運営できるタイプだったり、比較的社交的だったんですが今は山籠もりみたいになってたり、なんというか一定じゃないんですよね。スタンスや価値観が
その辺について何か聞いてみたいな~~と思ってお聞きしてみた感じです。
トヤマさんの場合は「てのひらは返してなんぼ」なところがとても強い天体配置になっています。
これめっちゃ笑ったんだけど、マジで心当たりがあるんですよね。先に挙げたような、事前質問文に入れたモノとは別の件なんですが
死ぬほど好きになったキャラなどを思い出すと、どいつもこいつも第一印象が酷い傾向にあるんですよ。一目惚れの真逆というか
『やべーやつ的なネタキャラ扱いの動画を見て興味を持った』とか『メインキャラにめちゃくちゃ執着しててうわなんやこいつきっしょwwってネタにしてた』とか『キャラ発表時になんかピンと来ないし微妙だな~こんなので良いの?と思ってた』とか『カタコト外国人ネタキャラ枠www』とか。マジで全体的に失礼すぎんか すいませんかつての私が軽率非礼で…
マジで全員フラット以下、マイナススタート
最近は大分コンテンツへの接し方が慎重になったので、そこまで「ウケるゲラゲラ」的な入り方することは無くなりつつあるんですが、総合的に見るとマジで手のひら返しのオタク人生だな……と思います。
突っ走っているあいだはブレないのですが、いったん止まってしまえば、真逆の方向や明後日の方向に向かって走り出すことも容易…という性質になっていますね。
疲れるまで走ってひっくり返って、体力が回復したら「ハイ次!」でまた走り出す…を繰り返しているイメージです、
スタンスや価値観がずっと変わらないほうが不自然といいますか、不健全といいますか…。また、走っているときは「これが私だ!」がはっきりとしているのですが、止まっている間はとにかく環境や他人の色にとても染まりやすいです。気力の回復の手段として「外(他者や環境)からの不純物を取り込み、エネルギーに変換していく」という流れがあるので。
なので、変わり方が極端なのかな~と!
面白いなあ。同じジャンルで描き続けることがない性質とかもこれあるんだろうな~。
マンガレポの『客観視』の部分で『不純物が嫌いだが、ないと生きていけない』と言われてましたが、それがここにも繋がってくるそうです。
割と山籠もりがちであんまり交流できないタイプではあるけど、やっぱりターニングポイントには『他者』があったな~と思うことも多いですね。今現在のオタク価値観を形成したきっかけも友人の存在でしたし(友人にその価値観を説かれたわけではなく、友人と対話したことをきっかけに変化していったみたいなやつ?)
外から取り込んでエネルギーに変換するっていうのもマジでそうなんだろうなあ。というかもう今水煮先生からいただいた言葉をこねくり回してこういう長文を打ってる時点でそ~~だよって感じですね!笑
めちゃくちゃカロリーを使う天体配置なので、自分で生み出すエネルギーだけでは足りない側面もあるかな~と!
天体配置がもう高カロリーらしい。なるほどエネルギーを他から取り込む必要がある……
何かヘンな感じで面白いな~~矛盾してる感じが。私は交流下手だし見たいものを見ようとするから見えないものを自分の中から消しちゃうし山籠もりして一人で完結したがるけど、それはそうとして外的刺激が無いとエネルギー切れを起こすという。多分そういうところが『不純物が嫌いだが、ないと生きていけない』なんだろうな~~
「変わらないこと」にストレスも感じやすいタイプなので(自分という存在が固定化されてしまうことを嫌ったりとか…)、意識的であれ無意識的であれ「次はぜんぜん違う自分をやろう」と選択している側面もありそうですね。
きっとこれからも価値観やスタンスは変わり続けていくでしょうし、「何者にでもなれる」という感覚が生きる気力にもつながっていくのではないかな?というイメージです。「未知の自分に会いに行きたい」という願望がとても強そうな天体配置なので。
これ、そうなんだ~~~~~~~~~~!?!?!ってなったやつ。あんまり意識して『変化したい』と思うことは無かったので、はえ~~…ってなりました。
でも考えてみればちょっと前に絵の描き方改造したいとかいう記事書いてたし、ジャンルは固定されないし、流行に乗りたいとは思わないけど古くはなりたくない、的な思想はあるし、そういう面もあるのかもなあ。
オタクスタンスの話で言えば「え?こっからまだ変身残してるの?これ以上どう変わるの??」って感じではあるんですが、願わくば良い感じの変化をしていきたいものですね。俺が化け物になったらお前の手で殺してくれ(2回目)
オタク面はともかく、リアルはどちらかというと変わって欲しくないな~と思う方なんですが…と聞いてみたところ
これは「環境の変化に強い」という強みでもありますし、決して大きくない、微妙な変化にも(無意識のうちに)対応できる天体配置でもありますね~!
多少の波が来たところでひっくり返らないから、リアルにおいては結果的に安定している…みたいな感じにもなりそうです。
なるほどそういう角度で見ることもできるのか。私はリアルで大きな波乱が起こった経験があまりない幸せなタイプだと思ってたんですが、実際は波の上でユラユラしつつも転覆しない良い感じの重心の船に乗ってたのかも…?うーん どうなんだろう?これも見たいように見てるだけなのかもしれない(便利ワード)
不純物について
先ほどから何度か『不純物』というワードが出ていますが、これは事前質問に関連したものでした。さっきから文章打ってて思うんですが、別項目でも全部繋がってる感じがすごいですね。
事前質問で『自分は好きなものに対して潔癖症すぎるきらいがある(自分と好きな対象・モチベを阻害するような不純物を極力介入させたくない)』というような話をしたんですが
3つめのご質問で出てきた”突っ走っているときの自分”にとっての異物が入り込んでくることを、極端に嫌うといいますか…。
なので、不純物・異物となるものが、そのときどきによって変わる可能性も考えられます。
また、以前取り込んだものが、今の自分にとっては不純物になってしまい…ということも発生しそうな天体配置ですね。
こういう解釈ができるらしい。確かに何かをやっている時は特に『邪魔されたくない(=モチベに影響を与えたくない)』という意識が強くなるように思う。
『自分にとっての不純物がその時々によって変わる』っていうのも分かるな~。昔楽しく積極的に取り入れていたものが今は要らない要らない要らない!!!!ってなること、あるわ~~~
ただ、時間がたっていたり、創作などを通して消化できている場合は、風化していたり血肉に変わっていたりして大丈夫だったりもしますが…。
もうちょっとシンプルな言い方をすると、「未消化な要素」は不純物になるイメージです。
この言葉を自分なりに解釈してみる。
『自分の好きなもの』に不純物が混入したことによって嫌!!!!!ってなってコンテンツから離れてしまう、という経験が何度かあるんですが(かなり極端に縁切りしてしまう)
考えてみれば『無理!!!』ってなった瞬間シャットアウトしてしまう(見たいものを見ようとするため)から結果的に全く消化せずに終わってしまうのかも。不純物混入後もそのジャンルで続けられている人はちゃんと消化できる猶予のあるタイプなのかな?
突っ走っているあいだはブレないのですが、いったん止まってしまえば、真逆の方向や明後日の方向に向かって走り出すことも容易…という性質になっていますね。
先ほどのスタンスの話題で出てたこの性質が、そのまま未消化ブチ縁切りに繋がってるのかな~
でも本気で無理だと思ったら消化するの無理だしな~~時間と気力の無駄だし……(……)そうなっちゃったなら不純物の無い新しい楽しいものに時間使った方が有意義だし…(そういう…そういうとこやぞ…?)
なんだろう、私は好きなものに対して誠実なオタクでありたいし、そうあるつもりではあるんだけど、一旦赤甲羅食らってコースアウトすると戻れなくなっちゃうんだろうな……という気はします。めっちゃ献身的に付き合ってても地雷踏まれた瞬間2秒後に離婚届出してるみたいになっちゃう。
無理になったものはもうそれまで積み上げた実績にも執着できない……無理……さよなら……でも好きだった作品と縁切りするのは悲しいし寂しいので極力したくないよ…(マジで)
補足:ここまで行って消化不能になるのは明確に公式の方向性が変わったとか、マジの本筋的な部分が大きく変質した時だけです。デカめのノットフォーミーを感じた時っていうか
徹底的に苦しむ
ただ、無理!!!!!!!!!!サヨナラ!!!!!!!ってなるやつ“とは別種”タイプの『未消化な不純物』は決して嫌いじゃない気はします。寧ろエンジンになる?
そして、すでに自分の中にある未消化なものについては…いっそのこと徹底的に苦しむのがいいかもしれません…。
「苦しまないようにしよう」とすると逆に苦しくなりやすいですし、苦しむことで自分のなかで消化が促進されたりもします。なんでも消化できてしまう、やばいところもある天体配置ですし…。
俺屍やってる途中ってマジでこの状態な気がします。俺屍って基本的に楽しくて苦しいゲームなので
キャラが死ぬこと自体は嫌じゃないんだけど、『それが未消化で終わってしまうこと』は極端に恐れている傾向にあるような気がします。人となりや歩みを十分に見ることができずに戦死させてしまったらどうしよう(=同じ人物は二度と生まれないゲームなのに、未消化で終わってしまったらどうしよう)という恐怖を常に感じながらプレイしてたし。
ゲームプレイ上の悩みもそうだし、補完創作上の描写的な悩みもそうだし。未消化なものをどうにかするためにメチャクチャ悩み苦しんでるように思います。悩みすぎて一族のこと考えてたら階段踏み外して落ちて捻挫したこともあります(ええ…)その後悩んでた対象の一族がプレイミスで戦死しました(………)その件も無茶苦茶苦しんで何代かかけて消化しましたね……。
でもそういうのマジで一人で苦しんでたいんですよね~という話をしたところ
一人でただ苦しんでるだけで消化可能ですね~!
おそらく、消化しきってしまう直前、「あれだけ苦しんだのに…」というさみしさを感じたりするのではないかな?という印象もあります。苦しんでも手放せないほど自分にとっては価値のあるものだった(からこそ消化できる)わけですし…。さらに、苦しんだ分だけエネルギーがわいてきますし、苦しみからしか得られない「なにか」(自分の中の明暗さだったり、暗い喜びだったり)もあるタイプだろうな~と。
これも分かるかもなあ。分かるというか自分なりに解釈できるというか。水煮さんが言ってくれる言葉、心を読まれているというよりは解釈可能な概念を選んで持ってきてくれている、という感触が強いです。
メチャメチャ苦しんで消化した対象たち、今思い出して同じように苦しいとかしんどいとか思ったりはしないんですよね。なんかこう究極的にその消化の苦しみはリアルタイム時の自分だけが持ちうる特権だと思うので。
そして苦しんで消化した分で発生するエネルギーもあるなあ。思い入れとも言えるかもしれないけど
そうしないと辿り着けない場所っていうのも絶対あるもんね~~
これでまた最初の『人生・創作のテーマ』に帰ってくるんだけど、私は苦しんで消化しながら最終的にその対象のことを“知りたい”んだろうな~と思いました。知らずに終わってしまうのが一番悲しいから。
そうそう、私がフィクションキャラの死が別に嫌いじゃないのって『そのキャラの人生の終わりという究極の知識を得られる』からなんだよな。だって作中で死なないキャラは死を知ることができないじゃないですか。もちろん、いきなり死ぬんじゃなくて目一杯生き様を浴びて知った上での死が良い(もちろん死後回想とかで得るそれも良い)。最近鬼滅読んだ時もそれめっちゃ感じたかも。あれは本当に良かった……みんな目一杯生きてそして死んでいた
いや別に全員死ね、死を見せろとか思ってるわけじゃないんだけど……終わりのない終わり・生きているがその後どうなったかはわからない……みたいな結末も大好きだし。それはそうとして“死”という描写からしか得られない“知”はある……確実に……
だからフィクションにおける“死”は“生”と同じくらい特別で代えがたいものだと思っています。死を否定するな~(やばい宗教の方?)
マジで色々オタク哲学してても最終的に『知っていきたい』に帰ってくる感じはあるな~~~~と思うのでスゲ~~~~ってなりますね。スゲエなあ~~~
以上、創作鑑定を受けた結果の色んな思考の煮凝りでした。楽しかった!でもこうやって消化するのもカロリー高い!!!笑
良い感じに消化が終わって新しい外部刺激補給できそうな体制になったらリピートしたいな~!水煮先生、ありがとうございました~~!!