Twitterで聖母受け的なバズりツイ(要約しすぎ)を見て葉菜子が都合の良い女になってないか不安だった頃のことを思い出した。ずぶ濡れ単騎出陣したあたりに感じてたんですけど
彼女絶対確実に聖母ではないんだけど、火輪がいれば・火輪が言うならたとえ火の中水の中、絶対に否定はしないしひたすら好き好きオーラを垂れ流しているという存在で
ストレートな聖母カテゴリのキャラではなくても「否定しない」「肯定する」存在ってとても心地良くて、男性向けジャンルの人気ランキングとかだと滅法強いイメージがある(小声)ただその心地良さだけを追い求めるとキャラの自我を保つのが難しいみたいなイメージがあり…いやそういうキャラは普通にいるしアリなんだけど、葉菜子って本来は不安定さの塊みたいな人なので、そこがまるっと安全な感じの肯定感にすり替わったまま終わると彼女の本質は…?不安定な部分を無視して都合の良いところだけを拾って終わってしまったらどうしよう…みたいな なんかこういうことでめっちゃ悩んでたな…
葉菜子、火輪が言うなら多少の困難は余裕で許容してしまうけど、それはそうとして怖いもんは怖いし心細いもんは心細い人だからね(それも人一倍)。で、火輪って寛大な一方でやっぱ自己中だし繊細な人の気持ちとかあんまり分からなさそうだからあの状況で葉菜子を送り出すのはわかる。千代ちゃんやアヅキや血潮は絶対しない。
真赤丸は必要ならするけど流石に黄々に引っ叩かれそう。石榴もきららに引っ叩かれそう。ここの赤と黄色、場合によってはビンタイベント起きそうな組み合わせだったな。火輪と銀杏はガチビンタイベント起きてた
とは言え真赤丸と石榴はそもそも「特に理由はないけど俺様が訓練に当たってやるぜ!」とはならないので、どちらかと言うと効率や火力考えて自分が単騎出陣する方の人だけど。
葉菜子の話に戻りまして、このまま全肯定ガールのまま走り抜けるんだろうか…それはなんかこう…そんな思考停止で良いんだろうか…みたいな不安がじわりとあったんですね。寿命月の罹患&ドンピシャすぎて恐怖すら覚える遺言引きで杞憂に終わりましたが。杞憂?杞憂って言って良いのか?
状況だけ見るとかなりキツい状態ではあったんだけど、一方でプレイヤー私は「あ、やっぱり葉菜子は葉菜子だった…」ってちょっと安心したりもしていました。
ポジティブかネガティヴかでいうと多分全肯定ラブマシーンのまま走りきった方が幸せっぽく終わると思うし、罹患&悲壮感やばい遺言のコンボを引き連れてくる展開はネガティヴで、ポジティブを良いもの・ネガティヴを良くないものという単純な線引きで測るならば罹患エンドは良くないんだけど、私にとって一族は自分の子供じゃなくてどこまで行ってもフィクションのキャラクターなので、自我弱いハッピーエンドよりは自我強いバッドエンドの方が安心するんだな。と気付く。
葉菜子の終わり方はバッドエンドではないけどね。ただ寿命月の引きという記号だけ見れば確実に不運というか不幸セットだったと思う。でも彼女はかなり不安定な本質と、そして最後まで火輪のこと大好きでべったりなところが両立するような言葉(私の手を握っていて)を発したから、葉菜子の存在としてこれ以上ないと思えた。この感情あれだな、壺丸の時に感じたものにも少し似てるなあ。状況的にめちゃくちゃしんどいけどめちゃくちゃその人らしくてアドレナリン出るやつ
あくまでフィクションキャラクターで、それでいてめちゃくちゃ生きている。そういうものが好き
詠芽さんが聖母の資質を持っていたのかと考えることもあった
・年上の優しいお姉さん
・美人
・おっぱいが大きい
・主人公(的存在)を好きになる
すごいパーツが聖母っぽい
しかし彼女もまあ直球ストレートな全肯定超抱擁マシーンではなく、自分の意見を通したり相手に間違いがあったらちゃんと指摘できるタイプ。でもその行動全てが優しさと思いやりに起因するもの、というド善人
優しさ起因と言っても全て仲間のため身を犠牲にしている〜っていうわけじゃなくて「それを自分の役割と捉えている」ようなところもある。生きる上での指針というか方向性というか。家に来た直後に石榴隊長に与えられた役割が根底にあるんですね。
庇護することに依存してるとかそういうレベルではないんだけど、支えるべき存在がいるということは彼女にとって負担ではなく、道標みたいなもので、そういう標があれば今やるべきことや学ぶべきこともスッと見えてくるじゃない?みたいな。
例えるなら俺屍テーマプレイにおけるテーマみたいなもので。何家系にするか決めてると最初の予定は自ずと決まって来るじゃん、そういう感じ…
多分そういう部分が根っこにあるせいかな。詠芽さんはちょっと押しに弱いし、強い感情に流されてしまう時もある。彼女にとって年上の優しくて頼れるお姉さんでいることは「信念」ではなく「指標」だから、それ以上の大きくて強いものに抗い難いんだろうな…百獣の王オーラ全開で瞬きもせずに真っ直ぐ見ながら迫ってくる血潮さんに抗える人そんなに多くはなさそうとも思うけど。
彼女が押しに弱くてそれに流されきってしまう女ならもしかしたら気持ちだけはもうちょっと楽だったのかも。でも彼女は我に返っては己を律してしまうタイプだから苦しんだ。楽なものに甘えられない気質なんだよなあ
血潮と詠芽は2人とも優しくてお互いを思いやれて人間的相性も抜群で、なのに…というかだからこそああいう感じになっちゃった・もっと普通に時間があればあんな感じにならなかったという意味で時間の歯車に圧殺されたって表現に落ち着く。
普通の時間を過ごしたらまあなんだかんだ鈍いながら甘酸っぱいカップルになってたんだろうな。血潮は惚気ながらも地の生真面目さから道を大きく踏み外すことはないだろうし、血潮が大きな間違いをしない限り詠芽さんが彼を否定したり拒絶したりすることはない。あとこう優しくさり気無く良い感じに軌道修正してくれそう。擬似的聖母ヒロインの完成である。
…やっぱりこの2人には俺屍世界以外では出会いたくないな。いや一族全員1人残らずそうなんだけどさ。出会いたくないと言うか、別世界向けに調整された彼ら彼女らに出会ってもきっと好きにはならないだろうと思う。パロディ世界否定しがちオタク これ系の話してる時は常に※個人の趣味趣向であり赤の他人を否定するものではない ってついています。他人の一族に自分の価値観は反映されないしされるべきじゃないし逆も然り。自分がめんどくさオタクな自覚くらいあるよ
あとなんかごく普通世界の2人は「恋愛関係」であり「カップリング」になるんだろうな。なんかこう…概念ことば的に
2人の感情は恋であると補完でも言い切ったし、恋なんだけど、じゃあカップルか?悲恋か?っていうといやあ…それ以上は言語化したくないっす…って感じ…「紅蓮の祠 赤年の間にて」と「屍黙して雄弁に語る」あたりに突入した2人については多分言語化しないと思う…いやもちろん描く時に考える段階で理屈は頭の中で捏ねてるけど、それをちゃんと話としてアウトプットできたかは不安だけど、そこを言葉として形にするのは違うのかなあ…と。言葉にしろお話にしろ形にして表に出すって「この世に存在させること」って感じに思っていて、だから私はプレイ日記を書くんだけど
それは他人の世界に存在させることができる(他者の認識により存在する力を高めるレクリエイターズ的なノリ)、っていう意味もちょっとはあるけど、何よりそうすることによって「自分の中の存在を確かにする」という面が大きいです。脳みその中でこねこねしてるものってとても不完全で、脳みその中で全部考えたつもりでもアウトプットしてると考えてなかった穴がたくさん見つかったり、脳みその中で考えてる時には気付かなかったことに気付いたりするから。あと脳みそのCドライブがポンコツですぐデータが飛ぶので外付けHDDが必要というのもある。
だから自分の為にも絶対アウトプットしたいものとアウトプットしない方が良いものの分別はしっかりできるようにしたい。でも喋りたがりだから割と余計なことまでべらべら喋ってる気もする。その為の辺境ブログだオラァ!(バリバリバリオス)
タイムラインと言う名のベルトコンベアといいねとリツイートがない社会性皆無の土地でしか話したくないことが山ほどある
そういえば真赤丸の記事が非公開になってたことに気付いて元に戻しました。前に遺伝子特定記事書いた時にタイムラインでこれ見た流れで前後の記事見られるのは嫌だな…と思って非表示にしたまま忘れてたテヘペロ
前にも言ったけど見られることが嫌ならそもそも公開してなくて、回転寿司的に見られたくないっていうだけなので…ド冗長な目が滑る長文形式なのも含めて、存在するかどうかわからない物好き向けです
長文なのは素か
ちょっと話戻って
徳甲一族タイトル的には徳甲野郎Aチームみたいなつもりで始まったのになんでこんな””””感情””””みたいな話になってるんだろうな…誰かのことがめっちゃ好きな人の数が過去一族の比じゃない。羽出井なんか家系の祖が燃える恋だったのに全くそういう感じじゃなかったし 俺屍の不思議
無論色恋に限らないんだけど。大也→アヅキの相当こじれた好意的巨大感情の話しようと思って…したっけ?してないっけ…補完にはちょっと紛れさせた程度だったしプレイ日記の方では詳しく書かないというつもりのものがあった それはとりあえず置いとこう収拾つかない
個人的な話だけどこういう「なんか身を任せてやってたら思いもよらない雰囲気になってきた」みたいなのが楽しいのでプレイ楽しむためのルールは決めても一族自体の気温とか湿度とか日照時間はお天気さんに任せる…ってなっちゃいます。ある程度は個人の受け取り方に依存するので私がやるとどうしても多少テンションは高め?ガキっぽい?にはなってしまう?かなとは思うけど。ほら雨は雨でも人によって嬉しかったり悲しかったりするじゃん、雨という天候自体は同じ現象なのに。そういう感じ