これプレイ日記じゃなくてブログ向きだなと思ったので引っ越しさせました
妄想の語りです
鍬形郎の予定遺言について
クリア直後に見に行った時は微妙…というわけではないんですが、ゲーム内では半年ちょっとしか生きてない鍬形郎には重い言葉だな、この言葉に意味を持たせられるほど鍬形郎は生きてないなあと感じました。引きが悪いとかではなく、鍬形郎の言葉として消化できるほど私は彼のことを知らないんだと。
歌舞人についてはエピローグの補完らくがきの際に書きましたが、彼についても同じくクリア直後の彼だとピンとこない言葉で、これが「呪いが解けなかったIFの世界の彼の今際の際の言葉ではなく、呪いが解けた後の彼の言葉だとしたら」と考えることでストンと落ちた、みたいなところがあります。呪いが解けた後の彼の生き方みたいなものとして捉えたんですよね。
俺屍の最期の言葉は本来呪いの中で死んでいく人が発する言葉として設定されているので、こういう捉え方はやや反則かもしれないとは思うんですが 歌舞人のそれまでのイメージと、これからのふわっとしたイメージを合わせるとすごくしっくりきたので、ああいう風にしたんですが。
歌舞人の予定遺言を足がかりに、歌舞人と鍬形郎が今後どう生きていくのかに想いを巡らせてからしばらく経ってまたぼんやりと鍬形郎の予定遺言のことを思い出してみると…鍬形郎が本当に人としての長い生を全うしてから「これ」を言うのであればすごいことだぞ…と思えるようになってきたんです。その話がしたい します
エピローグとそのつけたし妄想で描いた通り、呪いが解けた後の鍬形郎は歌舞人に連れ回されて振り回されながら色んなことをして、色んなところに行って、色んなものを見て、色んなことを知っていくのでしょう。毎日が目まぐるしく過ぎて、彼は、彼一人なら絶対に歩まなかったような波乱万丈の人生を歩んでいくのだと思います。
彼らは朱点を倒すまでの間、最終準備と修行のためダンジョン的には紅蓮の祠と地獄巡りにしか行ったことがなくて、過去の一族が踏破した道のりでひたすら戦って戦って戦って、本当に狭い世界だったなあと。でも呪いが解けた後の歌舞人と鍬形郎は大冒険するんです。それを考えるだけでワクワク以外の感情が無くなってしまいそう。
鍬形郎はプロフィール通りものすごく神経質で頭が固いヤツなので、それはそれは大変な目に遭ったり、予想外なことばかり起きたり、楽しいって気持ちより苦労した思い出の方が色濃く記憶に残るような、そんな感じになってるところがありありと想像できる。ハゲそう
でも歌舞人と鍬形郎は最終的には京に帰ってきてくれるんだろうなあとか思います。馬鈴薯の生き残りメンバーはみんな風のようにどこかに行ってしまって下手したら二度と京には帰ってこないようなイメージがあったけど。
そしてこれも予定遺言を確認した時に確認したものだけど、歌舞人の呪い寿命は1歳7ヶ月で鍬形郎の呪い寿命は1歳10ヶ月なんですよね。呪いがかかっている時の寿命の長さがそのまま呪いが解けた後の寿命の長さにも反映されるかどうかはわからないんですが、仮に反映されたとしたら、年を取った歌舞人は鍬形郎よりも早く、それもかなり早く逝ってしまうんじゃないかなあ。
うちの世界の京の男性平均寿命が70歳くらいとして(うちの京にはコロコロコミック売ってるしな)呪い寿命の比率で単純計算すると天寿を全うしたと仮定して歌舞人は66歳くらい、鍬形郎は77歳くらい。めちゃくちゃ大雑把な計算なので別に詳細に決めてるわけじゃないですけど、多分歌舞人の方が10年くらい早く逝ってしまう気がします。
爺さんになった鍬形郎は、歌舞人が死んだ後も10年は生き続けるわけです。(そういうことにします)流石に年齢的にも達観してるしちゃんと死を受け入れられてるはずだから、死んでも死ななそうな君よりも僕が長生きするなんておかしな話だ…なんて考えながら墓前でふっと笑うんですよ。鍬形郎爺さんは
その時鍬形郎は自分の人生を振り返って、あの時は大変だった、あの時は正直死ぬかと思った、危なかった、つい怒った、焦った…他いろいろ…って、なんだか苦労したことばっかりが思い出されるんだけど、不思議と後悔はなくて 歌舞人と一緒に、後ろを振り返る暇さえなくがむしゃらに前だけを見てあの日々を”生きる”ことができて良かったな と思えればいいなあ。
そして鍬形郎にも人としての長い生の終わりが近づいてきて、彼は自分の子供か孫か、もしくは歌舞人の子供や孫か、歩みによっては養子とかかもしれない…は分からないけど、その時いる羽出井の子供に向かって言うんですよ
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めっちゃ考えてしまったけどやっぱりカブトとガタローの物語は無限の可能性がウリだから(?)行き着く可能性の一つ、みたいな位置に置きたい妄想 二人がもっと若くして事故って死んじゃったりガタローの方が先に逝ったりする可能性もあって…的な
このおたく最終回後のここから始まる不確定な未来エンドが好きすぎるから
この遺言は某氏が言うとおり有象無象のランダム遺言でありながら初代の「俺の屍を越えてゆけ」に並ぶくらいの言葉…になりうるような、まあ大雑把に捉えてしまえば意味合いが結構似てるセリフだと思ってるんだけど、初代固定の「俺の屍を越えてゆけ」は自分を最初の屍として、俺を越えて進んでいけよという言葉だけど、ランダムで選出されるこちらはその言葉を受け取った後の子供が、自分の人生を生きた後に、自ら振り向かずに進んだ後にそれを子供にも伝えるような言葉だなあ…とか、うーん上手く言えないけど「最初に出るか途中で出るか」の違いというか、なんかそういう感じに捉えてるんですけど。
鍬形郎は生き残りの4人の中でも、女子2人よりも予定寿命が長くて、だから呪いが解けたあとも無事に天寿を全うできたとしたら最後に残るのは彼なのかなあと思っていて、生まれ順的にも死ぬ順にしても鍬形郎は羽出井家にとって「最後の神と人の子」になるんだろうなあと。
鍬形郎か歌舞人が人との間に子供を作ったとしたらその子にもまだ神の血は残ってるだろうけど、純粋な神と人のハーフは鍬形郎が最後なんだよなあ。そう考えると、初代当主にして羽出井最初の神と人の子であるキズナさんが「俺の屍を越えてゆけ」で、最後の神と人の子になる鍬形郎が「振り向かず行け」で締められるのはなんか、なんかめっちゃすげえことだな…運命的だな…とか考えを巡らせた結果がこちらの妄想垂れ流し記事になります。
「羽出井家秘聞録という物語」における最後の言葉は「八坂さんの桜」で間違いないんだけどね。「人と神の子の初めと終わり」という括りだと最後の言葉がこれになるかもしれない。あー ロマンだなあ
以上です。読んでくださりありがとうございました。
すっごい蛇足
この曲は私の人生のアニメの最終回の挿入歌で思いっきりフル英語なんですけど(歌詞に日本語訳が載ってる親切さ)
このアニメの最終回の挿入歌としてこれ以外無いような曲でありながら、私にとって概念的にめちゃくちゃ「好きな最終回のこと考えながらいくらでも聴ける曲」でもあって、俺屍のこと考えてるときもめちゃくちゃ聴いてしまいます。思いっきり英語なので雰囲気もクソもないんだけどなんか 概念だから…
全ての船は岸辺を目指し、全ての種は光を目指す 私は太陽に手を伸ばし、空へと歌う 私は貴方の魂に手を伸ばす 深く、不滅の愛の中 最高 大好き 最終回という概念 10年間愛し続けた曲で多分人生で一番か二番目くらいにリピートしてる曲です それがなんとなく言いたかっただけです 日本語訳歌詞みてああ~~…となってくれたら喜びます それだけです 聞いてくれてありがとうアロエリーナ