真赤丸編を終えて

徳甲一族の脳内妄想についてだらだらと語る

基本こっちの雑記はほとんど誰も見てない前提で仮に誰かに見られても問題ないようなことを書く場所で(当然誰一人も見てないわけじゃないと思うけどSNSでアピールしないものって能動的にならないと人来ないので分かりやすくて良い)、みんなぁ〜聞いて聞いてぇ〜!ってわけじゃないけどとにかくどっかにゲロりてえ〜〜って話の掃き溜めです
という前提を言ったところで以下

真赤丸の終わり方は個人的にかなり良い方向に転がせたと思うんだけどどうだろうか。台詞で説明しにくいキャラだからやっぱりよくわからなくなってしまっただろうか。
とは言えマンガ載っけた記事でだらだら所感を述べるのも真赤丸に合わない気がしてあんまりだらだらやりたくはなく、でもゲロりたい そんな貴方にこの雑記

真赤丸が戦場を退かざるを得なくなってから彼の未発達な自我が浮き彫りになったわけだけど、これは記事で書いた通り感情以前の問題なんだよね 自己と自認が非常に曖昧という。
私は正負問わずそいつの生き方肯定したいが信条のオタクだけど真赤丸に関してはそもそもその生き方がそこまで確立されてなかったイメージというか。
最後の最後まで戦場を駆けていれば「そういう生き方だった」と結論付けたかもしれない。でも真赤丸はそうじゃなかったのがすっげーミソだったというか、頭を抱えたというか。

最後まで戦い抜いたり、大江山であのまま死んだりしたら彼は自分…戦以外なんもないな?って気付くことはなかったと思うんだよね。だってそんなこと感じる機会がないんだから。
そもそも戦と隊長の事務仕事を延々こなしてる間はちゃんと「ある」んだよね。生き方

「生き方」って言うと随分ふんわりとした概念になってしまうけど、もうちょっと具体的な言葉に変えると「自分が所持している(自分で使える)時間の使い方」ですね

当然、俺屍の一族はその限りある時間のほとんどを戦いに捧げざるを得ないけど(プレイの仕方によってはそうじゃない一族もいるけど)、真赤丸は輪をかけてというか、プレイ中に真赤丸討伐記録とかびっしり付けてそう…って言ったけど、もう本当に1討伐ごとにそこまでしなくてよくない!?ってくらい超事細かに記録してるイメージで、それは彼が几帳面だからとかではなく、「そういう時間の使い方をしているから」
つまり、他の人なら普通に削って余暇や休息に回せるくらいの時間も全部戦と事務仕事と鍛錬に回してた感じです。
だから、大江山討伐でボロボロになって戦えるような状態ではなくなり、その上利き腕も使えなくなったりしたら事務仕事にも支障が出るし、あれ?もしかして今、何もやることがない…?みたいな

利き手の逆で無理やり記録つけたりはしてそうだけど。今まで綺麗な字でびっしりつけられていた記録がある日を境に汚ったない字、行や列のバランスの悪い画面に変わってしまうの、想像するとヤバい

大江山から帰ってきて多少動けるようになってから1ヶ月間はアヅキの訓練期間だったのでそれに尽力していたと思うんですが、それ以降、アヅキが隊長として討伐に出るようになってからは、真赤丸の感じる「一日」ってとてつもなく長いものになっていったんだろうなあ。そしてそんなぽっかり空いた時間ができてしまったからこそ、彼は「自分」というものの曖昧さに気付いた。
…というのが幕間妄想マンガのアレです。
書物に興味を持ったのも、彼が元々書の素養があった(すずり集め)のもあるけど「自己を表現している創作物」に興味が湧いたから。戦闘不能になる前なら多分興味を持つことはなかったと思う。

戦い以外に趣味があって、というか戦いにそこまで向いてない性格だった黄々は寧ろ一線を退いてからの方が色々豊かそうなんだよね。彼女の晩年の安定感はそれもあったと思う。だから黄々は真赤丸のことを理解することは絶対にできないんだけど(人を理解しようとしないとか、決めつけて考えを押し付けるようなタイプでもないんだけど、そもそも真赤丸が喋んないからそれ以前の問題とも言える)
じゃあ黄々に何ができるかというと、彼女は真赤丸を定義することができる。真赤丸自身も分からない「自分って何?」っていう疑問に対して「自分にとってあんたはこういう存在」と言うことができる。
自分では自分のことがよくわからない真赤丸にとって、「他人から見た自分」「他人にとっての自分の存在」があることは目から鱗だった。

そこで思い当たったのが交神相手の速瀬ノ流々様。徳甲世界の彼女は真赤丸のことがめちゃくちゃ好きで、そのアピールも強いので(交神記事で書いた妄想はマンガ描いてるうちに消滅したので忘れろ)真赤丸は彼女が自分を愛していることを知っている。でも自分の何がそんなに気に入ったのかはさっぱりわからない。だって自分のことがよくわからないのだから。

好意のスタート地点として「朱の呪いから解放してくれた勇者様だから」真赤丸に執着心を見せる、って言うのは最初に妄想した通りなんだけど、その後お互いを知るごとに少しずつ感触が変化していったイメージです。
有り体に言えば「人間オモロ…」状態になるんですね。真赤丸はあんまり人間くさくはないので「人間」って言うよりは「真赤丸」に…なんだけど。というかうちの流々様、人間くさいのは別にそんなに好きじゃなさそう

真赤丸の純粋で空っぽで、自分で自分のことがよくわかってないという中身を一番よく知っているのは唯一彼と言葉を交わせる流々様で、そんな彼が自我が曖昧ななりに何かをしようと必死に行動していたり、少しずつ変わっていったり、死にかけてやっと自分のことが分かってきたり、そういうところを見るたびに狂おしいほど愛おしくてたまらなくなる。半分くらいは愛玩動物を見るような目線なのかもしれない。だってあくまでも神様だし 愛って難しいな

真赤丸に自分を愛している理由を問いかけられた時に口を噤んだのは彼女のわがまま。だってその答えを与えるなんて彼の純粋さに干渉してしまうことだ。真赤丸が自己認識と人格形成きっちりしてるちゃんとした人間になるなんて、これほど勿体無いことはない。だから教えないの

でも真赤丸は知りたかった。彼女が自分を愛する理由を知るということは、真赤丸が真赤丸自身を知ることだと思ったからだ。
自分が彼女に「どう定義されているか」がどうしても知りたかった。
だから最期の瞬間を布団の上で迎えるのではなく、流々様の元へ逝くことに決めた。故の投身入水です。流々様は川の神様だからね。
そしてめでたく流々様は彼の肉体も命も最期の彼の気持ちの向きも全て手に入れることができて大勝利なのでした。よかったね
真赤丸は流々様の愛に応えることはない(流々様に恋愛感情を向けることはない、というかそうなるほど人格形成ができてない)けど、流々様は別に愛する男と「好き❤︎」「私も好き❤︎」がしたいわけじゃないので問題なし 勝ってるなあ…勝ってる…

流々様は結局のところ真赤丸の純粋さを独り占めしたい、自分だけのものにしたいというのが根底にあって(これは交神台詞4段目からのイメージ)、田衛門戦での傷を癒す手伝いをしてくれたのも純粋な慈しみからではなく「よく分からん鬼にお前の命取られてたまるかよいい加減にしろ」っていうのが一番の動機

とは言え真赤丸は彼女の掌の上でコロコロされてたというわけでもなく(というかあのやり取りで意図的に入水に誘導できるとは流石に思わない、流々様もマジで?やっぱお前すげえよ やったぜって感じで結構予想外だったと思う)

多分彼女がいなければ真赤丸が最期に能動的に何かを選ぶってことはなかったと思うんだよね。ただただ晩年やることも考えることもなく生ける屍になってそのまま布団の上でフェードアウトするよりは良かったんじゃないかなあ。生きてる感じがして。
なのであの遺言がすごい自殺くさいって感じた時にちょっと嬉しかったんだな…

…だらだら書いてるとアレだなあやっぱり思考を話に落とし込むのって難しいんだな…これちゃんと全部組み込めてる気が微塵もしないもの
でも逆にストーリーにせずにこういう妄想思考をだらだら述べるだけだとあまり伝わらないし自分にとってもあやふやになってしまうんだよなあ。だからできるだけ思考は話と描写に落とし込みたいんだけど…。
まあ話の中で全部を説明する必要はないんだけど、表現力と伝達力のレベルがそこまで高くないから「全部描かないけど察してくれ」なんて踏ん反り返ることは不可能 世の考察必須雰囲気作品作ってる人はすごいなあと思う わしゃあ無理じゃ 分かりやすくないと不安になる
考察必須の話は考察する人がいないと成立しないしそもそも私はそういう察してくれ系の話を読み解く能力がめちゃくちゃ低いので自分が何か作る時はある程度明確じゃないと絶対成立しない 知能が低い…

あとこれは私の匙加減でしかないんだけど、羽を広げまくった幕間妄想の設定はあまりプレイ記録中には引き合いに出したくなくて、プレイはあくまでプレイだし、プレイ記録はあくまで「プレイしてる時の記録」にしたい……難しいな 妄想の量が今までに輪をかけて多くて浮き足立っているな 楽しいんだけどね