愚痴系ではないけどオタクの個人的な思想の話をめちゃめちゃ延々しているのでハッピーオタク文書ではない記事 自分語りとも言う
行き止まりで思考垂れ流しするオタクの話
俺屍の場合はそのプレイヤーのデータ内にしか存在しない一族の話なので、あまり考えなかったことなんだけど、久しぶりに『多くの人が特定の対象を見ている』作品にハマってすげえ色々考えちゃうな~~~(そしてサイト引きこもりへ…)という話
前々から『SNSは回転寿司だから、あの場所でしたい話としたくない話がある』というような思想があって、だから私は個人ブログに居を構えてるんですが。俺屍の時以上にグノーシアの話するのに引きこもりをキメてしまっているな…と日々思っています。
なんかね~~、自分の考えたこと聞いて聞いて~~~!!という気持ちはあるのだけど、それをしたい場所はSNSじゃないんだよな・・・・・・という気持ちが非常に強い・・・あそこは回転寿司だから・・・
TLというレーンが常に動いていて、能動的じゃなくても人の思考の断片が流れ込んでくる。その1ツイートに全ての意図が籠もっているとは限らないし、数字やリアクションという本人外付加要素も加わった状態で他人に伝わる…と思うとSNSってホント変な場所だと思うんだよな。あと純粋に記録としては遡りにくいし
感情や思考の伝播力と影響力・他者との繋がり感だけで考えるならSNSってとんでもない増幅ツールだと思うけど。でも別に私はそういうのは求めてないんだよな……しかし自分の話は聞いてほしい、でも変な風に伝播させたくはない
そう思うとホントSNS向いてねーな!!って思っちゃうんだよな!お!!アニメの感想としょーもないことしかツイートすることがない人じゃん!
あと私まだ公式情報を全部脳に入れてないからあんまえらそーにベラベラ喋りたくない でも今思ったことの話はしたい…
何かの告知をしたり、描いた絵とかを見て見て~するのとかはやっぱSNS向きだと思うのでケースバイケースではあるけどね。やっぱSNSってそれ単体で成立させるのはイビツだよ そして性質の違いすぎる個人サイトは絶対にSNSの代替にはならないし、Twitterとpixivやめて皆で個人サイトに帰ろう!って言う人は絶対に帰らない 断言できる できない 個人の感想です
いつだったかTwitterであった『何故有料で同人誌を出すのか、インターネットに無料公開したほうが沢山の人に見てもらえるのではないか?(場合によってはその方が売れるまである)』って話に対して、『わざわざ手間をかけても自分の作品を読みたいと思う人に届けたい内容だから』みたいな意見を見たことがあるけど、私がブログに引きこもりがちなのもこれに近いのかもしれないなあ。というか結構こういう基準で発信場所を決めてる感ある
自分の考えたことや感想やキャラ観の話をとにかく沢山の人に知ってもらいたいなら全部SNSに投稿すりゃあ良いんだけど、そういう感じじゃないから『わざわざこんな行き止まりまで足を運んでくれる人にこっそり見てほしい』になるんだと思う。手間を掛けさせると書くとアレなんだけど、自分もホントに見たいと思うものなら手間とか全く意識しないし、手間かけてまで見たいと思わないな~と思ったら見ないだけだし、『フォローを外す・ミュートをする』などの行為は能動的な『切り』の作業だけど、『足を運ばなくなる』っていうのは何のアクションも必要ないことだしな。なんかそういう性質の場所でズブズブのオタク話を垂れ流したいんだろうな~~~
実況コンテンツの話
私とゲーム実況、全く見ないわけではないがそれを主要なコンテンツ・ジャンルとは見做していない…って感じなのかなあ。実況動画や実況者自体をコンテンツやコミュニティとして楽しみたいわけじゃないので、自分のプレイ体験を潰すような触れ方はしたくないというのが第一にあり、見るのが好きなのはプレイヤーによって全然違う内容になるようなシミュレーションとかだろうか。
でも自分がプレイできてるゲームの幅が本当に狭いので見れる範囲も必然的に狭くなっちゃうんだよな。Vtuber見るけど雑談や企画系が好きだからゲーム実況はそこまで追いかけないし(RPGとかはまず除外するし、やっぱ対戦ゲームとかバカゲーとかプレイメインの方に絞っちゃう)
それはそうと、感性の合うゲーム実況者の存在を確保しておくことって結構良いことだな…という気持ちが最近強くて、ゲームタイトルに詳しくなくアンテナが弱い自分にとっては作品の存在を知るメチャクチャ良いフックになるなあと思っています。稲葉百万鉄氏の話なんですけど
俺屍…はフォロワーのプレイ記経由で知ったけどそのフォロワーも稲葉氏がやってたことで久しぶりにやるか~!みたいな感じだった気がするし、グノーシアを知ったきっかけは稲葉氏だったし、ここ数年ドハマりしたゲームが冗談抜きで全部稲葉氏がいないと知ることすらなかったタイトルなんだよな…と思うとフックとしての存在がデカすぎる……氏がいなければ直近5年間のオタク生活は全く違ったものになっていたであろう…と思っています。
稲葉氏のゲームに対するスタンスにも結構影響受けてるんだよな。俺屍の感想回で話されていた『小学生の時、1日30分制限を律儀に守ってゲームをプレイして、数ヶ月以上かけてクリアした。あの時のゲーム体験が人生で一番楽しかったから、それを再現できる実況動画作成って形が好き』ってやつ。ゲームプレイできない時間に次は何をしようとか色んなことを考えて、反芻して、長い期間をかけてクリアすることが楽しいっていうやつです。
マジで今わたしが自分でやろうとしているゲーム体験って完全にこれで(私は文と絵なので形式は違えど)、もう紛うことなき稲葉チルドレンなんだけど、でも本当にこれやるとゲームプレイもその合間時間も無限に楽しいし、クリアした時の満足感も尋常じゃないから本当に稲葉氏の価値観を知れて良かったと思っているんだよな。
ただこれめっちゃ変な話なんだけど私グノーシアクリアしてもまだ稲葉氏の動画見てないんだよね。しばらくは見れないと思う(いつ見るか、というかそもそも見るかどうかが定かじゃない)
グノーシア知ったのは稲葉氏経由だけど、自分でじっくりプレイしてあまりにもハマりすぎたせいで『まだ氏の思想に触れたくない…自分の中で大事に醸造したい…この感情とプレイ体験…』って状態になっちゃってて
稲葉氏はオタクとしての考えがしっかりしているし言語化能力も高くて、その上で面白いことを言える人だから物事の捉え方やネタの伝播力もハンパないんだよ。俺屍でも彼発信の用語が界隈に浸透してる印象あるし、作品名で検索すると氏の三次創作が出てきたりすることも多いし(これについては良い感情無いけど、ファンのことだから氏に責任はない)それだけ影響力の強い存在なんだと思う。カリスマステめっちゃ高そう
だからこそ自分が心からハマりこんだものを逆に見れなくなる現象みたいなのが起きてしまうんだよね~~。俺屍も自分の一族に入れ込みすぎた結果脇下と若干距離取るようになっちゃったし(とは言えその前に5周くらいはしたし新京都編全部見てるけど、それより外側はあまり見ないようにしてる) 怖いんだよなあの人の思考と影響力の強さが
私は稲葉百万鉄というオタクのことが好きだけど、それ以上に作品自体と自分自身だけのプレイ体験が脳細胞全部漬け込むくらい大切だから『面白くて強いオタクの思想を取り込むの、こえーーーー!!』と思ってしまう。なんだろうなこの感じ 普通好きな人が同じもの好きなら嬉しいはずなんだけどおかしい話だな。信頼できるオタクだから純粋に新しい視点を聞けてハッピーになれるはずなんだけどな 変な話だなあ歪んでるなあと自分でも思う
ぶっちゃけ私はトヤマが他人ならトヤマの思想の原液に触れるの怖いと思うもん(面白いかはともかく物量だけはあるので)。ほんとなんだろうなこの感覚 好きな人のする好きなものの話聞くの怖いっていう謎の感覚マジで強いんだよな。自分の純粋体験と思考を重要視し過ぎな気がする でもそれが一番楽しいんだよな~~~私はなあ~~~~
自分と違う考えかもしれないからとか、自分の考えを否定されるかもしれないからとかじゃなく、ただただ『考えがしっかりしていて影響力強い人の思想に当てられるのが怖い』という感覚本当に厄介すぎるな。内向型にも程があるやろ
そのくせ自分の話は聞いてほしいのか…(…)まあ自分の話受け取る他人は自分じゃないし良いよね 多分
だからこういう『わざわざ見にこないと見ない場所』でオタクの語りをしたがるんじゃないかって気もします。
まあ向き合わなくても死にはしないコトなので良いか、と思ってこれからも自分の体験を楽しんでいこうと思います。内側に籠もりすぎて知らず知らずのうちに思考がカチコチに凝固してた、ってなることだけが怖いけど うーん…