自分のプレイスタイルとかハマってたものとかオタク観に関する壁打ちです(他者の何らかを否定するものではありません)
なんかけっこう前に書いたんだけど公開タイミングを見失っていた
俺屍プレイテーマを考えていて切り捨てがちなもの
そういえば俺屍のプレイテーマ考えてる時にだいたい切り捨ててしまうのは『大規模人数になる縛り』だったりするな。
顔グラ一周とか、全復興解放収集とか、神様成長で目指せ上位神とか…?確実に一族規模が嵩増しされるルールは避ける傾向にあるな~…ってよく思います。
とは言え限りなく少人数であればあるほど良いとも思ってはいなくて(そういうのが目標の一族も2回やったけど)、そこそこは人数いてほしいんだよね。やっぱり世代感というか、ある程度情報が積み上がる方が楽しいし、クリアした時ウォー!!ってなるし、『一族』って感じするので。
20~最大40くらいで収まると思われるテーマ設定が丁度いいのかな 因みに馬鈴薯が36、羽出井と徳甲が26でした
一方で周回は何度でもしたい!一つの一族を永遠に愛で続けるというのは私は多分向いてない方だと思う。やりたいテーマいっぱい浮かんでくるし、新しい一族にも出会いたいし。あくまで『1つの括りの中で』大規模になることを避けているのかなあ
屍を積み上げたくない(死ぬ人を見たくない)…とはちょっと違うんだよな。もちろんそれもなくはないんだけど(呪い解ける戦力だけど足踏みする、とかは私はあまりできないしやりたくないなと思う 一族状況にもよるけど)
そう思う人思わない人、色々あると思うけど。記事頭でも言ったけど誰かと違う=否定ではないです
やったらやったで面白さ見いだせる気もするんだけどな。大規模一族
ただなかなかやろう!!とは踏ん切れないというか、う~~~ん!!保守的で消極的とも言えるんだよなこれ!!
私の場合記録や創作による反芻が前提になるのでリソースやコスト的に考えて『大規模一族は終わらない』っていうのはあるんだろうけど…
なんかこう、根本的な原因はもしかしたらアレかもしれないというのを思い出したので自分語りします
190分の一だったあの子の話
アイドルマスターシンデレラガールズにめちゃくちゃハマってた時期があったんですけど
サービス開始が2011年11月末、私が始めたのは2012年2月とか3月とかそれくらいだったかな…?そこから2015年くらいまでは割とどっぷり浸かっていたように思います。
3年ちょっとか 今となっては全体の歴史の半分以下なんだなぁ
2015年っていうのはアレですね アニメとリズムゲーくらいのタイミングで振り落とされたやつ not for meだと強めに感じるようになったのがその辺りだった
私はお気に入りのアイドルを集めて『うちの事務所』という箱庭を作って遊んでたタイプでした。だからアニメでプロダクション名が与えられて以降その名で呼ばれることが増えてそれがずっともにょってたとかもあるけど、それは今回は関係ないので置いておいて…
その中でも特に『本命』って言えるくらい好きな子が3人…いや一人はどちらかというとユニット効果が強かったので完全な単体だと実質2人なのかな 2人いた
1人は人気出て声優も割り当てられている人で、もう1人は所謂マイナー寄りで今もボイスは得られていない子です。後者の話がしたいんですけど
デレマス、とにかく人数が多いのでどうしても格差はできるし、その中で本命のアイドルが日の目を見ないことに鬱屈した感情を持っているプレイヤーはおそらく星の数ほどいると思う
私はどちらかというとあまり現実のアイドルを見る素養が無かったので『アイドル』の解像度が低くて、リアルライブとかも行かないし、『人気が出てほしい』『報われてほしい』『大舞台に立ってほしい』というような目ではあまり見ることができていなかった…と思う 多分。
ただ、どうしようもなくフィクションオタクというか、キャラ厨というか、色んな細かい情報を拾っては頭の中で『人物像や物語性』を見出すタイプだったのでそっち方面にはめちゃくちゃ煩くなってしまうユーザーだったんだよね。
後で気付いたんだけど私は『フィクションをフィクションとしてしか見れない』タイプなのでメディアミックスによってリアルと融合・連動するタイプのコンテンツが刺さらなくてそもそもアイドルコンテンツ自体が向いてなかった気がする
アイドルとしての成功とか、声がつくとか、歌がもらえるとか、大舞台に立つとか、人気が出るとか、そうなれば嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいけどそれがファーストっていう感じじゃなくて、何度も言うけどフィクションの、コンテンツの二次元視しかできないオタクなんだよな 私は
『その子にはずっとその子らしくいてほしい』っていうのが多分一番だったんだと思う。
『らしさ』を保ってほしいというか…それは単純なキャラブレとかそういうのだけじゃなくて、なんかこう、そこまでの歩みや人間関係とかも含めて“そのキャラでいてほしい”というか…うまく言語化できないんだけど
ただここで厄介&当時の私が無自覚だったことがあって、その『らしさ』って私個人が見出したものでしか無いんだよね。カードのテキストやイベント登場時の短いセリフなんかからキャラ性や物語性を見出して、彼女の歩んでる道を見るっていう…そのテキストは真実だけど、それをどう受け取ってどう構築していくかは個人の思考や経験などによって変わってくるじゃん。俺屍と一緒だね
人によって感じ方考え方が違うっていうのが当時の自分にはイマイチ分かってなくて、自分が感じてテキストから構築した『彼女らしさ』『彼女の歩み』を絶対の真実としていたんだと思う。
同じキャラを熱烈に好きな人と繋がっていたこともあったけど、その人も私と少しズレたところに彼女の姿を見ていて、私には理解できないことですっごい悩んだり苦しんだり時には病んだりしてたな…。あの人は元気だろうか
どちらかというとマイナー勢である彼女を注視して追いかけているユーザー同士でも完全に噛み合うキャラ観なんて持てないんだから、公式運営もそうなんだよな。
キャラ観はもちろんのこと、公式運営にはマネタイズのために考えないといけないとか他色んな事情があって動いているわけだから、『私が見た世界』に『実際に展開する彼女の人物像や人間関係』が添い続けることはまず、ない…!!ない!!ということに当時は気付かなかったんだよな。だって自分とは違う人間が考えてるんだもん
とは言えモバの方のカードテキストで言ったことを否定するようなセリフをステの同イラストカードで言わせてほしくはなかったけど。それもさあ!『私のキャラ観では最重要だった』が『公式運営のキャラ観では重要なことではなかった』のかもしれないし。もしかしたらライターから見ると「えっそこ怒るとこなの!?他に大事なところあるでしょ」って感じるようなものに怒ってたのかもしれない わかんないけど
私にとっては一分の一である彼女は公式運営にとっては190分の一なんだよ、っていうのに当時は 気付かなかったんだよな~~
私が一番大事にしてたテキストがサラっと否定されたことも、初期に縁のあった子が声付きの人気キャラになってからは絡めなくなって関係性希薄になったことも(声付き媒体の世界では声のないキャラは会話に入る権利を持てないのである)、似たような人気位置でファン層が被ってそうな当たり障りない感じの子とユニット組みがちになったことも、190分の一として動かしていくなら仕方ないことでさ~~、一分の一として見てる私の観と噛み合うなんてそんな針の穴を通すような理想の展開があるわけないんだよな あたり前体操なんだよ
運営体制への批判とかじゃなくてマジで仕方ないことなんだよねコンテンツの性質として 190人もいるんだもん 私だって190人のキャラをリアルタイムで動かせって言われたらそのファン一人ひとりが納得できる動かし方なんて絶対できんわ
ソシャゲ化黎明期に発進した結果偶発的にできたと思われる『キャラの母数が無茶苦茶に大きい』っていう要素はデレマスの持つ無二の強みでもあり、数々のユーザーを深淵と苦悩に引きずり込む地獄的要素でもあると思う。多分あれ運営するのも無茶苦茶大変なんだろうな…後発のアイマスソシャゲが全部ある程度人数絞ってるのを見ると
そんな中で残っていくのはライトな層とか(ライト層の受け入れはコンテンツ的にはマジで大事だと思う)、私と同じようにあれこれ考えちゃうタイプでも捉え方が違う人とかどうしても離れられない人とか、アイドル的な推し方(ファンでもプロデューサー視点でも)を知っている人とか、まあとにかくコンテンツにfor youされてる人なんだと思う。
それもまた全然間違いじゃなくて、いやほんとに、ほんとに私が気付かず自分向きじゃないコンテンツと知らずのめりこんでしまったっていうだけの話なので今冷静に見るとそりゃあそうなる…っていう話なんだけど
とにかく私の好きな子は190分の一の存在だった
ここ数年の展開はほぼ追えてないので、あの子にも色々変化があったかもしれないけど。これは化石が何か言ってんな~って文章です
余談だけどその後ハマったボーイフレンド(仮)で好きになったキャラ(人気はあまり無い)の話
彼らしい人間関係を保ちつつ彼のためだけのイベントが開催されたのは紛れもなく一分の一だったな…。それは比較あげさげとかではなく、1/4以下の人数だからこそとか環境とかタイミングとか箱人気とか色んな要因があるのだけど。ボイフレが190人ジャンルだったら絶対こんなイベント開催されてないよ
だから社会見学ようこそ!バジール王国へのこと一生刻んでいてえよ……ってなっちゃうんだな
母数拡大恐怖症
私が一族内の母数増やしたくないの、この記憶が濃いせいじゃね~~~??!!って思わなくもない
最初に言った『一族人数20~40くらい』っていうの、ソシャゲで言えば全員に声がつけられて全員それなりのローテーションで回していける人数じゃん わ~~~~
一族人数が増えると母数に対して一人の占める割合がどうしても少なくなってしまう。それがめっちゃ怖いのかもしれない 俺屍をプレイする私はファンでありプレイヤーであり運営管理人だから
多分運営管理プレイヤーの自分が一族母数増やしすぎるとファン側の自分に怒られるんだよな。笑
世代人数も増やしたくない気持ちあるよねそういえば。5家系6家系はゲーム的に維持が大変とか鍛えて強くするのが大変とかももちろんあるけど、『ゲームプレイ楽しみつつ人情キャラ厨したい』人間としては致命的なくらい人が多い。私一人の器じゃ抱えきれない
無論この辺りは人によって感覚が違うだろうし、そもそも私みたいに『一人ひとりに注視しながらプレイしたい』という前提に違和感を覚える人もいると思う。その辺は個人差なので何度もしつこいようだけど私は、の話ね
極端な話一族限界人数255人までやっても全員覚えてる人だっているだろうしなー
あと複数一族を並行して進めたりとか、そういうのもできる人はできる
私はこれキャラやコンテンツのマルチタスクできる人(できるんちゅ)って呼んでるんだけど
例えばジャンルAで同人誌出しながらジャンルBでも同人誌出せる人とかスゲ~~!!??ってなる 私多分ジャンルシングルタスクしかできない方
その代わり1つでコケた時に致命傷負わないようにもう少し優先度落ちるサブ趣味をいくつか脇に抱えておくタイプだと思う。野球とか動画配信視聴とか
母数の増やし方
丁度いい母数にこだわりすぎると一生小さい輪の中で足踏みするしかないんじゃないかと思うんだけど、それは多分違って
それらが並列で並んでるのが問題なんだろうね。190人のリアルタイム存在が同じ時間軸の中にいて、運営管理側は190人を同時に扱わなければいけないわけで
例えばこれが10人のグループ×19とかに分かれてて、1グループずつ順番に物語の起承転結が描かれるようなコンテンツだったら同じ190人でも全然違うんだよ。それは横並びではなく縦並びになるから
まあソシャゲジャンルでそれはありえないんだけど 例えの話
だから俺屍やる時はリアルタイムに動かすものの母数は増やしすぎないようにしたいのよね。世代人数という小分けでも一族人数という大枠においても。
そういう風にやっていければ何周しても彼らを一分の一として見ていけると思う。ファン目線トヤマさん大満足である
その代わり絶対ちゃんと終わらせたいね。永遠は無いので一分の一として向き合えてるうちにちゃんと進めて区切りまで持っていきたい気持ち。その物語が一区切りして幕を引いてしまえば彼らは辿り着けるところには辿り着けてるので1/50になろうと1/1000になろうともう大丈夫だし 私の場合はね
永遠に続くコンテンツや永遠に続く熱を信じていないので(あくまで私の話)、一分の一として向き合い終わった後は何百分の一になってもいいんだよ。リアルタイム時に一分の一できてれば
人それぞれ楽しむためのお作法があるじゃん(いつもの)
気難しいっていうかほんとそんな難しいこと考えずに思うまま楽しめばいいじゃん趣味なんだからさ~~~~~って思うかもしれないし「それはそう!!正解!!!!!」って感じなんだけど
あくまで私個人の話でさ~~もう本命コンテンツに対しては誠実じゃないと楽しくない体になってしまった。気難しいこと考えてると『あの人心の底から楽しめてないんじゃ…?』って風に見えるかもしれないけどこれは軽率に色々やってきた結果幾度となく勝手に爆散破綻してきたオタクが心の底からコンテンツを楽しむための施策なんじゃ~~~ ハ~~~……なんか過去のこととして語ったけどやっぱりデレの好きだった子のことほんとに好きだったんだよ コンテンツとケンカ別れしたくねえ心から
どうすれば一番楽しめて自分が納得できるかって多分全く同じ人とかいなくて、これは私の経験と感性とタスク処理能力の話なので。そうじゃない人は良いんだよ コンテンツ楽しめる人はみんな違ってみんなすきにせえ(他者を侵害してはいけない)
どっぷり固定いつかやりたいんだよね。あと今までやったことないようなちょっと色物っぽい縛りとかも…マジでやりたい縛りは山程あるねん ほんとに
色々知識は頭に入ってるし流石にどっぷりでも顔グラ一周するくらい一族人数増えることはないだろうけどまだちょっと気後れしてるところはあるので段階踏んでやりたいな…俺屍でやりたいことありすぎる ありすぎて一族データ立ち上げと『はじめに・ルール説明』の記事の下書きだけ無駄に作ってしまう なにやってんねん
余談だけど最近これを読みました。
小説家先生の書いたエッセイっぽい文章
私の好きだった子とは違うアイドルだし(荒木さんはなんだかんだでボイスまでいったし)、私とはデレマスのアイドルに見ているものや求めているものが違うんだなとは思うのだけど、それはそうとしてシンデレラガールズという『190分の一の存在であるが、自分にとってはたった一人・一分の一の存在であること』の地獄を思い出して「わーーーーーっ!!!」ってなって情緒が不安定になった
お気持ちnoteとかならおそらく愚痴で終わってしまう話なのだけど、この人はこれを小説家のエッセイ作品として完成させているので普通に良い文章なんだよね…。デレユーザーの多くが持っている鬱屈した共感で引き込みつつしっかり話にオチをつけて読後感を良くしてる的なアレ シンデレラガールズというコンテンツからドロップアウトした私はグエーーという悲鳴を上げそうになった
自分にとっての一分の一は誰かにとっての何十何百分の一だし、自分にとって何十何百分の一であっても誰かにとっての一分の一だったりするんだよな。世界
そういうことは忘れずに生きていきたいなと思うことが増えた