くそ雑多なひとりごと
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#-sage
>>6803
これ、要するにオタクの内輪ウケ的コンテンツを楽しんだけど倫理的にアウトなことを別視点から指摘された時とかね。

あと、「あなただけが得できます」系は絶対にハイリスク・自分だけが得できるようなことなんて“無い”っていう意識は常にあるんだけど、いざ少し変化球でそれが投げられると突破されそうになってヤベベ…となるみたいな。自分の脆弱性を自覚するとビビる。

今年けっこう新しいことを始めたり普段触れない人と接したりしたのでこれを感じることが増えたかもしれない。


過去の経験で言えば同人誌を作りすぎて捌ききれなかったとか、ページ数多いのに重い紙使っちゃって運搬時に肩が死んだとか、そういうのもある意味自分の中の脆弱性のせいでダメージ受けたパターンだと思うんだよな。ただの失敗談やんけと言えばそうなんだけど
あとは昔ニコニコ全盛期に悪質な転載やトレスに何も思わなかった、とかも脆弱性だと思う。これは当時同年代に同様に脆弱な人が多すぎて今意識を正していられれば大きな問題にはなりにくいけど。

意識が持ててなかった部分に問題があってミスった、っていうのは自身の脆弱性の露呈だな~~みたいになる。そして人間生きてると完璧な意識のセキュリティを持つことはできないので、小さくてあまり支障がない失敗によって抗体を強くしていく、みたいにしながら生きていかないといけないんだ……とか考える。

様々な例が入り乱れすぎてる。倫理・金・心の問題様々なことに言えすぎて混ざる混ざる。総合すると『意識』の話です。


そういえばウチは親が借金というものを徹底的にしないようにしてて、ローン含め借金を絶対にしないというのを子供の頃から見てたので『借金=基本絶対にやっちゃいけないこと』という意識抗体ができているなと思う。こういう抗体のでき方もあるんだな。

でもクレジットカードって考え方によっては借金なので、言い方や形を変えればそこは突破できてしまう、というのが脆弱性だなみたいに思う。まあクレカは便利すぎるから使うけど……

それでもなんか使うたびにソワソワするから(借金駄目意識抗体のせい)できればデビットカードの方が良いんだろうけどな。いや今まで一度もクレカ支払い滞納したことないしリフォームに伴う増枠審査一瞬で通ったが……

#-sage おもうことをします

感想を貰ったり褒められた時『A要素を褒められたということはB要素は良くないor興味がないということなのか(例:塗りを褒められたということは線に魅力が無いということか)』という受け取り方をするのが非常に損である、というのは言うまでもないことだけど、これを表立って言ってしまうことの損失も非常に大きいと思う。

まず一つに、褒めた人や見てる人に「なんやねんこいつ」と思われる。これは当然にシンプルに

もう一つ、これは『A要素よりもB要素を褒めて欲しい』という表明をしてしまっているということで、そうなると後でB要素を褒められたとしても「褒めて欲しいって言ったからお世辞で言ってきたのかもしれない」という受け取り方をしてしまう可能性がある。

結果、A要素を褒められてもB要素を褒められても喜べないという状態が完成してしまうのではないだろうか。これはちょっと心の損失すぎる。明確に損をしている。絶対やめた方がいい。トヤマはそうおもいます。しらんけど…



それはそうと、私はあんまり『こういうところを褒められたい』とは言わないようにしてる。意識的に
「感想ほしい!」は言って良いけど「〇〇部分を褒めてほしい!」はマジで要求してはいけない。それを表明してしまった時点で、上記のように「(これは気を遣って〇〇部分を褒めてくれてるのでは…?)」という邪念が混ざってしまうから。相手がどういうつもりかどうかは分からないのでトータルで損すぎる。

なので私は自由に良いと思ったところを褒めてほしい。そもそも「ここを褒められたい!」って“部分”、そもそもあんまり無いかも。自分で気に入ってるところは自分でここすきうまくいったって自賛するけど、それはもう自分さんが褒めてくれてるし…(?)
もちろん似た感性の人がたまたまいて共感してもらえたら楽しいけど、人の反応を知ることって自分とは違う感じ方を知る面白さだと思うし……やっぱり特定の面を褒められたい、は損しかない やめよう 人類(サゲで人類に語りかけるな)


誰かが言った言葉は風に乗せたとたんにいくつかの意味はもう失って転がっていくって片道きゃっちぼーるでも歌ってた!一つだけ色の違うボタン気に入らなくて捨ててしまったけど大人になった時に愛しく思うよとも言ってたぞ!!!魂ソングすぎてめっちゃ引用する 人生の教科書ソングだから…

#-sage
グッズ告知画像にサンプル透かしを入れる意味について考えてたんだけど(主に同人系)

①勝手に印刷されないため?→解像度落としてサイズ小さめにすれば特に問題なし

②ウェブ上の画像だけで満足して買わなくなるって可能性を考えて?→商業ならわかるけど同人の場合そういう層はどっちにしろ金出してまで買わないと思う

他に理由あるのかもしれないけど、殆どは「なんかみんなやってるからやる」くらいのノリなんだろうな。しらんけど



なんとなくついでに私の同人印刷物観の話もしちゃお!
個人的には自分の絵を積極的に印刷物にしたい欲は低くて、同人イベントに出たいわけじゃないから定期的な新刊やグッズも作らないし、基本デジタル展示で満足する方ではあるんだけど、
なんというか単純に普通の紙に印刷しただけのものとか、BOOTHオンデマンドレベルのアクリルだとあんまり付加価値が無くて「場所を取るだけ」みたいな感覚になってしまうんだよな。それこそデータがあるからそっちの方がデカく見れるしいいや…みたいな

だからグッズや本作るときは絶対に付加価値が欲しくなってしまう。物質である価値、面白い紙や装丁、立体じゃないと表現できないこと…とか。
徳甲のアクスタ作った時は座布団スタンドが使えて「座ってるキャラクター」みたいなのがイメージできたからなんだよな。あと個人的に作った分厚いアクリルもあの分厚さが私にとってはかなり付加価値。分厚いアクリルが好きだから…(なおスッゲー倒れやすいもよう)

本とか物質である意味、永久に残せるからっていうのもあるけど個人的にはやっぱ場所も取るし永久になれるかどうかは所有者次第でしかなく~~ 個人の感覚としては場所を取るというデメリットと付加価値のメリットでどれだけカバーできるか、が大事かな~みたいに思っている。同人の場合「人が欲しいもの」というより「自分が欲しいものを作って、同じように欲しい人がいたらおすそ分けする」という感覚なので、自分が欲しくならないと作れないんだよな。

そういえばBOOTHオンデマンドやSUZURIみたいなのでトヤマくんショップとか作りたい気持ちがちょっとあるんだけど、あれ系の付加価値低めの印刷物、自分はいらないな~~という気持ちになってしまうので結局やってない…おすそ分けの精神に反する あれはシノギだ(?)

でもそれはそうとあの画面にトヤマくんがズララっと並んでるところを想像したらちょっと面白いのでやりたくなったらやるかもしれない。

#-sage
氷ノ皇子が乳の代わりに血を与えた件、よくイジられてるけど個人的にはなんか感じ方のズレだな…になっちゃうんだよな。そんなに面白い(お笑い)ポイントとは思ってないなって
母乳は血液から作られるらしいから利にはかなってるし、神というものがいかに普通の人間っぽい営みに縁がない、浮世離れ感が伝わってくるし、真面目に面白い(インタレスティングの方)エピソードだと思う~~~~~~~ワシはな~~~~~~~~~~~~

ワシはそう思うだけ~~~~~~~~~~~なのでお笑いツッコミポイントだと思う人はそれでもいいんだけど ワシはそうは感じない~~ ~インターネットの片隅で~

#-sage
たまに思うことリスト
・自分のように超高頻度で更新しているものより、たまに更新されるくらいの方がレア度が高くて人々の感情を動かしているのだろうか?
→三浦大輔が言ってた「レア度が下がるくらいサインを書きまくる」精神でいけ。何よりお前の原動力は他者感情じゃないから大丈夫だ。

・人間の顔の良し悪しが分からない
フィクションの顔ばかり見ているせいだろう、美しいとされる人の顔を見ても「凹凸が多いなあ…」みたいな感想になってしまい、人の顔の良し悪しが分からない。
とは言えアプリでツルッツルの目ェでっかでっかにした画像は怖いけど。

アイドルという括りの中でも人によっては「顔が綺麗」「そうでもない」と感じるラインがあるようで、そこには自分には持ち得ない目の細かい定規が存在するのだろうなと思う。私には違いが分からない。ゲームを全部ファミコンって言うオカンだ。

これはフォントや字詰めをあまり気にしない人にも言えるのかもしれない。私にとって世界はフォントとカーニングと行間でできているが、関心がなくあまり意識してこなかった人にとってはその数ミリの違いがどうだとかは全然分からないんだろうな。

関心を持つことは目を肥やすこと、目を肥やすと良いものが作れたり高精度の判断ができるということ。関心ってすごい要素だ。デカい

#-sage だいたいの出来事において共通して感じることは『二極化思考への嫌悪』なんだよな。言葉の暴力性を意識してなさそうな、それを全く臆さない有象無象を見ていると世界には白か黒の2色しか無いと思ってる(ように見える)人が多くて怯える。
いやまあ万人が中庸なら議論が発生しなくてそれはそれでアレなんだろうけど。でも安全圏から積極的に声を上げてる人って全体的にモノクロ二値すぎるように見える。怖い

#-sage
ややセンシティブな話題

フィクションで所謂ブサイクのキャラ(現代の美的感覚で見て整っていない造形として描かれてるもの)がそれに連動するように性格も悪く描かれてると「る、ルッキズムが・・・強い!」ってなるけど、
ただそれが生来の造形による差別に由来して性格歪んだとか、不潔系だと自分を客観視できない故に自己評価がズレててグイグイいってしまう人物である、と考えるとまあ現実的にもなくはない……とも思う。

ただ現代社会モノならそういう想像はできなくはないんだけど、種族単位でブサイク(※人間の美的感覚基準)なキャラが性格悪いとただのルッキズムだな~にはなるかな。単純属性すぎてつまんね…^^;ってなる感じ。

そもそも性格が良い・悪いとは?になるし、ブサイクも美形も結局時代や価値観に左右されるものだからこういう話って難しい~。しかし悪い役割を全部ブサイクにまかせてイケメンや美女に倒させるだけ、みたいなのを無自覚に思考停止でやってそうなのを見ると「ならもう全員美形で描けや」と思ってしまうことはまあある。三枚目の存在が、好きだから……
▲とじる

#-sage #Adachi_mitsuru MIX2期21話
だいたい展開を察せるツイートを踏んでしまったせいでだいたい展開を察してしまっていたんだけど(だから人と同じ作品追いたいと思えねえんだよな…)

まあ正直前回からフラグは立ってたのでなんとなく読めはしたけれども。しかし、ここからはあまり人の心が無い感想なんだけど、勝也的展開のなぞりとすると生贄がやや弱い感じがするし、いや父親の存在は弱くはないんだけど物語役割としてはサブキャラだし…

サブキャラだからこそ、正直『生贄』的印象が拭えないんだけど、どうなんだろうな~~~面白さとして……
タッチをなぞる作品としてはこういう展開はあるのかなあって予感させてたと思うんだけど、ここでその人が死ぬの~~??すぎて戸惑いの方が大きいかも。

あーそう、もしかして原田をこの枠に入れんのか?とかはちょっと考えちゃった。わからんけど。いやでも原田ってそういう役割じゃねえよな~
▲とじる

#-sage
赤ちゃん愛に共感が無さすぎて(人間のカス)ひろプリに感情移入できなくてウケちゃう
いつか来るエルとのお別れ、「そうですか…」って思ってしまってよくないな…。やっぱりもうちょっと自我のある存在じゃないと共感できないらしい。
いやここにきて登場人物たちがエル氏を想う気持ちに全然グっと来ないの、人の心が無さすぎるだろ。ごめん…
トロプリの最終回ではあんなにワンワン泣いたってのに

どうにも赤ちゃん育成プリキュアと相性がよろしくない
フレッシュも一応赤ちゃん要素あったんだけどなんでだろうな。あれはどっちかっていうと特殊能力マスコット枠の色の方が強かったからだろうか。

プリキュア、なんだかんだでタイトルごとのテーマ性が強いので合うものは合うし合わないものはとことん合わないという感じがある。他でもない初代が全然合わなかったし

#-sage
個人が感じる違和感のこと、虫やおばけが怖い人は何故怖いのか?と同じくらい理屈じゃない気がするので「うーん、わかんねーや!w」で終わることが分かりながら壁打ちしているところある

#-sage
素人が自分の感じる違和感について壁打ちして特に答えが出てない系のつぶやき


実写の日本ドラマや映画を見ていると人間の喋り方が嘘くさすぎて全然没入できない、ってことがけっこうあるんだけど、これってなんで??って色々仮定してみると

・母語が関西弁なので標準語で会話している人間そのものに違和感があるのか?
→でもラジオとかバラエティや通話で標準語で話してる人の喋り方に違和感を覚えたことはないな???
 台本感や演技がかりすぎて自然さを感じないからダメなのか??

・アニメばっかり見てるから2D絵の人物が大げさな演技をするという映像に慣れすぎているせいなのか?
→これはマジであるかもしれない 大げさな演技も大げさな髪色も実写人間がやることに一生慣れない体質にさせられたかも。アニメとかいう文化に
逆宮崎駿現象である

・質の高い演技や演出の邦画をあまり見れてないのでは?
→これもマジでマジでそうかもしれん。思い返せば面白かった邦画はそういうのあんま気にしてなかったかも



演技の自然さと不自然さの違いってどこにあるんだろうな~。個人的に実写人間だと多少無駄な言葉やセリフでもないような音・どもりなんかがある方が絵面と音声情報のズレなく見やすいのかな~とは思う。

前に書いたことあるけどTRPG配信のRP=演劇って感じでやってるタイプのがメッチャ不自然に感じるので苦手で、でもこれは別に実写人間要素無いよな…音声だけなのに……アニメみたいなモンでは…?って思うんだけどウーン
あ、あとVtuberが販売するボイスやボイスドラマも私痒くて聴けないの!!!初期にいくつかだけ買って一回聞いたきり一切聴き返してないや。前にドラマCD出してたのもサンプルだけでイヤーーー無理!!ってなったし
これに関しては『本人に近いキャラ性や設定で本人が言わないような演技がかった喋りをしているズレ』の違和感の方が大きいのかもしれない。

ていうか違和感覚えるものってもうシンプルに演技が下手なだけでは?って言っちゃうのは簡単なんだけど、それともなんか違う気はするんだよな~。実際演者だけじゃなくディレクションや演出とかも関わってくる部分だと思うし…わかんね 素人だから ただ脳が痒さを抑えきれない▲とじる

#-sage
背景っていうのはそれ自体に注視してもらうものじゃなく、状況を分かりやすくしたり違和感をなくしたりするための引き立て役なので『背景を描き込んでも誰も見ないのに』っていう考え方はあんまり分かんないんだよな。注視はされないがキャラクターなどを引き立てる背景が最強~…なおそれができてるかどうかは脇に置いておくものとする。
逆に変に描きすぎたり素材まんま貼り付けだったりしすぎてノイズになるなら背景なんて無い方がマシ…みたいな極端な思想があるな… 個人の考えね

#-sage 諸説あるややこしい領域の話題なのでサゲ

ゆめこうさつぶ!
http://yinfo.web.fc2.com/

この論文(?)をちまちま読んでるんだけど(まだ最後までは読んでない)

『夢創作とは、恋愛に限らず固有キャラと何某かが絡むものだ(モブでもオリキャラ系でも)』と主張する人々がいる一方、この人たちは『名前変換ができるくらい“個”が存在しない恋愛小説こそが“夢”である』というある種原理主義?な感じで 色んな考えだ~~~になる。

確かに、求めるものや本質が違うものを同じ言葉でまとめるのは乱暴かも…という気もするし、夢という言葉の印象をもっと拡張したい人の気持ちも分からなくもない。難しいことやね


私もグノーシアのプレイ日記とか、ボイフレのモブ後輩本 とか、これ多分広義では“夢”なんだろうけど、その定義にも諸説あるし、やっぱり夢という言葉が与える印象って未だ恋愛の方が強めだからそう名乗るのは難しいな~みたいなこと考えたことある。

でも私って原作設定なし主人公に“存在”を代入するにせよ、オリキャラ(またはモブ)を入れるにせよ、個性よりもよりモブ感というか、あくまで添え物であることを重視する方なのである意味↑の人の感覚に近いのかもしれないスね。
グノーシアは公式の受け皿がデカいのはあるけど、トヤマくんはあくまでアイコンキャラの代入であって特に設定とか無いし。ゲーム内の動きとステータスが全て あ、でもお婆ちゃんとクマさんはややオリキャラ寄りかな。それでもあの世界観に合わせた詳しい設定とかはミリも考えてないけど

俺屍はそもそもが特殊だけど、一族や神などでもないキャラを出すのはこのアレに近いよね。だからあんまり強い個性や設定をつけない・あくまでモブの延長として扱う……というのは私の中でスタンスとしてあった。あった。そう、過去形
あれはなんか本当に特殊ケースで、なんか、私のスタンスを越えて動いちゃった例……だからああいうのもあっておもろいよね。ウケるよね。
ただ、名前はずっと出さずに「おっさん」「大将さん」あたりで通してたのは私のモブスタンスの名残だな…と思う。




話題変わるけど
↑の同人誌の人たちの主張としては『我々はとにかくキャラ単体を掘り下げたいのだ。だから個性のある夢主ではなくモブとの恋愛がいいのだ』なんだけど、多分個性ありでやる人の中には『このキャラがそこら辺のモブと恋愛するはずがない、これくらい設定を盛らないとそもそも掘り下げたい元のキャラがブレる』という考えの人もいるのだろうな~。

『キャラを掘り下げるため、知るために△△形式の創作をしている』←これ、言いようによれば何にでも当てはめられそう感はあるよね。
特に追加属性の無いオールキャラ(フラット?)→原作に近い形で原作に無いシュチュエーションをやることで単体を掘り下げられる、って言えるし
カップリング→二人の関りによってそれぞれの単体要素の掘り下げになる
原作に絡みの無い組み合わせ→原作に無いからこそ新しい可能性によって単体要素の掘り下げになる
オリキャラ絡みの創作→原作に無いからこそ同文

うーん、何にでも言えちゃう気がするな。それはモブ夢だけの特権ではない気はする。しらんけど

#-sage ポケモンスリープの『カビゴンのために全てのポケモンが労働している様』を揶揄されているノリを見ると、「ポケモンバトルだってポケモンらに戦闘を強制してるし何を今さら…やっぱり人間当たり前とされて慣れるとその違和感に鈍くなるんですね……ていうか人間のための労働はよくてポケモンのための労働はダメなんだ…へえ~~ ふ~~ん…」みたいな斜に構えひねくれマンになりたくなっちゃうな(天邪鬼)

まあそもそも労働っていう発想が私は嫌なので嫌ですけど。人間なんだから何かいい具合に脳内補完してポケモンらと楽しくやろうや。別にバトルしてもいいしカビゴンのためのきのみ集めもしていいよ 好きにしなよ #pokemon

#-sage #oreshika
俺屍界隈で使われがちな『〇流』って言葉(家系図が何又に分かれているか、というのを示す 1家系→1流、4家系→4流 みたいに使う)
って稲葉百万鉄の俺屍実況で彼の一族が水や流れがモチーフだったから生まれた脇下一族用語だと思うので、俺屍用語として定着してるのいつもなんとなく違和感があるんだけど、辞書的にはどうなんだろう

流(りゅう) とは? 意味・使い方
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%B5%81_%28%E3%82%8A%E3%...

やっぱり家系数を表す言葉ではないよな……


私は『〇家系』って言い方するんだけど、冷静に考えるとこれも俺屍以外で使うイメージないかも。この使い方あるのか?

家系図について軽く調べてみたんだけど、一般的には『〇系統』と表されるのがそれっぽい気がする。とはいえ今から『4系統の一族』とかいう言い方するのも違和感あるし、多分これからも『〇家系』って言い方をするんだろうな。慣れてるから
「〇流』派も多分イナババ用語に慣れすぎて変わんないのかもしれない。いうて家系図の分かれた数を表す言葉で完全に的確なものが無いのでなんでもいいんだな。文字打ってて納得した。

#-sage
カリギュラを冒頭だけやったんだけど、やっぱり私のゲームではないような気がした。良い悪いとかじゃなく自分への向きの話ね。

というかプレイヤーに対する問いかけがここまで直球とは思わなかったかも。謎をもうちょい引っ張ってからテーマ性を出していく感じかな?と思ったら初っ端でもう『これは現実がしんどい人を救おうとする存在に囚われた話で、それでも現実に帰ろうとする話です』って明示されるとは。いやでもこれくらい話早い方が良いのかもしれんなー。
実際こういう演出って刺さる人と刺さらない人を強めに選り分けてる気がするし、選り分けるなら早めの方が良い、的な…?

インタビューにもあったけど、やっぱり他のゲームのノリがしっくりこない人向けであって、合わない人にはとことん合わないんだろうなあ。

#-sage やや強めの言葉で作品批判をします

今期、『病気レベルで純粋で天然だけどその病的な天然さが全て童貞を喜ばせる方向に特化しているヒロインのアニメ』が複数あってなんか脳が若干疲弊した。なんか苦手だな~どうしても。どうしても後ろにいる童貞(これは概念の童貞なので作者がとかではない)が見えるから

フィクションなんて理想や都合のよさがあってナンボとは思うのだけど、『病気レベルで天然純粋な女(男でも)』って現実にいると多分大変なこともたくさんある存在で、それをフィクションに落とし込む時に都合のよさだけを搾り取ろうとしてるのが気持ち悪く見えるのだろうか。Kanonを初めて見た時の感情を思い出す。

どちらかというと『女の形をした愛玩動物』というのだろうか。ある意味最強の存在だよなあ。おっぱいがでかくて美人で女の形をしてて挙動は愛玩動物な生き物。いや、うーん……。フィクションは誇張してナンボ、現実にいないものを描いてナンボ、という気持ちとこういうキャラ作品への忌避感は何故……なんでこう思うのだろう……って自分に不思議になる。フィクションと現実を混ぜたり比較したりするの嫌がるじゃん自分。何故


これの男バージョンは金があってエリートで一途で浮気しない彼とかになるのだろうか。そういうキャラは度々ネタ的に揶揄されることがあるイメージなんだけど、愛玩動物みたいな女キャラはあんまりそういう揶揄されるイメージはないんだよな。(岡田斗司夫の「あまりにもピュアすぎてほとんど白痴の女の子たちが重病になったり死んだりするところを泣きながら見る」くらいしか見たことないかも これは言葉が強すぎだけど)


逆に、こういう愛玩動物みたいな女にしっかりそういう人格たる理由を描いていたり、ただ都合のいい生き物じゃねーぞという加虐性やマイナス面も見せてくれる作品好き。具体例出すとネタバレになっちゃうけど。

#-sage
昔から守られヒロインなる存在がどうにも苦手で、それは別に性役割とかそういうのじゃなく男女問わずそういう存在はだいたい苦手だったんだけど(該当キャラは女の子が多めだけど男の子でもそういうのけっこうあった)
戦ってほしいというよりは足を引っ張られることにイライラしちゃうのかな~。強いと足を引っ張らなくていいよね ?

ただ、今は流石にもう大人なので皆が皆戦えるわけじゃないって思えるし昔苦手だったキャラがそんなでもなくなってたりはする。非戦闘員だって立派な一つの役割だと思う。

ただ、そうやってキャラクターのことを役割で見がちなために『役割すらあやふやな守られヒロイン』には未だにイライラしてしまう…ということに最近アニメ見てて気付いた……
舞台装置すぎる守られヒロインというか?役割があるということと舞台装置であるということって全然違うからよお……。なんかもっと人間性とか……主人公他周囲に与える影響とか、その人にしかない魅力とか、ないのか…?守られて主人公に発情してるだけのオマエ……(最悪な感想)

↑でも全てを役割で済ませてしまうのも味気なくない??と思う自分と、ストーリーもののフィクションなんだから役割(ロール)を持って生まれんだろ!なんかもっと、もっとうまくやってくれ…!!と思う自分でケンカ!!!!!!!やめなさーーーい!!!!

あとシンプルに自分にはそのキャラの魅力が見えないけど、対象が違えばそういう存在は魅力的に見えるんだろうな、とは思う。オレのことが好きな庇護欲を掻き立てる小さく可愛い存在 マウント…? みたいな…?だめだ全部尖った言い方になってダメ


私が好きな某非戦闘員守られヒロイン、守られではあるけど重たいもんいっぱい背負ってるし頑張ってて意思が強いし、でも脆いところもあって支えたいと思わせる人間性もあって…なのでああいうのが私の守られヒロインの理想かもしれんな……

#-sage
ダンガンロンパ無印と逆転裁判3の話
江ノ島盾子や美柳ちなみみたいなどうしようもねえ最悪なラスボス女が大好きという、自分でプレイしてるとめちゃくちゃ没入出来て楽しい→作品への好感度とイコールになる、みたいになりがち。

でもこういうラスボスって本当に1ミリも可愛げを見せないので刺さらない人には全然刺さんないんだよね。むくろやあやめみたいなのは隙があるから

盾子に関しては登場尺が少ないのでそこでも没入できるか否かが変わってきそう。私はもうメチャクチャ衝撃でサイコーに引き込まれた記憶がある。ただ、今改めて他者目線を通して見るとこれをカリスマラスボスと感じるか否かに個人差出るのは分かるな~という感じ。それでも私が無印で一番好きなのは江ノ島盾子だけど。
江ノ島盾子に関してはゼロ読んで解像度上げるのもいいよね。2でも彼女の影響がまだ濃く残ってるので良い。

ロンパ無印クリアした人に勧めたいコンテンツって人によってまちまちだと思うけど、私は圧倒的にゼロだな。ていうかゼロだけでいいよ本筋以外のコンテンツは(強火)
▲とじる

#-sage これは自分の幼少期の記憶だから万人に適用されるものではないと思うんだけど、あまり思想や価値観が固まってなかった頃の自分ってその作品が当たり前のように扱っているものを見ると「そういうもんなんだな」と自然に?当たり前に受け入れるようなところがあったように思う。

パプワくんに一時期けっこうハマってたんだけど、同性愛だーー!的な認識は全然無くて『なんかけっこうな割合で誰かが誰かを狂ったように好きでおもしれーーー!!』って感じで読んでた記憶がある。男同士であることに全く疑問が無かったし、男同士だから面白いわけじゃなくて、マジで人が人を好きな様が面白いと感じてたと思う。パプワくんで学習したこと:人が人を好きな様は面白い だから(それはそれでどうかと思うがフィクションに何故恋愛要素が幅を利かせているかというと面白いからである、というのはもうどう足掻いてもそうだと思う)

なんというか、作品テーマや主役級のキャラの設定を強引に変更したりして押し付けがましく刷り込もうとするより、何も考えることなく『それが当たり前なんだ』と思うように、適度に肩の力を抜いてなされる描写こそが……こう、次世代なんなりの価値感を変えていくんじゃないかなあ。

私はパプワくんでは男同士だからとか関係なく面白いと思ってたけど、ニコニコ動画に影響された時期は『みんながホモを面白がってるから自分もそうする』だったし、結局なんかこう……周囲がナチュラルにやってることに影響されちゃうみたいなところがあるんじゃないか……自我がふわふわしてる時期は……
だからなんというか、ナチュラルにそれが当たり前かのように多様な関係を描く、というのが浸透すれば私みたいなふわふわ自我キッズはしっかり影響されてくれると思うんだよな。


ていうか多分だけど、『当事者を救う作品』と『それ以外の人の認識を変える作品』って役割が全然違って、その両方を満たすのは難しいのかも。私に前者的作品を描くことは難しいけど、自分で描くものの場合やれマイノリティだのホモレズだのBLだの腐だのなんとかセクシャルだののラベルを丁重に貼り付けずに「当たり前すぎてツッコミどころもないっしょ?」みたいな顔していたいなと思ってる。しれ~っとしてたい。それは多分後者役割にはなれるから。いやその為に創作してるわけじゃないけどさ。令和現在それと創作ってやっぱ切り離せないと思ってるし。

UNDERTALEやってたらマジでめっちゃナチュラルに同性同士の恋愛が始まって「当たり前ですが?の顔して出てくるやつだ!!!」ってなってすげーよかったな。
『扱いがデリケートで出てくると色んな議論が始まる話題』ではなく『当たり前みたいな顔して普通に出てくるやつ』になると嬉しいなあ。色んな関係


(二次創作で原作の関係に+して描かれるそれは別の次元の話なのでこの話題とはちょっと違う)