1年越しの徳甲一族キャラ語り 第11回になります。
これ何?という方ははじめにを御覧ください。
目次
笹生-沿革
葉菜子と鷲ノ宮星彦様の子供
天界で笹生の世話をしてくれたのは2人の神だった。
片方は笹生の父親、もう片方はその女房だ。笹生の母ではない
笹生の母・葉菜子は長である火輪を愛していた。そして火輪は、葉菜子をはじめとした共に生きる者たち皆を愛していた。
笹生が生まれて初めて知ったものは『誰かが誰かを恋い慕う関係』であり、『人を深く愛する人』である。
笹生はそれを特別欲しいとは思わなかったし、関係ないことだと思ったのだけれど。だって皆遅かれ早かれ死ぬ、死に別れるのだから、そんな面倒なものは無い方が気が楽だ。
葉菜子母さんはたまたま大当たりを引いたんだろう。それはとても喜ばしいことだと思う。
好きになることも好かれることもなく、ゆるく浅くやっていきたいものだ。笹生は無自覚にだか、そんな意識を持って育った。
気にしない、深く考えない、こだわらないというのはとにかく楽だ。
そうやって物事を捉えていれば、『拳法家の癖に体術の才がない』なら術を会得することで戦闘員としてやっていけば良いし、きららの浮ついた話には適当に合わせれば良い…そんな風にやっていける。石榴の作戦会議や講釈にもそれなりについていけるのだ。
ある時、きららと石榴で言い争いが起こった。相翼院で片羽ノお業という女に会った後のことだ。
『一族を前に進める』という強い意識を持つ石榴は真実を追求した。一族からすると目を逸らしたくなる歴史から、さらに直視し難いかもしれない真実を掘り起こそうとしていた。
『誰かと共感し合いながら、出来るだけ楽しく自分の人生を進みたい』性質のきららは、その話を拒絶した。耳を塞いだ。
笹生はどっちも面倒だなあと思った。どちらにもそこまでこだわりはない。どちらの話も聞けるが、どちらにも大して共感できない。
良く考えると、この立ち位置はけっこう面倒くさいのではないか?石榴側ときらら側、どちらかに偏っていれば自分はそれに合わせるだけで済むというのに。
バラバラじゃないか 自分たちは
まあ、纏めたいとは思わないし、別に大して気にしてはいないのだけど。
それから、色んなことがあった。
交神のために出向いた天界で、『海』なるものを見た。
子供ができた。想像していたより愛着が湧いた。
友達だと思ってた人に恋心を打ち明けられた。
石榴に追従して鬼と戦った。狂ったように炎の術を撒き散らす狐の女とやった時は全身が焼け焦げるかと思った。
朱点の用意した『髪』とかいうやつは、自分をしつこく狙ってきた。打撃の防御と受け流しが一番下手な者を見抜いていたのだろうか。
一瞬でも判断を誤れば再起不能にされていただろう。
すぐそこに死を感じる、ヒリついた戦いだった。
変わらないものもあったが、色んなことが目まぐるしく変わっていった。大変なことが多かったし、痛かったし、複雑な気持ちになることもあった。
これらは自分にとって、『面倒くさくて、無い方が良いもの』だっただろうか?
『自身の終わり』を察することができるほどの月齢に到達した笹生は考える。
そんな時ふと、自分に訓練をつけてくれた先代の長の言葉を思い出した。
『雲の上はつまらないところだ。地上が見えないし、ただ晴れてるだけで何もないから。』
想像してみた。大きな変化も、大きな戦いもなく、淡々と日々を過ごして、たまに美味しいものを食べて、衝突することがない仲間に適当に同調して、寿命を迎えて死ぬ。雨も風もない そんな自分を
…それはそれで、自分は退屈だと感じるのかもしれない。
笹生はそんなことを考え、自嘲気味に笑った。
笹生について
笹生は徳甲の世代年長組で唯一『この世代の最後まで残っていた人』なので、まとめがいきなり世代総括っぽくなってしまう。
笹生と竜ノ助と比べてみる
笹生って笹生視点でまとめてみようと思うと『とにかく面倒事が苦手で楽にやってたい』って言葉になるんだけど、同じような感じの竜ノ助とはけっこう違う気がします。
竜ノ助…
(どちらかと言うと物理的に)面倒事が苦手、楽したい
突き詰めていくとなんだかんだでアヅキたちに寄り添った存在と言える笹生…
(どちらかというと精神的に)面倒事が苦手、楽したい
多分どこまで行っても本質的にはきららや石榴に寄り添えない
こんなイメージかもしれない。
あと竜ノ助は内心「(あ〜〜 マジめんどくせ〜な〜〜〜)」って思いながら付いてくるタイプだけど、笹生は「(気持ちはなんとなくわかるっすけどね〜(マジで深入りはしたくないっすね〜))」みたいな…?
笹生は心の声カッコ閉じが二重になってる
概念的すぎて伝わりにくいね…まあ笹生と竜ノ助は似て非なるなあという話でした。
2人とも面倒事避けるためにある程度他人に合わせはするけど、それが特別負担にはならないところは似てる。根元がマイペースなんだろうな
笹生と丙さん
笹生が『愚連隊の丙さん』にうっかり好かれちゃった件の話
あれは本当に軽い描写というか思いつきというか、『丙さんの立場で考えると、普通に接してくれる友達の女の子いたら絶対ドキドキしちゃうわ…』というだけで軽く付けた設定だったと思います。
でも、告白された笹生的には『こんな奇妙な一族に対して純粋に好意を持てるなんて善い人だな』とは思うけど、“そういう”気持ちは全く無いという。
寧ろ『ゆるくご飯食べるだけだった関係』が終わっちゃったことが正直残念だし、自分が死ぬことでこの善い人が悲しんだり引きずったりするのは普通に可哀想だから本意では無い。
『自分が思ったより好かれてた』ことを知った時「まずったな…」って思っただろうな。これは相手が丙さんじゃない超絶イケメンとかでも多分変わらずこう思うはず。
短命の一族と普通の民という『違いすぎる人間』なのに、ちょっと軽率に関わりすぎた、申し訳ないことをしたなあ… みたいな
こういう状況でも笹生はなんとなく自身を俯瞰して見ているんだよな。思いっきり渦中なのに
結局笹生はそこら辺曖昧なまま終わるんだけど(彼女は清算してカタをつけて逝こうとするタイプではないよな〜と思う)
でも、笹生のそういうところが一番笹生らしいところだなあって思います。
一族全体の流れに対するジャブ
全部終わらせてから補完妄想創作での笹生の言動・彼女を取り巻くものを見返して思ったんですが、『笹生が持っている要素』って実は『後の一族が大きなテーマとして持つことになるもの』に非常に近いんですよね。
笹生が感じていた『自分を取り巻くものの変化』や、愚連隊丙さんという『一族外の人とそこそこ仲良くなって結果好かれちゃう(一族外との関係)』ところ…この辺りに近い出来事が後の世代の流れにもあったな~って。
それを踏まえて考えると、笹生の存在ってその後の一族の歩んでいく道に対する問いかけというか、ジャブのようなものを感じてしまいます。
当然ながら、笹生を描いている当時はその後の一族のことなんて分からないし、笹生以降の一族を描いてる時に笹生のことを思い出したことはあまりなかったんですが。
pixiv用に纏める作業してる時に初めて、『笹生めっちゃこの一族全体が持ってるテーマ性に対するジャブかましてね…?』と思ったんだよなあ。
笹生と『変化』
沿革で書いたように、笹生の周辺は常に変化し続けていました。
仲良し女子トリオ♪って感じでスタートした同世代トリオは徐々にその方向性の違いが浮き彫りになったり…食べるの好き同士で友達だと思ってた丙さんに惚れられちゃったり。
『髪』という大物を倒すことで『一族の目指す方向が明確になる』っていうのも『変化』だよなあ。
笹生は一歩引いた目線で物事を捉えていたので、こういう変化が一番見えていた人だと思う。
そんなあれこれに対して『ちょっと面倒だな~』とも思いつつ、そんな笹生の出した結論は『なかったらなかったで退屈だったかも』でした。(遺言より)
先程述べた通り、徳甲一族…特に笹生以降の一族(血潮世代・赤世代・更紗世代・緋ノ丸世代)は『変化』がかなりキーワードだったと私は考えています。
大きいところを挙げると血潮と詠芽さんの関係であったり、ばな奈ちゃんの雰囲気であったり、更紗の不安定さであったり、一番星を取り巻くものや彼自身の違和感であったり…他も色々
みんなそれぞれ違う『変化』があって、それに折り合いをつけたり、つけられなかったり…そういう流れが徳甲一族全体にはあったなあと。
そういう流れが強くなるのは血潮世代以降なんだけど、さり気なく笹生がこっそりジャブ入れてたのが本当におもしれ〜…と思っちゃいます。
笹生自身は渦中にいても一歩引いて眺めようとする性質なので『その変化に対して大きなアクションを起こすことは無く終わった』のもめちゃくちゃジャブ感あるなーって思います。これらのテーマに対して別に深入りはしていないというか
アヅキ世代から始まった『一族と一般人の関わり』、持っている力も生きるスピードも全然違う存在との交流。
“関わりを持ったこと自体が間違いだったのだろうか?”
この辺りも血潮世代以降にめちゃめちゃ掘り下げ始めることになるわけだけど、これも笹生がこっそりタッチしてたんだよな 面白い 面白いな〜笹生の存在……
笹生、以降の一族が深く深く関わっていくテーマにほんのちょっとだけタッチして去っていっている…。
総括すると『改めて思い返すと、笹生はまるでその後の一族に布石でも打ってるかのような動きをしていて面白いなあ』という話でした。
何度も言うけどこれは全部終わってから、『(たまたま)そういう存在に見える!』と1人で盛り上がってるだけのオタクの与太話ですけどね。
笹生はメタ的にもキャラの性質的にも特に後世に影響与えてないと思うし、そういうところが私はかなり好きだったりします。
次回(きらら)▶︎3/8更新予定