氏神「田力主徳甲」ががっつり絡んできたことで血潮について振り返って考えたこと
リアルタイム時はそんなこと全く考えてなくて、妄想に端を発した妄想…有り体に言えば後付けというか、「後から考えたら”そういうこと”にするとしっくりくるかも…と思った」的な話です
血潮は雷王獅子丸様の息子だし、クソ真面目そうな心の素質(火・水・土が全部高い)に加えて「日課:猫の挨拶」から察するに、天界にいた頃からめっちゃめっちゃ礼儀やら何やらガッツリ躾けられて来たんだろうなあ…っていうのは来訪時に考えた通りなんだけど、そう考えるとこの段階の幼少血潮の性格ってどっちかっていうと田力主みたいな感じだったのかも…という話
「徳甲血潮」はクソ真面目なちびっこでちょっと周囲に振り回され気味なツッコミ役だったけど、そういう面って地上に降りたからこそ芽生えたんだよね。天界にいた頃はツッコむ相手も注意する相手も振り回してくる相手もいなくて、ただただめっちゃしっかり教育受けてきただけだから。
英才教育と帝王学のようなものを叩き込まれて、いざ!次期当主として徳甲一族の屋敷にやってきた彼を待っていたもの、それは…
女子の風呂を覗こうとしている同期
訓練せずに祭りに連れ出す訓練役
…つまりそういうことなのかなって…
血潮を振り回されツッコミ役にするだけの役者が徳甲一族に揃っていた
血潮さん、周囲が詠芽さんみたいな真面目な人ばっかりだったらもっとこう…熱くて優しいけどクールでストイック…みたいな感じの人物になってたのかもしれない
でも訓練役笹生(初月は詠芽さんだけど)だし、同期の男子は雷丸だったんだよ。だから血潮ってああいうポジションに落ち着いたんだろうな~…当時はそこまで考えてなかったけど、幼少期にまだ自我として固まりきってなかった部分が周囲の人に影響されて自然に確立していってたというか。当時意識的にやってなかったっていうだけで
なので、血潮編終盤でプツンといってしまった血潮は「性格が変わってしまった」というよりは、後天的に培われた面がボロっと剥がれて「性格が元に戻った」っていう状態だったのかも
そして田力主徳甲は「徳甲血潮と性格が違う神様」というよりは、より血潮の根っこの部分に近い性格してるだけなのかも…という話でした。
なんでこれを無意識にやってた…?思い出せない 血潮が生きてたんだと思う
人格とかいう概念、色んな人や環境の影響を受けて出来上がっていくところが大好きなんだよな…
どうでもいいけど猫に縁がありすぎる血潮のこの記事投稿日がにゃんにゃんにゃんの日 なんかすごい