徳甲一族 英霊の歌

マンガ描いたりしつつ俺屍Rをじっくりプレイする記録

一族あと語り / 16 血潮

1年越しの徳甲一族キャラ語り 第16回になります。
これ何?という方ははじめにを御覧ください。

血潮-沿革

 

石榴と雷王獅子丸の子供

 

一族の長である母、獣の王である父という由緒正しき血を持つ少年である。

天界にいた1ヶ月で教養・戦闘のいろは・そして精神の持ち方に至るまでを叩き込まれた彼は、それに反発することもなく『己はそのために生まれ、生きていく』ことを当然であると捉えていた。

そして、彼は京の屋敷にやってきた。次期の長になるために。誇り高き『血』を宿す少年……血潮という名を与えられて。

 

血潮と同じで優しく真面目な詠芽とは気が合った。『共に一族の歩みを進めよう』と意思を同じくする彼女とは足並みを揃えて行けそうだ。

彼が初めて見る生き物もいた。自由奔放で、不真面目で、『難しい事は分からないから任せる』などと言って町に出かけていく、理解し難い男だ。名を雷丸と言う。親神様はどんな教育をしたのだろうか。

幸いにも上手く手綱を握ってやればそれなりに働いてくれる男だったため、血潮は彼の意思を尊重しつつ、出撃隊としての役割を与えていくことにした。

 

屋敷に来てから5ヶ月、長である母からも沢山のことを教わった。これまでの一族史や、討伐で得た情報、隊を率いる者としての知識や心構え、都の人々との接し方…

雷王獅子丸が教えることのできない点を補うように、『一族の長』としての振る舞いを叩き込まれた。

そんな血潮は石榴の死を悼みつつも、十分な意欲を持って長の座を引き継いだのだった。

 

 

少し、困ったことがあった。

新たな長として一族と付き合いのある者たちに挨拶をしに行ったところ、血潮と対等な目線で接する人間は一人もいなかったのだ。

…そう、それはまるで『年端のいかぬ子供』への接し方である。『一生懸命に背伸びをしているが身体も知性も未成熟であるような者』に対する“それ”だった。

血潮は誇り高き王の子である。人々の反応には驚いたが、それはやはり己の未熟さ故であろうと考え、より一層励むようになった。

…それだけのことだったはずだ。

『血潮は長として認められるべき存在である』と主張するため、詠芽が従者のように振る舞うようになってしまった。

それは血潮の望むところではなかったが、止めてほしいと強く乞うこともできなかった。詠芽の想いも理解できたから。

ゆえに彼は一層努力した。京の有力者として都のものたちに認められ、一族を大きく前へ進めるような功績を挙げることで…詠芽が出会った頃のように接してくれることを願った。

我々一族は家族であり共に生き戦う仲間だ。主人と従者などではない。それが血潮の考え方でもあった。

 

 

血潮はひたむきに努力し、思考を巡らせ、いっときも無駄にせぬよう精進した。日々の鍛錬はもちろん、投資をはじめとした都への助力にも決して手を抜かず、討伐隊選考試合でも優勝を飾った。討伐においても迷宮の最奥に陣取る親玉を討ち取っていく。

彼の尽力の甲斐あってか京の商いはより盛んになり、先代石榴から引き継いだ『髪』討伐も為し得た。

 

もう誰も、彼を未熟な子供とは言わなくなっていたのだ。

 

これなら、これなら詠芽さんは出会った頃のように親しく名を呼んでくれる。恭しく距離を取ることもなくなるし、何の憂いもなくあの美しい微笑みを見せてくれるはずだ!

 

…一度意図的に作った距離を引き戻すというのは、とても難しいらしい。だって、あの頃とはお互いの経験も、知識も、思いの積み重なりも、何もかもが違うのだから。

そのズレが違和感となり、動作を硬直させ、言葉を喉の奥で詰まらせる。

 

互いに発生した異常事態、その摩擦とぎこちなさは……恋心という名がつくものに近かったのかもしれない。

 

一族のためだけに育ち、学び、生きてきた少年は恋を知らない。その言語にできない大きなものを抱え…しかし、彼はその瞬間、とても幸福だった。

 

その時間は長くは続かなかったけれど。

 

詠芽が倒れた。

分かっていたはずだった。一族には時間がないということは。分かっていたはずなのに、少年はまるで初めてその事を知ったかのような衝撃を受けてしまった。

忘れていたわけではない。ただ、忘れていたかのように心に霧をかけていた、とでも言うべきか。

 

それからは寝ても覚めても、日課の鍛錬で身体を動かしていても、都の者に会っていても、ずっと心の臓が鳴り止まない感覚があった。やるべきことをやり、成すべき事をなす。手足はそのように動いていても、心はどこか遠くに置いてきてしまったような、そんな状態が続く。

しかし彼は長である。祖先から脈々と受け継いできたこの血を、次代に残す義務がある。交神に向かわねば、交神に向かわねば。

 

交神の儀は失敗した…否、断られてしまった。

天界最上位に迫ろうかという強き血を宿しているにも関わらず、不安定な精神状態であることを危惧されたからだ。

 

どうすればいいかわからない。京に帰還せざるを得なくなった後、雷丸が話を聞いてくれた

 

何の話をしたんだっけ 何かを 何かを伝えた時 雷丸が怒って、呆れたような気がする
その時だ。詠芽に贈ったはずの首飾りが宙に舞ったのだ。…何故?分からない 何故その時そこにあったのだろう
少年はそれを追いかけた。追いかけた。森の茂みに消えたそれを追いかけ、土砂降りの雨の中を彷徨った。ただ、それを探さなければいけないと感じた。何故?何故だろう

 

“それ”を見つけ出した時、熱された鉄が冷たい水に打たれたように…血潮の心は凝固していた。

 

彼の心にあるものの中で、たった二つだけが熱を発している。

 

一つは、詠芽が好きだということ

もう一つは、己を好いてくれたことを詠芽が悔やんだり、間違いにしてはいけないということ

 

一族のために育ち、生きてきた彼はもうどこにもいなかった。

 

そうだ、『髪』を倒そう。あの強大な敵を 僕と詠芽さんの手で
そうすれば、その結果を出せば、僕らが手を取り合ったことは間違いではないと証明できるはずだ。

彼女は、自身の想いを責めながら逝かずに済むはずだ。

それが終わったら、腹に溜まっているものも全て伝えよう。彼女が満足して逝けるよう。僕の全てを吐き出そう。

 

徳甲一族六代目当主の背中は、溶岩と炎の中に消えていった。

 

 

血潮について

血潮の魔力

補完創作目線というか、世代が終わってから俯瞰して見た時の血潮は本当に、本当に魔力が凄い人だったなと感じます。

魔力ってなんやねんという話なんですが、『終わってから見返すとフラグしか立てていないように見えてしまうところ』だろうか。

この、『子供が来訪した時の想定を話しているシーン』なんか、『子供が来訪する前に死んでしまう』ことへの布石にしか見えなくて頭が痛いし、

血潮がプツっといってしまったのは当然のように『破滅への布石』に見えてしまう。

この辺り、見返すと全てが破滅に向かうためのフラグ立てに見えてしまうような話しかしてないんだよね……なんというか…

 

ちょっと裏話的なものを交えますが、徳甲一族は殆ど『プレイ1か月進める→プレイ記録つける→マンガネタ思いつけば描く』のリアルタイムローテーションでやってました。

…なので、諸々のマンガ描いてた時の自分は一切その後(血潮たちの戦死という結末)のことを想定してないんですよね。ちょっと怖いとすら思うよ

 

…いや、『布石』とか『フラグ』っていうのは『結果』があるからこそ紐付いて見えるものだから、後から思い返して『そう見えてしまう』のは仕方ないのかな、と思うのだけど。

もしあの『血潮世代の顛末』が無ければ、血潮の『子供たちに見せたい姿』の話はフラグとして浮き上がって見えなかっただろうし、また『別の結果』に紐付いていたかもしれないし。フラグなんてそんなものだとは思うんですが。

 

プレイヤーの判断能力を狂わせる人

ただそれはそうとして『プッツリと切れてしまった血潮』という姿を受信した時に『破滅的な終わり』を全く予感していなかったのは我ながらマジで良く分からないです。

まあなんというか、多分プレイヤー側の自分が一ツ髪斬る気満々だったせいで視界が曇ってたせいだと思うけど。

 

これ書くの多分初めてだと思うんですけど、補完創作『病い(血潮がブッツリ切れる話)』描いてる時の私普通に一ツ髪討伐を為し得た後の血潮♥詠芽のこと妄想してたからね。(流石にその妄想内容について詳しくは書かないけど)

今思うとお前完全にサイコな思考してないか?と思えてしまうけど。なんでお前平然と血潮♥詠芽妄想してんの??血潮 血潮おかしくなってたじゃん ほんとになんで?

 

終わったからこそ客観視できるという面は大いにあるけれど、それはそうとしてリアルタイム当時の客観視の皆無さはちょっとどうかしているようにも思えてしまう。

ただ、その視界の狭さや一ツ髪打倒のことしか考えられていないところはあの頃の血潮に似ているような気がします。

血潮の自我と魔力に当てられて彼の世界に引き摺り込まれ、彼と同じものしか見えていなかったのかもしれない…って思ってしまうんですよね。

 

血潮に飲み込まれる

徳甲血潮という人物像や補完での物語、『ゲームとプレイヤー自分にまで干渉してくる』というか、侵食してくるような魔力を持っていて本当に本当にとんでもない人だと思っています。

一族の補完妄想については、『ゲーム側で起こった出来事に追随する、補完する形で描いていく』という形式を取っていたにも関わらず、血潮の顛末に関してはもうどちらが先導していたか分からなくなるくらいグチャグチャに混ざり合っていたと言うか。

『補完妄想』で提示した要素に対して、ゲーム側の彼が信じられないほど強いサーブを返してくる、というような感覚があるんですよね。

印象的だったのは忘れもしない赤猫お夏戦、仲間が全員力尽き、彼一人になってしまったところでしょうか。

血潮の体力も後わずかで死を待つのみ…という状況で、彼の刃は一切お夏に届かなかった。システム的には当たれば会心の確率上がっていたのに、まず当たらなかった。2連続くらいで外してました。

これは血潮の体風なんかも要因ではあるのだけど、そこまでは全部当ててたことを考えると「最後に外し集中する…!?」と思ってしまうんだよね。

『血潮』を人格として見ると、本当にもう詠芽が倒れた時点で彼は“終わってしまった”んだとしか思えず…。どうしてそこまでゲーム側の彼が返してくるの?補完妄想ってゲーム外で私が勝手に描いてるものじゃないの?ちょっと怖いんだけど…という。

 

血潮はプレイヤーの視界も思考も、ゲームでの乱数も全部侵食していったという感触の一族でした。魔力値が異常で

『恋』という名の『状態異常』に罹り、その異常な状況を自分にも詠芽にもプレイヤーにも俯瞰させずに同じ視界に巻き込んで燃え尽きた人というか…すごくすごく概念的な表現であれなんだけど 私の主観込みなので伝わるか…?という話でもあるし

ただ、この血潮に飲み込まれていく感覚の話はどこかで語りたかったのでこの場を借りました。

 

例えば徳甲一族が釣鐘一族のように『全てを終えてから補完していくスタイル』ならこの血潮はまず生まれなかったと思う。

正直、あの結末を知っていたら逆にあんな露骨な話は描けないんじゃないだろうか。『あの(自分のプレイングミスで行き着いた)結末』に向かって意図的に布石を打ち演出を盛りまくるという行為に精神が耐えられない気がする

プレイヤーの私が同じ時間軸、同じ視点の中に在ったからこそ出来た『補完話』であり『人物像』なんだろうな。これはきららなんかにも言えることですが。

同じものでも『どういう風に捉えてどういう方法で進めていくか』によって全然違うものになる、というのが俺屍の面白いところでもあると思うし。

私はとにかくリアルタイムで並走し続けた結果、徳甲血潮に飲み込まれたんだなあ。

 

そうだ思い出した 血潮の恋患いが生まれ始めたくらいの頃、血潮のこと考えながら歩いてたら思いっきり階段から落ちて足首捻挫してしばらく片足引きずりながら生活してたんだった

生活まで飲み込まれているじゃないか あれもう2年以上前か…

 

なんか血潮について語るというよりは『作文:わたしと徳甲血潮』みたいな文章になってしまった。血潮という人物の像の話は前半の沿革にまとめているのでそれはそれ、これはこれ…ということで


次回(凪左助)▶︎3/22更新予定

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