壁打ち思考ログ

吐き出しながらものを考えるタイプ
考察とかそんな大それたものじゃなくて自分の思考整理のための事実羅列なのでとっ散らかっていて読ませるようなものじゃないと思う


生まれた瞬間から戦う理由や命をつなぐ理由を主体的に持ってる人なんかそうそういやしないというのが私の見え方で、みんな始めは「戦えと言われたから戦う、生きるしかないから生きる、血を繋がないといけないから繋ぐ」からスタートするものと捉えてる その理由を幼くして主体的に持っている人は人間離れした存在か育てた者がよっぽどとんでもないか。理由がありさえすれば結果そのものに良し悪しはないというのも私のフィクション観である

みんな戦ってるうちに、生きているうちに自我が固まってくるのだと思う。そうしてそれぞれ違う「戦う理由」「血を繋ぐ理由」ができたり、できなかったり

できない人もいる、それも自然なことなんだよな。別にないといけないってものでもないし。ただ、明確にある人は強いと思うし、そういう人が道を拓くものだと思う。
壺丸とか最後までそういう答えは見つかってなかったからわかりやすい。逆に瀧代姉さんは指輪を受け継いだ日から、いや宙の死に様を見た時から持っていたのかも知れない あの人はめちゃくちゃ自我が強かった

ゴールが見えている世代はそういう理由を作りやすいとは思う 終わりが見えない世代は何のために戦っているのか 何で見ず知らずの子孫の呪いが解ける日まで血をつなごうと思うのか。人格も経緯も何も知らない「子孫である」というだけの存在のために頑張れる人を表す言葉と意味は私の浅い辞書の中にはなくて、そもそも生まれていない人の幸せを願うのはおかしい。そのいつかの子孫が呪いを解くために、それまでの期間にも子供が生み出され、死んでいく。だから「子孫の幸せを願って戦う」というのは正直理解が追いつかない。意味がわからない
いやどうなんだろう。私の知見が狭すぎるだけかもしれない。正直文学的な物語の摂取量が平均以下だから
王家とか武家の世襲世代交代的なものを読めば何かわかるんだろうか
あーでもあれか、その家名自体に誇りを感じてたり「家と血筋を守り、子々孫々の繁栄を」という価値観を持っていたらそうなるか。俺屍一族、プレイ方針によってその辺りそれぞれだよな。羽出井も徳甲も実働人数少ないから一族感も家感も無いし。3つの家族が同じ屋根の下で暮らしてるみたいな感覚だし
それは置いておいて

羽出井だと相方のため…と見せかけてなんだかんだ自分が自分であることの証明みたいな人が多かったのかも。過去のためでも未来のためでもなく、今のために生きて戦ってた気がする そこらへん地平に収束した感

ところが徳甲になるとそういう感じはしなくて、だからたまにすごく分からなくなる だからこういうことをぐちゃぐちゃ考えてしまうんだけど

そもそも千代ちゃんが戦う理由は虚構だったと思う。全部仕向けられてたと思うし仕組まれていた。鬼と戦うことも、復讐心を植えつけられることも。そして千代ちゃんは愚直だった そんな自分の無知さと愚直さに薄々勘付いていたから「私の屍を越えてゆきなさい」と言った

羽出井のキズナさんにはそこを起点とする動機はなかった。どうしても仇を討たなければいけない、ではなく、自分のエゴをハッキリ自覚した上で「エニシの存在意義を証明するために」血を繋いだ。ここが千代ちゃんとキズナさんの決定的な違いである

だから羽出井の連中は今のために戦っていた。自身の存在を証明するかのように
それが顕著なのは彦太郎と姫子であったり、辰汰と寅衛門であったりするのだけど、他のみんなもそう、過去がどうだから、未来がどうだからという意識は割と薄かったように思う

徳甲の話に戻る
千代ちゃんは自分が何のために戦っているのか疑問を持ちかけたくらいのタイミングで死んだ。そして跡を継いだのは真赤丸
彼は何も分からなかった。自己を定義できない故に何のために戦っているか、なんてなかった。勇敢な男と定義されたから跡を継いだし、我が身を省みることなく無謀に立ち向かった。

彼は戦えなくなったその時初めて自己を問うた。それまでは自己を問うという発想すらなかった。
そして彼は自分を強烈に欲している存在が、自分をどう定義しているか知りたくなった。だから彼女に一番近いものに身を投げて死んだ

こう書くと千代ちゃんと真赤丸って流れが割と似てるんだよな。死が見えた時・戦えなくなった時初めて自己を認識しかけて、でも辿り着くことはできなかった。死の瞬間それを何かに委ねた

アヅキ

アヅキが戦う理由は明確だった。家族のため、先祖のため、民のためである。
一族が作ってきた道を絶やさず歩むことが彼女の使命であり、協力してくれる仲間に報いること、頼ってくれる民に応えること。
アヅキが戦う理由は常に他者だったと思う。理由はハッキリしていたけれども、アヅキは誰かのために戦っていた。
仲間と死に別れ、1人長生きという形で孤独になった彼女は戦い続けた。仲間の死を無駄にしないため、特別親しくなった愚連隊の存在、次世代の少女たちを戦いの運命から解放するため
やはり彼女は誰かのために戦っていた

戦いは終わらず、彼女の歩みは否定された形に終わる。彼女は死の間際、仲間に抱擁されて消える。誰かのための戦いは実を結ばなかった。しかし彼女は「ひとりぼっち」から解放されたのだ。アヅキの本質的な生きる理由とは、誰かのために戦うことではなく竜ノ助や大也と共にいることだったのだと思う
アヅキが世代の戦略として大江山攻略を見送ったのも、「この皆と一緒なら自分は死んでもいい」という気持ちが根底にあったからかもしれない。運命の悪戯によって彼女は次の大江山開山まで生かされてしまったが

火輪

火輪ほど明確なものはいない。だって遺言がそれだったんだもの
アヅキと違い、火輪はただ自分のためだけに戦った。詳細は遺言語りで書いたから今更改めて書き出すものではない。それくらい明確だった。
羽出井的というか、火輪は自己の証明のために戦っていたし、火輪にとっての「戦う」とは、鬼と戦うということではなく、「自分らしく生きる」ことを「戦い」と定義付けていた。もちろんこれをこのように思考していたわけではなく、本能的にそう生きていた

火輪は過去のためでも未来のためでもなく、自分のために戦った

石榴

石榴は火輪とは全く違うが、一貫していたという点では共通していたかもしれない。
石榴は一族の長として戦っていたが、過去や未来の情・責任感に起因するものではない。
彼女が徳甲石榴だから、である。
火輪が定義するための戦いであるならば、石榴は定義した上での戦いだったのかもしれない。
彼女が己を定義したのは石榴の刺青を入れた時。名を与える行為と同じで、強烈な刻印は彼女を強く定義した。彼女は徳甲石榴である。
徳甲石榴は戦う。それは駒を進めるための戦いであったと思う。自分が生きるため、子孫が生きるためではなく、自分が与えられた時間と戦力と情報を使って出来うる限り盤面を動かし、その上で次に渡すこと。それが彼女の行動の全てであり、そこに情を計算できなかった

石榴に自己の証明なんてない、彼女は幼くして存在を証明されているのだから、あとはそれに従って生きるのみだったのだ。

最期に少しだけ変わった。情に興味を持った。情を持つには至らなかったかもしれない。血潮に対して情を持ちかけていたかもしれない。自覚に至る前に亡くなったと思う。
きっかけはきららの死であったから、やはり終わりが見えるということは人に変化をもたらすのだろうか

血潮

血潮のスタート地点はアヅキに近い。先祖が繋いできた道を自分も繋ぐ、誰かのために使命を果たす。血潮はそのために戦ったし、優しい彼にとってそれはただの義務感ではなく本心でもあった。

最初の変化は、詠芽の行動だった。血潮がいくら立派な志を持っていたとしても、それが具体的に、ハッキリとしたかたちで証明されない限り彼は小さく幼い隊長と見られる。詠芽は彼のひたむきさを知っていたからこそ、軽んじられて欲しくはなかった。彼は立派な存在なのだと証明するために己を下げることを厭わなかった。

しかし血潮は違う。血潮は詠芽を踏み台にして立派に思われたいなどと思っていない。彼女は大切なものの一つだ。彼女が頭を垂れずに済むほどに強く立派な隊長になること、それが彼の戦う理由に加わった。ここからアヅキが歩んだ道とは大きく分かれていく

この時点でお互い恋心は全くなかった。ただ、血潮自身が彼女の存在を強く意識するのは当然のことだ。彼女に認められるように努める、を意識するということは彼女の考えや挙動に目が行く、思考がいくということ。

血潮は遂に親に追いついた。髪を倒した。
髪を倒すという大きな戦果は区切りにすぎず、彼はそれまでに商業の復興を完了させたり、選考試合で優勝したり、他にも色々…京の人だって認めるくらいの大物になっていた。だから髪を倒すというのは分かりやすい区切りにすぎないのだが

血潮の頭には勿論、仲間のため、未来の子供達のため、京の民のため、など、誰かのために…という思いがあった。だがそれ以上に彼の思考を占め始めていたのは、詠芽のことだった。優しさ故に自己犠牲を厭わない彼女のこと
とにかく彼女が頭を垂れ、気を遣い取り繕って生きている状態から解放したかった。「幸せ」のことも考えた。今の彼女は「幸せ」ではないのではないかと思った

「当主と臣下」を辞めたことで詠芽との距離が縮まった。それは劇薬のようなものであった。お互いの心の奥深くに燻っていた純粋な好意が溢れ出し、爆発した。恋してしまったのである

しかしそんな2人に残された時間はあまりにも短かった。詠芽が体調を崩す
その後のごたごた(「病い」)によって、血潮の中で均衡が取れていた「戦う理由」の天秤が壊れる。誰かのため、みんなのために戦っていた血潮は「詠芽のため」一色に染まる

詠芽が後悔するようなみっともない生き様を晒してはいけない、彼女は優しいから血潮がへこたれていると自分のせいだと思ってしまう。自分の選択を否定してしまう。短い人生において詠芽が血潮のために取ってきた選択はほぼ彼女の人生の全てである。つまり彼女の優しさや好意に報いれないということは彼女の人生の否定である。
誰よりも恋い焦がれる人の存在を否定するなど決してあってはいけない。だから自分は戦わなければいけない、生きて、血を繋ぎ、殊勲を挙げる。それが彼女の存在証明なのだ

血潮は詠芽のために戦った。残念ながら、彼女の気持ちとはすれ違ってしまったが。

血潮の戦う理由は詠芽に収束するんだな。
アヅキもそうだけど、初めは過去や未来のために戦った人が最後には隣にいる・今そこにいる誰かに変わっていくような
なんだ、徳甲一族だって結局今の為に生きて戦うんじゃないか
死ぬ瞬間まで過去や未来や不特定多数の為を貫き通せる人はいるのだろうか

積み重ねであり形成される自我であるんだな。大切なものは基本的にはだんだん大切になっていく。L・Aみたいな生まれ方しなければ生まれた瞬間から君が好きなんてことはないし、うちの世界は前世システムを採用していないから生まれる前から君が好きなんてこともない。ゼロから少しずつ積み重ねられていく。そして本質的な戦う理由が見つかったり、見つからなかったりする

火輪だっていきなり天上天下唯我独尊になったわけじゃなくて、ベースの性格を親に与えられてからアヅキと過ごした時間・反発心・大江山越え諸々から火輪のぶっとい芯が形成されたと思う。

何のために思考したんだっけ。そうだみんな何のために戦ってるんだって悩んだところからだった
結局自分が本当に生の感触で知って強い気持ちを持つことができるのは自分が生きている今しかなくて、だから生きて戦う理由はそこに収束していくんじゃないかなあ。まあ、いろんな人がいるので一概には言えないけど

あと私は「人間であれ」よりも「自分らしくあれ」の比重が非常に大きい
そいつがそいつらしく生きられるなら一般平均的な人間像から離れていてもよい
人間になるための戦いとは思わない あくまでうちの世界の在り方

これ、赤組が中心になってるから赤組だけで考えたけど他のみんなにもあって、やっぱりみんな積み重ねの中で生きる理由や戦う理由ができていってると思う。詳しく書き出したいが夜が明けそう(打ってる今深夜)

徳甲一族で今までの一族にはなく、気にかかっているのは愚連隊の存在で、彼らと同じ時を過ごしながら一族が駆け足で過ぎ去っていくたびにこれが呪いなんだなと思う
でもこれで傷ついてるのは一族じゃなくて大将や丙さんなんだな
笹生は丙さんにそういう感情はなかったけれど、仮に彼女が丙さんと同じ時間を持って同じ時間を歩めば自然とそういう関係になっていたかもしれないし、血潮と詠芽も時間という歯車に巻き込まれて圧死したりしなかった。同じ時間を重ねられないのは呪いだ

色々考えたけど私は過去も未来もなく親にも会えず何を考えているかわからない赤や、何のために戦うか以前に戦わなければ生き残れない状態になってる凪左助やばな奈がどうなっていくのか、とても楽しみ

めっちゃいつも好きなゲームやアニメの話してる時みたいなノリでだらだら語れる 人格分裂してるから…っていうネタはともかくやっぱ俺屍、自分で操作したり妄想したりできる部分だけじゃなくて奴らが勝手に動き回って結果が作り出されるから自分の一族に対して謎のファン目線で楽しみ〜と語ってしまう

ついでにもっとアウトプット強者になりたい
具体的に言うとこう…↑こういう私の思考や価値観をそのままキャラに言わせるような話じゃなくて、ちゃんとキャラ言語に変換して生きた言葉と行動にする力がほしい