誰かが言った言葉が風に乗る

ソーシャルネットワークサービスでまたショッキングなものを見て悲しいような複雑な気持ちになったので雑記

ショッキングと言ってもグロいとかセンシティブ話題とかそういう話ではないし、ショックを受けて悲しい気持ちになったと言っても「なんでえ~~~…?そ、そうか・・・・・・」ってなったくらいでいつも通りの生活をしている程度のことだけど。

知らない人のバズってたツイートなんだけど、『新聞配達のバイトをしていたら配達先のお婆ちゃんから手紙を貰った』という内容のやつの話
何がショックだったかって、そのお手紙の文面を写真で全て公開していたことです。そしてそれが拡散して何万人もの目に触れているということが何だかものすごく悲しかった。すごい悲しくなった。

その文面自体はすごく良い話って感じで何も悪いことはないのだけど、そのお婆ちゃんが『いつも自分の家に新聞を持ってきてくれる少年』に宛ててしたためた内容が、ただ一人のためだけのものが、全世界に公開されて何万人という人に読まれている(自分も読んじゃった)ということにものすごい虚無を感じてしまったんだよな…

断っておくと『人にもらったものでバズるな』『お婆ちゃんの好意を承認欲求満たすために使うな』みたいな叩きの定型句を吐きたいわけじゃないし、『お婆ちゃんが知ったら悲しむだろ』みたいな見ず知らずの人間の気持ちを勝手に推し量って悲しくなったわけではないです。素性も知らない関わったこともない人が知ってどう思うかなんて私は知りようがないので

プライバシー…に関してはまあちょっとどうかとは思うけど、それは今回感じたことの主題からはズレた話なので置いておきます。

ただただ『私が』『私の価値観を以って』『主観で、勝手に』悲しくなっただけというぼやきだという認識で読んでね。

 

 

手紙でも作品でも、ツイッターのツイートでもこういうブログにしても、『それを受け取る人の数や層』って媒体によって色々あるわけじゃないですか。
Twitterならフォロワー、もしかしたらフォロー外から見てる人がいるかもしれない・RTされた場合その先にいる人、公式のおせっかい機能で♥から目に入る人もいるかもしれない
このブログならなんとなく気になって見てる人なのかな そういうようなことを想定して書いたりするわけじゃん。 まあ正直この辺は私の独り言なので直接誰かに宛てたメッセージを出してるつもりはないんだけど、公開してるってことは誰かに読んでほしいという気持ちが少なからずあるのだと思う。

作品なら『想定する客層』『こういうのが好きな人に見てほしい』みたいな『層』に宛てたものかなあと思う。商業は勿論一次でも二次でも(これは私の話じゃなくて全体的な話)

そういうものと比べて見ると『◯◯さんへ』から始まる私信のお手紙って、その対象層が『◯◯さん』ただ一人なわけじゃないですか。一人がただ一人に宛てたものってある種究極のものだと思うんだよ。
SNSや作品の形だと対象層以外の目に入ることもあるけど、『私信』って本当にクローズドで『送った相手』にしか見られないじゃん。すごいな、すごい
誰かが自らの限られた時間を誰か一人のために使って、その人ただ一人に受け取ってほしくて思いや言葉を紡いでるって本当にすごいことだ

…と思うので、あのお手紙全文公開ツイートにめちゃくちゃショックを受けてしまったんですよね。『誰か一人のために書かれた手紙』は、Twitterに全文公開してバズってウン万リツイートされた時点で『誰か一人のためのもの』ではなくなって『みんなで共有するコンテンツ』になってしまうんだな。なんだかとても虚しい 悲しいな

Twitterあるあるとして『自分と繋がっている範囲の人に見てもらうだけのつもりでアップしたものが想像以上に拡散して膨大な人の目に触れることになった』ってパターンもあるし、もしかしたらそれだったかもしれないけど。

正直あのツイートが嘘で創作話なら良いのになってすごい思ってしまうもん。それならよく出来たフィクションで終わるから

これはあくまで私が私の価値観で勝手に悲しくなっているだけなので、これが正しいとか間違ってるって話ではないし、ツイートした人を直接批難したいわけじゃないのでこんなインターネットの片隅(誰でも見れるけど見たい人しか見てないくらいの範囲を想定している場所)でもにゃもにゃ言ってるわけだけど。

 

 

もうこれ頭固い考え方なのかな~~ハイパーSNS社会だもんな…今回のこれに限らず、『我が子がくれたメッセージ』みたいなのがバズってるの見る時もこういう気持ちになってる気がする。どこかの家の誰かの我が子氏、親に聞いてほしくてor見てほしくて渡した言葉なのに何万人何十万人に見られてコンテンツ化するんだ 虚しいな。
でもこういうのも当たり前になるのかなあ。オフラインとオンラインの境目はなくなって、個人から個人へのメッセージはソーシャルネットワーク上で簡単にコンテンツ化されるのだろうか

それを考えると、例えば歴史上の有名人の私信手紙が公開されて貴重な資料として研究されてることとか、生涯誰に見せるつもりもなく作者のためだけに紡がれた物語が死後発見されて書籍になったり美術館に展示されてるのはどうなんだと言われると『どうなんだろう…』と思うのだけど。
なんだろう、道徳的にはあんまり良いとは思わないけど、過ぎ去った出来事を『歴史』という形で見るしかない目線だとやむなし…いや、寧ろ割と好きなジャンルであることは否定できないかもしれない。うーん これお前のエゴじゃんパターンか!?

それと個人間のやりとりで得た言葉が『第三者に必要な言葉である』と思った時に内容を誰かに伝える、というのも別に嫌悪感は無いな。例えば誰かや特定の対象層を励ましたりアドバイスしたりする時に、他の誰かに貰った私信の内容を引用するとかそういうの。内容や場面による話になるけど

あと、ほんのちょっとしたLINEでの面白いやり取りスクショ、みたいなのは普通にふぁぼっちゃうな。あれも個人間のメッセージの範囲のはずなんだけど
なんだろうな~~何が違うんだろうな。LINEとかだと割と脳直で返すものってイメージがあるからかな?

『誰かが誰かのために色々考えて時間を割いてしたためたもの』が特に意味もなく大量の第三者の目に触れている・そのことによってそのメッセージを受け取る対象でもなんでも無い関係ないはずの人たちが勝手に感動したり、時には怒って批難したり、ひねくれて揶揄するようなことを言ったりぐちゃぐちゃに入り乱れる、という状態がもの凄く歪で気味悪くて嫌悪感…というのが根本なのかなあ

 

 

個人宛のメッセージだとしても『ある程度公開される可能性が最初から想定できる』ものなら別にショックはないんだけどね。マシュマロとかお題箱とかは『公開するための機能がついている個人宛メッセージ』というSNSらしいツールなので、『個人宛のお手紙なのに公開されてる!!ショック!!』とは思わないです。自分が送る時も『あまり公開はされたくないけど、されても困らない内容と心づもり』で送るし。
まあ私は自分宛てのクローズドメッセージは誰にも見せたくない独占厨なので一切公開しませんけど(このひと…)

送り主が選択した手段が『第三者に広く公開することを一切想定していないもの』だから、それを受け取った人が全世界に公開してしまうのが嫌で気持ち悪い感じがする、というのもあるんだろうな。

今でも割とそうなってはいる気がするけど『誰かが一人だけに宛てたメッセージ』をSNSで公開して皆で共有することが『良いこと』という価値観に世界がなっていったら本当に時代に置いていかれた頭の堅いやつ(という相対評価)になってしまうので一刻も早く森に帰らなきゃな…という気持ちが高まる日々だよ~。まあSNSはやめないんですけど(情報収集や人との繋がり的にもう無くせないものになっているので)

勿論『私信』って公開されない限り第三者が認識することはできないから、目に入る『公開・拡散されたもの』ってあくまで氷山の一角で、この世界には第三者の目に触れさせていない個人と個人の間のやり取りがそれはもう沢山あるんだろうとは思うんだけどね。当たり前だけど

 

 

兎にも角にも公開を想定していない手段で個人宛に綴られたメッセージを気軽に全世界に公開してしまう人とそれを読んで否定肯定問わずやんややんやと寄ってたかる人たち、さだまさしのBirthdayを5万回聴いてからよく考えてみてほしいような、でもやっぱり他人を変えることは絶対にできないので自分の視界と居住を調整するしかないんだなあと思うような。
さだまさしのBirthdayほんと好きだなトヤマさん いや2番で手紙のこと歌ってたから思い出しちまっただけだよ

さだまさし Birthday 歌詞
さだまさしの「Birthday」歌詞ページ。「Birthday」は、作詞:さだまさし、作曲:さだまさし。

ていうか私が一番好きな歌詞の歌はMOSAIC.WAVの『片道きゃっちぼーる』なんだけど

MOSAIC.WAV「片道きゃっちぼーる」の歌詞情報
MOSAIC.WAV「片道きゃっちぼーる」の歌詞情報

誰かが言った言葉は 風に乗せたとたんに
いくつかの意味はもう失って
転がってゆく 転がってゆく

10年以上心に刺さり続けてる一番の歌詞がこれならそりゃあ私信全文公開コンテンツ化見ると頭グワ〜ンドガシャーンなるわな!そりゃあそうだな!なるほどな!!なんならこの歌詞が世界の真実とまで思ってるフシあるもんなあ!ズレた世界で今日もおはよう!

繰り返しになるけど私は私が知らん人の気持ちなんて何も分からないので『手紙書いた人の気持ち考えなよ』みたいな話じゃなくて、『私が勝手にその状況に対してショックを受けている』だけって話でした。おしまい

 


追記

あっこれ 私が受けたショックの話とは意図するところ違う話だと思うけど広めに捉えるならこれ

感じたものごとについて考え込んで言語化するのは好きなのでまあ良いかと思ってるんだけど、深みにハマりすぎてこれになったらよろしくないよね
ほーんとこれいとんなので気をつけよう みんなも気をつけてね

私はインターネット人間の分かんないところ見てビックリしたり悲しくなったりしたらあれこれ考えちゃったとしても『色んな人がいるししゃーないわ』と『自分が見えてるのはこの人の断片の断片でしかないし』と『ほな視界調整しようね』のコンボで仕舞いにできるようになりたいなーと思ってはいる

自分はその人のことをそんなに知らないということを知っている、という状態でありたいね〜 とやを