俺屍と一族と記録についてあれこれ

釣鐘一族初代編まで更新終わりました。
代の変わり目は少しだけ間を空けて、それ以外は2日に一回ペースの更新保っていきたいな〜と思ってます。

とりあえず1ヶ月先くらいまでの予約投稿はできたのでこの連休でもっと伸ばしたい 俺…釣鐘一族が終わったら大逆転裁判やるんだぁ


以下、なんかおおよそツイッターとかではまず言わないような、頭の中でもにゃ~っと考えてた話です。好き勝手な壁打ち文なのでトヤマの脳味噌が気になる人だけ見て いや見ないで(?)

釣鐘一族のプレイコンセプト

釣鐘家百代記 風聞書②『心子知らず』
風聞書【ふうぶんがき】 風聞、うわさを集めて記録したもの。 釣鐘一族の小話は全部トヤマたちが好きに描いてるコミックアンソロジーだと思ってほしい   なんかしっかり者の六四むつしは第一子よりイツ花の方に頼ってるイメージあるし、九十九つづらは一見淡々としてるけどアンバランスな子供って感じであんまり人の気持ち分かんなそうだよ...

釣鐘一族プレイ記録をつけてて、大江山下山後のマンガ↑を描いたあたりのタイミングで作って蔵に入れっぱなしにしてた画像があるんですが

これです。釣鐘一族は後者のイメージ という画像です。

前者は言わずもがな、徳甲一族などのことですね。
リアルタイムでプレイ・記録・補完のローテーションを組んで回していると、どうしても『補完妄想』側の情報が本編プレイに間接的に干渉しているな…と感じることが多いです。(例えば、補完妄想がなければ田力主徳甲や崇良親王とは絶対交神しなかっただろうし)
これが個人的に補完妄想のことを二次創作と言い切れない一因ですね。
一次に多少なり干渉できる二次は果たして二次か?という感覚があり、特に補完が超多かった徳甲一族に関しては『プレイ・記録・補完が繋がり合いながら展開する』状態だったと思います。

釣鐘一族は完全にプレイを終えてから記録・創作をしているので、これらはプレイ内容に一切干渉していません。プレイ側はただただ『効率的に少人数でクリアする』ということに専念していて、完全な軸として成立していると思います。
なので、釣鐘一族に関しては補完や記録のことを『二次創作』と断言できる…はずです。

これが釣鐘一族のコンセプトのようなものだと思います。今回は『完全にプレイが軸のプレイ&記録』がやりたかったんですよね。

なので釣鐘一族の補完妄想は『トヤマAやBやCやDが過去の記録を見て各々勝手に妄想してる、確定しない人物像』というテイでやりたいし、『描いたら面白そうだなって断片だけのお絵かき』のつもりだし、『ぶっちゃけ創作部分は読まなくていい』くらいに思ってます。

メインはあくまでプレイ記録で、これもサラっと通しで読んで『ふーん こういうのもあるのね』で終わっていい。いやそれはこれまでのも全部そうなんだけども
過度に感情的な部分に訴えかけるような記録にはしたくない=サラっと読まれてほしい みたいな気持ちです。勿論どんな気持ちで読むかは見る人次第なのだけど

芸風固定はしたくないなあという話

まとめてプレイしてから記録なり創作なりをしていくのって、別にそんな特別なことじゃないよな。それって当たり前じゃね?って思う人も多分いっぱいいるはず

まとめてプレイして後から追っかけ記録をつける人はけっこう多い印象ですし。私のように完全にひと月ひと月ローテを組んでる人の方が多分…珍しい…のかな…?って思うんですが 記録の雰囲気でなんとなくだから実際のところは分かんないけど

なんというか他者は関係なく、私がこういうスタイルだったので「これ一辺倒にはなりたくないなー」という気持ちがあって…。馬鈴薯→羽出井→徳甲で同系統のまま容量が段々ランクアップしていくような俺屍プレイ記録をつけていたので、多分この系統ばかり続けてるとどこかでガス欠するな…みたいな。
なんか完全にそれが私の俺屍芸風みたいになったら後がしんどい気もして、色々やりたいんだよな!!!人物情緒的なプレイ記録じゃなくてこう…ゲームプレイエンジョイ色の強いやつもやっていきたい…俺屍が楽しいので……遊び方一つに凝り固まりたくない…

俺屍プレイ記録の傾向

俺屍にハマってから、新しく立ち上がるものからインターネットの海に漂っている過去のブログやサイト・動画まで色々漁ったんですが、やっぱり脇下が興る前後で文化というか空気というか、やり方のようなものが変わっている……ような気がします。脇下の存在マジで革命カード感ある(それが昔から俺屍ファンの方にどんな気持ちを抱かせているかは分からないけど)

まあ何年も前のブログやサイトは消えてしまっているものも多いし、現存していても最初の方で強烈な相性の悪さを感じた動画は見れなかったし、ツイッターオンリーで追うのはかなり苦手なのでそっちは全くカバーできていないなど、私に観測できないところは分からないんですが…

あくまで『全体的な印象』かつ『個人の偏見』というだけで全部が絶対そうというわけではないですが、やっぱりずっと前のものはプレイ記録と一族妄想創作が分断されていることが多いように感じます。昔はスクショとかできないのでプレイ記録の環境そのものが整ってなかったというのも大きいと思うけど。
『詳細な記録は残っていないけど印象的だった一族』の創作がメインだったり、完全に『ゲームの攻略記録』として残ってるブログだったり…?

一方で、脇下一族発生以後のプレイ記録文化は非常にハイブリッドで情緒的というか、すごく毛色が違うなあと感じます。スクショを沢山載せたり、ひと月ひと月詳細にまとめたり、人情的な選択を取ったり、合間合間にキャラクター描写や創作を挟む。そして健康度や他色んな要素に対して感情を発露させまくる…そういうものが主流な気がします。
数々の独自用語が定着したりと、稲葉氏の影響力は凄まじいなと思う(独自用語使用については今は意図して避けてるものの私も大きく影響されたクチですが)
もちろんこれもあくまで『全体的な印象』というだけで全部がそういうわけではありませんが

情緒的なプレイ記録めっちゃ良いんですけどね。やっぱり『人物像』を立体的に認識できるとプレイ記録という『流れ』も頭に入りやすくなるから多少のキャラ描写は割と合理的だと思うし。ひと月ひと月が重いのは時間の有限さ貴重さを感じるので良いものだ。プレイヤーの思いの丈が籠もったプレイ記録大好きです。というか私自身がそのタイプの最前線を爆走してたと思うし

 

ただなんというか、情緒爆発系ばかりだとそれはそれで…もっと色んな味で俺屍楽しみたいな……という気持ちがあり、もっと情緒薄めで『『ゲームの記録』』色が濃いものもやりたいな~~とか
いや、馬鈴薯も羽出井も徳甲も『ゲームの記録』であることにはけっこうこだわりあったんだけど、同時にめっちゃ一族情緒にも溢れまくってたから こう、もっとゲームの攻略記録に寄ったものもやりたい!!って気持ちがムクムクと

とは言えやっぱり一族の個性認識すると楽しいし、描きたいな~って思ったもの描くと面白いのでそれは据え置きで機械的にはなりきらず…でも自分にも見る側にも必要以上に感傷を要求しないバランスがええな~的な

…みたいなことを考えた結果、情緒をある程度調節してプレイの攻略記録がメインの柱に……でも描いたら面白いなって思ったものは描くよ(でも別に読まなくていいよ)っていうバランス…を目指してます。釣鐘一族
あと攻略記録メインなら尚更いいペースでポンポン更新できた方が良さげだしそういう部分もちょっと考えつつ

私の俺屍、割と記録での再認識ありきで楽しんでるところがあるので記録残すのは大前提として、後をどうするか…みたいになるなあ。
釣鐘一族もクリアこそしてるけどそれを改めて記録の記事に起こすのが楽しいんだよね。プレイと記録で二度漬け美味しい

情緒は調整できるのか

そもそも情緒って調整できるのか?って話なんだけど。自分で調整できるものを情緒と呼べるのか?とか、じゃあお前の徳甲一族への熱量は調整して出力上げてたのかよ とかってなるじゃん

多分そうじゃなくて、『前提や土台次第』なんじゃないかなあ。徳甲一族はもうここまできたらどこまでも情緒と人情全開で突っ走っていいぞーーッ!!!っていう土壌になってたから(最初はそんなでもなかったので若干予想外ではあったけど)その流れに乗ると私はどこまでも情緒的になれるし、遺言聞いて号泣するし、一族の思いについて何万字でも語れるし、なんなら自分で考えた話のメモを読み返して泣くまで行ってた。これは自分の中で徳甲一族が『どこまでも情緒的になっていい土壌』と認識してたからで、私は松葉一族では一滴たりとも泣けないからな

でも別に一切情緒的になれない松葉一族もアレはアレで私は好きだし、あれ好きって言ってもらえるとなんか嬉しいんだよね。あれ好きなんだ へへ そうか 私も好きだわ…(鼻の下をこする)

自分の情緒は調節できないけど『土台や土壌』はある程度調節できると思っていて、だから情緒抑えめで楽しみたかった釣鐘一族は『クリアしてから記録や創作をする』『創作は歴史を掘り返して一説となえる感覚でやる』ということにしました。

釣鐘一族、攻略に集中して楽しんだ実プレイ以外は全て過去への視点なんだよね。だから記録は『終わったものを改めて纏めてる』だし、創作は『過ぎ去った過去について妄想してる』になる
私は自分の情緒が狂う原因が『リアルタイム性の強さ(未来が不確定であることによる期待と不安)』なことが多いということを知っているので(前記事の伏線回収)、これを無くせばかなり情緒面は調整できるはず…みたいな。

まあ釣鐘一族始める時ここまで考えてなかったんですけどね!!!!(???????)

プレイと攻略を軸にするために先にクリアまでやる、までしか考えてなかったので上記の理由は全部後付けというか、結果的にこうじゃね?っていう話なんだけど なんだよこのトヤマとかいうやつ

まとめ

俺屍、楽しいので攻略だけでも面白いし情緒特化でも面白いし、そういう極端なのじゃなくても面白いので色んな感じでやりたいよね。全部が全部徳甲一族(概念名)をやろうとすると多分自分の首が締まって最終的に俺屍から離れちゃいそうだし。一生俺屍で遊びてえよ…Vitaもう一台買って保存しておきたい…

動画一族とかもちょっと憧れあるんだよな…これは完全にただの憧れなので具体的なビジョンは一切無いんだけど、やるなら絶対失踪しない無理のないボリュームになるように、そうするとどういうコンセプトの一族が良いのかな…ってなってくるじゃん。プレイ記同様うまいこと調整できる土台から考えることになると思う いや今の所やる予定は全く無いんですが

結局趣味って『自分の性質を知って楽しくデュエル!!』なので。これからも自分が楽しく、好きなものと純粋に向き合っていられる土壌を耕していきたいよね。

自分自身の調整をミスってびっくりするくらいの回数好きだったはずの公式と絶交繰り返してきたトヤマさんはそう思うよ。

公式が良くない方向に向かってしまった!裏切られた!って言うのは簡単だけどそれに付いていってたのは自分だし、結果望みと違ったって発狂してるのも自分だし。公式と解釈違いって言葉嫌いなんだよな
自分がどう感じようが公式は絶対として、自分の性質を知らずに踏み込み方や距離の測り方ミスるとは気難しいタイプはマジで死ぬから本当に気をつけよう 健やかに生きたい

おまけ

完全に余談なんですけど

こないだ流行ってた診断、まあまあ感受性死んでて笑ってしまった 私は割と情緒的なつもりだったし割と感情的だと思うんだけど

まあ診断はそういう遊びなんで別に本気の真に受けはしないんだけど、理由をこじつけるなら『土壌による情緒の出力調節と環境整備』とか考えちゃうところ、その結果頭カチンコチンになって自らが感受するものの間口を極端に狭めてしまっているところなのかなとか思いました。

そう、テイルズオブクレストリア 発表時はアプリでテイルズ新作できるのかなって楽しみにしてたけど歴代キャラが出るとの報で線を引いてしまい今の所手を付ける予定がない(基本無料ゲーなので歴代キャラを出さないと人を呼べないし運営続けられない可能性があるというのは承知しているけど) そういうところやぞトヤマ アライズ楽しみにしてよう おわり