星祭り

7月7日過ぎてたけど実質7月7日だったので七夕のらくがきです

七夕の別名は星祭りなんですってね奥さん

まつり姉さん、最初はライバルポジションの強敵だけど仲間になった途端ダブル主人公みたいな立ち位置に入ってくるタイプ(傭兵…)
感情表現薄めなのに根っこの我が強くてヒーローメンタルすぎるよ

いやルリオもルリオで主人公っぽい性質ではあるんだけどちょっと違う種類でこう…
ルリオは続編主人公なんだよな 前作主人公がレジェンド化してるタイプの続編主人公

ルリオは暑いとめっちゃ雑に髪の毛上げてアチイアチイ言ってそうだけど「じゃあ切れば?」って言うと閉口しそう
ルリオはまだ髪切れないよな なんか いつかは切りそうな気がするけど

緋ノ丸は別にほしまつりのカプ厨じゃないけど多分当人たちより気付きが多くて察しが良いポジションなの面白くて好き 人狼で言うと潜伏狂人くらい盤面見えてる

 

青緑ラインって主張控え目orガツガツしない人が多いラインだったけど、凪左助あたりから段階を踏んで徐々に強自我家系になっていったの好き 心火が伸びた

ちなみに凪左助以降の心火は凪左助(648)<ルリオ(722)<燕九朗(836)<まつり(967)
綺麗に100前後ずつ差があって面白い
こう見ると凪左助の心火ってそんなでもないんだけど、世代的な点・即ストップではなく割と伸び続けた点・凪左助より前の青緑組の心火と比較するとやっぱ高えなって感触です。

凪左助より前の青緑組の心火、127・346・380・281・321だったからね。世代中でもだいたい最下位だった(竜ノ助除く) そりゃあじわ伸びで648まで伸びたら印象に残る

別に心火=強自我って言うわけじゃないんだけど、攻撃系・前に出るような進言を好む属性って考えるとやっぱり自分の意志でもって前に前に進んでいくイメージは強くなるよな~~と。

 

この3人に比べると爆伸び即ストップのルリオはそこまで心火由来の強自我を感じてないのよね。心素質だけじゃなく環境にも由来するんだけど
ルリオって割と自覚なしに満たされてるタイプなので、ルリオが求める存在に拒否されたり別れざるを得ない状況に立たされたり、自ら手を伸ばさないと得られないもの…みたいなのがないんだよな。だからあんまりハングリーさが出ないと言うか 必要ないのでそういう面が発露しないというか

ルリオってさ~、ズルいよね 凪左助が欲しくて欲しくてたまらないけど絶対に手に入らない『共有できる時間』や緋ノ丸やホッシーが取り戻したいと思っても『二度は手に入らない繋がり』を最初から与えられてて、それがどれほど特別ですごくて普通は手に入らないものかハッキリとは自覚しないまま生きてるの いやズルいわ~ 『当たり前の特別』を持ってるヤツ ずっこいわ~~ でもルリオのそういうところがめちゃくちゃ好きなんだわ


突然だけどイメソン的な話していいですか?しますね

でもその前にイメソンって言葉について話していいですか?しますね

たまにそういう話しちゃうけどあんまり軽率にイメソンって言葉使いたくないんですよね。特に何かの作品のために用意されたテーマソングやイメージソングを関係ないもののイメージソング扱いしたくない感じ…もし自分の大好きな作品のために作られた楽曲を関係ないカプ者が自カプソング~~~^^って騒いでたらムカつくと思うので。

それはそうとして歌詞って歌詞なので『この曲とかこのフレーズ聴くとあいつを思い出しちゃう』みたいなのは避けられないじゃん!?オタクの不可抗力じゃん

なので、イメソンっていうよりは『この曲聴いて連想しちゃったので語りたくなっちゃったキャラの話』みたいなノリでしたい~~~したいな~~~~~!!!!って感じ イメソンじゃない、イメソンじゃなくてフレーズ聴いて「あのキャラ思い出しちゃったよ~」という話がしたい つまり自分は元作品を軽視していませんよという免罪符が欲しい

これ聴くとめっちゃ凪左助思い出しちまうんだよ そういうの抜きにしても皆に聴いてほしい名曲なんだけど
『盾の勇者の成り上がり』っていうなろう原作異世界召喚アニメの2クール目ED曲ですね。

盾の勇者について軽く説明すると、勇者として異世界に召喚された4人のうちの一人である主人公がしょっぱなから手ひどい裏切りに遭って社会的立場から何から失うところから始まるハード系異世界ものです。主人公がやり返すために仲間や力を得たりお金を稼いだりしながら世界の危機に立ち向かったりします(ざっくり)
ハード系と言いつつリゼロとかよりはまだ重さはマシというか、割と勧善懲悪的なカタルシスをストレートに描くタイプかなって感触の作品だった 2期と3期が決まってるらしい 楽しみ

そしてこの作品のメインヒロインはケモミミがついた女の子・ラフタリアちゃんって言うんですけど、彼女は奴隷で売買されてて、そんな彼女を主人公が買って仲間にした、っていうのが出会いです。
このアニメのEDは2曲ともラフタリアちゃん目線の曲なんですね。

そういう前提があるのでこのアニメのED曲は2曲合わせて『君に救われたよ』と『でもいつか別れがくる』って感じの歌詞になってます。転生ではなく召喚によって異世界からやって来た主人公はいつか帰ってしまうかもしれないから

そこまでざっくりした言葉に落とし込むと分かると思うんですけどこれめっちゃ凪左助を思い出す概念なんだよね マジで この作品のストーリーに彼を重ねることはない(状況が全然違うので)んだけど、『歌詞として抽象的な言葉で再構成される』とめっちゃ想起せざるを得ない感じになる……みたいな……

まあ世の『何かの主題歌だけど色んなオタクが各々のイメソン扱いしてる』っていうのはつまりこういうことなんだろうな。固有名詞が出てこない少し抽象的な表現になってるから構造に共通項がある別のものに連想できてしまうんだな~
私が大好きなアニメの最終回挿入歌について、そのアニメのテーマソングとしても好きだし最終回概念ソングとしても聴いてしまうのも多分そんな感じだと思う

話逸れるけど、だからこそ作品タイトルを主題歌の中で叫んだり思いっきり固有名詞出てくる、もうその作品でしか100%ありえないような曲は>>>>>>>>>超アニソン!!!!!!!!<<<<<<<<<<って感じで大好きです

なんでオタクのイメソンの原理考察みたいになってるんだろう。まあ連想しちゃうのは仕方ないけどやっぱり『ある作品のために作られたテーマソング』であることを忘れちゃいけないなという

なんかもう謎に満足しかけた この曲良いよね

いつか必ず別れがきてしまう、だから自分が隣にいるうちにもっと愛をください、溺れるほど愛がほしい、溢れる想いで包み込みたい、我儘言いたい、でも言えそうにないや も「そうなんだよな~~~」って感じなんだけど、私的に1番の凪左助思い出しちゃうポイントは「あなたが笑う理由も流す涙のわけも全部自分だったらいいのに」なんだよな。めっちゃ良いよなこのCメロの歌詞…笑う理由だけじゃなくて泣く理由も自分だったら良いのにっていう心のうちの欲っていうか……なんていうんだろう、この……すげえ、私の思う凪左助像にドンピシャでハマる言語化なんだこれ

自分はあなたに救われて、あなたを愛している。だからその分自分も相手を救うことができればと思うし、避けられない別れがきて自分がいなくなっても幸せになってほしい。…それはそうとしてもし叶うなら本当は誰にも渡したくないし、彼が心を動かす出来事があるならその理由は全部自分であればいいのに っていう内側の欲がさ…
ただただ相手に幸せになってほしいと思う慈愛の心も、本当は自分だけを見てほしいし心の内に占めるものが全部自分であってほしいっていう強い欲望も両方徳甲凪左助なんだよなあ…っていうのをこのフレーズ聴く度に想ってしまいます。良いフレーズだな 笑ってるその理由も流す涙の理由も全部あたしだったらいいのにな 本当に良いフレーズだ…

『己の死によって悲しんだりずっと引きずったりしてほしくはない、幸せになってほしい』と『自分が呪いのような存在になったって彼の心に居続けたい』っていう若干相反した想いに完璧にケリつけていったからな凪左助ってやつは もちろん理想は凪左助自身が同じ時間を共有してずっと一緒にいることなわけだけど、それは絶対に実現できないことなので

前にも書いたけど、凪左助は自分の死っていう確定で訪れるものを利用して彼の心を救いに行ってるんだよね。何度も一族の死を見てきた彼が自分の死を悲しんだり己の無力を嘆いたりすることは想像できた、でも凪左助的にそれじゃダメなんだよね。それじゃあ今までの一族と同じだし、彼を呪いの輪の中に残していくことだから。そんなの絶対違うじゃん、一度しか使えない自分の命の終わりで今までと変わらず彼を苦しめるだけの結末を導くなんてあまりにも割に合わないじゃん

だから凪左助は自分の命の終わりを利用して『心から彼に救われていたこと』、『彼がいたから変わったこと』、『自分たちは同じ世界で生きてるんだよってこと』を伝えることで『自己否定のループ』から彼を引っ張り出したんだよね。これによって凪左助は彼の心の中での絶対・唯一無二の立ち位置も獲得してるという。

これ多分天然じゃなくてある程度計算だからな凪左助って もちろん彼にかけた言葉は全部真実だし、演技とかは一切してないけど、そんな真実の気持ちの中でも『彼を1番救える肯定の言葉』を理性的に選んでると思う。だって凪左助最後まで言わなかった気持ちも抱えてたし(ストレートな愛の告白とかはしなかったし)
自分が選ぶ言葉で相手の心をどんな風に動かせるかが分かってるんだよな最終盤の凪左助って それだけ相手のことをよく見て知って理解して愛した結果なんだろうけど

あと凪左助はそれだけで満足はしてなくて、自分の命を使って燕九朗に伝えたいこと伝えるっていうこともしてるんだよ。『自分の命』=有効活用できるリソースと認識してそれを最大限使い切ってんだあいつ えげつないよ

凪左助ってその人生を総合するとめちゃくちゃ情に溢れた人なんだけど、そのくせ老年期の立ち回りは戦略性が高すぎるんだよな。一挙手一投足で布石打ちして王手かけてチェックメイトしてた(例えバラバラ)
若い頃はそんな感じじゃなかったけど、精神が熟すにつれてめちゃくちゃ計算高くなっていったと思う。でも同時に情も強く強く強くなってるっていう そういうとこも凪左助だなって思います

凪左助、もし寿命って絶対的な縛りがなかったらあらゆる布石を打って一生隣にいられるように手を回すからな そういうやつだあいつは…

あなたが笑ってる理由も流す涙の理由も全部あたしだったらいいのにな~~…Ah…
最終盤の凪左助は割と強めの我欲を割と強めの理性でコントロールしてて、バカでかい情とめちゃくちゃ強かな計算高さを両立させてるどえれえやつ

 

歌から連想した話は関係ないけどそんな凪左助の打った布石を利用して自分がやりたいよ~~~に盤面整えていった燕九朗見てるとホンマ親子やなってなっちゃうな
なんだろう、凪左助から燕九朗に同じ盤面受け継いでるんだけど、燕九朗は凪左助の遺志を継いで凪左助の望みを叶える~…って動きじゃなく燕九朗なりに次の手を打ちにいってる?
燕九朗の行動によって大将は擬似的な家族や居場所を得ることができたけど、それはあくまで副産物であって燕九朗の1番の狙いとかいうわけじゃないんだよね(燕九朗は別におっさんに幸せになってほしいとかじゃない)。

ただ、そこに父親が深く関わって思いっきり一族に入れ込んでて一応信頼できるコマがあったから使ったっただけみたいな やっぱいいなこの親子

凪左助と燕九朗に将棋とか囲碁みたいなゲーム対決やって欲しいわ めっちゃアツそう

思うけどこれエンドロールBで書けだな エンドロールBで似たような話ししてたらコイツ似たような話してら~と思ってください(その時は連想した歌のくだりはカットして構成するね)