生きてます

思ったけどこうなるとブログで何書けばいいかわかんなくてすごい困る。
でも個人的には佳境であるかどうかに関わらずプレイした進行や感情の話はプレイ記の方で最初に出したいって気持ちが強いのでまあ、割といつもそんな感じなのであんまり変わらない…?変わらないノリってなんだろう…?
特に書きたいこと無い時は別に無理してブログ書かないんだけど(だから定期更新継続が推奨される場所だと無理)、なんだろうそれはそうとして今はブログ書くという行為がしたい。多分作業とかプレイ記用の文字打ちで閉塞した気分の発散に丁度いいんだと思う

これは普通に佳境じゃないところのやつ。徳甲一番星のそういうとこやぞシリーズ(と私が勝手に呼んでいるシュチュエーションの何か)
徳甲一番星、なんだか本当に最初に思ってたのと違う地点に向かってパラシュート広げてる感がやばいな…と思う日々です。緋ノ丸をはじめみんな多かれ少なかれそういう面はあるのだけど、ホッシーはなんか なんなんだろうな…。

自分が描いてるものや補完妄想として考えつくこと、本当に自分好みだし自分のこと天才なのかもしれないって思いながらやってるんですけど、こういう自信過剰モードと「いやこれちゃんと伝わるように描けてるのか…?」「そもそも私がハイになりすぎて客観視を失った状態であることに気付いておらず、実は意味不明な状態だったらどうしよう…?」っていう周期が定期的にくるな…。これはもう避けられないものな気がするのでどうしようもなさそうだけど。

自分はできてる!自分は完璧に大丈夫!!って思うとそれはそれで危ないような気がするので、基本的には自分の考えてることを信頼してやりつつ適度に疑うくらいのバランス感覚が欲しいよね…一番良いのは本当に他人の客観視を借りることなんだろうけど。

創作とかなら誰かに見てもらうっていうのもアリなんだけど俺屍だとな~量の問題とかもあるけど、結局一番一族の情報を持ってて過去の出来事や描いたものを記憶しているのもおそらく自分なので、持ちうる情報の違いによる見え方や分かりやすさの差というか…そういうのがすごく難しいな…と思います。

これはいつだったかした気がする「考察してもらえる作品」の話にも近い気がするんだけど、「分かってほしい、読み解いてほしい」っていうのは爆裂なハードルの高さが存在して、それをやってもらえるのって本当に作品に実績と信頼性があって支持を集めている人とか、超激烈に絵が上手くて表現が洗練されまくってる人とか、普段からちゃんと他の人の作品等に対して好意や感じ方や感謝をしっかり伝えられる人とか……とにかく『ちゃんと関心を持ってもらう』っていう難しいラインを努力と活動でクリアしている人に与えられる恩恵のように思っているんですよね。

だから末端的存在な上にコミュニケーションがアレな自分のようなものは『基本的にはそこまでしっかり読んでもらえないし、過去のことは忘却されている可能性がある』ということを念頭に入れて考えるべきなのかな…とか思うんだけど、本気でそれをやってしまうとそれはそれでくどい上につまんなくなりそうだし、もしもどこかにすごくしっかり読んでくれてる人がいたとしたらその人にめちゃくちゃ失礼だし…でも基本的には分かりやすいものが描けると良いなと思うし…難しいね。どうして頭の中にあるものを取り出して描きたいかっていうとそりゃあもう伝達したいからなわけなので。(その伝達相手には自分自身も含まれる)
伝える努力したいな…でも『こうすれば伝わるかな』とか考えても最終的に伝わってるかどうかって自分では判断できないからなあ…。ただ伝わるかどうかを意識するのはプラスになることはあってもマイナスになることはあまり無いはずなので思考を止めないようにしたいなあ

何かこういうことを考えがちなので数限りないものが存在する世界の中で読んでもらってるだけで超激烈にありがたいっていうのはマジでマジの本心なんですよね。「選んでくれてありがとう」(by那由多ノお雫)すぎる
これだけで宇宙創造級にすごいことだと思うし、読んでくれた人には読んでてよかったなって思えるようにしたい…。いやまあ、私にとってそれって反応が良かった一族引っ張り出してくるとかじゃなくしっかり終わらせるってことで、現状私ができることっていつも通りやり続けることなのでやること自体は結局いつも通りなのでは…?って感じなんだけど


話戻るけど情報量や関心度の違いはもちろん『伝わるかどうか』においてすごく大事なことだけど、それ以外にも色々あるはずで

昨日回ってきたこれ、自分は両方とも多数派と逆の方を押していたんですよね。もちろんこれは実験のようなものでどちらが正解というのは無いし、実際の創作物になった場合前後の文脈によって決まるのであれなんですが。
ただこう逆だと『自分はAのつもりで描いたがBと伝わった』ってことがまあまあかなり起こりうるのでは…?とか考えちゃってすっっっっごい不安になった。
万人の価値観や感じ方が平らである必要は全くないけど、『伝わる』って双方に何か共通する言語や基準が存在するから成立することだと思うので、そこにズレがあるのかもしれないと思うとすごく不安になります。
伝達という行為、難しすぎない…?

 

『伝えたい、主として描きたい部分』や『以前に描いていたものとの関連性』『受け取られ方の差異』はともかく、『少なくとも読めるものになっているか』もめっちゃ気になるよな…
いつかツイッターで見た『感想とかまではなくていいから大丈夫だったかどうか知りたい』みたいなやつめちゃくちゃわかる。読む上で『読める』ということが成立しているか否か、って視点で大丈夫だったかどうかは年中365日いつでもすごい知りたい。知りたすぎてSiriになったわね🗣

 

そういえばこの間アップした『其れはうつろう、とどまらず』の話なんだけど、これ最初はタイトルもうちょっと違うものにするつもりだったりしました。候補がけっこう色々あった
最初は『ムキムキまつりと鼓の音(つづみのね)』でした。なんか響きが良かったので。むきむきまつりとつづみのね!響きが良い
『鼓』というワードが出てくるのは花火の音を最初太鼓にしようとしてたからです。でもなんとなく場面設定を夜にしたら『これ花火の方が自然じゃね?』ってなって なので鼓案はボツに

その後出てきた候補は『右の肩に触れたもの』『万物流転』『花は移ろう』あたり…
『右の肩に触れたもの』っていうのは要はホッシーがまつり姉さん担ぎ上げた時に右肩に当たってたものです。なんかこう、初見でタイトルだけ見ると意味不明だけど最後まで読んだらあれのことかーい!ってなる…みたいなやつ。オシャレじゃね?って思ったけどこれタイトルだとただおっぱい当たってドキドキしたって話みたいじゃん…ってなってボツに

多分この話の肝は『なんか色んなものが変わってくよね』って部分であって『可愛い女の子にドキドキしちゃった』っていうのは要素の一部でしかないのでタイトルにするなら『変わってくよね』っていう部分にスポットライトを当てたいな…と思う。そして最近ちょっと長めのタイトルが多かった気がするからできればシンプルにしたいな…からの『流転』。
…だったんだけど、これはこれでうーん…、『流転』だけだと『何かのターニングポイント』みたいなニュアンスにならない…?→そもそもホッシーが異性性に弱くてこういうシュチュエーションでアカンアカン無理無理無理…ってなってたのは今に始まったことじゃないし…

どちらかというと『移ろう、変化する』よりも『留まらない』の方がニュアンス的にしっくりくるんだよなあ。
あとこの話、あんまりハッキリ明言しない感じに描いちゃったからできればタイトルを使ってちょっと締めておきたい。異性性に振り回される男は出てくるけど別にそれが主題ではないということをタイトルに入れておきたいな…(なんかこう、もしも血潮と詠芽さんのようなものを連想されるとそれは違うな…って思ったので)

からの『其れはうつろう、とどまらず』でしたね。なんか微妙に長くなってるし単純な響きだけなら『ムキムキまつりと鼓の音』の方が私好みなんだけど…結局シンプルさや響きの好みよりも『タイトルとして置いておきたい言葉』を優先しちゃった。

こうつらつらと思考を書き出していると『なんかすごい考えてる人』みたいになるけど、結局こういう考えたことを「それだ!!」って感じの伝わる、かつクールでイケてるワードに落とし込めるか否かが真価なんだよなあ…と思います。それがほんとに、本当に難しいしなかなかできない

でも前に書いた通り、できるかどうかはともかくこういう事考えるのは好きなんだよね…楽しいんだよね…。楽しくなきゃこんななんちゃってHighIshiki思考じみた、あれこれ考えたところで結局他人に伝わるかどうか定かじゃないこと面倒すぎて絶対したくないもの
楽しくてその上でうまくできれば最高になって優勝できるんだけどなかなかねえ

俺屍始めてからこういうこと考えすぎだよな。俺屍楽しいし俺屍通じて脳みそに積もって生成されたものせっかくならちゃんと伝わるように捏ねたいから仕方ないね…今の緋ノ丸たちを一番フレッシュな記憶と解像度高い状態で描けるのはマジで今だけだし今ズブズブになるまで付き合わなきゃ勿体ない。こういうのも含めて私のエンタメ体験を最高に高める行為なんだと思う
今描いてるもの全部、“1年早くても、1年遅くても”私には描けないものなので今できるだけのことがしたいし願わくば伝わってほしすぎる

作業やプレイ記用の文字打ちで閉塞した気分を発散したいとか言って書き始めておきながら頭からケツまで閉塞感でしかない内容なのめちゃくちゃウケた