徳甲一族 英霊の歌

マンガ描いたりしつつ俺屍Rをじっくりプレイする記録

一族あと語り / 04 真赤丸

1年越しの徳甲一族キャラ語り 第4回になります。
これ何?という方ははじめにを御覧ください。

真赤丸-沿革

大千代と七枝タケルの息子

人の言葉を話さない父親と天界で過ごし、自我の形成が曖昧なまま京にやってきた末弟。
母と同じ燃えるような赤い髪、睨むような目つきから『勇敢そう』と評された剣士は、『勇敢な男』になった。

初陣で大江山討伐隊に参加。しかし彼は逃げなかった。
相翼院では母を守り瀕死の重傷を負う。しかし彼は怯えなかった。何故なら勇敢な男だからだ。勇敢な男とはおそらく、そういうものだ。

 

大千代は最初の子である青之進に長の座を渡そうとしたが、彼がそれを遮った。勇敢な母の跡を継ぐのは勇敢な自分であると考えたのかもしれない。語らぬ彼の真意を理解しうる者はいなかった。

 

交神の相手には自らが解放した女神を選んだ

彼女…速瀬ノ流々は随分と男に心酔しているようだった。彼女は彼を殺したいと言い、助けになりたいとも言った。
力を分けてくれた彼女に対し、男は『勇敢な一族の長として』感謝を伝えた。

 

子を成した男は再び大江山に向かうことにした。昨年母が勇敢に立ち向かった地だ。母の跡を継いだ勇敢な男は、更に歩みを進めなければならない。

だが男は…失敗した。

 

 

その結果、男は利き手の、片足の自由を失った。片目の光を失った。
刀を失った。筆を失った。
勇敢な隊長に必要なものを失った。

 

戦うことも雑務をこなすこともできないまま、ゆっくりと衰えていく己を省みた時、彼は遂に気付いてしまった。

 

自分は何だ?

 

戦えない自分はもう勇敢な男ではない。もう戦えないなら仕方ない。去るしかない。

 

…去る?どこへ?

 

そう考えた時、男は思い出した。『自分でも知らない自分の姿』を捉えていた女を。
そうだ、彼女の元へ行ってみよう。

 

 

墓の下に男はいない。男が帰ってくることは終ぞ無かった。

 


真赤丸について

徳甲一族の象徴

真赤丸って徳甲一族の象徴だと思うんですよね。
…と言うか徳甲一族に限らず、自分とこの一族は二代目に象徴を感じることが多いように思っています。

初代・千代ちゃんの時に『私の初代当主補完創作はキャラの掘り下げではなく開始座標の設定に近い』と書きましたが、そう考えるとその座標からスタートして『進む方向を決める』のは二代目であることが多いなあと。

過去一族の話になりますが、1周目馬鈴薯一族は『のらくらでマイペースな二代目』、2周目羽出井は『相棒に託された二代目』…というように、その後の一族や家系の色を最も強く作っていくのが私にとっての『二代目』なのかもしれないです。(短期一族は条件が大分違うので除く)

そして例に漏れず真赤丸もそういう『二代目』でした。

 

真赤丸って空虚で自我的なものがとても乏しい人ですが、実は後の一族が持っていた色んな要素を抱えている人でもあったのではないか?思っています。

真赤丸のキャラクター性というのは『真っ平らで全部低い、実数値のストップも早かった底辺を這う心素質』+『人語喋らない親神様』由来で、そこにイツ花の『勇敢そうな男のお子様』コメントを組み合わせて出来たものです。

要するに彼は『自分自身というものが分からない、だから他者の言葉で自己を定義している』タイプの人でした。

『他者の意思や言葉によって自己を定義していたところ』『歪な在り方ゆえに不安定であること』『自ら死を選んだところ』…この辺りって程度の差こそあれど複数の子孫が抱えていた問題だったな~と。

馬鈴薯や羽出井には意外とあまりいないんですよねこのタイプ(全く居ないわけではないけど)徳甲には結構な割合でいるんだよなあ。

 

子孫と共通項が多く、しかし真赤丸の存在自体はとても曖昧でぼやけていて概念的なところ……こういうところが『一族の象徴』に見えるんですよね~。

ただ、描いてる時は全然真赤丸との共通項とか意識してなかったので、一番星の身投げを描いた後に真赤丸のことを思い出して『あ!?!?』ってなったりしたなあ。

 

二代目が一族の色を作るのか、それとも出来上がった一族の色に二代目を重ねているだけなのか(どちらが先なのか)は分からないけど、よく考えると大変な人材に二代目を任せたなと思います。徳甲一族は

 

真赤丸と速瀬ノ流々

真赤丸が流々様に出会ったという事実、やっぱり好きだし彼の人生において最大の鍵だなあと思います。

彼女を解放していなかったら…『しっくりは来ないけど、真赤丸ならこの素質を補おうとすると思う』とか言って技や体が高い女神様を選んだのかな…?

そうやって何もなく交神が終わった場合、人生の終盤に何者でも無くなってしまった真赤丸は空っぽ故に『身を投げる』という発想も出なかったと思います。遺言が固定であるということは一旦置いておいてね

 

でも、実際の真赤丸は晩年『自分は何だろう』という疑問を持った。そしてそういう意識を持って人と接した結果、黄々が彼を『弟』と定義していたことを知りました。

じゃああの神は?『勇敢な男』でもなく『真赤丸』でもなく『弟』でもない自分を『好きだ』と言った速瀬ノ流々は、自分をどういう風に定義しているのだろう?そこに答えがあるかもしれない

だから最期に川に身を投げた。彼女の力が流れる水流の中に…という。真赤丸の最期の行動はそういう流れだったんですが。

 

本当にこれ相手が流々様じゃないと起こり得なかった行動だと思います。他の神様だとまず身を投げ入れる先が無いので(流々は川の神様)。

ただ、本当にこの行動の真意は真赤丸自身と流々様以外は分からないし、意味不明なんだけどね。

そう、真赤丸も流々様も言葉が少ない上に抽象的すぎて、徳甲一族でもトップクラスに『行動の意図が分かりにくい人たち』だったんじゃないかなあ…と思ってるんですが、どうだろうか。

なんかこう、それを説明できる人がいないし本人たちも語らないから『お話の中』で描けることは説明不足極まりないというか…?(勿論全部を説明する必要はないんだけども)

 

真赤丸→流々の感情は上記のようなイメージなんですが(好意というよりは興味?特殊な関心?)

流々→真赤丸の感情および『徳甲一族における速瀬ノ流々』は交神台詞から感じられるドロリとしたデレ方をベースに考えていってたかなあ。

真赤丸への感情は『純粋な好意』というより、『未熟で空っぽで無知な生き物に対する愛着』というか、あの生き物欲しい〜!!ってイメージです。愛玩動物的愛着?

人間も好きじゃん、物言わぬ動物の可愛い動画とか 流々様にとって真赤丸ってそういう存在だったんじゃないかなあと私は思ってます。

ただ、ペット的愛着だけってわけじゃなく『ただ一人の人』としての愛情みたいなものもある…のかなあ?

…なんだろう、神にも人にもなかなか居ないレベルの空虚さ・無知さ、それでも何かを求めてうぞうぞモゴモゴ蠢いているところに強い魅力を感じている。この生物面白い、可愛い、愛おしい…!だから『めちゃくちゃ独り占めしたい』 みたいな…。うーん、うまく言い表せないなあ

 

神様の感じ方や考え方、色々推し量ってみようとはするんだけど何割かは『正直よく分からない、理解できない』ままにしておいた方が個人的にはしっくりくる気がします(お業さんとかも)。流々様マジで共感や理解とは程遠い

…まあ、ともかく真赤丸が最期に彼女を求めて『彼女の領域(川)に身を投げたこと』は流々様目線だと超絶大勝利エンドなんですね。それを見せられた娘(アヅキ)からしたらたまったものではないけど。

冷静に考えるとアヅキの家庭環境って本当に派手にやばいなあ…


次回(竜ノ助)▶︎2/20更新予定

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